霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
11 / 193
Ⅰ.秋の始まり

9 問いかけ

しおりを挟む
 気温はどんどん下がり、日照時間は目にみえて減っている。木枯らしの中、首をすくめて家に帰り着いた時には、口煩いマリーでさえ僕を救ってくれた女神にみえる。ほんとに、ドアを開けて息を継ぐ、その瞬間だけだけどね。
 玄関で僕は靴を脱ぎ、壁際に即席で用意した簡易棚に置く。煉瓦に板を載せただけの代物だけど、これのおかげで随分快適だ。

 毎日ちょっとづつ掃除して、休みの日には思いきり掃除して、僕は室内土足厳禁の権利をあの二人から勝ちとった。アルビーなんかはその方が性にあうらしく、室内履きを履いてって言っても、素足でペタペタ歩き回っている。マリーは、面倒くさいとブツブツ文句を言うけれど。掃除しているのは僕だからね。家賃もさらに百ポンドまけてくれた。清掃業者を雇わなくて良くなったからって。これは嬉しい誤算。すごく助かった。



 十月に入ると街路樹も早々と衣替えだ。鮮やかに装いながら、ゆっくりと、少しづつ、その葉を脱ぎ散らかしてゆく。そうして公園の緑の芝や、無機質なアスファルトに黄色い絨毯を整えはじめる。

 その柔らかさを足裏に感じたくて、マリーに尋ねた。「ああ、もうそんな時期なのね」と彼女は倉庫に案内してくれた。夏物のラグから毛足の長い冬用のラグへと交換する。

 この快適な床生活を一番満喫しているのは、きっとアルビーだ。勉強の合間にたまに居間にきて、ラグの上でごろごろしている。温かいラジエーターの横にクッションをたくさん並べて、丸くなって寝ていることもある。「なんだか猫みたいだね」と言うと、「アルマジロ」と訂正された。彼の気分はアルマジロらしい。どんな生き物なのか、僕には今一つ思い浮かばないや。



 そして秋が深まるにつれ、一緒に過ごす時間が増えていった。この頃には、たまに夕飯も三人揃って食べたりするようになった。大抵はばらばらで、大学の学食ですますのだけど。
 マリーは頻繁に僕のレポートの添削をしてくれる。意外に面倒見がいいんだ。そのぶん彼女の批評は辛辣で、僕は心が折れそうになる。
 アルビーは自分のことで手一杯みたいで、僕も彼には頼ったことはない。でも彼も、僕がマリーに授業の解らないところを聴いている時とかはちらちらと気にしてくれていて、助言をくれたりすることもある。




 今日のアルビーは居間にいる。なんだか落ち着かない様子で、床でごろごろしている。論文作成が行き詰っているのかな?
 アルビーには申し訳ないけれど、彼が居てくれるだけで僕は嬉しい。丸一日顔を見ないこともわりにあるから、彼の姿が見られるだけでほっとする。それに昨日、今日と、朝食でも逢ってなかった。同じ家に住んでいるのに、こうして逢えるのは二日ぶりだ。
 なんだか満たされるんだ。綺麗な彼を見ていられるだけで。僕は何も喋らなくてもいいし。だから、楽――。


「ねぇ、相手してあげようか」

 外は雨。大きな窓は水滴に覆われ、庭の緑が滲んでみえる。ティーテーブルで、ぼんやりと窓ガラスを伝う雨だれを見ていた僕は、ん? と、彼を振り返った。

「なんだかそんな気分だから」

 アルビーはオレンジ色のクッションを胸に抱えて、仰向けに寝転がったままで僕を見ていた。長めの前髪がふわりと流れて、剥きだしの深緑の瞳が僕を射すくめる。その蠱惑的な光彩に囚われて身動ぎすらできなかった。やっと慣れたと思っていたのに、心臓がバクバクと勝手に走りだす。

「きみ、ゲイなんだろ? 僕はどっち側でもいいよ」
「はぁ?」

 意味がわからなくて、僕は間抜けづらをしたまま、たっぷりと彼を見つめた。膝の上にのせていた課題のテキストが、バサリと滑り落ちた。けれど、拾い直すことすら思いつかなかった。

 しばらくそんな僕をじっと見ていたアルビーは、「もういいよ。忘れて」と、吐息交じりに髪をかきあげて起きあがると、部屋を出ていった。それから、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。

 僕は石になったまま――。マリーが戻るまで、動けなかった。

「アルは?」

 なんて応えていいのか判らなくて、僕はぼうっと彼女を見るだけ。

「出かけたの?」
 彼女の面が険しさを増す。
「たぶん」
 言葉が零れ落ちた。
「彼、ゲイなの?」

 自分の口から出たなんて、信じられない。こんなこと、訊くつもりなんてなかったのに!

 とたんに、マリーはちっと舌打ちをする。

「出かけたのね――」

 言葉じりが深い吐息にかき消されていた。

「馬鹿……」

 哀しげに呟かれたその言葉が、僕に向けられたものなのか、アルビーに向けられたものなのか、僕にはまるで判らなかった。



しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

さがしもの

猫谷 一禾
BL
策士な風紀副委員長✕意地っ張り親衛隊員 (山岡 央歌)✕(森 里葉) 〖この気持ちに気づくまで〗のスピンオフ作品です 読んでいなくても大丈夫です。 家庭の事情でお金持ちに引き取られることになった少年時代。今までの環境と異なり困惑する日々…… そんな中で出会った彼…… 切なさを目指して書きたいです。 予定ではR18要素は少ないです。

あの頃の僕らは、

のあ
BL
親友から逃げるように上京した健人は、幼馴染と親友が結婚したことを知り、大学時代の歪な関係に向き合う決意をするー。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

淫愛家族

箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。 事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。 二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。 だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――

夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」  アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。  僕の心はきみには見えない――。  やっと通じ合えたと思ったのに――。 思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。 不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。 夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。 アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。  *****  コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。  注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。 (番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)  

処理中です...