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十章
部屋5
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吉野の言う「待ち時間の暇潰しの余興」は、ゴーカートが消えてまた現れるまで、一組10分程度で終了する。次の組、また次の組へと順調に列は消化されていったが、同じ演目がくり返されることは一つとしてなかったためか、メインの催しを見終えた観客もその場を去らず、また、抽選に関係なく誰でも見学できる、と聞き集まってきた人たちで、赤いロープの外側は瞬く間に厚い人壁ができていた。
「あーあ、もうここからじゃ見れないね」
クリスが残念そうに唇を尖らせる。
「移動する?」
アレンが小首を傾げて訊いた。
「この椅子の上に上ったら見えるんじゃないかな」
フレデリックが卵型の椅子をトン、トンと拳で叩いた。
「いいね!」クリスはさっそく座面に足をかけ、卵の外殻によじ上る。「うん、いい感じ、よく見えるよ!」
「きみはどうする?」
いい具合に高さのある椅子はもう他にはない。周囲の樹も上れるほどの枝ぶりでもないし、と辺りを見回してはみたものの、フレデリックは良さそうな場所を見つけるには叶わなかった。
「僕はいいよ」
アレンは笑いながら首を振った。
「どのみち、もうじき休憩時間だよ。二部の先頭がお前らだからさ、今のうちになんか食っとくか?」
「え、もうそんな時間!」
頭上からクリスが叫んだ。
「そんな時間!」
吉野が見上げて応える。
「あそこにいる僕は働きものだね」
しみじみと呟いたアレンの背を、フレデリックがぽんと叩いた。
「進行係のTSはアレンだけなの? ヘンリー卿のTSは使わないのかな?」
「内緒」
「えー!」とアレンが吉野の袖を引っ張った。「教えてくれたっていいじゃないか! 僕は何も知らされてないのに!」
吉野が驚いたように目を見開いた。
「あんなに使い倒されてるのにか? 動きのサンプルも取らなかったの?」
アレンは勢い頷いたが、すぐに「あっ!」と慌てて言い足した。「アレがどんなことをするのか、に関しては聞いている。デヴィッドさんが教えてくれた」
そんな気がする。興味がなかったので聞き流していたのだ。
吉野が微かに眉をしかめた。
デヴィッドがアレン抜きで勝手にTS像を作り進めている、と彼にそんな印象を持たせてしまったかもしれない。言葉が足りなかった、とすぐに悟ったものの、ちゃんと説明しなければと気ばかり焦りながら、アレンはしどろもどろに言い訳を始めた。
「そうじゃなくて……、僕が言いたいのは、」
しょせん偶像でしかない自分自身が何をしようと、構わなかったのだ。
人工知能と連動されたアレンを作るにあたって、アレン本人は全てを飛鳥とサラ、そしてデヴィッドに任せきりでノータッチだった。アレンとして振舞うことになる人工知能の人格構成にしても、異議申し立てはしない、と自分から伝えてある。それでもデヴィッドはその都度、内容なり、雰囲気なり、アレン自身が被ることになり兼ねない印象操作による誤解や風評被害の可能性について話してくれ、アレンの承認を確認してくれていた。
だが、今回のTSアレンは、この夏、募集開始される、アーカシャー不動産部門のTSフラット案内人として設計されたもののはずだった。
「僕が聞いていないのは――、中身! このイベント内容だよ。本イベントの方は参加させてもらっていたのに、これに関しては寝耳に水で、兄の映像も参加されているのかな、って――」
見本市の時のように、兄と二人並んで、そんな期待を抱いていたのに。
アレンが気にかけているのは自分自身の影ともいうべきTS像ではないのだ。兄ヘンリーに「共同作業」と言わしめた、彼がこれまで心血を注いで務めてきたインテリア、彼が初めて自らの手で勝ち取ったと思えるインテリア部門の展開がここでどうなされているかだった。今日のメイボールは、夏の本発表のプレイベントだと聞かされていたのに、眼前で繰り広げられたのはそれとはまるで主旨の異なるマジックだなんて――
「ああ――」吉野は納得したように頷いた。「直前で飛鳥が入ったからだな。ごめん」
「なんでヨシノが謝るの?」
「俺もいろいろ口挟んでるからだよ。メイボール実行委員にさ、マイケル・ウェザーがいるんだ」
「え、ウェザー寮長が!」
ザッと音を立てて、クリスが卵の殻から飛び降りてきた。
「知らなかった。ていうか、ケンブリッジにいらっしゃることを知らなかった!」
「僕はたまにお逢いしていたけどなぁ」
驚くクリスとは対照的に、フレデリックは目を細めて嬉しそうに笑っている。
「教えてくれればいいのに!」
「ま、そんな訳でさ」憤慨するクリスを尻目に吉野が話の舵を戻した。「今年のメイボールはかなり早い段階でアーカシャーに声かけてもらったんだ。で、予定してたのが表のアレ」
いつの間にか休憩時間に入ったらしく、吉野がくいっと顎をしゃくった先にある芝地に溜まっていた人混みは崩れ、まばらになっている。
「あいつはザ・スペクタクルが好きだからさ。だけど、こっちにしてみれば面白味もなくてな。折衷案で、内と外に分けたんだ。これはこれで、あぶれた奴らへの宣伝にもなるしな」
「面白味がないって……」
「こんな映像を作るの、飛鳥は飽きてるんだ」
のほほんと笑っている吉野を前にして、訊き返したクリスにしろ、アレン、フレデリックにしろ、絶句としか表現しようのない顔つきだ。
そんな彼らの微妙な反応など意に介さない吉野は「さ、なんか食おうぜ! 俺もう腹減りすぎて死にそう! ずっと働いてたんだぞ!」と無邪気に笑って、もう待てないとばかりに歩き出した。
「あーあ、もうここからじゃ見れないね」
クリスが残念そうに唇を尖らせる。
「移動する?」
アレンが小首を傾げて訊いた。
「この椅子の上に上ったら見えるんじゃないかな」
フレデリックが卵型の椅子をトン、トンと拳で叩いた。
「いいね!」クリスはさっそく座面に足をかけ、卵の外殻によじ上る。「うん、いい感じ、よく見えるよ!」
「きみはどうする?」
いい具合に高さのある椅子はもう他にはない。周囲の樹も上れるほどの枝ぶりでもないし、と辺りを見回してはみたものの、フレデリックは良さそうな場所を見つけるには叶わなかった。
「僕はいいよ」
アレンは笑いながら首を振った。
「どのみち、もうじき休憩時間だよ。二部の先頭がお前らだからさ、今のうちになんか食っとくか?」
「え、もうそんな時間!」
頭上からクリスが叫んだ。
「そんな時間!」
吉野が見上げて応える。
「あそこにいる僕は働きものだね」
しみじみと呟いたアレンの背を、フレデリックがぽんと叩いた。
「進行係のTSはアレンだけなの? ヘンリー卿のTSは使わないのかな?」
「内緒」
「えー!」とアレンが吉野の袖を引っ張った。「教えてくれたっていいじゃないか! 僕は何も知らされてないのに!」
吉野が驚いたように目を見開いた。
「あんなに使い倒されてるのにか? 動きのサンプルも取らなかったの?」
アレンは勢い頷いたが、すぐに「あっ!」と慌てて言い足した。「アレがどんなことをするのか、に関しては聞いている。デヴィッドさんが教えてくれた」
そんな気がする。興味がなかったので聞き流していたのだ。
吉野が微かに眉をしかめた。
デヴィッドがアレン抜きで勝手にTS像を作り進めている、と彼にそんな印象を持たせてしまったかもしれない。言葉が足りなかった、とすぐに悟ったものの、ちゃんと説明しなければと気ばかり焦りながら、アレンはしどろもどろに言い訳を始めた。
「そうじゃなくて……、僕が言いたいのは、」
しょせん偶像でしかない自分自身が何をしようと、構わなかったのだ。
人工知能と連動されたアレンを作るにあたって、アレン本人は全てを飛鳥とサラ、そしてデヴィッドに任せきりでノータッチだった。アレンとして振舞うことになる人工知能の人格構成にしても、異議申し立てはしない、と自分から伝えてある。それでもデヴィッドはその都度、内容なり、雰囲気なり、アレン自身が被ることになり兼ねない印象操作による誤解や風評被害の可能性について話してくれ、アレンの承認を確認してくれていた。
だが、今回のTSアレンは、この夏、募集開始される、アーカシャー不動産部門のTSフラット案内人として設計されたもののはずだった。
「僕が聞いていないのは――、中身! このイベント内容だよ。本イベントの方は参加させてもらっていたのに、これに関しては寝耳に水で、兄の映像も参加されているのかな、って――」
見本市の時のように、兄と二人並んで、そんな期待を抱いていたのに。
アレンが気にかけているのは自分自身の影ともいうべきTS像ではないのだ。兄ヘンリーに「共同作業」と言わしめた、彼がこれまで心血を注いで務めてきたインテリア、彼が初めて自らの手で勝ち取ったと思えるインテリア部門の展開がここでどうなされているかだった。今日のメイボールは、夏の本発表のプレイベントだと聞かされていたのに、眼前で繰り広げられたのはそれとはまるで主旨の異なるマジックだなんて――
「ああ――」吉野は納得したように頷いた。「直前で飛鳥が入ったからだな。ごめん」
「なんでヨシノが謝るの?」
「俺もいろいろ口挟んでるからだよ。メイボール実行委員にさ、マイケル・ウェザーがいるんだ」
「え、ウェザー寮長が!」
ザッと音を立てて、クリスが卵の殻から飛び降りてきた。
「知らなかった。ていうか、ケンブリッジにいらっしゃることを知らなかった!」
「僕はたまにお逢いしていたけどなぁ」
驚くクリスとは対照的に、フレデリックは目を細めて嬉しそうに笑っている。
「教えてくれればいいのに!」
「ま、そんな訳でさ」憤慨するクリスを尻目に吉野が話の舵を戻した。「今年のメイボールはかなり早い段階でアーカシャーに声かけてもらったんだ。で、予定してたのが表のアレ」
いつの間にか休憩時間に入ったらしく、吉野がくいっと顎をしゃくった先にある芝地に溜まっていた人混みは崩れ、まばらになっている。
「あいつはザ・スペクタクルが好きだからさ。だけど、こっちにしてみれば面白味もなくてな。折衷案で、内と外に分けたんだ。これはこれで、あぶれた奴らへの宣伝にもなるしな」
「面白味がないって……」
「こんな映像を作るの、飛鳥は飽きてるんだ」
のほほんと笑っている吉野を前にして、訊き返したクリスにしろ、アレン、フレデリックにしろ、絶句としか表現しようのない顔つきだ。
そんな彼らの微妙な反応など意に介さない吉野は「さ、なんか食おうぜ! 俺もう腹減りすぎて死にそう! ずっと働いてたんだぞ!」と無邪気に笑って、もう待てないとばかりに歩き出した。
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