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Ⅰ.秋の始まり
9 問いかけ
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気温はどんどん下がり、日照時間は目にみえて減っている。木枯らしの中、首をすくめて家に帰り着いた時には、口煩いマリーでさえ僕を救ってくれた女神にみえる。ほんとに、ドアを開けて息を継ぐ、その瞬間だけだけどね。
玄関で僕は靴を脱ぎ、壁際に即席で用意した簡易棚に置く。煉瓦に板を載せただけの代物だけど、これのおかげで随分快適だ。
毎日ちょっとづつ掃除して、休みの日には思いきり掃除して、僕は室内土足厳禁の権利をあの二人から勝ちとった。アルビーなんかはその方が性にあうらしく、室内履きを履いてって言っても、素足でペタペタ歩き回っている。マリーは、面倒くさいとブツブツ文句を言うけれど。掃除しているのは僕だからね。家賃もさらに百ポンドまけてくれた。清掃業者を雇わなくて良くなったからって。これは嬉しい誤算。すごく助かった。
十月に入ると街路樹も早々と衣替えだ。鮮やかに装いながら、ゆっくりと、少しづつ、その葉を脱ぎ散らかしてゆく。そうして公園の緑の芝や、無機質なアスファルトに黄色い絨毯を整えはじめる。
その柔らかさを足裏に感じたくて、マリーに尋ねた。「ああ、もうそんな時期なのね」と彼女は倉庫に案内してくれた。夏物のラグから毛足の長い冬用のラグへと交換する。
この快適な床生活を一番満喫しているのは、きっとアルビーだ。勉強の合間にたまに居間にきて、ラグの上でごろごろしている。温かいラジエーターの横にクッションをたくさん並べて、丸くなって寝ていることもある。「なんだか猫みたいだね」と言うと、「アルマジロ」と訂正された。彼の気分はアルマジロらしい。どんな生き物なのか、僕には今一つ思い浮かばないや。
そして秋が深まるにつれ、一緒に過ごす時間が増えていった。この頃には、たまに夕飯も三人揃って食べたりするようになった。大抵はばらばらで、大学の学食ですますのだけど。
マリーは頻繁に僕のレポートの添削をしてくれる。意外に面倒見がいいんだ。そのぶん彼女の批評は辛辣で、僕は心が折れそうになる。
アルビーは自分のことで手一杯みたいで、僕も彼には頼ったことはない。でも彼も、僕がマリーに授業の解らないところを聴いている時とかはちらちらと気にしてくれていて、助言をくれたりすることもある。
今日のアルビーは居間にいる。なんだか落ち着かない様子で、床でごろごろしている。論文作成が行き詰っているのかな?
アルビーには申し訳ないけれど、彼が居てくれるだけで僕は嬉しい。丸一日顔を見ないこともわりにあるから、彼の姿が見られるだけでほっとする。それに昨日、今日と、朝食でも逢ってなかった。同じ家に住んでいるのに、こうして逢えるのは二日ぶりだ。
なんだか満たされるんだ。綺麗な彼を見ていられるだけで。僕は何も喋らなくてもいいし。だから、楽――。
「ねぇ、相手してあげようか」
外は雨。大きな窓は水滴に覆われ、庭の緑が滲んでみえる。ティーテーブルで、ぼんやりと窓ガラスを伝う雨だれを見ていた僕は、ん? と、彼を振り返った。
「なんだかそんな気分だから」
アルビーはオレンジ色のクッションを胸に抱えて、仰向けに寝転がったままで僕を見ていた。長めの前髪がふわりと流れて、剥きだしの深緑の瞳が僕を射すくめる。その蠱惑的な光彩に囚われて身動ぎすらできなかった。やっと慣れたと思っていたのに、心臓がバクバクと勝手に走りだす。
「きみ、ゲイなんだろ? 僕はどっち側でもいいよ」
「はぁ?」
意味がわからなくて、僕は間抜け面をしたまま、たっぷりと彼を見つめた。膝の上にのせていた課題のテキストが、バサリと滑り落ちた。けれど、拾い直すことすら思いつかなかった。
しばらくそんな僕をじっと見ていたアルビーは、「もういいよ。忘れて」と、吐息交じりに髪をかきあげて起きあがると、部屋を出ていった。それから、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
僕は石になったまま――。マリーが戻るまで、動けなかった。
「アルは?」
なんて応えていいのか判らなくて、僕はぼうっと彼女を見るだけ。
「出かけたの?」
彼女の面が険しさを増す。
「たぶん」
言葉が零れ落ちた。
「彼、ゲイなの?」
自分の口から出たなんて、信じられない。こんなこと、訊くつもりなんてなかったのに!
とたんに、マリーはちっと舌打ちをする。
「出かけたのね――」
言葉じりが深い吐息にかき消されていた。
「馬鹿……」
哀しげに呟かれたその言葉が、僕に向けられたものなのか、アルビーに向けられたものなのか、僕にはまるで判らなかった。
玄関で僕は靴を脱ぎ、壁際に即席で用意した簡易棚に置く。煉瓦に板を載せただけの代物だけど、これのおかげで随分快適だ。
毎日ちょっとづつ掃除して、休みの日には思いきり掃除して、僕は室内土足厳禁の権利をあの二人から勝ちとった。アルビーなんかはその方が性にあうらしく、室内履きを履いてって言っても、素足でペタペタ歩き回っている。マリーは、面倒くさいとブツブツ文句を言うけれど。掃除しているのは僕だからね。家賃もさらに百ポンドまけてくれた。清掃業者を雇わなくて良くなったからって。これは嬉しい誤算。すごく助かった。
十月に入ると街路樹も早々と衣替えだ。鮮やかに装いながら、ゆっくりと、少しづつ、その葉を脱ぎ散らかしてゆく。そうして公園の緑の芝や、無機質なアスファルトに黄色い絨毯を整えはじめる。
その柔らかさを足裏に感じたくて、マリーに尋ねた。「ああ、もうそんな時期なのね」と彼女は倉庫に案内してくれた。夏物のラグから毛足の長い冬用のラグへと交換する。
この快適な床生活を一番満喫しているのは、きっとアルビーだ。勉強の合間にたまに居間にきて、ラグの上でごろごろしている。温かいラジエーターの横にクッションをたくさん並べて、丸くなって寝ていることもある。「なんだか猫みたいだね」と言うと、「アルマジロ」と訂正された。彼の気分はアルマジロらしい。どんな生き物なのか、僕には今一つ思い浮かばないや。
そして秋が深まるにつれ、一緒に過ごす時間が増えていった。この頃には、たまに夕飯も三人揃って食べたりするようになった。大抵はばらばらで、大学の学食ですますのだけど。
マリーは頻繁に僕のレポートの添削をしてくれる。意外に面倒見がいいんだ。そのぶん彼女の批評は辛辣で、僕は心が折れそうになる。
アルビーは自分のことで手一杯みたいで、僕も彼には頼ったことはない。でも彼も、僕がマリーに授業の解らないところを聴いている時とかはちらちらと気にしてくれていて、助言をくれたりすることもある。
今日のアルビーは居間にいる。なんだか落ち着かない様子で、床でごろごろしている。論文作成が行き詰っているのかな?
アルビーには申し訳ないけれど、彼が居てくれるだけで僕は嬉しい。丸一日顔を見ないこともわりにあるから、彼の姿が見られるだけでほっとする。それに昨日、今日と、朝食でも逢ってなかった。同じ家に住んでいるのに、こうして逢えるのは二日ぶりだ。
なんだか満たされるんだ。綺麗な彼を見ていられるだけで。僕は何も喋らなくてもいいし。だから、楽――。
「ねぇ、相手してあげようか」
外は雨。大きな窓は水滴に覆われ、庭の緑が滲んでみえる。ティーテーブルで、ぼんやりと窓ガラスを伝う雨だれを見ていた僕は、ん? と、彼を振り返った。
「なんだかそんな気分だから」
アルビーはオレンジ色のクッションを胸に抱えて、仰向けに寝転がったままで僕を見ていた。長めの前髪がふわりと流れて、剥きだしの深緑の瞳が僕を射すくめる。その蠱惑的な光彩に囚われて身動ぎすらできなかった。やっと慣れたと思っていたのに、心臓がバクバクと勝手に走りだす。
「きみ、ゲイなんだろ? 僕はどっち側でもいいよ」
「はぁ?」
意味がわからなくて、僕は間抜け面をしたまま、たっぷりと彼を見つめた。膝の上にのせていた課題のテキストが、バサリと滑り落ちた。けれど、拾い直すことすら思いつかなかった。
しばらくそんな僕をじっと見ていたアルビーは、「もういいよ。忘れて」と、吐息交じりに髪をかきあげて起きあがると、部屋を出ていった。それから、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
僕は石になったまま――。マリーが戻るまで、動けなかった。
「アルは?」
なんて応えていいのか判らなくて、僕はぼうっと彼女を見るだけ。
「出かけたの?」
彼女の面が険しさを増す。
「たぶん」
言葉が零れ落ちた。
「彼、ゲイなの?」
自分の口から出たなんて、信じられない。こんなこと、訊くつもりなんてなかったのに!
とたんに、マリーはちっと舌打ちをする。
「出かけたのね――」
言葉じりが深い吐息にかき消されていた。
「馬鹿……」
哀しげに呟かれたその言葉が、僕に向けられたものなのか、アルビーに向けられたものなのか、僕にはまるで判らなかった。
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