34 / 193
Ⅱ.冬の静寂(しじま)
31 火傷
しおりを挟む
「コウ」
また、ノックと同時にドアが開く。
マリーなんて、きっと僕が着替えている途中だろうと平気で喋りかけてくるんだろうな。僕が男だという意識なんてからっきしないに決まってる。腕力で負けてる、というマイナスポイントはすごく大きいんだ。
小さくため息をついて顔を向ける。簡単な用事なのか、マリーは部屋までは入ってこない。戸口につっ立ったまま話しはじめている。
「クリスマスに両親が帰ってくるから、そのつもりでね。それで、できたらなにか日本食を作って欲しいのよ。スシとか、テンプラとか」
「むりだよ。僕が作るより、チェーン店で買ってきた方がよっぽどマシ」
僕は即答でそう言ってしまった。マリーもアルビーも、絶対に誤解している。おにぎりとか卵焼きなら作れるけど、僕は料理が上手いわけではない。あんなものを普通料理とはいわない。
でも、ご両親にお逢いできるのは素直に嬉しいかな。マリーには家賃も負けてもらってるし、食費の大部分を負担してもらえてすごく助かってる。ここはやはりマリーの顔をたてて、なにかお礼をするべきかな……。コシヒカリ5キロのお礼もかねて。
頭の中でパラパラと、僕の作れるメニューカードを捲っていく。やはり大したものはない。
「――でも、なにか考えるよ。ディナー用? それともランチでいいの?」
「ランチでいいのよ。二十五日の晩餐は母が作ると思うから。翌日のお昼をお願い」
「わかった」と頷くと、彼女は満足そうに微笑んで、そそくさと行ってしまった。
書きかけのレポートはいったん閉じて、僕はさっそくイギリス人に人気の日本食とレシピを検索にかけた。
それからしばらくたった、休日の午後のことだった。
「泣いているコウがあまりに可愛くて、理性のタガをおさえるが大変だったよ」
マグカップ片手に、キッチンから居間に入ろうとしていた僕は、耳に飛びこんできたアルビーの声に硬直し、その場から動けなくなっていた。
ラジエーターの前で胡坐をかいて座りこんでいたアルビーは、膝の上にクッションを、さらにその上にノートパソコンを置いて画面を睨みながら、テーブルにいるマリーと話していた。
「ちょっと、その辺でするのはやめてよ!」
マリーのキンキン声が響く。その声に弾かれたように僕は壁に隠れていた。マグカップの中のコーヒーが少し零れて手にかかる。アツッ、て心の中で叫んでいるのに声にならない。そっと手を伸ばして、電話台にしているハイスタンドに音をたてないようにカップを置く。
「心配いらないよ。やっぱり無理だったから。年齢的には問題ないはずなんだけどね、コウに手をだすのって、なんだか犯罪者の気分で萎えるんだ」
「あ、解るわ――」
同意するなよ!
アルビーの言葉もショックだったけれど、マリーも、マリーだ!
僕はとてもこれ以上聞いていられなくて、足音を忍ばせてその場から逃げだした。
惨めで、腹立たしくて、不貞腐れきってベッドにつっ伏した。赤くなっているコーヒーのかかった痕が、ヒリヒリと痛んでよけいに神経を逆撫でする。
アルビーの神経が信じられない。
あんな話をしておいて、頭の中で考えていたのってそんなこと? おまけに犯罪者の気分ってなんだよ! ふざけるのも大概にしろ!
本当に頭のてっぺんから噴火するんじゃないかってくらいに腹がたって……。それから、すごく悲しくなって泣きたくなった。けれど、さすがに涙はでなかった。
僕にはやっぱりアルビーが解らない。
あの話が作り話なんかじゃなくて、本当のことだって僕は知っている。
奥さんが亡くなって、アルビーのお父さんが悲嘆のあまりに我を失って、錯乱状態の間に起こった出来事だったって、ネットの記事にも載っていた。だからアルビーも、一歳にもならない頃のことを詳しく知っている。
それを、あんな他人事みたいに……。
笑いながら話すような内容じゃないだろ! だからこそ僕は哀しかったのに。泣くほど哀しかったのに。
あの傷が額に刻まれてから、どれほどの無遠慮な好奇の眼に彼は晒され続け、心が麻痺するほどに踏みつけられてきたのかと……。
僕はどうせとんでもなく赤ちゃんで、そんな話をした後にとんでもないことを考えている彼のことなんて、ぜんぜん理解できないんだ!
――それに、理解したくもない!
また、ノックと同時にドアが開く。
マリーなんて、きっと僕が着替えている途中だろうと平気で喋りかけてくるんだろうな。僕が男だという意識なんてからっきしないに決まってる。腕力で負けてる、というマイナスポイントはすごく大きいんだ。
小さくため息をついて顔を向ける。簡単な用事なのか、マリーは部屋までは入ってこない。戸口につっ立ったまま話しはじめている。
「クリスマスに両親が帰ってくるから、そのつもりでね。それで、できたらなにか日本食を作って欲しいのよ。スシとか、テンプラとか」
「むりだよ。僕が作るより、チェーン店で買ってきた方がよっぽどマシ」
僕は即答でそう言ってしまった。マリーもアルビーも、絶対に誤解している。おにぎりとか卵焼きなら作れるけど、僕は料理が上手いわけではない。あんなものを普通料理とはいわない。
でも、ご両親にお逢いできるのは素直に嬉しいかな。マリーには家賃も負けてもらってるし、食費の大部分を負担してもらえてすごく助かってる。ここはやはりマリーの顔をたてて、なにかお礼をするべきかな……。コシヒカリ5キロのお礼もかねて。
頭の中でパラパラと、僕の作れるメニューカードを捲っていく。やはり大したものはない。
「――でも、なにか考えるよ。ディナー用? それともランチでいいの?」
「ランチでいいのよ。二十五日の晩餐は母が作ると思うから。翌日のお昼をお願い」
「わかった」と頷くと、彼女は満足そうに微笑んで、そそくさと行ってしまった。
書きかけのレポートはいったん閉じて、僕はさっそくイギリス人に人気の日本食とレシピを検索にかけた。
それからしばらくたった、休日の午後のことだった。
「泣いているコウがあまりに可愛くて、理性のタガをおさえるが大変だったよ」
マグカップ片手に、キッチンから居間に入ろうとしていた僕は、耳に飛びこんできたアルビーの声に硬直し、その場から動けなくなっていた。
ラジエーターの前で胡坐をかいて座りこんでいたアルビーは、膝の上にクッションを、さらにその上にノートパソコンを置いて画面を睨みながら、テーブルにいるマリーと話していた。
「ちょっと、その辺でするのはやめてよ!」
マリーのキンキン声が響く。その声に弾かれたように僕は壁に隠れていた。マグカップの中のコーヒーが少し零れて手にかかる。アツッ、て心の中で叫んでいるのに声にならない。そっと手を伸ばして、電話台にしているハイスタンドに音をたてないようにカップを置く。
「心配いらないよ。やっぱり無理だったから。年齢的には問題ないはずなんだけどね、コウに手をだすのって、なんだか犯罪者の気分で萎えるんだ」
「あ、解るわ――」
同意するなよ!
アルビーの言葉もショックだったけれど、マリーも、マリーだ!
僕はとてもこれ以上聞いていられなくて、足音を忍ばせてその場から逃げだした。
惨めで、腹立たしくて、不貞腐れきってベッドにつっ伏した。赤くなっているコーヒーのかかった痕が、ヒリヒリと痛んでよけいに神経を逆撫でする。
アルビーの神経が信じられない。
あんな話をしておいて、頭の中で考えていたのってそんなこと? おまけに犯罪者の気分ってなんだよ! ふざけるのも大概にしろ!
本当に頭のてっぺんから噴火するんじゃないかってくらいに腹がたって……。それから、すごく悲しくなって泣きたくなった。けれど、さすがに涙はでなかった。
僕にはやっぱりアルビーが解らない。
あの話が作り話なんかじゃなくて、本当のことだって僕は知っている。
奥さんが亡くなって、アルビーのお父さんが悲嘆のあまりに我を失って、錯乱状態の間に起こった出来事だったって、ネットの記事にも載っていた。だからアルビーも、一歳にもならない頃のことを詳しく知っている。
それを、あんな他人事みたいに……。
笑いながら話すような内容じゃないだろ! だからこそ僕は哀しかったのに。泣くほど哀しかったのに。
あの傷が額に刻まれてから、どれほどの無遠慮な好奇の眼に彼は晒され続け、心が麻痺するほどに踏みつけられてきたのかと……。
僕はどうせとんでもなく赤ちゃんで、そんな話をした後にとんでもないことを考えている彼のことなんて、ぜんぜん理解できないんだ!
――それに、理解したくもない!
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)


後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる