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十章
部屋9
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「ヨシノ!!いつの間に来ていたの!」
叫び声をあげたクリスとは対照的に、アレンとフレデリックは、彼の来訪を知っていたかのようなしたり顔で微笑した。
「ずっと近くにいたよね」申し合わせたようにアレンが言った。
「バレてた?」
「気配がヨシノだった」
アレンに続いて、フレデリックも深く頷く。
「僕は体温かな。一度ぶつかりそうになっただろ? 上手く避けていたようだけど違和感があったよ」
「えー! 僕はまるで気づかなかった!」
自分だけが鈍感なのかと、クリスはふくれっ面だ。
「それだけ真剣に楽しんでいてくれたんだろ、ありがとう。作ったもん冥利に尽きるってやつだ」
吉野に褒められ、クリスの尖った唇はすぐに緩んだ。
口々に語られるこの空間の感想や質問に耳を傾けながら、吉野は座ったまま注意深く周囲に視線を流し、はたと一点に目を据えた。すまし顔で佇んでいたTSアレンが、その視線を捉えたかのように優美に微笑んだ。そして、「ご質問がございますか?」と小首を傾げた。
「いつまでもこいつの顔を見せられるのも嫌だし、俺がガイドを代わるな」
吉野はパチン、と指を弾いた。
と、即座にTSアレンは笑みを湛えたままパラパラと分解していき、金粉をまき散らして跡形もなく消えた。
「マジックっぽく煙にでもした方がいいかな、どう思う?」
呆気に取られた彼らを現実に引き戻した吉野の真顔の質問に、三人は思い思いの意見を口にした。デジタル感の出るモザイクがいい、空気に溶けるように透けていくのがいい、等々。
ひとしきり聞いて、「次、いくぞ、時間がなくなっちまう」と、吉野は膝の上に置いていたタブレットを掲げて見せた。
「今日の気分は?」
「スカイブルー!」クリスが威勢よく応える。
「こんな感じか?」
吉野は手にしたタブレットをくるりと裏返して皆に向ける。そこには透きとおる海と晴れ渡った空の風景が映っている。
「そうそう、そんな感じ!」とクリスが言い終わらないうちに、タブレットから海水が流れ落ち、瞬く間に部屋を満たしていく。寄せては引く足元の波に気を取られているうちに、天井は消え、どこまでも青空が続いている。静かに響く波音に驚いて、フレデリックが耳許に手をやると、吉野が顔をしかめて首を振った。「外すな」という意味だ。注意事項でも言われていたことだ。
だがフレデリックは好奇心から、ゴーカートに乗り込む前にスタッフから受け取ったイヤホンをほんの少しずらしてみた。途端に流れこんできた大音量の音楽に、慌ててイヤホンをはめ直すはめになった。吉野はその様子をニヤニヤ笑って見ている。顔を寄せ、「な、こっちの方がいいだろ?」と目配せした彼に、「うん、なんとなく判った。後で種明かししてくれる?」と、フレデリックは重低音にガンと殴られたショックから心臓をバクバクさせながら囁き返した。
「と、まぁ、こんな感じでさ、気分で好きなように模様替えできる部屋ってのがコンセプトなんだ。お前ら、やってみる?」
「やりたい!」
さっそく、クリスがタブレットに飛びつき、画面にかぶりついた。
そして、次に顔を上げた時には、海岸はまるで宮殿の一室のような部屋に変っていた。白い壁やドアは金のモールディングで華やかに縁どられ、金の彫刻装飾が施されている。カーテンに飾られている絵画の額も同じく金縁。そのなかで、カーテンと揃いの布張りソファーや椅子類の真紅がひときわ鮮やかだ。
「お、意外な好みだな」と吉野が声をかけると、「いや、好きってわけじゃないんだけど」とクリスは口を濁した。「家を改装する話がでててさ、使ってないアンティークを引っ張りだして、リージェンシー様式で整えたいって母がね……」
深々としたため息をついたクリスだったが、ポスッとソファーに腰を下ろすと、急に「これ、どうなってるの!」とその背もたれをポンポンと叩いた。ターコイズブルーのモダンなソファーが、金の枠で縁どられた豪奢な真紅のソファーに変っているのだ。部屋が変わったのは映像だからだと納得できる。けれど、このソファーは実際に座れる本当にここにある物のはず――
「原型にイメージを投影しているだけだからさ、落ち着いて触れば判るよ。微妙に輪郭はズレているし、質感も違う」
「へぇー、そうなの? ――ああ、本当だ。でも、こんなことまでできるなんて、すごいね!」
「これから商品として売り出すんだから、これくらいはな」
ふっと笑った吉野だったが、表情はあまり満足しているようには見えなかった。アレンはそれが気になって訝し気に顔を曇らせた。
「そろそろ時間だな。こうやって遊ばせてる間にゲームオーバーで、外側ほどレトロフューチャーの世界観を描けてないんだよ、中途半端でさ」
「でも、こんなふうに内装を変えられるなんて、」クリスが取りなすように声を高めると、吉野はひょいと肩を上げて「未来ぽい?」と言葉を継いだ。
「僕も、そう思った」フレデリックにしろ真剣な眼差しだ。
「そう言ってもらえると万々歳だな。このアイデアも昔の小説に描かれているんだ。だから、コンセプトから外れているわけじゃないんだけどさ」
過去に思い描かれた未来は、派手な電飾で賑やかに彩られ、便利な科学技術の発展した明るい世界だった。だが、そんな未来の都市空間は、インテリアの一形態として実現されたに過ぎない。だがそれ以外の実利面は、携帯電話にしろ、ビデオチャットにしろ、喋る家電に人工知能ロボットまで、多種多様のデジタルテクノロジーが現実のものとなっているのだ。
「案外難しかったんだよ、実現されなかった未来の生活ってさ。電話にしろネットにしろ、かつての想像の産物が今じゃ立派な必需品になってるんだ。だからさ、こんな遊びで誤魔化してお終いだ」
道具は日々進化していたとしても、人の日常なんて、食べて、寝て、時間を潰して、その繰り返しでしかない。どれほど過去に遡ろうとと未来に進もうと、その営みが大きくぶれることはない。思い描かれ、消えていくのは余剰的なものでしかない。
そう考えだすと、ここにこうしてることまでもが夢そのものの中のようで――
吉野は「俺たちは”夢と同じ物質でできている”んだものな」と肩をすくめて立ち上がった。「じゃ、また後でな」と、踏み出した先から吉野は消え、替わりに現れたTSアレンが、にこやかに片手を上げた。
「皆さま、お楽しみいただけたでしょうか。それではお時間になりました。ゴーカートへお戻りください」
******
「われらは夢と同じ物質でできている」……シェイクスピア『テンペスト』魔術師プロスペロのセリフ
叫び声をあげたクリスとは対照的に、アレンとフレデリックは、彼の来訪を知っていたかのようなしたり顔で微笑した。
「ずっと近くにいたよね」申し合わせたようにアレンが言った。
「バレてた?」
「気配がヨシノだった」
アレンに続いて、フレデリックも深く頷く。
「僕は体温かな。一度ぶつかりそうになっただろ? 上手く避けていたようだけど違和感があったよ」
「えー! 僕はまるで気づかなかった!」
自分だけが鈍感なのかと、クリスはふくれっ面だ。
「それだけ真剣に楽しんでいてくれたんだろ、ありがとう。作ったもん冥利に尽きるってやつだ」
吉野に褒められ、クリスの尖った唇はすぐに緩んだ。
口々に語られるこの空間の感想や質問に耳を傾けながら、吉野は座ったまま注意深く周囲に視線を流し、はたと一点に目を据えた。すまし顔で佇んでいたTSアレンが、その視線を捉えたかのように優美に微笑んだ。そして、「ご質問がございますか?」と小首を傾げた。
「いつまでもこいつの顔を見せられるのも嫌だし、俺がガイドを代わるな」
吉野はパチン、と指を弾いた。
と、即座にTSアレンは笑みを湛えたままパラパラと分解していき、金粉をまき散らして跡形もなく消えた。
「マジックっぽく煙にでもした方がいいかな、どう思う?」
呆気に取られた彼らを現実に引き戻した吉野の真顔の質問に、三人は思い思いの意見を口にした。デジタル感の出るモザイクがいい、空気に溶けるように透けていくのがいい、等々。
ひとしきり聞いて、「次、いくぞ、時間がなくなっちまう」と、吉野は膝の上に置いていたタブレットを掲げて見せた。
「今日の気分は?」
「スカイブルー!」クリスが威勢よく応える。
「こんな感じか?」
吉野は手にしたタブレットをくるりと裏返して皆に向ける。そこには透きとおる海と晴れ渡った空の風景が映っている。
「そうそう、そんな感じ!」とクリスが言い終わらないうちに、タブレットから海水が流れ落ち、瞬く間に部屋を満たしていく。寄せては引く足元の波に気を取られているうちに、天井は消え、どこまでも青空が続いている。静かに響く波音に驚いて、フレデリックが耳許に手をやると、吉野が顔をしかめて首を振った。「外すな」という意味だ。注意事項でも言われていたことだ。
だがフレデリックは好奇心から、ゴーカートに乗り込む前にスタッフから受け取ったイヤホンをほんの少しずらしてみた。途端に流れこんできた大音量の音楽に、慌ててイヤホンをはめ直すはめになった。吉野はその様子をニヤニヤ笑って見ている。顔を寄せ、「な、こっちの方がいいだろ?」と目配せした彼に、「うん、なんとなく判った。後で種明かししてくれる?」と、フレデリックは重低音にガンと殴られたショックから心臓をバクバクさせながら囁き返した。
「と、まぁ、こんな感じでさ、気分で好きなように模様替えできる部屋ってのがコンセプトなんだ。お前ら、やってみる?」
「やりたい!」
さっそく、クリスがタブレットに飛びつき、画面にかぶりついた。
そして、次に顔を上げた時には、海岸はまるで宮殿の一室のような部屋に変っていた。白い壁やドアは金のモールディングで華やかに縁どられ、金の彫刻装飾が施されている。カーテンに飾られている絵画の額も同じく金縁。そのなかで、カーテンと揃いの布張りソファーや椅子類の真紅がひときわ鮮やかだ。
「お、意外な好みだな」と吉野が声をかけると、「いや、好きってわけじゃないんだけど」とクリスは口を濁した。「家を改装する話がでててさ、使ってないアンティークを引っ張りだして、リージェンシー様式で整えたいって母がね……」
深々としたため息をついたクリスだったが、ポスッとソファーに腰を下ろすと、急に「これ、どうなってるの!」とその背もたれをポンポンと叩いた。ターコイズブルーのモダンなソファーが、金の枠で縁どられた豪奢な真紅のソファーに変っているのだ。部屋が変わったのは映像だからだと納得できる。けれど、このソファーは実際に座れる本当にここにある物のはず――
「原型にイメージを投影しているだけだからさ、落ち着いて触れば判るよ。微妙に輪郭はズレているし、質感も違う」
「へぇー、そうなの? ――ああ、本当だ。でも、こんなことまでできるなんて、すごいね!」
「これから商品として売り出すんだから、これくらいはな」
ふっと笑った吉野だったが、表情はあまり満足しているようには見えなかった。アレンはそれが気になって訝し気に顔を曇らせた。
「そろそろ時間だな。こうやって遊ばせてる間にゲームオーバーで、外側ほどレトロフューチャーの世界観を描けてないんだよ、中途半端でさ」
「でも、こんなふうに内装を変えられるなんて、」クリスが取りなすように声を高めると、吉野はひょいと肩を上げて「未来ぽい?」と言葉を継いだ。
「僕も、そう思った」フレデリックにしろ真剣な眼差しだ。
「そう言ってもらえると万々歳だな。このアイデアも昔の小説に描かれているんだ。だから、コンセプトから外れているわけじゃないんだけどさ」
過去に思い描かれた未来は、派手な電飾で賑やかに彩られ、便利な科学技術の発展した明るい世界だった。だが、そんな未来の都市空間は、インテリアの一形態として実現されたに過ぎない。だがそれ以外の実利面は、携帯電話にしろ、ビデオチャットにしろ、喋る家電に人工知能ロボットまで、多種多様のデジタルテクノロジーが現実のものとなっているのだ。
「案外難しかったんだよ、実現されなかった未来の生活ってさ。電話にしろネットにしろ、かつての想像の産物が今じゃ立派な必需品になってるんだ。だからさ、こんな遊びで誤魔化してお終いだ」
道具は日々進化していたとしても、人の日常なんて、食べて、寝て、時間を潰して、その繰り返しでしかない。どれほど過去に遡ろうとと未来に進もうと、その営みが大きくぶれることはない。思い描かれ、消えていくのは余剰的なものでしかない。
そう考えだすと、ここにこうしてることまでもが夢そのものの中のようで――
吉野は「俺たちは”夢と同じ物質でできている”んだものな」と肩をすくめて立ち上がった。「じゃ、また後でな」と、踏み出した先から吉野は消え、替わりに現れたTSアレンが、にこやかに片手を上げた。
「皆さま、お楽しみいただけたでしょうか。それではお時間になりました。ゴーカートへお戻りください」
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