647 / 758
九章
3
しおりを挟む
「アスカちゃん、いる?」
「いるよ、お帰り、デイヴ」
けたたましい声とともに開けられたドアに、飛鳥は訝しげな視線を向けた。
こんな時間に大声をだされては、マーカスさんにお小言を喰らうのにな、と、ちらりと不満がよぎっていたのだ。ヘンリーがこの館にいない間の飛鳥の不摂生は、ヘンリーだけでなく、マーカスとメアリーの悩みの種なのだ。特に新しい取り組みが始まるたびに、やんわりと、だが何度も回数を重ねて子どもに言い聞かすように細々と、彼らは飛鳥の生活態度を改めさせようと注意を促してくるのだ。
そのうえ、今はいないはずの彼までが小言を言う。もうこれ以上は勘弁して欲しい。それが今の飛鳥の心情だった。
そんな彼の心持ちを知らないデヴィッドは、煌々とした照明のしたで床に座して向かいあう飛鳥とヘンリーの映像を見すえ、素っ頓狂な声音で話し続ける。
「呆れた! その顔じゃ、ニュース見てないんだろ!」
「ニュースって、何かあったの?」
「ああ、あのことかな」
映像の方が、よほどしたり顔で頷いている。
「て、ことはサラはもう知っているんだ? それとも重要ニュースはすぐに組み込まれるようになっているのかな」
デヴィッドは相変わらず声のトーンを落とすことなく、興奮した面持ちのまま腰をおろした。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めてようやく大きく息をつく。
「アッシャムス、破綻したんだよ!」
告げられたニュースに何の反応も見せることなく、飛鳥はデヴィッドを凝視した。デヴィッドはそのまま堰を切ったようにとうとうと喋り続ける。
「うちの会社も融資してただろ? 大丈夫なのかって、ひっきりなしに訊ねられてもう、へとへと」
「ヘンリーには……」
「ああ、彼は知っていたよ。ヨシノから事前に聞いてたって。だから影響も損失も軽微だし心配要らないって。まったく、知ってるんなら教えてくれればいいのにねぇ」
アッシャムス……。吉野の夢が――。
飛鳥はデヴィッドの言葉を、なかば夢の中、深い水底ででも聞いているかのように上手く捉えられなかったのだ。
彼には世界が、ぐにゃりと歪んで見えていた。
「アスカちゃん!」
肩を掴まれ、揺すぶられ、飛鳥は虚ろな視線を向ける。
「きみがショックを受けて誤解するんじゃないかと思って、これでも急いで帰ってきたんだよ」
「誤解?」
呟いたのは映像だ。彼の分身として扱われているとはいえ、やはり重要機密事項は教えられてはいないらしい。眉根を寄せた不可解げな映像を、デヴィッドはふん、と揶揄うように鼻で笑った。
「ヘンリー、きみでも知らないことがあるんだね」と、挑発するように問いかける。
「教えられないことは学びようがないさ。いくら高い知能を備えていてもね」
「それで吉野は――、」飛鳥はそんな彼らの会話は耳に入らない様子で、ジーンズのポケットや、辺りに散らばっている図面類をガサガサと跳ね飛ばして、自身の携帯を探している。
「殿下のフラット。記者対策で隠れているって、アスカちゃん」
「アスカちゃん!」
びくりと飛びあがるように震え、やっと自分を見た飛鳥に、デヴィッドはほっとしたように微笑みかけた。
「大丈夫だから! これは計画倒産なんだって!」
「え?」
意味が解らない、と飛鳥は露骨に顔をしかめる。
「経営状態が良くない、て記事は僕も読んでいたから知ってる。でも、吉野のことだから大丈夫だろう、て高を括っていたんだ。だけど、やっぱり立て直しできなかったんだろ?」
あのアブド大臣のせいで――。
せっかく軌道に乗りつつあった吉野とサウード殿下の夢、太陽光発電施設をテロに乗じて破壊したのだ。
自身の欲を満たす、ただそれだけのために!
「そうじゃない。負債額は相当なものだけど、それが理由で潰すんじゃないそうだよ。本物のヘンリーの言うことにはね」
不安に揺らぐ飛鳥の瞳を、安心させようとじっと逸らさずに見つめ、デヴィッドはいつもの、のんびりした口調で言葉を重ねる。
「現行のアッシャムスに融資、提携している米国企業に手を引かせ、欧州のルベリーニ系の企業に乗り換えさせるためだよ。国内に残るアブド大臣の影響力を徹底して削ぐんだってさ」
「でもそれじゃあ……」
倒産させることによって株券は紙くずになる。投資家だけじゃない。雇われていた人たちはどうなる? 融資や技術提携してくれていた米国の企業だって膨大な損失を出すことになるのだ。
飛鳥の脳内で、このニュースが巻き起こすであろう波紋の数々が広がっていた。
いったい、吉野はどういうつもりなのだ――。
「まぁ、しばらくは殿下の国は信用不信に陥ることになるかもね。新規事業とはいっても国有企業だからねぇ、アッシャムスは」
「なるほど、そのせいだね、今日の彼の国の為替の暴落は」
映像が、さも納得といわんばかりに頷いている。
「むしろ、影響ありすぎじゃないのかな? この程度の規模の経営破綻にしては。ここでも、あの子が仕掛けているのかい?」
「ふーん、ちょっとの間にヘンリーらしくなったじゃん!」
デヴィッドが声を立てて笑い、パンっと映像の背中を叩く。彼はビビッとかすかな電子音をたてて歪む。
「乱暴はよしてくれるかな」
映像の歪みではなく、しかめられたその顔に、デヴィッドはまたも吹きだしている。
「なんだかさぁ、本人には絶対こんな態度とれないな、って自分でも思うんだけどね、親近感なのかなぁ、きみには!」
「それは僕にとって喜ばしいことなのかい?」
ヘンリーらしい不機嫌そうな顔も板についてきたな、と飛鳥はぼんやりと彼を見ていた。
心中は、吉野を案ずる思いと、弟のしていることが周囲へもたらす影響が読み切れず、せめぎ合い、心は暗澹と、未来も世界も見通すことができないまま、漆黒の海に溺れているような気分だったのだが――。
「いるよ、お帰り、デイヴ」
けたたましい声とともに開けられたドアに、飛鳥は訝しげな視線を向けた。
こんな時間に大声をだされては、マーカスさんにお小言を喰らうのにな、と、ちらりと不満がよぎっていたのだ。ヘンリーがこの館にいない間の飛鳥の不摂生は、ヘンリーだけでなく、マーカスとメアリーの悩みの種なのだ。特に新しい取り組みが始まるたびに、やんわりと、だが何度も回数を重ねて子どもに言い聞かすように細々と、彼らは飛鳥の生活態度を改めさせようと注意を促してくるのだ。
そのうえ、今はいないはずの彼までが小言を言う。もうこれ以上は勘弁して欲しい。それが今の飛鳥の心情だった。
そんな彼の心持ちを知らないデヴィッドは、煌々とした照明のしたで床に座して向かいあう飛鳥とヘンリーの映像を見すえ、素っ頓狂な声音で話し続ける。
「呆れた! その顔じゃ、ニュース見てないんだろ!」
「ニュースって、何かあったの?」
「ああ、あのことかな」
映像の方が、よほどしたり顔で頷いている。
「て、ことはサラはもう知っているんだ? それとも重要ニュースはすぐに組み込まれるようになっているのかな」
デヴィッドは相変わらず声のトーンを落とすことなく、興奮した面持ちのまま腰をおろした。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めてようやく大きく息をつく。
「アッシャムス、破綻したんだよ!」
告げられたニュースに何の反応も見せることなく、飛鳥はデヴィッドを凝視した。デヴィッドはそのまま堰を切ったようにとうとうと喋り続ける。
「うちの会社も融資してただろ? 大丈夫なのかって、ひっきりなしに訊ねられてもう、へとへと」
「ヘンリーには……」
「ああ、彼は知っていたよ。ヨシノから事前に聞いてたって。だから影響も損失も軽微だし心配要らないって。まったく、知ってるんなら教えてくれればいいのにねぇ」
アッシャムス……。吉野の夢が――。
飛鳥はデヴィッドの言葉を、なかば夢の中、深い水底ででも聞いているかのように上手く捉えられなかったのだ。
彼には世界が、ぐにゃりと歪んで見えていた。
「アスカちゃん!」
肩を掴まれ、揺すぶられ、飛鳥は虚ろな視線を向ける。
「きみがショックを受けて誤解するんじゃないかと思って、これでも急いで帰ってきたんだよ」
「誤解?」
呟いたのは映像だ。彼の分身として扱われているとはいえ、やはり重要機密事項は教えられてはいないらしい。眉根を寄せた不可解げな映像を、デヴィッドはふん、と揶揄うように鼻で笑った。
「ヘンリー、きみでも知らないことがあるんだね」と、挑発するように問いかける。
「教えられないことは学びようがないさ。いくら高い知能を備えていてもね」
「それで吉野は――、」飛鳥はそんな彼らの会話は耳に入らない様子で、ジーンズのポケットや、辺りに散らばっている図面類をガサガサと跳ね飛ばして、自身の携帯を探している。
「殿下のフラット。記者対策で隠れているって、アスカちゃん」
「アスカちゃん!」
びくりと飛びあがるように震え、やっと自分を見た飛鳥に、デヴィッドはほっとしたように微笑みかけた。
「大丈夫だから! これは計画倒産なんだって!」
「え?」
意味が解らない、と飛鳥は露骨に顔をしかめる。
「経営状態が良くない、て記事は僕も読んでいたから知ってる。でも、吉野のことだから大丈夫だろう、て高を括っていたんだ。だけど、やっぱり立て直しできなかったんだろ?」
あのアブド大臣のせいで――。
せっかく軌道に乗りつつあった吉野とサウード殿下の夢、太陽光発電施設をテロに乗じて破壊したのだ。
自身の欲を満たす、ただそれだけのために!
「そうじゃない。負債額は相当なものだけど、それが理由で潰すんじゃないそうだよ。本物のヘンリーの言うことにはね」
不安に揺らぐ飛鳥の瞳を、安心させようとじっと逸らさずに見つめ、デヴィッドはいつもの、のんびりした口調で言葉を重ねる。
「現行のアッシャムスに融資、提携している米国企業に手を引かせ、欧州のルベリーニ系の企業に乗り換えさせるためだよ。国内に残るアブド大臣の影響力を徹底して削ぐんだってさ」
「でもそれじゃあ……」
倒産させることによって株券は紙くずになる。投資家だけじゃない。雇われていた人たちはどうなる? 融資や技術提携してくれていた米国の企業だって膨大な損失を出すことになるのだ。
飛鳥の脳内で、このニュースが巻き起こすであろう波紋の数々が広がっていた。
いったい、吉野はどういうつもりなのだ――。
「まぁ、しばらくは殿下の国は信用不信に陥ることになるかもね。新規事業とはいっても国有企業だからねぇ、アッシャムスは」
「なるほど、そのせいだね、今日の彼の国の為替の暴落は」
映像が、さも納得といわんばかりに頷いている。
「むしろ、影響ありすぎじゃないのかな? この程度の規模の経営破綻にしては。ここでも、あの子が仕掛けているのかい?」
「ふーん、ちょっとの間にヘンリーらしくなったじゃん!」
デヴィッドが声を立てて笑い、パンっと映像の背中を叩く。彼はビビッとかすかな電子音をたてて歪む。
「乱暴はよしてくれるかな」
映像の歪みではなく、しかめられたその顔に、デヴィッドはまたも吹きだしている。
「なんだかさぁ、本人には絶対こんな態度とれないな、って自分でも思うんだけどね、親近感なのかなぁ、きみには!」
「それは僕にとって喜ばしいことなのかい?」
ヘンリーらしい不機嫌そうな顔も板についてきたな、と飛鳥はぼんやりと彼を見ていた。
心中は、吉野を案ずる思いと、弟のしていることが周囲へもたらす影響が読み切れず、せめぎ合い、心は暗澹と、未来も世界も見通すことができないまま、漆黒の海に溺れているような気分だったのだが――。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
偏食の吸血鬼は人狼の血を好む
琥狗ハヤテ
BL
人類が未曽有の大災害により絶滅に瀕したとき救済の手を差し伸べたのは、不老不死として人間の文明の影で生きていた吸血鬼の一族だった。その現筆頭である吸血鬼の真祖・レオニス。彼は生き残った人類と協力し、長い時間をかけて文明の再建を果たした。
そして新たな世界を築き上げた頃、レオニスにはひとつ大きな悩みが生まれていた。
【吸血鬼であるのに、人の血にアレルギー反応を引き起こすということ】
そんな彼の前に、とても「美味しそうな」男が現れて―――…?!
【孤独でニヒルな(絶滅一歩手前)の人狼×紳士でちょっと天然(?)な吸血鬼】
◆閲覧ありがとうございます。小説投稿は初めてですがのんびりと完結まで書いてゆけたらと思います。「pixiv」にも同時連載中。
◆ダブル主人公・人狼と吸血鬼の一人称視点で交互に物語が進んでゆきます。
◆現在・毎日17時頃更新。
◆年齢制限の話数には(R)がつきます。ご注意ください。
◆未来、部分的に挿絵や漫画で描けたらなと考えています☺
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
未来の軌跡 - 経済と企業の交錯
Semper Supra
経済・企業
この長編小説は、企業経営と経済の複雑な世界を舞台に、挑戦と革新、そして人間性の重要性を描いた作品です。経済の動向がどのように企業に影響を与え、それがさらには社会全体に波及するかを考察しつつ、キャラクターたちの成長と葛藤を通じて、読者に深い考察を促す内容になっています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる