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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
40 彼ら
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マリーのお母さんのアンナが、お土産の鉄観音を淹れてくれた。持ち帰った中国茶器のセットで、慣れた手つきで手際よく、とても丁寧に。この家にはティーバッグの紅茶しかなかったから、お茶にはこだわらない人なのかと思っていたのに。どうやら、あのティーバッグはマリー専用みたいだ。
僕は日本にいた頃から日常的に烏龍茶を飲んでいたので、アンナの淹れてくれたお茶の、香り高い桃のような、花のような芳醇な香りはとても懐かしく、心に沁みた。
「ダイエットにもいいのよ」
と、アンナが言うと、マリーの眼の色が変わる。お茶請けの甘い月餅をパクパク食べていては、効果は期待薄だと思うけれど。
アンナもとてもよく喋る人だけれど、マリーみたいに煩くない。穏やかで、朗らかで、僕はすぐにアンナが好きになった。丸々とした体形も、ずっとにこにことしている温かな笑顔も、居心地の良いこの家を築いてきた家庭的な人という印象そのままだ。
居間の窓際のティーテーブルに皆で腰掛けると少し狭くて、アルビーは小さな中国茶の茶器を手にして窓枠に腰掛けている。すぐ横のテーブルにはスティーブ。お土産の月餅をアルビーに勧めている。上品な指先で摘ままれ、差し出された小さな丸い月餅を、アルビーは口を寄せて齧り取る。食べるんだ。僕がチェーン店で買って来たどら焼きは、食べなかったくせに。目を細めて「美味しいね」と言っている彼を見ていると、胸がズキンと痛んだ。
アルビーが笑っている。ずっと喋っている。凄くたわいのないことを。彼らがいない間の日々の生活。大学のこと。取り組んでいる論文のこと。こんなふうにずっと喋っているアルビーを、僕は今まで見たことがない。
「お茶のおかわりをどう?」と、アンナが立ち上がろうとした時、マリーが彼女を制して僕の肩に手を置いた。
「今度は紅茶にしましょう。コウはママみたいに紅茶を淹れるのが上手なの」
暗に促され、僕も席を外した。
「驚いたでしょ」
キッチンで湯を沸かしながら、マリーは唇を歪めて皮肉気な口調で呟いた。
「いつもああなのよ。アルはパパにべったりで、パパは何よりアルが可愛いの」
苛ついた眼つきで、ぷっと膨れっ面をしているマリーは、いったいどちらに嫉妬しているんだろう? パパ? それともアルビー?
「優しい、いいご両親だね」
僕はどう言えばいいのか判らず、当たり障りのない言葉を選んだ。マリーは唇の端を持ち上げて、ちょっとだけ笑った。
僕は父親との記憶が余りない。父は仕事で忙しく、平日も、休日も顔を合わせることは少なかった。だからさっきのアルビーみたいに、向き合って自分のことを父に報告した記憶はひとつしかない。
留学したいと、頼んだ時だ。その時だって、父は、僕が本心から望んでいるのなら、と二つ返事で、詳しい動機や理由を詮索することはなかった。
僕の家の親子関係は、マリーたちよりもずっと希薄なのかもしれない。イギリスに来てから強く思い出すのは、自宅よりも田舎のお祖母ちゃんの家。そして、そこで知り合った僕のたった一人の友人だった彼のこと。
取り留めもなくそんなことを考えながら、お茶を淹れた。
マリーもさっきまでのような、やるせない表情はもうしていない。珍しく、自分で戸棚から買い置きのスコーンを出して温め直し、ジャムだの、クロテッドクリームだのを添えている。
なんだかマリーが、ちゃんと女の子に見える。チラチラと盗み見していると、「何よ」と、鼻息荒く睨まれた。
僕はマリーとアルビーは恋人同士にはなり得ない、と言っていた意味が解ったような気がした。
マリーのご両親、そしてアルビー、マリーの様子を見ていると、彼らがどれほど大切に可愛がられて育ってきたのか想像できる。
彼らは、紛うことなく家族だ。
そんな絆を見せつけられて。
僕はなんだかぽっかりと淋しくて、キリキリと胸が痛むほど、僕の友人のことを思い出していた。
僕は日本にいた頃から日常的に烏龍茶を飲んでいたので、アンナの淹れてくれたお茶の、香り高い桃のような、花のような芳醇な香りはとても懐かしく、心に沁みた。
「ダイエットにもいいのよ」
と、アンナが言うと、マリーの眼の色が変わる。お茶請けの甘い月餅をパクパク食べていては、効果は期待薄だと思うけれど。
アンナもとてもよく喋る人だけれど、マリーみたいに煩くない。穏やかで、朗らかで、僕はすぐにアンナが好きになった。丸々とした体形も、ずっとにこにことしている温かな笑顔も、居心地の良いこの家を築いてきた家庭的な人という印象そのままだ。
居間の窓際のティーテーブルに皆で腰掛けると少し狭くて、アルビーは小さな中国茶の茶器を手にして窓枠に腰掛けている。すぐ横のテーブルにはスティーブ。お土産の月餅をアルビーに勧めている。上品な指先で摘ままれ、差し出された小さな丸い月餅を、アルビーは口を寄せて齧り取る。食べるんだ。僕がチェーン店で買って来たどら焼きは、食べなかったくせに。目を細めて「美味しいね」と言っている彼を見ていると、胸がズキンと痛んだ。
アルビーが笑っている。ずっと喋っている。凄くたわいのないことを。彼らがいない間の日々の生活。大学のこと。取り組んでいる論文のこと。こんなふうにずっと喋っているアルビーを、僕は今まで見たことがない。
「お茶のおかわりをどう?」と、アンナが立ち上がろうとした時、マリーが彼女を制して僕の肩に手を置いた。
「今度は紅茶にしましょう。コウはママみたいに紅茶を淹れるのが上手なの」
暗に促され、僕も席を外した。
「驚いたでしょ」
キッチンで湯を沸かしながら、マリーは唇を歪めて皮肉気な口調で呟いた。
「いつもああなのよ。アルはパパにべったりで、パパは何よりアルが可愛いの」
苛ついた眼つきで、ぷっと膨れっ面をしているマリーは、いったいどちらに嫉妬しているんだろう? パパ? それともアルビー?
「優しい、いいご両親だね」
僕はどう言えばいいのか判らず、当たり障りのない言葉を選んだ。マリーは唇の端を持ち上げて、ちょっとだけ笑った。
僕は父親との記憶が余りない。父は仕事で忙しく、平日も、休日も顔を合わせることは少なかった。だからさっきのアルビーみたいに、向き合って自分のことを父に報告した記憶はひとつしかない。
留学したいと、頼んだ時だ。その時だって、父は、僕が本心から望んでいるのなら、と二つ返事で、詳しい動機や理由を詮索することはなかった。
僕の家の親子関係は、マリーたちよりもずっと希薄なのかもしれない。イギリスに来てから強く思い出すのは、自宅よりも田舎のお祖母ちゃんの家。そして、そこで知り合った僕のたった一人の友人だった彼のこと。
取り留めもなくそんなことを考えながら、お茶を淹れた。
マリーもさっきまでのような、やるせない表情はもうしていない。珍しく、自分で戸棚から買い置きのスコーンを出して温め直し、ジャムだの、クロテッドクリームだのを添えている。
なんだかマリーが、ちゃんと女の子に見える。チラチラと盗み見していると、「何よ」と、鼻息荒く睨まれた。
僕はマリーとアルビーは恋人同士にはなり得ない、と言っていた意味が解ったような気がした。
マリーのご両親、そしてアルビー、マリーの様子を見ていると、彼らがどれほど大切に可愛がられて育ってきたのか想像できる。
彼らは、紛うことなく家族だ。
そんな絆を見せつけられて。
僕はなんだかぽっかりと淋しくて、キリキリと胸が痛むほど、僕の友人のことを思い出していた。
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