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Ⅰ.秋の始まり
4 万年筆
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何て言い返せばいいのか判らなくて、縋るような思いでしばらく彼女を見つめていた。だけど、彼女は僕の気持ちを察してくれる気はないらしい。しかたがないので、訊いてよいものかどうか迷いながら、おずおずと訊ねた。
「地雷って?」
「あのビスクドール。それに、白雪姫」
「それが地雷?」
意味が呑みこめずに首を傾げる。教えてもらったところで、なぜそんなことが彼の気に障ってしまったのか皆目見当もつかないのだ。彼女はそんな僕の様子をみて、意地悪く笑っている。
「アイスバーグってね、アルの苗字は白薔薇の名前と同じなの。その品種名がシュネービッチェン。ドイツ語で白雪姫って意味。わかった? この苗字のせいで、アル、小さい頃からよく白雪姫ってからかわれていたのよ」
地雷だ――。そんなことまったく知らなかったにもかかわらず、僕は見事に踏み当てたらしい。薔薇の名前とか品種なんかに繋がるなんて、僕に解るわけがないじゃないか!
悲痛な僕の面を見て、マリーはケタケタと声をあげて笑っている。
「それに……、まあ、いいわ。こんなこと、いまだに気にしてるなんてね、アルも幼稚なのよ」
辛辣に言い放ち鼻を鳴らすと、彼女はまだ手をつけていなかった紅茶のカップをついとよせて、僕に飲むようにと勧めてくれた。
「彼を怒らせてしまって、もう部屋を借りる話はご破算かなぁ」
温い紅茶を喉に流しこむと、諦めきれずため息が漏れた。
「あら、平気よ」
彼女はビスケットを頬張りながら、口をもごもごさせている。そのまま喋り続けているのだが、上手く聞き取れない。
「聞いているの? あなただけなのよ。シェアメイト募集のメモを貼ってから、アルのお眼鏡にかなってこの家まで辿り着けた子は!」
やっと口の中を空にして、彼女は声を高めて僕を睨んだ。
聞いているよ。その不明瞭すぎる発音が聞きとれなかっただけで。口の中に食べものをいれたまま喋るな、て教わらなかったの?
なんて、とても言えなくて、申しわけなさそうに僕は首をすくめる。
彼女の言うことには、つまり、あのメモにズラズラと書かれていた連中は半分は名前で落とされ、残りは第一印象で落とされた、ということらしい。
「ラテン系はダメ、騒がしいから。それに、男二人に女一人で住むわけだし――」
僕を見る彼女の瞳が笑っている。
ありがとう。皆まで言わないでくれて。
僕みたいな人畜無害そうなキューピーなら間違いはおこらない、と彼は判断したわけだ。だから彼女の面接にまで連れてきた。きっとアルビーの目には、僕の真っ直ぐな髪のツヤツヤした輝きが、天使の輪っかに見えたんだ。
確かに僕の腕は、テニスが趣味だという彼女の腕に筋肉量で負けているよ……。否定はしない。彼女と腕相撲なんて絶対にしたくない。
彼女は、同居人は僕でいい、と言ってくれている。でもアルビーは戻ってこない。彼に嫌われたに違いない。もともと好かれているふうは欠片もなかった。胸の内から湧いてくる言葉は否定的なものばかりだ。僕はやはり人づきあいがダメな奴で、知らないうちに相手を怒らせてしまい、嫌われて――、また。
ため息がついてでた。薄らと笑って頭を振る。
やっぱりダメだ。嫌われてるのを分かっているのに一緒に暮らすなんて。
「これ、彼のかな?」
あのメタルブルーの万年筆を、コトリとテーブルに置いた。マリーが一瞬息を呑む。
「どうしてこれを?」
「前に彼を見かけたカフェで拾ったんだ」
彼女は万年筆を掴むなり駆けだした。よほど大事なものだったのかな。
僕は息をひとつつき、立ちあがった。玄関まできて大声で告げた。
「それじゃあ、もう帰るね。ありがとう。お茶をごちそうさま!」
二階の階段を一足飛びに駆けおりてきたのは、思いがけずアルビーだった。
「それできみ、いつ、こっちに引っ越してくるの?」
軽く息を弾ませた艶やかな唇が柔らかな言葉を放ち、軽く細められた綺麗な切れ長の二重が、僕を見下ろしていた。
「地雷って?」
「あのビスクドール。それに、白雪姫」
「それが地雷?」
意味が呑みこめずに首を傾げる。教えてもらったところで、なぜそんなことが彼の気に障ってしまったのか皆目見当もつかないのだ。彼女はそんな僕の様子をみて、意地悪く笑っている。
「アイスバーグってね、アルの苗字は白薔薇の名前と同じなの。その品種名がシュネービッチェン。ドイツ語で白雪姫って意味。わかった? この苗字のせいで、アル、小さい頃からよく白雪姫ってからかわれていたのよ」
地雷だ――。そんなことまったく知らなかったにもかかわらず、僕は見事に踏み当てたらしい。薔薇の名前とか品種なんかに繋がるなんて、僕に解るわけがないじゃないか!
悲痛な僕の面を見て、マリーはケタケタと声をあげて笑っている。
「それに……、まあ、いいわ。こんなこと、いまだに気にしてるなんてね、アルも幼稚なのよ」
辛辣に言い放ち鼻を鳴らすと、彼女はまだ手をつけていなかった紅茶のカップをついとよせて、僕に飲むようにと勧めてくれた。
「彼を怒らせてしまって、もう部屋を借りる話はご破算かなぁ」
温い紅茶を喉に流しこむと、諦めきれずため息が漏れた。
「あら、平気よ」
彼女はビスケットを頬張りながら、口をもごもごさせている。そのまま喋り続けているのだが、上手く聞き取れない。
「聞いているの? あなただけなのよ。シェアメイト募集のメモを貼ってから、アルのお眼鏡にかなってこの家まで辿り着けた子は!」
やっと口の中を空にして、彼女は声を高めて僕を睨んだ。
聞いているよ。その不明瞭すぎる発音が聞きとれなかっただけで。口の中に食べものをいれたまま喋るな、て教わらなかったの?
なんて、とても言えなくて、申しわけなさそうに僕は首をすくめる。
彼女の言うことには、つまり、あのメモにズラズラと書かれていた連中は半分は名前で落とされ、残りは第一印象で落とされた、ということらしい。
「ラテン系はダメ、騒がしいから。それに、男二人に女一人で住むわけだし――」
僕を見る彼女の瞳が笑っている。
ありがとう。皆まで言わないでくれて。
僕みたいな人畜無害そうなキューピーなら間違いはおこらない、と彼は判断したわけだ。だから彼女の面接にまで連れてきた。きっとアルビーの目には、僕の真っ直ぐな髪のツヤツヤした輝きが、天使の輪っかに見えたんだ。
確かに僕の腕は、テニスが趣味だという彼女の腕に筋肉量で負けているよ……。否定はしない。彼女と腕相撲なんて絶対にしたくない。
彼女は、同居人は僕でいい、と言ってくれている。でもアルビーは戻ってこない。彼に嫌われたに違いない。もともと好かれているふうは欠片もなかった。胸の内から湧いてくる言葉は否定的なものばかりだ。僕はやはり人づきあいがダメな奴で、知らないうちに相手を怒らせてしまい、嫌われて――、また。
ため息がついてでた。薄らと笑って頭を振る。
やっぱりダメだ。嫌われてるのを分かっているのに一緒に暮らすなんて。
「これ、彼のかな?」
あのメタルブルーの万年筆を、コトリとテーブルに置いた。マリーが一瞬息を呑む。
「どうしてこれを?」
「前に彼を見かけたカフェで拾ったんだ」
彼女は万年筆を掴むなり駆けだした。よほど大事なものだったのかな。
僕は息をひとつつき、立ちあがった。玄関まできて大声で告げた。
「それじゃあ、もう帰るね。ありがとう。お茶をごちそうさま!」
二階の階段を一足飛びに駆けおりてきたのは、思いがけずアルビーだった。
「それできみ、いつ、こっちに引っ越してくるの?」
軽く息を弾ませた艶やかな唇が柔らかな言葉を放ち、軽く細められた綺麗な切れ長の二重が、僕を見下ろしていた。
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