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十章
部屋
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メイボールの行われるコレッジに近い駐車場に、大型の中継車が駐まっている。中継車といっても、テレビやラジオのそれではなく、車体にアーカシャーHDのロゴの入っている。これを目にしたドレスアップした学生たちは、期待に目を輝かせて、今日のヘッドランナーとなる企業の演目を想像しあっては声高に通りすぎて行く。
この車はこれから始まるイベントの調整室として使われるもので、スイッチャやカメラコントロールユニット等、多くの機材が設置されている。そして、その車中では飛鳥とデヴィッドが、比較的のんびりと壁面に並ぶ画面を眺めていた。
「前回のメイボールからまだ3年なんだね。なんだか、もっとずっと前のことだったような気がするよ」
椅子に座ったまま大きく背伸びして、飛鳥は横に座るデヴィッドを振り返った。当然、コレッジのお祭りであるメイボールは毎年開催されている。けれど飛鳥が参加したのは、協賛で取り組んだ一度だ。彼には在学生、あるいは卒業生として参加する意識は頭からないようだ。
デヴィッドにしても、以前の企画の話をしているのだと心得て、「本当にねぇ」と感慨深げに目を細める。日本への留学のために飛鳥たちよりも1年遅れて入学した彼は、在学生の立場で手伝いをしていた。
「ヨチヨチ歩きのひよこちゃんたちが、似合わないブラックタイを締めて怖々踊ってたのにねぇ。今回は自分でチケットを買って、堂々と参加してるんだもんね!」
「懐かしいなぁ」
「なーんて言うほど昔でもないでしょ、アスカちゃん!」
などと軽口を叩き合いながら、デヴィッドも飛鳥と同じ様に伸びをする。
「でもさ、アスカちゃんに応援に来てもらえて助かったよ。僕一人じゃ、とてもこうはいかなかった。全然間に合わなくて、3年前のを使い回すしかないかって諦めかけてたくらいだよ! ほんと、尊敬する。ごめんねぇ、頼りなくてさ」
「それに関しては――、ごめん、謝るのは僕の方だよ。大変だっただろ。僕がうだうだしてて、何もかもきみに任せっきりだったせいで――」
自嘲から飛鳥は眉を潜め視線を落とした。本当にそうだ。液状TSの完成に舞い上がっていたのだ。アレンのこともあったけれど、吉野が戻って来て、ともにマーシュコートに居られたことが大きかった。会社の事業よりも、自分の好奇心を、満足を追求してばかりだった。
きゅっと唇を引きしめている飛鳥を横目で伺いつつ、デヴィッドは肩で息をついた。感謝の気持ちは嘘ではない。飛鳥にまるで敵わない現実も、悔しさよりも憧れが勝る。だから決して飛鳥を落ち込ませたい訳ではなかったのだ。けれど、皮肉めいたことを口にしてしまうほどには、恨みがましく愚痴りたい想いが自分のなかに渦巻いているのも、また事実だった。
そんな自分を持て余し、「ちょっと出てくるね~。お茶でももらってくるよ」と、デヴィッドは席を立った。
「あ、うん。行ってらっしゃい!」飛鳥はぱっと頭を起こして見送った。
一人になると、途端に緊張が解けていく。どんなに親しい相手でも、自分の領域に誰かがいることが、未だに彼に緊張を強いるのだ。それは辛いばかりではない、ほどよい高揚感をくれるものでもあるけれど――
しばらくの間、飛鳥は目を瞑り外界を遮断した。
メインイベントが始まるのは9時だ。まだ充分な時間がある。最終調整も終わっているし、後は開始時間を待つだけ。今の内に食事を済ませておく方がいい。そうしておくべきだ、と頭は子どもに言い聞かすように働くのだが、飛鳥の腰は重いままだった。
浮かれ飛んで、あるいは自分自身に専念しすぎたことで、どれほどの迷惑を周囲にかけていたのか、久方ぶりに現場に出て、ようやく骨身に感じていたのだ。明るく笑っていても、デヴィッドの目許は酷く疲れていたし、顔色も悪かった。いつもおしゃれな彼とは思えないくらい服装もくたびれていた。
これまでの飛鳥の怠慢からの一番の被害者は、デヴィッドだろうか。あるいは、ヘンリーだろうか。そう考えることで、ますます気持ちは重く沈んでしまう。こうなると飛鳥は、自分の決意や、感情が初めから間違っていた気さえしてくる。ここまでの負担を強いていたことを彼らに謝罪し、遅れを取り戻さなければならない、自分にはもう、これしかないのだから。
つらつらと考えながら、飛鳥はモニターの一つに視線を止めた。
イベント会場となるコレッジのグレートコート全体を映したモニターだ。広大な芝地には、スタッフカードを下げた学生たちが忙しなく行き交っている。だが、その中心にある王冠に似た美しい石造りの噴水の前に張り巡らせた赤いロープ内には、立ち入り禁止の札が見え、ぽかりと広大な空間が空いている。ロープの中には、傾きかけた日光に照らされ柔らかな色調を見せる芝生があるだけだ。
「だけどまだ、全然、平凡なんだよな」
飛鳥はその緑を凝視し、目を細めた。そこにある誰にも見えない何かを、注意深く、観察でもしているかのように――
この車はこれから始まるイベントの調整室として使われるもので、スイッチャやカメラコントロールユニット等、多くの機材が設置されている。そして、その車中では飛鳥とデヴィッドが、比較的のんびりと壁面に並ぶ画面を眺めていた。
「前回のメイボールからまだ3年なんだね。なんだか、もっとずっと前のことだったような気がするよ」
椅子に座ったまま大きく背伸びして、飛鳥は横に座るデヴィッドを振り返った。当然、コレッジのお祭りであるメイボールは毎年開催されている。けれど飛鳥が参加したのは、協賛で取り組んだ一度だ。彼には在学生、あるいは卒業生として参加する意識は頭からないようだ。
デヴィッドにしても、以前の企画の話をしているのだと心得て、「本当にねぇ」と感慨深げに目を細める。日本への留学のために飛鳥たちよりも1年遅れて入学した彼は、在学生の立場で手伝いをしていた。
「ヨチヨチ歩きのひよこちゃんたちが、似合わないブラックタイを締めて怖々踊ってたのにねぇ。今回は自分でチケットを買って、堂々と参加してるんだもんね!」
「懐かしいなぁ」
「なーんて言うほど昔でもないでしょ、アスカちゃん!」
などと軽口を叩き合いながら、デヴィッドも飛鳥と同じ様に伸びをする。
「でもさ、アスカちゃんに応援に来てもらえて助かったよ。僕一人じゃ、とてもこうはいかなかった。全然間に合わなくて、3年前のを使い回すしかないかって諦めかけてたくらいだよ! ほんと、尊敬する。ごめんねぇ、頼りなくてさ」
「それに関しては――、ごめん、謝るのは僕の方だよ。大変だっただろ。僕がうだうだしてて、何もかもきみに任せっきりだったせいで――」
自嘲から飛鳥は眉を潜め視線を落とした。本当にそうだ。液状TSの完成に舞い上がっていたのだ。アレンのこともあったけれど、吉野が戻って来て、ともにマーシュコートに居られたことが大きかった。会社の事業よりも、自分の好奇心を、満足を追求してばかりだった。
きゅっと唇を引きしめている飛鳥を横目で伺いつつ、デヴィッドは肩で息をついた。感謝の気持ちは嘘ではない。飛鳥にまるで敵わない現実も、悔しさよりも憧れが勝る。だから決して飛鳥を落ち込ませたい訳ではなかったのだ。けれど、皮肉めいたことを口にしてしまうほどには、恨みがましく愚痴りたい想いが自分のなかに渦巻いているのも、また事実だった。
そんな自分を持て余し、「ちょっと出てくるね~。お茶でももらってくるよ」と、デヴィッドは席を立った。
「あ、うん。行ってらっしゃい!」飛鳥はぱっと頭を起こして見送った。
一人になると、途端に緊張が解けていく。どんなに親しい相手でも、自分の領域に誰かがいることが、未だに彼に緊張を強いるのだ。それは辛いばかりではない、ほどよい高揚感をくれるものでもあるけれど――
しばらくの間、飛鳥は目を瞑り外界を遮断した。
メインイベントが始まるのは9時だ。まだ充分な時間がある。最終調整も終わっているし、後は開始時間を待つだけ。今の内に食事を済ませておく方がいい。そうしておくべきだ、と頭は子どもに言い聞かすように働くのだが、飛鳥の腰は重いままだった。
浮かれ飛んで、あるいは自分自身に専念しすぎたことで、どれほどの迷惑を周囲にかけていたのか、久方ぶりに現場に出て、ようやく骨身に感じていたのだ。明るく笑っていても、デヴィッドの目許は酷く疲れていたし、顔色も悪かった。いつもおしゃれな彼とは思えないくらい服装もくたびれていた。
これまでの飛鳥の怠慢からの一番の被害者は、デヴィッドだろうか。あるいは、ヘンリーだろうか。そう考えることで、ますます気持ちは重く沈んでしまう。こうなると飛鳥は、自分の決意や、感情が初めから間違っていた気さえしてくる。ここまでの負担を強いていたことを彼らに謝罪し、遅れを取り戻さなければならない、自分にはもう、これしかないのだから。
つらつらと考えながら、飛鳥はモニターの一つに視線を止めた。
イベント会場となるコレッジのグレートコート全体を映したモニターだ。広大な芝地には、スタッフカードを下げた学生たちが忙しなく行き交っている。だが、その中心にある王冠に似た美しい石造りの噴水の前に張り巡らせた赤いロープ内には、立ち入り禁止の札が見え、ぽかりと広大な空間が空いている。ロープの中には、傾きかけた日光に照らされ柔らかな色調を見せる芝生があるだけだ。
「だけどまだ、全然、平凡なんだよな」
飛鳥はその緑を凝視し、目を細めた。そこにある誰にも見えない何かを、注意深く、観察でもしているかのように――
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