霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅰ.秋の始まり

14 友人

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 このままじゃダメだ。勉強が手につかない。

 テキストから顔をあげて、目の前の白い壁を睨んだ。よかった、この部屋の壁は漆喰で。玄関のような蔦模様だと、僕はきっと発狂してしまう。

 だって自室に戻ってさえ、目を瞑ると蔓薔薇の檻に囚われたアルビーの姿が浮かぶんだ。
 彼は空を見上げている。檻の中なのに、少しも哀しそうでも辛そうでもなくて、淡々としていて――。ウェーブのかかった柔らかな黒髪を、あの長くて細い指先がかきあげる。剥きだしの白いうなじに、赤い痕が浮かぶ。

 そんな彼から目を背けたくて、ぱっちりと目を開けた。

 こんな変な妄想をしてしまうのは、あのカーテンのせいだ。僕は蔓性植物が好きじゃない。見ているだけで息苦しくなる。それなのに、蔓薔薇を手にしてアルビーが変なことを言うからだ。


 だいたいアルビーの言うことは支離滅裂じゃないか。黙っている時の彼はなんとなく解るけれど、彼の話すことは理解できない。マリーに至ってはどこからどこまでも自己中心的で、真面目に耳を傾ける気にすらなれない。
 僕は僕なりに頑張っているつもりなのに、どうしてこうも上手くいかないのだろう? 空気を読んでいるつもりでも、読んでいる空気そのものの成分が、きっと日本とイギリスでは違う、って気がする。
 僕のなにがマリーを怒らせ、アルビーを呆れさせるのか、かいもく見当もつかないんだ。



 こんな時、ふっと友人の顔が浮かぶ。知ったかぶりで偉そうで、高慢ちきなあの顔が――。彼ならきっと、どんな訳の分からない屁理屈でも捏ねあげて、「お前、考えすぎだぞ」って言ってくれるのに。きっと、マリーは僕に怒っているわけではなくて、たんにキツイ言い方をするだけで。アルビーが僕を赤ちゃんって言うのは、この顔が童顔だからで、僕が幼稚なわけじゃないぞ――、って。

 幼稚なんだろうな、きっと。自分では解らないだけで。ずっと年上の彼から見れば、きっとそうなんだ。


 机に突っ伏してぎゅと目を瞑り、唇をへの字に結んだ。泣きだしてしまわないように。淋しいなんて、呟かないように。

 今まで頼り、甘えきっていた僕の友人は、もうここにはいない。僕との約束を反故にして、自分の世界へ帰ってしまった。イギリスくんだりまで誘っておいて、僕をほっぽり出した――。

 それなのに、僕はいまだにこの地にいる。
 彼との約束が、いつしか自分自身の目標になっていたからだ。大学進学準備ファウンデーションコースをぶじに終えて、キングスカレッジに合格する。そのために頑張ってきたのだ。今さら、やめた、なんて言えるはずがない。

 イギリスに友だちを作りにきたわけじゃないんだ。この家にいるのだって、安くて、快適で、おまけにバスタブまである、勉強に集中できる環境だからで、彼らと仲良しになりたかったからじゃない。そりゃ、仲が悪いよりも、そつなくつきあえればその方がいいとは思うけど……。

 だから、マリーに言われたことは論外だ。アルビーが、どこで、誰と、なにをしようが、僕には関係ない。
 僕が彼に惹かれるのは、たぶん、あの十人中十人が振り返るに違いない彼の際立った容姿のせいで、本当にそれだけだもの。意味なんてないんだ。

 僕はいったいどんな顔をしてアルビーを見ていたのだろう?
 マリーや、彼を誤解させるような顔? そんな嫌らしい眼つき?


 判らない。自分でも、判らなかった。

 ――お前に限って、そんなわけないだろ!

 そう言ってくれる彼がここにいないから、僕にはいろんなことが判らないままなんだ。


 


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