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九章
空模様2
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そんな冗談めかした笑いもじきに消えると、ヘンリーにしろ、アーネスト、デヴィッドにしろ、それぞれが互いの視線を避けるようにあらぬ方向を向いて押し黙り別々の思索に耽っていった。
そこからは時おり誰かが話題を振っても、すぐに途切れて会話にならなかった。だが言わずにはいられない。それはまるで体の奥で生まれた何かに自家中毒を起こしてしまったような、違和感のあまり吐き出さずにはいられない、そんな切れ切れの語群だった。はっきりさせてしまうことは躊躇われ、重苦しさばかりが密閉された空間を満たしていく。
「暗殺者を捕獲っていっても、その容疑者は誰も殺していないよねぇ」
アーネストが眉をひそめて呟いた。
「たとえ全てが虚構だったにせよ、陛下とサウード殿下に向かって引き金を引いた事実は変わらないよ」
「腑に落ちないね。ここまでの準備ができるなら、もっと早く、計画の段階で十分縛り上げられるでしょ。こうも大掛かりな仕掛けを組んだ理由は本当のところ、どうなのさ?」
さすがに聡明なアーネストは、とても納得がいかないと頭を振る。
享楽に耽るばかりで現実を顧みることのない国王に、常に命を狙われている実態を仮想の姿で突きつける――。
はたしてその必要性が、本当にあったのだろうか。最も信頼しているはずの近衛師団の見守る中で、凶弾に倒れる己の姿を見せつける必要が。
淡々と答えているヘンリーにしろ、そこに疑問を持たないはずがないではないか。アーネストは鋭いヘーゼルの瞳を微動ださせることなくヘンリーを見つめる。
「国王を追い詰めるため――。立場を理解していただく、なんて甘い話じゃないでしょ」
不快げに眉をひそめて吐き捨てるように呟いたのは、問われているヘンリーではなくデヴィッドだった。
彼は作り物だと解かっていても、見知った人間が死んでいくさまに平静ではいられなかった。ましてそれが自分自身の姿だとしたら、と我が身に置き換えてみた途端、ぞくぞくっと背筋が怖気立っていた。
国王にしろサウード殿下にしろ、平気でいられるわけがないではないか。それを解っていながら遂行したのであれば、目的は――。
むしろ殿下はよくもこんな計画を許可したものだ、と自分でも信じられないほどの不快感がデヴィッドの胸中に満ち満ちていた。その不快をもたらした憶測を、吐き出さずにはいられなかったほどに。
それからまたしばらくの間、 各々どっと疲れが出たかのような気だるげな沈黙に支配されていた。
そしてようやく、何気ない調子でのヘンリーの一言が零れ落ちた。
「自分のドッペルゲンガーを見るのは死の兆候、っていうからね」
一瞬、何のことかとアーネストとデヴィッドは顔を見合わせた。ほどなくして先ほどの自分の言葉への返しだと気づいたデヴィッドが、素っ頓狂に声を荒げた。
「TSはドッペルゲンガーじゃないよ! きみにしろ僕にしろ、毎日のように自分のTSと顔つきあわせているじゃないか!」
デヴィッドは不服そうに唇を尖らせている。だがアーネストは、はっと息を呑んでいた。確かめるようにヘンリーを凝視する。
「アスカはあれを僕だと言ったことは一度もないよ。似ている、とさえ言われたことがない」
ふふ、と唇の端で笑いながら、ヘンリーはようやく思い出したかのようにティーカップを手に取った。冷めてしまっているお茶を一気に飲み下す。それからゆるりとアーネストの視線に応え、頷いた。
「僕にしてもそうだな。あんなものが自分自身だなんて、とんでもない」
「だけど、陛下は違った……。そういうことか」
ふー、と長く息を吐いて、アーネストはソファーの背もたれに脱力した。
直接お会いしたことはないが、噂で聞くムハンマド国王はとても自己愛と自己執着の強い方だという。そんな方なのに、クーデター時におとりに使った自分自身のTS映像には関心を示すことはなかったという。それどころか実体の影武者ではない、映像での身代わりを立てる案になかなか承知しなかったとさえ。
ヘンリーや吉野から聴いたそんな話を総合して推察すると、国王はサウードに己の姿を合成させた若さ溢れる自己像は愛せても、老いさらばえた自分本来の姿は、それまで直視することはなかった、できなかったのではあるまいか。
「“未必の故意”――。あの子のやり口って、いつもそんな臭いがプンプンするね」
アーネストは声のトーンを落として、皮肉げに唇を歪めて言った。
未必の故意とは、「行為者が犯罪事実の発生を望んでいるわけではないが、もしそうなったとしてもそれはそれで構わない」とする心理状態をいう。
吉野は、譲位のために国王を殺害しようとしたわけではない。むしろその命を救うために尽力している。だがこの事件で国王は、心に相応のダメージを受けたのではないだろうか。おそらく、王座に座り続ける意志を揺るがせられるほどの――。
ハーディ・オズボーンのときもそうだった。アレンを誘拐した黒幕だったにも拘わらず、吉野はその場でその罪を糾弾することはなかった。知己である、という理由で、巻きこまれたアレンにすらうやむやに事件は幕を引かれた。
だがこの男は、後に吉野の仕掛けたスイスフラン暴騰劇に巻きこまれ、自らの人生の幕を下ろすことになるほどの失態を演じることになったのだ。
アーネストは、吉野が彼を自死に追い込んだわけではない、と思っていた、その時点では――。
だが、そうなる可能性を吉野は知っていたのではないだろうか。はたしてオズボーンの死を、国王の死あるいは社会的な失脚を、吉野が望んでいたかどうか。
それにアブド大臣の断行した粛清もまた、吉野の未必の故意に加えられるかもしれない。
そこに生じた漁夫の利は、常に吉野の足元にあったのだから。
そこからは時おり誰かが話題を振っても、すぐに途切れて会話にならなかった。だが言わずにはいられない。それはまるで体の奥で生まれた何かに自家中毒を起こしてしまったような、違和感のあまり吐き出さずにはいられない、そんな切れ切れの語群だった。はっきりさせてしまうことは躊躇われ、重苦しさばかりが密閉された空間を満たしていく。
「暗殺者を捕獲っていっても、その容疑者は誰も殺していないよねぇ」
アーネストが眉をひそめて呟いた。
「たとえ全てが虚構だったにせよ、陛下とサウード殿下に向かって引き金を引いた事実は変わらないよ」
「腑に落ちないね。ここまでの準備ができるなら、もっと早く、計画の段階で十分縛り上げられるでしょ。こうも大掛かりな仕掛けを組んだ理由は本当のところ、どうなのさ?」
さすがに聡明なアーネストは、とても納得がいかないと頭を振る。
享楽に耽るばかりで現実を顧みることのない国王に、常に命を狙われている実態を仮想の姿で突きつける――。
はたしてその必要性が、本当にあったのだろうか。最も信頼しているはずの近衛師団の見守る中で、凶弾に倒れる己の姿を見せつける必要が。
淡々と答えているヘンリーにしろ、そこに疑問を持たないはずがないではないか。アーネストは鋭いヘーゼルの瞳を微動ださせることなくヘンリーを見つめる。
「国王を追い詰めるため――。立場を理解していただく、なんて甘い話じゃないでしょ」
不快げに眉をひそめて吐き捨てるように呟いたのは、問われているヘンリーではなくデヴィッドだった。
彼は作り物だと解かっていても、見知った人間が死んでいくさまに平静ではいられなかった。ましてそれが自分自身の姿だとしたら、と我が身に置き換えてみた途端、ぞくぞくっと背筋が怖気立っていた。
国王にしろサウード殿下にしろ、平気でいられるわけがないではないか。それを解っていながら遂行したのであれば、目的は――。
むしろ殿下はよくもこんな計画を許可したものだ、と自分でも信じられないほどの不快感がデヴィッドの胸中に満ち満ちていた。その不快をもたらした憶測を、吐き出さずにはいられなかったほどに。
それからまたしばらくの間、 各々どっと疲れが出たかのような気だるげな沈黙に支配されていた。
そしてようやく、何気ない調子でのヘンリーの一言が零れ落ちた。
「自分のドッペルゲンガーを見るのは死の兆候、っていうからね」
一瞬、何のことかとアーネストとデヴィッドは顔を見合わせた。ほどなくして先ほどの自分の言葉への返しだと気づいたデヴィッドが、素っ頓狂に声を荒げた。
「TSはドッペルゲンガーじゃないよ! きみにしろ僕にしろ、毎日のように自分のTSと顔つきあわせているじゃないか!」
デヴィッドは不服そうに唇を尖らせている。だがアーネストは、はっと息を呑んでいた。確かめるようにヘンリーを凝視する。
「アスカはあれを僕だと言ったことは一度もないよ。似ている、とさえ言われたことがない」
ふふ、と唇の端で笑いながら、ヘンリーはようやく思い出したかのようにティーカップを手に取った。冷めてしまっているお茶を一気に飲み下す。それからゆるりとアーネストの視線に応え、頷いた。
「僕にしてもそうだな。あんなものが自分自身だなんて、とんでもない」
「だけど、陛下は違った……。そういうことか」
ふー、と長く息を吐いて、アーネストはソファーの背もたれに脱力した。
直接お会いしたことはないが、噂で聞くムハンマド国王はとても自己愛と自己執着の強い方だという。そんな方なのに、クーデター時におとりに使った自分自身のTS映像には関心を示すことはなかったという。それどころか実体の影武者ではない、映像での身代わりを立てる案になかなか承知しなかったとさえ。
ヘンリーや吉野から聴いたそんな話を総合して推察すると、国王はサウードに己の姿を合成させた若さ溢れる自己像は愛せても、老いさらばえた自分本来の姿は、それまで直視することはなかった、できなかったのではあるまいか。
「“未必の故意”――。あの子のやり口って、いつもそんな臭いがプンプンするね」
アーネストは声のトーンを落として、皮肉げに唇を歪めて言った。
未必の故意とは、「行為者が犯罪事実の発生を望んでいるわけではないが、もしそうなったとしてもそれはそれで構わない」とする心理状態をいう。
吉野は、譲位のために国王を殺害しようとしたわけではない。むしろその命を救うために尽力している。だがこの事件で国王は、心に相応のダメージを受けたのではないだろうか。おそらく、王座に座り続ける意志を揺るがせられるほどの――。
ハーディ・オズボーンのときもそうだった。アレンを誘拐した黒幕だったにも拘わらず、吉野はその場でその罪を糾弾することはなかった。知己である、という理由で、巻きこまれたアレンにすらうやむやに事件は幕を引かれた。
だがこの男は、後に吉野の仕掛けたスイスフラン暴騰劇に巻きこまれ、自らの人生の幕を下ろすことになるほどの失態を演じることになったのだ。
アーネストは、吉野が彼を自死に追い込んだわけではない、と思っていた、その時点では――。
だが、そうなる可能性を吉野は知っていたのではないだろうか。はたしてオズボーンの死を、国王の死あるいは社会的な失脚を、吉野が望んでいたかどうか。
それにアブド大臣の断行した粛清もまた、吉野の未必の故意に加えられるかもしれない。
そこに生じた漁夫の利は、常に吉野の足元にあったのだから。
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