霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

24 お弁当

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 僕は一週間分の勉強の遅れをとり戻すのに必死だった。読まなきゃいけない本のノルマもこなせていない。講義を終えてからも、夜遅くまで大学図書館にいることが多くなった。

 風邪が治ったときに食べたお粥のせいで、無性にご飯が恋しくなった。病みあがりで胃腸が弱っているのかもしれない。朝にご飯を炊いて、お昼用におにぎりを持っていくことにした。テイクアウェイのお店やスーパーでもお寿司やおにぎりは売っているけれど、やはり円に換算して一個二百円以上すると考えると、もったいないと思ってしまう。海苔はないけれど、お祖母ちゃんがしょっちゅう送ってくれる日本食の中に鰹節があった。これを具にすると、ちゃんとおかか握りになってくれた。それから、卵焼きも作ってウインナーも焼いた。ちょっとしたお弁当気分だ。

 アルビーはしばらく朝食はいらない、と言ってたけれど、置いておけば食べるかな、と思ってタッパに入れてメモをつけておいた。彼は起きたらまずコーヒーを飲むから、気づくよね。

 

 大学の近くの公園で持参したお弁当を食べていたとき、ふとアルビーのあの傷のことを思いだした。モデルにでもなれそうな綺麗な顔に、あんなにも目立つ傷があるなんて。髪の毛で隠していれば判らないとはいえ、なんだかもったいない。そんなことを、ふと思ってしまった。そんな自分が情けない。

 ――あれだけはっきりと残っているんだ、かなりひどい怪我だったんじゃないかな。

 思考を逸らそうと思うのに、またつい戻ってしまう。想像するだけで痛々しくてぶるりと身震いしてしまう。血がいっぱいでたんだろうな、などと妄想はどんどんエスカレートしていく。

 頭を振って、顔をぐいっと空に向けた。絡みつく不吉な妄想を振り落とすために。



 だけど鈍色の空を眺めていると、淋しさが身に染みる。
 さすがに外で食べるには寒すぎるからだ。風邪で寝こんで、勉強に必死で、そうこうしている間にすっかり冬景色になっていた。
 樹々の枝には葉は残っていないし、道を埋めていた落ち葉の絨毯も綺麗に片づけられている。絡みあう鋭い梢が、天に鋭利な切っ先をむける、そんな冷たくて暗い季節が訪れていたのだ。

 保温ボトルの蓋に、家から送ってもらった即席みそ汁の素をいれ、お湯を注いだ。手のひらにじんわりと伝わる温もりと味噌の香りにほっと息を継ぎ、僕は恵まれている、としみじみと感じた。

 もうすぐ僕の誕生日だ。

 なにか欲しいものはないかって、母からの手紙にあった気がする。保存食を頼もうかな。こうして留学させてもらってるのだから、これ以上のお願いをするのも気がひけるけど……。

 
 ぼんやりしていると、すぐにアルビーの額が浮かんでくる。それから、笑いかけてくれる薄い唇とか、熱に浮かされて現実かどうかも覚束ない、僕の顔や首筋の汗を拭いてくれていた、薄闇に浮かぶ白い手とか――。

 思いだす、というよりも、幻覚なのではないのかと思ってしまう。心の内側から爪をたててひっ掻いてくるような記憶から、僕は必死に目を逸らす。日本で、僕を応援して送りだしてくれた家族の顔にすり返る。
 そうしないと、僕はふわふわとんでもないところに流されてしまいそうだもの。

 に流されて、こんな西の果てまで来てしまったように……。

 

 吹きつける木枯らしに吹き飛ばされないように身をすくめ、僕はそそくさとタッパとボトルをリュックに詰め直した。
 

 ――コウは、一人になっても逃げ帰らずに、夢を追い続けているんだね? 

 振りきろうにも振りきれない、頑張れ、っていうように僕の頭を撫でてくれたアルビーの感触が蘇る。
 この想いに流されるのなら、せめて恥ずかしくない結果をだしたい。僕の中の妄想じゃない、現実の彼に僕を見てほしい。

 どうせ流されるのなら、せめて行き着く先は自分で選びたい。


 カフェテリアで温かいコーヒーを飲もう。それからディスカッションの前に、もう一度予行練習をしておかないと。

 僕はきゅっと奥歯を噛みしめて、足早にこの公園を後にした。





 
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