13 / 193
Ⅰ.秋の始まり
11 性的指向
しおりを挟む
「僕はゲイなんだろ、って彼に言われたからだよ。普通言わないだろ、そんなこと。だから、彼はそうなのかなって思っただけだよ」
露骨に不機嫌そうだったマリーの面が、訝しげに表情を消す。
「違うの?」
違うだろ、そのリアクション!
思わず心の中で叫んでいた。
マリーも、アルビーもなに考えてるんだよ! アルビーに憧れはするけど、そんなんじゃないんだ。だいたいこっちの人間は、日本人の性別は見分けがつかないなんていって、しょっちゅう男か、女か、て訊かれたりする。日本じゃそんなことはなかったのに。そりゃ、確かに童顔かもしれないけれど、性別の区別がつかないほどじゃ――。
心の中で言い訳は暴走していたけれど、実際口から出たのは、「違う」の一言だけだ。それも押し殺したような、潰れ声で。
僕の視線は、空色の壁紙を分断する焦げ茶色の腰壁に注がれていた。見切りの部分に埃が薄っすら溜まっている。ちゃんと掃除したつもりだったのに。僕は指でその埃を拭いとる。顔をあげるのが嫌だったから。
いったい僕は、他人からどんなふうに見えているのだろう?
マリーの瞳に、歪な僕の姿が映っているんじゃないか、と怖かった。
「アルは――。ゲイっていうよりも……」
ちらりと上目遣いに見上げた彼女も、僕からは顔を背けてあらぬ方に向かって喋っていた。僕の性的指向なんてどうでもいいって感じだ。
じゃ、何なんだよ。さっきの「違うの?」て一言は!
「あんたが来てから落ち着いていたし、油断していたのよ。馬鹿だったわ、私も」
僕に向かって言われているのか判らない言葉に、返事はできない。その場に立ちつくしたまま泣きそうな顔をして玄関のドアを睨めつけている彼女に、なんて声をかけていいのかなんて、輪をかけて判らなくて――。
「紅茶、淹れようか?」と、僕は返事も待たずにキッチンに戻った。マリーは黙って僕に続いた。
洗濯機の轟音の響く中、甘いミルクティーを淹れた。僕の持参の茶葉を使った。この家にはティーバッグしかなかったから。食に煩い僕の友人に教わった美味しい紅茶の淹れ方が、こんなところで役にたつなんてね。
雨あがりの湿り気を帯びた空気に柔らかな芳香が揺れる。雨粒に覆われた窓ガラスに映る緑が幾重にも歪んで見える。その不明瞭な視界が、アルビーを思いださせた。空っぽの彼の指定席。あんなにくっきりとしていた綺麗な彼の輪郭が、朧に揺れている。たっぷりの雨粒で擦ったみたいに。
ゆっくりとマグカップを口許に運ぶマリーの空気も、どこか和らいで。僕は洗濯機に負けないように、声を高めて彼女に尋ねた。
「彼、恋人はいるの?」
しまった――。
マリーの眉根が腹立たしげに歪んでいる。触れてはいけない話題だったらしい。
「アルビーだっていい大人なんだからさ、帰ってこない日があったって、」
言わなくてもいいことを、僕はつい重ねてしまう。こんなところで融通が利かないんだ。
「解ってるわよ!」
ほら怒らせた。これだから僕は……。
「これは私の我儘なの。アルには言わないで」
僕から顔を背けて窓に向けた彼女の横顔は、奥歯をくい縛っているかのように強張ってみえた。
「言うってなにを?」
泣きそうな顔をしてアルビーが帰ってくるのを待っている、ってことを? こうして僕に八つ当たりしていることを? そんなこと僕に言えるわけないじゃないか。
「あんたがゲイじゃないってこと」
なんでそうなるんだよ!
僕はもう空いた口が塞がらなくて……。
洗濯機の轟音のせいで聞き間違えたに違いない、と脳内に入りこんだ彼女の言葉を耳から零れ落とそうとするかのように、僕はぐいっと頭を傾げていた。
露骨に不機嫌そうだったマリーの面が、訝しげに表情を消す。
「違うの?」
違うだろ、そのリアクション!
思わず心の中で叫んでいた。
マリーも、アルビーもなに考えてるんだよ! アルビーに憧れはするけど、そんなんじゃないんだ。だいたいこっちの人間は、日本人の性別は見分けがつかないなんていって、しょっちゅう男か、女か、て訊かれたりする。日本じゃそんなことはなかったのに。そりゃ、確かに童顔かもしれないけれど、性別の区別がつかないほどじゃ――。
心の中で言い訳は暴走していたけれど、実際口から出たのは、「違う」の一言だけだ。それも押し殺したような、潰れ声で。
僕の視線は、空色の壁紙を分断する焦げ茶色の腰壁に注がれていた。見切りの部分に埃が薄っすら溜まっている。ちゃんと掃除したつもりだったのに。僕は指でその埃を拭いとる。顔をあげるのが嫌だったから。
いったい僕は、他人からどんなふうに見えているのだろう?
マリーの瞳に、歪な僕の姿が映っているんじゃないか、と怖かった。
「アルは――。ゲイっていうよりも……」
ちらりと上目遣いに見上げた彼女も、僕からは顔を背けてあらぬ方に向かって喋っていた。僕の性的指向なんてどうでもいいって感じだ。
じゃ、何なんだよ。さっきの「違うの?」て一言は!
「あんたが来てから落ち着いていたし、油断していたのよ。馬鹿だったわ、私も」
僕に向かって言われているのか判らない言葉に、返事はできない。その場に立ちつくしたまま泣きそうな顔をして玄関のドアを睨めつけている彼女に、なんて声をかけていいのかなんて、輪をかけて判らなくて――。
「紅茶、淹れようか?」と、僕は返事も待たずにキッチンに戻った。マリーは黙って僕に続いた。
洗濯機の轟音の響く中、甘いミルクティーを淹れた。僕の持参の茶葉を使った。この家にはティーバッグしかなかったから。食に煩い僕の友人に教わった美味しい紅茶の淹れ方が、こんなところで役にたつなんてね。
雨あがりの湿り気を帯びた空気に柔らかな芳香が揺れる。雨粒に覆われた窓ガラスに映る緑が幾重にも歪んで見える。その不明瞭な視界が、アルビーを思いださせた。空っぽの彼の指定席。あんなにくっきりとしていた綺麗な彼の輪郭が、朧に揺れている。たっぷりの雨粒で擦ったみたいに。
ゆっくりとマグカップを口許に運ぶマリーの空気も、どこか和らいで。僕は洗濯機に負けないように、声を高めて彼女に尋ねた。
「彼、恋人はいるの?」
しまった――。
マリーの眉根が腹立たしげに歪んでいる。触れてはいけない話題だったらしい。
「アルビーだっていい大人なんだからさ、帰ってこない日があったって、」
言わなくてもいいことを、僕はつい重ねてしまう。こんなところで融通が利かないんだ。
「解ってるわよ!」
ほら怒らせた。これだから僕は……。
「これは私の我儘なの。アルには言わないで」
僕から顔を背けて窓に向けた彼女の横顔は、奥歯をくい縛っているかのように強張ってみえた。
「言うってなにを?」
泣きそうな顔をしてアルビーが帰ってくるのを待っている、ってことを? こうして僕に八つ当たりしていることを? そんなこと僕に言えるわけないじゃないか。
「あんたがゲイじゃないってこと」
なんでそうなるんだよ!
僕はもう空いた口が塞がらなくて……。
洗濯機の轟音のせいで聞き間違えたに違いない、と脳内に入りこんだ彼女の言葉を耳から零れ落とそうとするかのように、僕はぐいっと頭を傾げていた。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。

見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています

王様は知らない
イケのタコ
BL
他のサイトに載せていた、2018年の作品となります
性格悪な男子高生が俺様先輩に振り回される。
裏庭で昼ご飯を食べようとしていた弟切(主人公)は、ベンチで誰かが寝ているのを発見し、気まぐれで近づいてみると学校の有名人、王様に出会ってしまう。
その偶然の出会いが波乱を巻き起こす。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる