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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
37 二日酔い
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二日酔いにはしじみの味噌汁だ。父がいつも以上に帰って来るのが遅かった日の翌朝は、決まってそうだったもの。それに、疲れた胃を休めるための梅粥。
だけど、そんな日本の常識を覆すイギリス式二日酔いの朝の食卓を前に、僕は蒼白い顔をますます青褪めながら絶句していた。
刺激的なコーヒーに、脂っこいベーコン、そして溶けたバターの臭い。
まといつく臭いの三重奏。これだけでもう、むかむかする。
大きな皿に盛られた、薄いバタートースト、ベーコンエッグ、ソーセージ、ベイクドビーンズ、マッシュルームを炒めたものに、生トマト。ゆるゆると、湯気が立っている。その横に、コーヒーとフレッシュジュース。
これがお薦めの二日酔いに効く朝食らしい。
まるっと普通のイングリッシュ・ブレックファーストじゃないか!
思い切りツッコミを入れたかったけれど、マリーは、この朝食の効能を医学的根拠を踏まえてとうとうと説明してくれている。彼女の独断と偏見の賜物ではないらしく、どこかの大学の研究で、とか、何とか紙の推奨で、とか、何かしらのお墨付きがあるのだそうだ。
この、頭上で絶え間なく囀る甲高い鳥の声で、頭がますます痛くなる。
ちなみにこの朝食、マリーが作ってくれた訳ではない。ジョギングの途中で買って来て、温め直ししてくれたものだ。
アルビーは、次に僕が目を覚ました時にはもういなかった。自分の部屋に戻ったみたいだ。
ずっしりと重い躰にぼんやりとした頭。だらけた僕を鞭打つようなこの拷問。罰が当たったのだ。恰好つけてお酒なんか飲んだりしたから……。
迷惑をかけたアルビーや、心配してくれているマリーに申し訳なくて、僕はこの罰を甘んじて受けた。込み上げてくるむかむかを、トーストやベーコンエッグと一緒に咀嚼し、コーヒーにジュースで流し込む。
辛い。涙が出そうだ。
なんとか頑張って半分くらいは食べられたけれど、さすがに完食は無理だ。
「飲めもしないのにエールをがぶ飲みしたんですってね! アルが呆れていたわよ。アルに介抱してもらって連れて帰ってもらって、彼がいなかったらあんたなんか、今頃身ぐるみ剥がされて、道に転がされているわよ! 自覚がないにもほどがあるわ!」
鳥の声はいつしか朝食の医学的効能から、僕へのお説教に変わっていて。
耳が痛い。さすがに聞き流すことは出来なくて、僕の胃はますます縮こまる。
もう二度と酒なんて飲むものか!
僕は固く決意した。
風刺漫画で見るような、足に大きな重りを付けられた囚人みたいに、上手く動かない足を引きずるようにして学校に行った。
ショーンがなんともいいようがない変な顔で僕を見ている。
「おはよう」
「……おはよう」
口ごもる彼に不安が過る。余り覚えていないけど、僕は彼にも迷惑をかけたのだろうか?
ぼんやりしている僕を暫く見つめていた彼は、ニヤッと笑って僕の肩に腕を廻して声を落とした。
「そんな顔するなよ。そりゃ、驚いたけどさ。俺はそんな偏見なんてないからな。今時珍しくもないって」
イギリス人はお酒に強いと思っていたけれど、僕みたいにすぐに潰れてしまう人も、それなりにいるってこと?
「で、どう? あいつ、やっぱり噂通りに凄い?」
「あいつって?」
「アルビー・アイスバーグ」
僕は意味が判らなくて、きょとんとショーンを見つめ返す。
「凄いって、何が?」
真顔で訊き返すと、彼は瞳をきょどきょどさせて、空を見上げてため息を吐く。
「朝っぱらからする話でもないよな」
僕の背中をバンッと叩く。何だよ、もう。
「まぁ、心配するなって。誰にも言わないでおいてやるからさ」
意味ありげにニヤニヤする彼を訝しく思いながらも、「ありがとう」とお礼を言った。
相当の醜態を晒したに違いない。
もう少し活力が戻って、頭が廻るようになったら、何をしでかしたのか確かめなくては……。
未だに靄の掛かったような頭で、僕はぼんやりと考えていた。
だけど、そんな日本の常識を覆すイギリス式二日酔いの朝の食卓を前に、僕は蒼白い顔をますます青褪めながら絶句していた。
刺激的なコーヒーに、脂っこいベーコン、そして溶けたバターの臭い。
まといつく臭いの三重奏。これだけでもう、むかむかする。
大きな皿に盛られた、薄いバタートースト、ベーコンエッグ、ソーセージ、ベイクドビーンズ、マッシュルームを炒めたものに、生トマト。ゆるゆると、湯気が立っている。その横に、コーヒーとフレッシュジュース。
これがお薦めの二日酔いに効く朝食らしい。
まるっと普通のイングリッシュ・ブレックファーストじゃないか!
思い切りツッコミを入れたかったけれど、マリーは、この朝食の効能を医学的根拠を踏まえてとうとうと説明してくれている。彼女の独断と偏見の賜物ではないらしく、どこかの大学の研究で、とか、何とか紙の推奨で、とか、何かしらのお墨付きがあるのだそうだ。
この、頭上で絶え間なく囀る甲高い鳥の声で、頭がますます痛くなる。
ちなみにこの朝食、マリーが作ってくれた訳ではない。ジョギングの途中で買って来て、温め直ししてくれたものだ。
アルビーは、次に僕が目を覚ました時にはもういなかった。自分の部屋に戻ったみたいだ。
ずっしりと重い躰にぼんやりとした頭。だらけた僕を鞭打つようなこの拷問。罰が当たったのだ。恰好つけてお酒なんか飲んだりしたから……。
迷惑をかけたアルビーや、心配してくれているマリーに申し訳なくて、僕はこの罰を甘んじて受けた。込み上げてくるむかむかを、トーストやベーコンエッグと一緒に咀嚼し、コーヒーにジュースで流し込む。
辛い。涙が出そうだ。
なんとか頑張って半分くらいは食べられたけれど、さすがに完食は無理だ。
「飲めもしないのにエールをがぶ飲みしたんですってね! アルが呆れていたわよ。アルに介抱してもらって連れて帰ってもらって、彼がいなかったらあんたなんか、今頃身ぐるみ剥がされて、道に転がされているわよ! 自覚がないにもほどがあるわ!」
鳥の声はいつしか朝食の医学的効能から、僕へのお説教に変わっていて。
耳が痛い。さすがに聞き流すことは出来なくて、僕の胃はますます縮こまる。
もう二度と酒なんて飲むものか!
僕は固く決意した。
風刺漫画で見るような、足に大きな重りを付けられた囚人みたいに、上手く動かない足を引きずるようにして学校に行った。
ショーンがなんともいいようがない変な顔で僕を見ている。
「おはよう」
「……おはよう」
口ごもる彼に不安が過る。余り覚えていないけど、僕は彼にも迷惑をかけたのだろうか?
ぼんやりしている僕を暫く見つめていた彼は、ニヤッと笑って僕の肩に腕を廻して声を落とした。
「そんな顔するなよ。そりゃ、驚いたけどさ。俺はそんな偏見なんてないからな。今時珍しくもないって」
イギリス人はお酒に強いと思っていたけれど、僕みたいにすぐに潰れてしまう人も、それなりにいるってこと?
「で、どう? あいつ、やっぱり噂通りに凄い?」
「あいつって?」
「アルビー・アイスバーグ」
僕は意味が判らなくて、きょとんとショーンを見つめ返す。
「凄いって、何が?」
真顔で訊き返すと、彼は瞳をきょどきょどさせて、空を見上げてため息を吐く。
「朝っぱらからする話でもないよな」
僕の背中をバンッと叩く。何だよ、もう。
「まぁ、心配するなって。誰にも言わないでおいてやるからさ」
意味ありげにニヤニヤする彼を訝しく思いながらも、「ありがとう」とお礼を言った。
相当の醜態を晒したに違いない。
もう少し活力が戻って、頭が廻るようになったら、何をしでかしたのか確かめなくては……。
未だに靄の掛かったような頭で、僕はぼんやりと考えていた。
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