霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
41 / 193
Ⅱ.冬の静寂(しじま)

38 ツリー

しおりを挟む
 この頃アルビーは機嫌がいい。アルビーだけじゃない。街中がどこかうきうきとしている。クリスマス休暇が近づいているからだ。逆にマリーは、そわそわと落ち着かない。忙しさにかまけて、クリスマスの準備を何もしていなかったからだ。「パパとママががっがりする!」と言って、今頃になって慌てふためいている。

 マリーのご両親が帰って来ると聞いて、僕は少しづつ家全体の掃除に励んだ。余りに伸び放題になっている庭木にも手を入れた。今までマリーのお母さんが手入れをしていたらしく、庭の片隅にある倉庫にはガーデニングの道具が揃っていた。
 僕はきっと、アルビーやマリーよりもずっと、この家のどこに何があるかを把握しているに違いない。

 大学が休暇に入るとすぐに、マリーに頼まれて一緒にクリスマスの飾りつけをした。玄関のドアを開けて届いたツリーを見た時には、びっくりし過ぎてぽかんと見上げてしまったよ。一般家庭でこんな大きな、本物のモミの木のツリーを飾るなんて思ってもみなかったんだ。マリーは、買いに行くのが遅すぎて、枝ぶりが今一つだし、色も良くないのしか残っていなかったとブツブツ言っているけれど。

 家のことは何もしないマリーも、ツリーの飾りつけだけは別だ。倉庫から大きな段ボール箱に入った飾りを出してきて、一つ、一つ僕に説明してくれながらツリーに吊るしていく。金や銀、透明に透かし模様の入ったガラスボールや、可愛いミニチュア。レースで出来た雪の結晶。ツリーの周囲を嬉々として動き回っている彼女は、いつもの威圧的で高ぴしゃなところがなくて、何だか可愛い。

「この星もアルが作ったの。綺麗でしょ」

 最後にツリーのてっぺんに、しなやかなマリーの手が繊細なレース細工のような銀色の星を飾った。
 僕は少し離れたソファーに腰掛け、完成したツリーの全体像に悦に入って見とれる。

 マリーも一、二歩下がってうっとりと星を見上げ、誇らしげに微笑んでいる。

 その姿に、やはりマリーはアルビーのことが好きなんじゃないのかな、って思った。それとも、兄妹みたいな間柄でもこんな顔をするものなのだろうか? 一人っ子の僕にはよく判らない。

 マリーも、アルビーも、いつもごく当たり前にハグして、互いにキスし合う。僕が驚いて固まっていると、「アルは家族だもの。イギリスではこれが普通なの」と、ふんっと鼻で笑われた。でも唇にしているのを見たのは、あの一回きりだ。やっぱりあの時のキスは特別だったのだと思う。
 こういう過剰なスキンシップに慣れていないから、僕は彼らから見て赤ちゃんって言われるのかな、って気もするけれど、こんな事で精神年齢を測られるのも、なんだか理不尽だ。
 僕からすると、日常生活に無頓着で勝手気ままな二人の方が、よほど我儘な子どもに思えるもの。毎日耳にタコが出来るくらい、サーモンおにぎりを連呼されたり……。アルビーのピアスを借りて、もうたくさん、って暗黙の抗議をしたいくらいだ。通じないだろうけど……。

 とは言え、マリーには随分とお世話になっているのは確かだから、できるだけ彼女が満足できるクリスマスを迎えられるように手伝いたい。

 アルビーにも……。



 パブで酩酊して迷惑をかけたことを謝り、もう絶対にお酒は飲まないと彼に誓った。アルビーはなんだか優しかった。マリーみたいなキツイ嫌味も言わなくて。平謝りに謝る僕に、「うん。まぁ、酷いことにならなくて良かったよ」とさらりと言うだけで終わらせてくれた。ちょっと拍子抜けするほどだ。
 念のため、僕はどれほど酷い醜態を晒してしまったのか尋ねたのだけれど、彼は、「普通の酔っ払いがすることと変わらないよ」と笑って言うだけで、詳しいことは教えてくれなかった。

 ショーンの話では、アルビーは僕をトイレに連れて行って、意識の朦朧としていた僕の口に自分の指を入れて、まず吐かせたらしい。急性アルコール中毒かもしれないからって。それにタクシーに乗ってから吐くと困るから。僕は素直にアルビーに従っていて、ちゃんと返事もしていたらしい。

 タクシーを待つ間、ペットボトルの水を買ってきてくれたのはショーンだ。その間、泥酔状態の僕の体温の低下を防ぐために、アルビーはずっと僕を抱き抱えてくれていたって。彼が僕のベッドで寝ていた理由も、これで合点がいった。ずっと僕を温めてくれていたんだ。朝起きた時には、朧な夢のような記憶しか残っていなかったけれど。なんだろう……。意識ではなく、皮膚がその温もりを覚えている。どこかふわふわとした、心地良い……。


「コウ」

 消えかかっていた記憶の残滓がちりちりと浮かび上がってきていたのに、マリーの明るく弾んだ声に掻き散らされる。

「次はファブリックよ。クッションカバーもクリスマスカラーに変えるの」

 楽しそうに別の段ボール箱を開けている彼女に、「OK」と返事をし、僕はあちこちに散らばっているクッションを集めるために立ち上がった。




 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」  アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。  僕の心はきみには見えない――。  やっと通じ合えたと思ったのに――。 思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。 不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。 夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。 アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。  *****  コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。  注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。 (番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)  

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

さがしもの

猫谷 一禾
BL
策士な風紀副委員長✕意地っ張り親衛隊員 (山岡 央歌)✕(森 里葉) 〖この気持ちに気づくまで〗のスピンオフ作品です 読んでいなくても大丈夫です。 家庭の事情でお金持ちに引き取られることになった少年時代。今までの環境と異なり困惑する日々…… そんな中で出会った彼…… 切なさを目指して書きたいです。 予定ではR18要素は少ないです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...