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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
29 誕生日4
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ゆらゆら揺れる蝋燭の焔を映す瞳の、あの強い輝きが僕を捉える。時が止まってしまったかのように身動きひとつできない僕に眼を据えたまま、アルビーはくすりと笑う。
なにか、なにか言わなければ――。
「寝るんなら部屋で寝た方がいいよ。こんな寝方じゃ疲れがとれないよ」
また、僕は……。
勝手に彼のプライバシーに触れて見咎められたんだ。すぐに謝らなきゃいけないのに。これだから呆れられる。失礼な奴って思われるんだ。
「気になるんなら訊けばいい。応えたくなければ僕は応えないし、話したければ話す。尋ねる前から、きみに僕の反応を決めてもらう必要はないよ」
――部屋で寝ろ、って言った僕の意見には、応える気はないんだね。
僕は近すぎるアルビーと目を合わさないように横を向いた。するとちょうどあの人形が視界に入った。飾り棚の中の小さなアルビー。この人形にはほんの小さな傷だってない。
「アルビーはガラスケースの中の人形じゃないもの。怪我くらいするよ」
とたんにアルビーが笑いだす。身を震わせて笑うから、僕の膝にまで振動が伝わってくる。
「そうだね、人形ならもっと丁寧に扱ってもらえたかもしれないね。あんなふうに叩きつけられたら壊れてしまうもの」
叩き――。
僕はぎょっとしてアルビーの顔を見おろした。僕をじっと見つめていた彼は、ぐいっと前髪をかきあげてあの傷を僕の眼前に晒した。
「母の棺を前にして、父は抱いていた僕を床に叩きつけたそうだよ。運悪くちょうど棺の角に当たってね、こんな傷が残ったって」
僕はまた動けなくなった。魔法をかけられたように。頭が真っ白だ。
そんなことがあるはずがない。アルビーはまた僕を揶揄っているんだ。こんな残酷なことを言って。
「父は僕のことが疎ましかったんだ。お前が死ねばよかったのに、そう言ったそうだよ」
アルビーの緑が僕を催眠術にかける。深い深い水底のような透明の緑。溺れてしまいそうな深みに僕を引きずりこんで、きっとまた「赤ちゃんだね」って笑うんだ。赤ちゃんだったアルビーはそんな酷い目にあって、あっという間に大人になったのに、コウはいつまでも赤ちゃんだね、って。
「僕はラッキーだった。この怪我のおかげでスティーブとアンナが僕をひきとって育ててくれたんだもの」
わずかに首を傾げた僕に、アルビーはにっこりと微笑みかける。
「マリーの両親。おかげでいまだにこうして生きていられる」
話し終えるとアルビーはもぞもぞと身体を動かし、僕の膝に居心地いいように頭を馴染ませて瞼を閉じた。長い睫毛がかすかに痙攣している。静かな落ちついた呼吸が、彼が眠りに落ちようとしていることを教えてくれた。
僕は完全に枕扱いだ。でも、文句の一つも言えなかった。こんなことで彼がぐっすり眠れるのなら、いつまでだってこうしてあげたい。
こんな話を彼の口に語らせてしまった自分自身に腹がたって仕方がなかった。マリーがせっかく忠告してくれていたのに。
笑ってこんな話ができるアルビーが、僕は怖い。そして可哀想だと思う。 いったいこれまで何人の人が、僕みたいな、無遠慮で、不躾な視線を彼に投げかけたのだろう? この傷のことを尋ねたのだろう?
そしてその度に、アルビーは応えたのだろうか?
今と同じように――。
僕はそんな彼の姿を二度と見たくない。誰にも彼の傷に触れてほしくない。
茨の柵で囲って彼を守ってあげたい。そんな不躾な視線から――。僕のような視線から――。
情けなくて、悔しくて、僕は声を殺して泣きだしてしまった。
「コウが泣くから、眠れないじゃないか」
アルビーのしっとりと汗ばんだ手が、僕の頬に触れる。擦りとるように涙を拭う。何度も。何度も。
だけど僕は、この涙を止めることができなかった。
なにか、なにか言わなければ――。
「寝るんなら部屋で寝た方がいいよ。こんな寝方じゃ疲れがとれないよ」
また、僕は……。
勝手に彼のプライバシーに触れて見咎められたんだ。すぐに謝らなきゃいけないのに。これだから呆れられる。失礼な奴って思われるんだ。
「気になるんなら訊けばいい。応えたくなければ僕は応えないし、話したければ話す。尋ねる前から、きみに僕の反応を決めてもらう必要はないよ」
――部屋で寝ろ、って言った僕の意見には、応える気はないんだね。
僕は近すぎるアルビーと目を合わさないように横を向いた。するとちょうどあの人形が視界に入った。飾り棚の中の小さなアルビー。この人形にはほんの小さな傷だってない。
「アルビーはガラスケースの中の人形じゃないもの。怪我くらいするよ」
とたんにアルビーが笑いだす。身を震わせて笑うから、僕の膝にまで振動が伝わってくる。
「そうだね、人形ならもっと丁寧に扱ってもらえたかもしれないね。あんなふうに叩きつけられたら壊れてしまうもの」
叩き――。
僕はぎょっとしてアルビーの顔を見おろした。僕をじっと見つめていた彼は、ぐいっと前髪をかきあげてあの傷を僕の眼前に晒した。
「母の棺を前にして、父は抱いていた僕を床に叩きつけたそうだよ。運悪くちょうど棺の角に当たってね、こんな傷が残ったって」
僕はまた動けなくなった。魔法をかけられたように。頭が真っ白だ。
そんなことがあるはずがない。アルビーはまた僕を揶揄っているんだ。こんな残酷なことを言って。
「父は僕のことが疎ましかったんだ。お前が死ねばよかったのに、そう言ったそうだよ」
アルビーの緑が僕を催眠術にかける。深い深い水底のような透明の緑。溺れてしまいそうな深みに僕を引きずりこんで、きっとまた「赤ちゃんだね」って笑うんだ。赤ちゃんだったアルビーはそんな酷い目にあって、あっという間に大人になったのに、コウはいつまでも赤ちゃんだね、って。
「僕はラッキーだった。この怪我のおかげでスティーブとアンナが僕をひきとって育ててくれたんだもの」
わずかに首を傾げた僕に、アルビーはにっこりと微笑みかける。
「マリーの両親。おかげでいまだにこうして生きていられる」
話し終えるとアルビーはもぞもぞと身体を動かし、僕の膝に居心地いいように頭を馴染ませて瞼を閉じた。長い睫毛がかすかに痙攣している。静かな落ちついた呼吸が、彼が眠りに落ちようとしていることを教えてくれた。
僕は完全に枕扱いだ。でも、文句の一つも言えなかった。こんなことで彼がぐっすり眠れるのなら、いつまでだってこうしてあげたい。
こんな話を彼の口に語らせてしまった自分自身に腹がたって仕方がなかった。マリーがせっかく忠告してくれていたのに。
笑ってこんな話ができるアルビーが、僕は怖い。そして可哀想だと思う。 いったいこれまで何人の人が、僕みたいな、無遠慮で、不躾な視線を彼に投げかけたのだろう? この傷のことを尋ねたのだろう?
そしてその度に、アルビーは応えたのだろうか?
今と同じように――。
僕はそんな彼の姿を二度と見たくない。誰にも彼の傷に触れてほしくない。
茨の柵で囲って彼を守ってあげたい。そんな不躾な視線から――。僕のような視線から――。
情けなくて、悔しくて、僕は声を殺して泣きだしてしまった。
「コウが泣くから、眠れないじゃないか」
アルビーのしっとりと汗ばんだ手が、僕の頬に触れる。擦りとるように涙を拭う。何度も。何度も。
だけど僕は、この涙を止めることができなかった。
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