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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
27 誕生日2
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壁と床の間接照明、それにテーブルの上の蝋燭が黄昏色の中の白い蔓薔薇を浮かびあがらせる。そんなどこか重苦しく閉鎖的な空間で、百年の眠りから覚めた眠り姫が気怠げに僕を待っていた。
「アルビー、なんだかやつれた?」
テーブルにつき、揺らめく暖色に照らされている彼の面を久しぶりに眼にして、僕は思わず眉をよせずにはいられなかった。
蝋燭のオレンジ色に包まれているにもかかわらず、アルビーは温かみとは無縁の相貌で、闇に溶けだしてしまいそうに覇気がない。疲れきっているのか、瞳にもいつもの力がない。テーブルに肘をついて頬を支えていないと、そのまま崩れ落ちてしまいそうだ。それなのに、僕はその脆くて儚げな、雪を固めて作ったような彼の冷ややかな美貌にぞくりと見とれてしまっている。
「たぶん。コウ、手をだして」
喋るのも物憂げにアルビーは小声で呟いた。なんだか緊張して、僕はどきどきしながら右手を差しだす。
「あ! ダメよ、アル! 食事が終わってからって言ったでしょ!」
料理を運んできたマリーが目を釣りあげて怒っている。なんのことか察して、つい頬が緩んだ。アルビーはちょっと不満そうに唇を尖らせたけれど、すぐに大あくびして椅子の背もたれにだらしなくもたれかかった。本当に疲れているみたいだ。早く食事を始めないと、彼はこのまま寝てしまいそうだ。
マリーもそんな彼のことがよく解っているのか、それとも何度もキッチンと居間を往復するのがたんに嫌だからか、僕の誕生日のディナーは以前の入居祝いのようなコース料理じゃなくて、ランチのようにワンプレートに盛りつけられていた。料理なんてしないくせに、盛りつけはとても見栄え良く綺麗に仕上がっている。その辺の安いパブ料理よりずっと美味しそうだ。
久しぶりのイギリス料理を、僕は存分に堪能した。味は保証付き。なんといっても、高級デパートハロッズのお惣菜だもの。定番中の定番、ポテトサラダとローストビーフでも、やはり学食とはまるで違う。
こんなふうにちゃんとした食事をすると、僕もお弁当のおかずをもう少し工夫しようかな、って違う方向に意識が向く。しっかり食べるって大事だ。お腹から活力が湧いてくる。
食事中、アルビーはやっぱりほとんど喋らなくて、その分マリーがいつも以上に喋っている。日本でも誕生日はパーティーをするのか、とか、ケーキを食べて祝うのか、とか。
僕の誕生日は運悪く十一月の最終日だ。受験シーズンの追い込みをかけるこの時期、自分の誕生日なんて意識したこともなかった気がする。誕生日だって塾はあるもの。家族でお祝いしていたのはうんと小さな頃の記憶だけだ。それでも母は「お誕生日おめでとう」の言葉を毎年くれたし、時計だとか、ちょっと上等のシャーペンだとかのプレゼントはもらっていた。それに田舎のお祖母ちゃんも、「好きなものを買いなさい」って、お小遣いを送ってくれていた。僕はそれで充分だと思っていたんだ。
だけど、こんなふうに誕生日を祝ってもらうのは新鮮で、堪らなく嬉しかった。なにかを貰うよりも楽しい時間を共有できることが、こんなにも心を高揚させるなんて知らなかった。
アルビーもしっかりと食べて元気を取り戻したみたいだ。でも、マリーのお茶の準備を手伝おうと彼が立ちあがったとき、僕はそれを制してキッチンに向かった。アルビーは、まだふらふらしていたから。
テーブルからソファーに移ってケーキを食べた。
マリーが用意してくれたケーキは、こっちのスーパーなんかでみかける着色料でこてこてのデコレーションケーキではなくて、シンプルなホワイトチョコでコーティングされた上に薔薇の花が一輪のった上品なものだった。花の横に「お誕生日おめでとう コウ」と書いてあって、蝋燭がぐるりとさしてある。
ハッピーバースデーの歌を歌って、蝋燭を吹き消して。
なんだか子どもに戻ったみたいだ。
嬉しいのと照れ臭いので顔が緩みっぱなしの僕に、マリーは「はい、プレゼント」と言って、ズシリと重たい包みをくれた。
華やかなリボンを解いて、包みを開ける。…………。
「これ、僕へのプレゼントなの? 全部マリーのお腹に入るんじゃないの!」
膝の上の『魚沼産コシヒカリ』5キロに、笑いが止まらない。
「ジャパンセンター? 高かっただろ? 僕は、お米はいつも近所のスーパーで買っているのに」
「高かったわよ。いいじゃない。いつも作ってもらってるお礼なんだから!」
マリーは軽く膨れている。プレゼントしてもらっておいて、僕の言い方、失礼だったかな。
「コウ、手をだして」
横に座っていたアルビーが、いきなり僕の手を取っていた。
「アルビー、なんだかやつれた?」
テーブルにつき、揺らめく暖色に照らされている彼の面を久しぶりに眼にして、僕は思わず眉をよせずにはいられなかった。
蝋燭のオレンジ色に包まれているにもかかわらず、アルビーは温かみとは無縁の相貌で、闇に溶けだしてしまいそうに覇気がない。疲れきっているのか、瞳にもいつもの力がない。テーブルに肘をついて頬を支えていないと、そのまま崩れ落ちてしまいそうだ。それなのに、僕はその脆くて儚げな、雪を固めて作ったような彼の冷ややかな美貌にぞくりと見とれてしまっている。
「たぶん。コウ、手をだして」
喋るのも物憂げにアルビーは小声で呟いた。なんだか緊張して、僕はどきどきしながら右手を差しだす。
「あ! ダメよ、アル! 食事が終わってからって言ったでしょ!」
料理を運んできたマリーが目を釣りあげて怒っている。なんのことか察して、つい頬が緩んだ。アルビーはちょっと不満そうに唇を尖らせたけれど、すぐに大あくびして椅子の背もたれにだらしなくもたれかかった。本当に疲れているみたいだ。早く食事を始めないと、彼はこのまま寝てしまいそうだ。
マリーもそんな彼のことがよく解っているのか、それとも何度もキッチンと居間を往復するのがたんに嫌だからか、僕の誕生日のディナーは以前の入居祝いのようなコース料理じゃなくて、ランチのようにワンプレートに盛りつけられていた。料理なんてしないくせに、盛りつけはとても見栄え良く綺麗に仕上がっている。その辺の安いパブ料理よりずっと美味しそうだ。
久しぶりのイギリス料理を、僕は存分に堪能した。味は保証付き。なんといっても、高級デパートハロッズのお惣菜だもの。定番中の定番、ポテトサラダとローストビーフでも、やはり学食とはまるで違う。
こんなふうにちゃんとした食事をすると、僕もお弁当のおかずをもう少し工夫しようかな、って違う方向に意識が向く。しっかり食べるって大事だ。お腹から活力が湧いてくる。
食事中、アルビーはやっぱりほとんど喋らなくて、その分マリーがいつも以上に喋っている。日本でも誕生日はパーティーをするのか、とか、ケーキを食べて祝うのか、とか。
僕の誕生日は運悪く十一月の最終日だ。受験シーズンの追い込みをかけるこの時期、自分の誕生日なんて意識したこともなかった気がする。誕生日だって塾はあるもの。家族でお祝いしていたのはうんと小さな頃の記憶だけだ。それでも母は「お誕生日おめでとう」の言葉を毎年くれたし、時計だとか、ちょっと上等のシャーペンだとかのプレゼントはもらっていた。それに田舎のお祖母ちゃんも、「好きなものを買いなさい」って、お小遣いを送ってくれていた。僕はそれで充分だと思っていたんだ。
だけど、こんなふうに誕生日を祝ってもらうのは新鮮で、堪らなく嬉しかった。なにかを貰うよりも楽しい時間を共有できることが、こんなにも心を高揚させるなんて知らなかった。
アルビーもしっかりと食べて元気を取り戻したみたいだ。でも、マリーのお茶の準備を手伝おうと彼が立ちあがったとき、僕はそれを制してキッチンに向かった。アルビーは、まだふらふらしていたから。
テーブルからソファーに移ってケーキを食べた。
マリーが用意してくれたケーキは、こっちのスーパーなんかでみかける着色料でこてこてのデコレーションケーキではなくて、シンプルなホワイトチョコでコーティングされた上に薔薇の花が一輪のった上品なものだった。花の横に「お誕生日おめでとう コウ」と書いてあって、蝋燭がぐるりとさしてある。
ハッピーバースデーの歌を歌って、蝋燭を吹き消して。
なんだか子どもに戻ったみたいだ。
嬉しいのと照れ臭いので顔が緩みっぱなしの僕に、マリーは「はい、プレゼント」と言って、ズシリと重たい包みをくれた。
華やかなリボンを解いて、包みを開ける。…………。
「これ、僕へのプレゼントなの? 全部マリーのお腹に入るんじゃないの!」
膝の上の『魚沼産コシヒカリ』5キロに、笑いが止まらない。
「ジャパンセンター? 高かっただろ? 僕は、お米はいつも近所のスーパーで買っているのに」
「高かったわよ。いいじゃない。いつも作ってもらってるお礼なんだから!」
マリーは軽く膨れている。プレゼントしてもらっておいて、僕の言い方、失礼だったかな。
「コウ、手をだして」
横に座っていたアルビーが、いきなり僕の手を取っていた。
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*****
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注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。
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