胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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九章

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 夜陰に白亜の宮殿が浮かび上がる下、大理石の敷き詰められた前庭に、黒塗りのリムジンが滑るように到着した。その先頭車両からいち早く降りたったウィリアム・マーカスは、彼に続こうとした相手の前に、邪魔をするように身を屈めた。
 
「それでは、任務ご苦労様でした」

 などと、にこやかな笑顔で告げられ胸元に差しだされた儀礼的な右手を、エドワード・グレイは車中から片脚を降ろしたどっちつかずの姿勢で不快そうに睨みつける。だがその手の持ち主は、そんな眼差しに引くこともない。あくまでも、彼が了解の意味でこの手を握り返すのを待っている。

 エドワードはふぅっと息をつくと、相手の胸を押しのけるようにして降車した。そして横並ぶと、ダークスーツをまとうウィリアムの広い肩に、親しげに腕を回した。

「おい、ここまで来て門前払いはないだろうが。茶の一杯でもどうだ、と訊くのが普通だろ、お前が英国人ブリティッシュなら」
「あなたのおもてなしには、特に気をつかうよう主人から重々申しつかっておりますゆえ」

 さらりとその腕を外し、ウィリアムはあくまでも慇懃いんぎんな態度を崩さなかった。

「おい! なに国防省の堅物をからかってんだよ、ウィル。どうでもいいけどさ。俺、まだそいつに用があるんだ、勝手に帰すなよ。柘榴ざくろで待たせといて。茶は出さなくていいからさ」

 どこからこの会話を聞いていたのか、遅れて到着したばかりの車から降りながら、吉野が口を挟んできた。
 願ったりではあるのだが、このタイミングからして、車中からこれまでのウィリアムとの会話はすべて筒抜けだったのかと、エドワードは心の中で舌打ちした。

 そっちから呼んでおいて、こうもあからさまに歓迎しない素振りを見せつける。それも周囲の目を気にしてのことなのか、それとも自分をここへよこしたのはあくまでヘンリーひとりの思惑からであって、この杜月吉野の腹は別なのか――。
 そのうえヘンリーの腹心であるはずのウィリアムの立ち位置すらも読み切れないとあっては、彼が内心腐るのも仕方がないことだろう。

 下された命令に従うのが本分といっても、腹の探り合いはどうにも彼の性分には合わないのだ。もともとエドワードはあけっぴろげな、竹を割ったような性格だ。幼馴染のヘンリーのように腹の内を明かすことなく、秘密裏にことを運んでいくやり方は苦手だった。とはいえ学生時代とは違い、今は国防情報参謀部DISに属する身の上で、そんな勝手も言っていられない。判らなければ、解るまで探りを入れるしかない。
 そう解ってはいても、取っ掛かりの一つも見出せないのでは――、視線の置きどころさえ決められず、暗い空を眺めているよりほかにないではないか。


 そうするうちに、誰もが同じに見える白の民族衣装をまとった一団から離れ、警備兵らしい制服の従卒に先導されて、エドワードは白大理石の円柱の延々と続く回廊へと連れられた。ちらちらと左右に視線を振ったところで、柔らかな灯に守られ微睡んでいる中庭が垣間見れるだけで、これといって緊迫した気配もない。深夜といっていい時間ではそれも当然なのだろう。この静寂も、想像以上にゆったりとした空気も。
 そのうえ彼を挟み前後で交わされているアラビア語も、彼に向けられることはなかった。居心地悪さというよりも、扱いに感じられるこれほどまでの冷淡さはどういうことだ、とエドワードにしても考えずにはいられなかった。彼は、表向きはサウード殿下の客人としてここにいるはずなのに。

 そもそも――。

 お忍びで英国を訪れていたサウード殿下の帰国に際して、本国まで安全に送り届けることがエドワードが本部から受けた第一の指令だったのだ。だがこのお忍びというのが曲者で、殿下は本国から出国すらしていないことになっている。偽造パスポートでの出入国だった。英国や欧州各地で、ここしばらく下火になっていたテロ活動がまたぞろ動き出しているのだ。その中心組織は、マシュリク国の西洋傾倒に反発し、活性化しているのではないかと疑われていた。ターゲットと見なされているサウード殿下、ひいては経済アドバイザーである杜月吉野を守ること、テロ組織の資金源を特定しあぶり出すこと等々が、彼に課せられた多岐にわたる任務だ。
 この任務をやり遂げることで、エドワードは、彼がサウード殿下や杜月吉野と関わり合う発端となった先の国王・皇太子暗殺未遂事件での失態を払拭し、なすりつけられた汚名を挽回しなければならないのだ。

 
 そんな思索に耽っているうちに、唐突に英語で声をかけられた。
 どうやら目的地に着いたらしい。エドワードは、眼前の凝った真鍮細工の柘榴のレリーフが鈍い黄金色の輝きを放つ扉を見上げた。
 
「まったく、ふざけたガキだな」

 待たせておけ――、などと言われたから応接間だとばかり思いこんでいたのだ。

 開かれた扉からまず目に飛び込んできた豪華な天蓋付きベッドに、緊張の糸がプツンと切れた。深々と安堵の吐息が漏れると同時に、天蓋の下に身を投げ入れていた。

 どっと疲れていたのだ。
 今は、それしか感じることができないほどに――。
 


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