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九章
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ラスベガスでの見本市を予定通り消化し、デヴィッドはヘンリーに先んじて英国に帰国した。出迎えた飛鳥は「お疲れさま」と、まずは無事にこのイベントを乗り切った喜びをその抱擁に込め、継いでなんとももどかしそうに目で訴える。
「気にしてるのはヨシノのこと? それともアレンかなぁ?」
「吉野って?」
訝しげに表情を強張らせた飛鳥に、しまった、とデヴィッドは反射的に目を泳がせる。どうやら飛鳥は、吉野が米国にいる理由について知らないらしい。どこまで話していいものやら、と無意識に自分の首筋に手を当る。
「ほら、しばらく帰国が延びるみたいだからさ」
「何かあったの?」
飛鳥の顔色が若干蒼褪めたような気がする。
「そうじゃなくてさ、」
下手に誤魔化しても仕方がない。デヴィッドは腹をくくって苦笑を浮かべ、飛鳥の肩をぽんと叩いた。
「すべて順調。ヨシノはもう、元気、元気! 新事業立ちあげに張り切っていたよ!」
カールトン・Jrと――。
そこまで言わずとも、飛鳥も容易に察しがついたらしい。特に何も言うこともなく、深いため息で了解を示した。
「もし疲れてないようなら、お茶にする? きみの好きなチョココロネがあるよ」
ティールームに誘った飛鳥を、デヴィッドは「こっち」とコンサバトリーへと促した。
「ヘンリーからのメッセージと、それにヨシノからお土産があるんだ」
久しぶりに逢うヘンリー――、ではなく立体映像は、なんだか雰囲気が変わったような気がする。飛鳥は相好を崩して「お土産って、これ? あいつが手を入れたの?」と彼自身に訊ねた。
「彼には大人びたって言われたよ」
映像は皮肉に口許を歪めている。一家言ありそうなその表情に、飛鳥はにやにやして頷いた。
「うん。言われてみればそうかも」
そう、仕草が彼らしいのだ。それにちょっとした癖も。こんな微細な表情を捉えて再現できていることが信じられないほどだ。飛鳥は心底感心した、とでも言いたげに目を細めている。そんな飛鳥と映像を見比べてデヴィッドは訊ねた。
「ヨシノもサラも記憶力は似たようなものだよねぇ? でも動かすことに関してはヨシノの方が一枚上手な感じだねぇ」
「僕が彼に操られているような表現は頂けないな」
すかさず映像の茶々が入る。こういうところも、彼らしいと言えなくもない。
マーカスが運んできたお茶のティーカップに、飛鳥が指をかける。と同じくして、映像がパチンと指を弾く。
ローテーブルの上に現れたティーカップに並々と注がれた黄金色。飛鳥は自分の紅茶を飲むのを忘れ、ぽかん、とそのカップから立ち昇る湯気を目で追った。
「お茶の時間に参加できないなんて、英国人にとっては食事抜きより酷い扱いだろ?」
優雅にティーカップを口許に運び、映像は上品な笑みを湛える。
「芸がこまかいなぁ、あいつ……。それともこれって、本人の発案?」
吹き出しそうになった口許を慌てて押さえ、飛鳥は肩を揺すって笑っている。
一頻りして、デヴィッドはふと思いだしたように、「そう言えば、」とアレンのことを切りだした。面倒ごとはなかったか、マスコミ対策は問題はないか、と気になっている兄弟間のことではなく、当たり障りのない内容から尋ねていく。
「うん。国際見本市といっても米国だし、玄人向けの専門的なイベントだからかな。大学でも知っている奴は知っているけどって感じで、特に騒がれる感じでもなかったって」
「そうなんだ」
デヴィッドはほっとしたように、大皿の上にいくつか置かれた菓子パンの中からチョココロネを取り分ける。巻貝状のパンを指先で丁寧に千切り取り、クリームをつけて口に運ぶ。ここケンブリッジに日本風パン屋ができたとは聞いていたのだが、和菓子通のデヴィッドは、まだ利用したことがなかったのだ。
「美味しいじゃん。懐かしいよ」と、満足そうに口許をほころばせる。
「サラがここしばらく、あんぱんにはまってるんだ。一日おきに買いに行ってもらってるよ。もうすっかり常連だ」
自身はパンには手をつけようとせず、飛鳥は苦笑いしている。
「それで、アレンは怒ってないの? ヘンリーに無断であんな風に発表されちゃって」
日本でよく食べていた懐かしい味に気が緩んだのだろう。デヴィッドは昔の様に無頓着に訊ねていた。飛鳥は「う~ん」ともどかしげに頭をかく。
「彼、どちらかというと、オープンにしてもらえたことを、ほっとしているし喜んでいる。だから、」
本当のことは言わないで欲しい――。
そんな飛鳥の思惑とは裏腹に、デヴィッドはチョココロネで頬っぺたを膨らませたまま、あっけらかんと微笑んだ。
「僕もさぁ、ビジネスの駆け引きにあの子を使うのは嫌だよ。でも今回はヘンリーに賛成なんだ。アレンにとって大切な分岐点だからね」
「分岐点――」
「そう。ヘンリーはアレンをアーカシャーの役員として迎え入れるつもりなんだ。フェイラーの家はキャルに継がせて、ここでね、この英国で僕たちとこのまま暮らしていかないか、って彼に提案したいんだよ!」
「本当に? ヘンリーはそんな意図があって、アレンのことをあんな風に公表したの?」
信じきれずに眉根を寄せている飛鳥に、デヴィッドは何度も頷きながら優しげな眼差しを送る。
「確かにあの状況がきっかけになったのはあるんだけどねぇ。でも、逆にそれくらいの覚悟がなきゃ言えないよ。なんたって敵の本拠地にいるんだしさ」
ああ……、と飛鳥は深く嘆息する。敵――、敵なのだ。ヘンリーにとって、確かな血で繋がる自分の祖父なのに――。
なんとなくは解っているつもりであっても、やはり飛鳥には彼らの確執は根本的には理解できないでいる。アレンの置かれた複雑な立場にしろ。知れば知るほど迷路に迷いこんでいくようだった。
もどかしい想いでふと目を向けた映像は、敏感にその視線を捉え、不安に思うことなど何もないのだ、と柔らかな笑みを飛鳥に返した。本物の彼、そのままに。自らは、何も語らないまま――。
「気にしてるのはヨシノのこと? それともアレンかなぁ?」
「吉野って?」
訝しげに表情を強張らせた飛鳥に、しまった、とデヴィッドは反射的に目を泳がせる。どうやら飛鳥は、吉野が米国にいる理由について知らないらしい。どこまで話していいものやら、と無意識に自分の首筋に手を当る。
「ほら、しばらく帰国が延びるみたいだからさ」
「何かあったの?」
飛鳥の顔色が若干蒼褪めたような気がする。
「そうじゃなくてさ、」
下手に誤魔化しても仕方がない。デヴィッドは腹をくくって苦笑を浮かべ、飛鳥の肩をぽんと叩いた。
「すべて順調。ヨシノはもう、元気、元気! 新事業立ちあげに張り切っていたよ!」
カールトン・Jrと――。
そこまで言わずとも、飛鳥も容易に察しがついたらしい。特に何も言うこともなく、深いため息で了解を示した。
「もし疲れてないようなら、お茶にする? きみの好きなチョココロネがあるよ」
ティールームに誘った飛鳥を、デヴィッドは「こっち」とコンサバトリーへと促した。
「ヘンリーからのメッセージと、それにヨシノからお土産があるんだ」
久しぶりに逢うヘンリー――、ではなく立体映像は、なんだか雰囲気が変わったような気がする。飛鳥は相好を崩して「お土産って、これ? あいつが手を入れたの?」と彼自身に訊ねた。
「彼には大人びたって言われたよ」
映像は皮肉に口許を歪めている。一家言ありそうなその表情に、飛鳥はにやにやして頷いた。
「うん。言われてみればそうかも」
そう、仕草が彼らしいのだ。それにちょっとした癖も。こんな微細な表情を捉えて再現できていることが信じられないほどだ。飛鳥は心底感心した、とでも言いたげに目を細めている。そんな飛鳥と映像を見比べてデヴィッドは訊ねた。
「ヨシノもサラも記憶力は似たようなものだよねぇ? でも動かすことに関してはヨシノの方が一枚上手な感じだねぇ」
「僕が彼に操られているような表現は頂けないな」
すかさず映像の茶々が入る。こういうところも、彼らしいと言えなくもない。
マーカスが運んできたお茶のティーカップに、飛鳥が指をかける。と同じくして、映像がパチンと指を弾く。
ローテーブルの上に現れたティーカップに並々と注がれた黄金色。飛鳥は自分の紅茶を飲むのを忘れ、ぽかん、とそのカップから立ち昇る湯気を目で追った。
「お茶の時間に参加できないなんて、英国人にとっては食事抜きより酷い扱いだろ?」
優雅にティーカップを口許に運び、映像は上品な笑みを湛える。
「芸がこまかいなぁ、あいつ……。それともこれって、本人の発案?」
吹き出しそうになった口許を慌てて押さえ、飛鳥は肩を揺すって笑っている。
一頻りして、デヴィッドはふと思いだしたように、「そう言えば、」とアレンのことを切りだした。面倒ごとはなかったか、マスコミ対策は問題はないか、と気になっている兄弟間のことではなく、当たり障りのない内容から尋ねていく。
「うん。国際見本市といっても米国だし、玄人向けの専門的なイベントだからかな。大学でも知っている奴は知っているけどって感じで、特に騒がれる感じでもなかったって」
「そうなんだ」
デヴィッドはほっとしたように、大皿の上にいくつか置かれた菓子パンの中からチョココロネを取り分ける。巻貝状のパンを指先で丁寧に千切り取り、クリームをつけて口に運ぶ。ここケンブリッジに日本風パン屋ができたとは聞いていたのだが、和菓子通のデヴィッドは、まだ利用したことがなかったのだ。
「美味しいじゃん。懐かしいよ」と、満足そうに口許をほころばせる。
「サラがここしばらく、あんぱんにはまってるんだ。一日おきに買いに行ってもらってるよ。もうすっかり常連だ」
自身はパンには手をつけようとせず、飛鳥は苦笑いしている。
「それで、アレンは怒ってないの? ヘンリーに無断であんな風に発表されちゃって」
日本でよく食べていた懐かしい味に気が緩んだのだろう。デヴィッドは昔の様に無頓着に訊ねていた。飛鳥は「う~ん」ともどかしげに頭をかく。
「彼、どちらかというと、オープンにしてもらえたことを、ほっとしているし喜んでいる。だから、」
本当のことは言わないで欲しい――。
そんな飛鳥の思惑とは裏腹に、デヴィッドはチョココロネで頬っぺたを膨らませたまま、あっけらかんと微笑んだ。
「僕もさぁ、ビジネスの駆け引きにあの子を使うのは嫌だよ。でも今回はヘンリーに賛成なんだ。アレンにとって大切な分岐点だからね」
「分岐点――」
「そう。ヘンリーはアレンをアーカシャーの役員として迎え入れるつもりなんだ。フェイラーの家はキャルに継がせて、ここでね、この英国で僕たちとこのまま暮らしていかないか、って彼に提案したいんだよ!」
「本当に? ヘンリーはそんな意図があって、アレンのことをあんな風に公表したの?」
信じきれずに眉根を寄せている飛鳥に、デヴィッドは何度も頷きながら優しげな眼差しを送る。
「確かにあの状況がきっかけになったのはあるんだけどねぇ。でも、逆にそれくらいの覚悟がなきゃ言えないよ。なんたって敵の本拠地にいるんだしさ」
ああ……、と飛鳥は深く嘆息する。敵――、敵なのだ。ヘンリーにとって、確かな血で繋がる自分の祖父なのに――。
なんとなくは解っているつもりであっても、やはり飛鳥には彼らの確執は根本的には理解できないでいる。アレンの置かれた複雑な立場にしろ。知れば知るほど迷路に迷いこんでいくようだった。
もどかしい想いでふと目を向けた映像は、敏感にその視線を捉え、不安に思うことなど何もないのだ、と柔らかな笑みを飛鳥に返した。本物の彼、そのままに。自らは、何も語らないまま――。
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