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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
41 食卓
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暫くお茶に付き合った後、家族水入らずの方がいいだろうと、僕は理由をつけてその場を外した。
自室に戻ると一気に緊張が解けた。
スティーブも、アンナもとても気さくないい人だ。僕に対しても気を遣ってくれて、会話に参加し易いようにいろいろ話し掛けて下さっていた。だから、居た堪れなかったのはご両親のせいじゃない。
アルビー。僕の存在なんか忘れたような、アルビーの態度が堪らなかった。マリーが言うような、べったり、なんてものじゃない。まるっきり親に甘える小さな子どもだ。あんなの、アルビーじゃない。
僕は苛々とした想いで床にへたりこんで、ベッドにもたれかかっていた。つい、アルビーのくれた蜥蜴の指輪を反対の手でいじる。
僕よりずっと大人なアルビー。そう思っていたのに。大人になってまであの甘えっぷり、可笑しいだろ! 心の中で悪態をつきながら、これはアルビーが特別なのか、それともイギリス人の気質なのかと、訳が判らなくなってきた。
確かに、こっちの人は大人になってからも親子のスキンシップが激しくてびっくりすることが多々ある。アルビーが可笑しいのではなく、こんなことで苛ついている僕の方が可笑しいのかも知れない。なんて考え出すともう堂々巡りだ。
頭がクラクラしてくる。
ベッドに這い上がって、大の字になる。室内履きを放り脱ぐ。そう言えば、マリーのご両親とも、当たり前に靴を脱いでスリッパに履き替えてくれていた。その場で説明したりしていなかったのに。
きっと、メールかチャットで僕のことも話していたんだ。ちっとも驚いている様子がなかったもの。
きっと、信頼しているんだろうな。アルビーのことも、マリーのことも。
僕は取り留めもなく考えながら、うつらうつら眠っていた。
仕方がない。昨夜は遅くまで浴室の掃除と、それから……。
マリーに呼ばれて起こされた時には、夕食の時間だった。
アンナも今日はさすがに疲れているので、ケータリングを頼んだそうだ。
居間に行くと、ティーテーブルが大きなダイニングテーブルに変わっていた。白いテーブルクロスから、赤褐色の脚が伸びている。椅子も同じ色味の、揃いの装飾の入った重厚なものになっている。
「マホガニーかな。ジョージアンみたいだ」
シンプルで華奢な造りの背もたれは、数本の蔦が絡み合っている彫刻が施されている。艶やかな椅子の背に指を滑らせていると、スティーブが嬉しそうに微笑んだ。
「ほぉ、見る目があるじゃないか。チッペンデールだよ」
「そう、傷つけるのが怖くて。私とアルじゃ、恐れ多くて使えないダイニングセットよ」
マリーが大袈裟に肩をすくめている。
確かに、それはそうだろう。見るからに繊細だもの、この椅子。
納得して頷くと、マリーはぷっと膨れっ面をした。アンナはくすくす笑っている。
「コウがアンティーク家具に興味があるなんて知らなかったな」
アルビーが意外そうに僕を見ている。
「御伽噺にでてくるから。家具を作る小人とか」
うんちくを語るのが大好きな例の友人に教わったとは言えなくて、僕は咄嗟にそのうんちく話の中に出てきたネタに飛びついていた。
「民間伝承?」
そこから小人だの、妖精だのの、僕の専門分野の話になった。スティーブは銀行員という堅い職業に似合わず、そんな御伽噺を笑ったりしなかった。それどころか、懐かしそうに子どもの頃に読んだり、聞いたりした昔話を教えてくれた。
意外なところで彼と話が弾んでいる間に、アンナとマリーが食事を運んで来てくれた。
中華だ。飲茶に、チャーハンだの、焼きそばだの、懐かしい面々が並んでいる。
僕は思いっきりにやけていたのだろう。皆に笑われた。
それからスティーブとの間の会話は一旦途切れ、料理の話題に移り、ひとしきり食べ終わった頃に、また思い出したように戻って来た。
スティーブが、いきなりこの話題をアルビーに振ったのだ。
「そういえば、アーノルドも昔、妖精だのの神秘的なモチーフに凝っていた時期があったね。四大精霊だったかな、初めて賞を取った作品は」
音を立てて血の気が引いていく気がしたよ。いろんな意味で。
僕は思わず、長くて真っ直ぐな、ただでさえ持ちにくい日本のものとは違う箸を、取り落としそうになっていた。指先に慌てて力をこめ、スティーブの横に座るアルビーをじっと見つめてしまっていた。
自室に戻ると一気に緊張が解けた。
スティーブも、アンナもとても気さくないい人だ。僕に対しても気を遣ってくれて、会話に参加し易いようにいろいろ話し掛けて下さっていた。だから、居た堪れなかったのはご両親のせいじゃない。
アルビー。僕の存在なんか忘れたような、アルビーの態度が堪らなかった。マリーが言うような、べったり、なんてものじゃない。まるっきり親に甘える小さな子どもだ。あんなの、アルビーじゃない。
僕は苛々とした想いで床にへたりこんで、ベッドにもたれかかっていた。つい、アルビーのくれた蜥蜴の指輪を反対の手でいじる。
僕よりずっと大人なアルビー。そう思っていたのに。大人になってまであの甘えっぷり、可笑しいだろ! 心の中で悪態をつきながら、これはアルビーが特別なのか、それともイギリス人の気質なのかと、訳が判らなくなってきた。
確かに、こっちの人は大人になってからも親子のスキンシップが激しくてびっくりすることが多々ある。アルビーが可笑しいのではなく、こんなことで苛ついている僕の方が可笑しいのかも知れない。なんて考え出すともう堂々巡りだ。
頭がクラクラしてくる。
ベッドに這い上がって、大の字になる。室内履きを放り脱ぐ。そう言えば、マリーのご両親とも、当たり前に靴を脱いでスリッパに履き替えてくれていた。その場で説明したりしていなかったのに。
きっと、メールかチャットで僕のことも話していたんだ。ちっとも驚いている様子がなかったもの。
きっと、信頼しているんだろうな。アルビーのことも、マリーのことも。
僕は取り留めもなく考えながら、うつらうつら眠っていた。
仕方がない。昨夜は遅くまで浴室の掃除と、それから……。
マリーに呼ばれて起こされた時には、夕食の時間だった。
アンナも今日はさすがに疲れているので、ケータリングを頼んだそうだ。
居間に行くと、ティーテーブルが大きなダイニングテーブルに変わっていた。白いテーブルクロスから、赤褐色の脚が伸びている。椅子も同じ色味の、揃いの装飾の入った重厚なものになっている。
「マホガニーかな。ジョージアンみたいだ」
シンプルで華奢な造りの背もたれは、数本の蔦が絡み合っている彫刻が施されている。艶やかな椅子の背に指を滑らせていると、スティーブが嬉しそうに微笑んだ。
「ほぉ、見る目があるじゃないか。チッペンデールだよ」
「そう、傷つけるのが怖くて。私とアルじゃ、恐れ多くて使えないダイニングセットよ」
マリーが大袈裟に肩をすくめている。
確かに、それはそうだろう。見るからに繊細だもの、この椅子。
納得して頷くと、マリーはぷっと膨れっ面をした。アンナはくすくす笑っている。
「コウがアンティーク家具に興味があるなんて知らなかったな」
アルビーが意外そうに僕を見ている。
「御伽噺にでてくるから。家具を作る小人とか」
うんちくを語るのが大好きな例の友人に教わったとは言えなくて、僕は咄嗟にそのうんちく話の中に出てきたネタに飛びついていた。
「民間伝承?」
そこから小人だの、妖精だのの、僕の専門分野の話になった。スティーブは銀行員という堅い職業に似合わず、そんな御伽噺を笑ったりしなかった。それどころか、懐かしそうに子どもの頃に読んだり、聞いたりした昔話を教えてくれた。
意外なところで彼と話が弾んでいる間に、アンナとマリーが食事を運んで来てくれた。
中華だ。飲茶に、チャーハンだの、焼きそばだの、懐かしい面々が並んでいる。
僕は思いっきりにやけていたのだろう。皆に笑われた。
それからスティーブとの間の会話は一旦途切れ、料理の話題に移り、ひとしきり食べ終わった頃に、また思い出したように戻って来た。
スティーブが、いきなりこの話題をアルビーに振ったのだ。
「そういえば、アーノルドも昔、妖精だのの神秘的なモチーフに凝っていた時期があったね。四大精霊だったかな、初めて賞を取った作品は」
音を立てて血の気が引いていく気がしたよ。いろんな意味で。
僕は思わず、長くて真っ直ぐな、ただでさえ持ちにくい日本のものとは違う箸を、取り落としそうになっていた。指先に慌てて力をこめ、スティーブの横に座るアルビーをじっと見つめてしまっていた。
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