霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

48 宴の後

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 家の中が急に静かになった気がする。
 無口なアルビーはますます無口で、この数日間で一年分喋ったから、もう当分声を発する気はないと言わんばかりだ。その上、家にいない事も多い。夜になると出掛けて行く。始まったばかりのバーゲン巡りに忙しいマリーも、帰って来るのは遅い。僕は一人でコツコツと勉強している。休暇中に読んでおかないとならない本が三冊ある。

 暖かい居間で、温かい紅茶を飲みながら、曇ったガラス超しに外を眺める。イブの日にちょっとだけ降った雪は、積もることなく翌日には消えていた。以来、あれほど冷え込んだ日はない。今は薄っすらと日も差している。それなのに、この部屋はあの日よりもずっと寒々しい。


  
 マリーは今日も、今年最後にして最大の戦場におもむいている。年二回の夏と冬のバーゲンは、俄然冬の方が割引率も高くて勝負どころなのだそうだ。毎日、これでもかと買い物をしてくるから驚きだ。
 クリスマスツリーは十二日以内に片付けないと縁起が悪い、とのジンクスを聞いたのに、マリーの戦いが終わるのを待っていたら学校が始まってしまう。僕は一人ででもツリーを片付けることにした。


 飾りを外して丁寧に梱包材で包み、入っていた箱に戻していく。
 と、お昼も過ぎてからやっと起きてきたアルビーが、居間に入って来るなり怪訝そうに首を傾げた。

「片付けるの? 普通、ツリーは十二夜まで出しておくものだよ。十二夜って聞いたことない?」

 僕は顔面蒼白だ。
 どうやら完全に勘違いしていたらしい。十二日以内に片付けるのではなく、クリスマスから数えて十二日目の一月六日以内に、が正しいらしい。
 本来クリスマスは、キリスト降誕から、その後東方の三賢者がそのお祝いを持ってくる公現祭までの十二日間が、お祝い期間なのだそうだ。

 アルビーは、『クリスマスの十二日間』という歌を口ずさみながら、オーナメントをツリーに戻していく。

「マリーがいなくてラッキー。きっと腹を抱えて笑ってる」
 くすりと笑われて、僕は真っ赤になったまま、ギクシャクとツリーのてっぺんに顔ごと視線を逸らす。
「上の方は僕がする。危なっかしい」
 つま先立ちでツリーに腕を伸ばし、ふらついていた僕の肩を、アルビーが支えてくれていた。僕はますますぎこちなく戸惑ってしまい、そんな不自然な自分を誤魔化すために、マリーの話題を振った。


「マリーのお洒落への情熱はすごいよね。アルビーは、バーゲンに行かないの?」
「面倒くさいよ」

 会話が途切れる。続く言葉が出て来ない。そうなると僕もアルビーも、淡々とオーナメントを戻していくだけだ。本来の場所に……。

「コウ、明日はどうするの?」
「え? あ、ショーンが誘ってくれているんだ。カウントダウンパーティーに行こうって」
「ふうん、どこの?」

 アルビーの方から尋ねてくれ、僕は勢い込んで返事をした。僅かな沈黙の生んだ気まずさを懸命に取り払いたかったのだ。

 それに、この数日間の彼の素っ気なさときたら、スティーブたちが戻ってしまって淋しいだけだ、とは思えなくて。何か嫌われるようなことをしてしまったのではないかと、悶々と自分を疑わずにはいられなかったのだ。

 僕は誘われたパーティーのことを詳しく話した。ショーンのお兄さんがせっかく彼女とカウントダウンするために高いチケットを予約して買ったのに、直前になって振られてしまい無駄になってしまったということ。会場はテムズ川沿いにあって、チケットがなければみられない新年恒例の大花火が間近に見られること。
 
「明日は僕も、マリーもいないから」
 僕を一瞥して、アルビーは素っ気なく告げた。
「出掛けるの?」
「パーティー。カウントダウンの」

 学生なら大晦日ニュー・イヤー・イブは、パーティーだろ! 
 と、ほぼ強引に僕を頷かせたショーンの言った通りだ。クリスマスは家族で。新年は友だち同士で。それが一般的なのだそうだ。誘われた時は、前回のパブでの失敗のこともあって乗り気ではなかったけれど、この家で一人っきりで過ごすことにならずに済んで良かった、と今更ながらショーンに感謝した。
 
「コウ、」
「ん?」
「これで終わり」

 ツリーが元通りの煌びやかさを取り戻すと、アルビーはさっさと居間から立ち去った。
 つい話し込んでしまった僕に対して、アルビーは「ふうん」とか、「そう」とか、気のない返事をするだけだった、と後から気づいた。


 やはり僕は何か仕出かしてしまったのだろうか? それとも、こんなことも知らなかった無知を呆れられた?
 
 優しかったり、冷たかったり、アルビーは気分屋だから気にしてはいけないと解っているのに。気持ちがちっとも落ち着かない。

 僕からは見えない曇りガラスに隔てられた彼の心は、本当はとても温かい彼の本質に触れられることを拒んで、僕を締め出しているように思えてならなかった。




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