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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
42 儀式
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僕の心配に反して、アルビーはにこやかな表情を崩すことはなかった。顔色ひとつ変えずに、受け取ったボールを僕に放り投げてきた。
「コウの友人が、その四大精霊の一つを買ったらしいよ。アンティークショップでたまたま見かけたんだったよね? あれだけ探しても見つからなかったのに、残念だったね、スティーブ」
残念だと言いながら、アルビーの顔はどこか嬉しそうで無邪気だ。逆にスティーブの方が真剣な眼差しで、僕の方へ身を乗り出してくる。
「本当かい? どれを手に入れたのかな? シルフ、それともウンディーネ? それを、譲ってもらえないだろうか? いや、見せてもらうだけでも」
ああ、やはりこうなった。
アルビーは意地悪だ。知っているくせに言わないなんて。
「サラマンダーです。でも、あれはもうないんです。……火事で、燃えてしまって……」
「火事……」
冷ややかに微笑んでいたアルビーの表情が消える。お願いだから、これ以上訊かないで欲しい。
「きみの友人は……」
口籠るスティーブに、僕はできるだけ申し訳なさそうに笑みを作って頭を振る。
「いえ、火事といっても大したことではなくて。燃えたのはあの人形だけで……。本当にすみません。そんな貴重なものだったなんて知らなくて」
謝るしかなかった。本当のことは口が裂けても言えない。
あの赤毛の人形を儀式に使ったなんて!
僕と同じく民俗学を志しているショーンにだって言えはしない。確かに、あれはそれだけの価値があったのだ。あの彼の眼鏡にかなったのだから……。
突風が吹き抜ける。碧が薫る。紅に染まる。焔が舞い、立ち昇る。天高く。あの、ハムステッドヒースの丘で。
瞼裏に刻み付けられている鮮やかな色彩、燃え盛る音、むせ返る黒煙の臭い。
溢れ出る記憶の逆流に意識を奪われそうになり、ぎゅっと目を瞑る。
……ふわりと、肩を掴まれ目を開けた。
しんと、静まり返っている。スティーブや、アンナが心配そうに僕を見ている。マリーはなんだか怒っているみたいだ。
「あ、すみません……」
「コウ、気分が悪そうだよ。少し休むといい」
背中越しにアルビーの声が聞こえる。ぎゅっと肩に置かれた手に力を籠められた。
「すみません、あの、じゃあ僕は、部屋に、」
アルビーに支えられて立ち上がった。だけど、彼はそのまま僕の腕を引っ張って、壁際のソファーに座らせた。
「横になって」
バクバクと速過ぎる鼓動に上手く思考が廻らなくて、僕は言われるままに横たわった。アルビーが、居心地良いように頭の下のクッションを整えてくれる。
「ごめん」
「理由もないのに、謝らなくていいよ」
素っ気なく言って、僕の髪をくしゃりと撫でる。その手がなぜか、ひんやりとしているように感じた。アルビーは体温が高いはずなのに。
頭がガンガンする。目を瞑ってぼんやりとしていると、酷く鳴り響いていた痛みは少しづつ頻度を下げ鎮まっていった。アルビーの冷たい指先が落としていった一滴の雫が、膨張仕切っていた僕の火照りを中和してくれたみたいに。僕の中で未だに暴れる火蜥蜴の熱を、アルビーは包んで鎮めてくれる、そんな気がして。ふわふわと漂うような意識の奥底に、僕はいつしか安心して潜り込んでいた。
ふわりと香る、甘くつんとしたアルコールの臭いに刺激され、目を開けた。
部屋の照明は落とされ、壁の間接照明が柔らかな薄闇を作っている。
向かいの一人掛けのソファーに、スティーブがいる。お酒を飲んでいるんだ。彼の手の中のロックグラスが、きらきらと光を跳ねる。
その脚元にアルビーがいた。彼の膝に腕をかけて、スティーブを見上げている。
「彼はきみの来談者かい?」
「そうじゃないけれど……。そうかもしれない」
「珍しいね。きみが揺らいでいる」
スティーブがくすくす笑っている。アルビーは彼の膝に頭をもたせかけて、また何か呟いた。
そんな彼らを盗み見ていた。見ている僕の方が恥ずかしくて、ドキドキと胸は早鐘を打つ。それなのに目が離せない。
アルビーの手が彼の手からグラスを取り、テーブルに置いた。
スティーブの大きな手が、アルビーの長い前髪を掻き上げる。剥き出しにされたその額に、おそらくはあの傷に、彼は身を屈めて唇を落とした。
アルビーがどんな顔をしてその接吻を受けたのか僕からは見えなかったのに、僕にはなぜか解っていた。
これは敬虔な儀式なのだと。
まるでキリストに刻まれた聖痕のように、アルビーの額の傷は聖なるもの。そんな厳粛さを漂わせ、捧げられたキスなのだと、僕にはそんな気がしてならなかった。
「コウの友人が、その四大精霊の一つを買ったらしいよ。アンティークショップでたまたま見かけたんだったよね? あれだけ探しても見つからなかったのに、残念だったね、スティーブ」
残念だと言いながら、アルビーの顔はどこか嬉しそうで無邪気だ。逆にスティーブの方が真剣な眼差しで、僕の方へ身を乗り出してくる。
「本当かい? どれを手に入れたのかな? シルフ、それともウンディーネ? それを、譲ってもらえないだろうか? いや、見せてもらうだけでも」
ああ、やはりこうなった。
アルビーは意地悪だ。知っているくせに言わないなんて。
「サラマンダーです。でも、あれはもうないんです。……火事で、燃えてしまって……」
「火事……」
冷ややかに微笑んでいたアルビーの表情が消える。お願いだから、これ以上訊かないで欲しい。
「きみの友人は……」
口籠るスティーブに、僕はできるだけ申し訳なさそうに笑みを作って頭を振る。
「いえ、火事といっても大したことではなくて。燃えたのはあの人形だけで……。本当にすみません。そんな貴重なものだったなんて知らなくて」
謝るしかなかった。本当のことは口が裂けても言えない。
あの赤毛の人形を儀式に使ったなんて!
僕と同じく民俗学を志しているショーンにだって言えはしない。確かに、あれはそれだけの価値があったのだ。あの彼の眼鏡にかなったのだから……。
突風が吹き抜ける。碧が薫る。紅に染まる。焔が舞い、立ち昇る。天高く。あの、ハムステッドヒースの丘で。
瞼裏に刻み付けられている鮮やかな色彩、燃え盛る音、むせ返る黒煙の臭い。
溢れ出る記憶の逆流に意識を奪われそうになり、ぎゅっと目を瞑る。
……ふわりと、肩を掴まれ目を開けた。
しんと、静まり返っている。スティーブや、アンナが心配そうに僕を見ている。マリーはなんだか怒っているみたいだ。
「あ、すみません……」
「コウ、気分が悪そうだよ。少し休むといい」
背中越しにアルビーの声が聞こえる。ぎゅっと肩に置かれた手に力を籠められた。
「すみません、あの、じゃあ僕は、部屋に、」
アルビーに支えられて立ち上がった。だけど、彼はそのまま僕の腕を引っ張って、壁際のソファーに座らせた。
「横になって」
バクバクと速過ぎる鼓動に上手く思考が廻らなくて、僕は言われるままに横たわった。アルビーが、居心地良いように頭の下のクッションを整えてくれる。
「ごめん」
「理由もないのに、謝らなくていいよ」
素っ気なく言って、僕の髪をくしゃりと撫でる。その手がなぜか、ひんやりとしているように感じた。アルビーは体温が高いはずなのに。
頭がガンガンする。目を瞑ってぼんやりとしていると、酷く鳴り響いていた痛みは少しづつ頻度を下げ鎮まっていった。アルビーの冷たい指先が落としていった一滴の雫が、膨張仕切っていた僕の火照りを中和してくれたみたいに。僕の中で未だに暴れる火蜥蜴の熱を、アルビーは包んで鎮めてくれる、そんな気がして。ふわふわと漂うような意識の奥底に、僕はいつしか安心して潜り込んでいた。
ふわりと香る、甘くつんとしたアルコールの臭いに刺激され、目を開けた。
部屋の照明は落とされ、壁の間接照明が柔らかな薄闇を作っている。
向かいの一人掛けのソファーに、スティーブがいる。お酒を飲んでいるんだ。彼の手の中のロックグラスが、きらきらと光を跳ねる。
その脚元にアルビーがいた。彼の膝に腕をかけて、スティーブを見上げている。
「彼はきみの来談者かい?」
「そうじゃないけれど……。そうかもしれない」
「珍しいね。きみが揺らいでいる」
スティーブがくすくす笑っている。アルビーは彼の膝に頭をもたせかけて、また何か呟いた。
そんな彼らを盗み見ていた。見ている僕の方が恥ずかしくて、ドキドキと胸は早鐘を打つ。それなのに目が離せない。
アルビーの手が彼の手からグラスを取り、テーブルに置いた。
スティーブの大きな手が、アルビーの長い前髪を掻き上げる。剥き出しにされたその額に、おそらくはあの傷に、彼は身を屈めて唇を落とした。
アルビーがどんな顔をしてその接吻を受けたのか僕からは見えなかったのに、僕にはなぜか解っていた。
これは敬虔な儀式なのだと。
まるでキリストに刻まれた聖痕のように、アルビーの額の傷は聖なるもの。そんな厳粛さを漂わせ、捧げられたキスなのだと、僕にはそんな気がしてならなかった。
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