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九章
血筋1
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ヘンリーは、帰宅を聞き早速訪ねてきたアレンとデヴィッドの三人で、夕食のテーブルを囲んでいた。
話題はやはり飛鳥とサラの婚約についてだ。デヴィッド中心の会話は変わらないとはいえ、いつもは聴く一方であまり喋ることのないアレンが、饒舌にその喜びを語っている。ヘンリーは積極的に参加することもなかったが尋ねられたことには率直に応え、和やかな空気のまま一通り食事を終えた。
「そろそろメアリーの料理が食べたいなぁ。いつ戻ってくるの? ――あ、このデリバリーが気に入らないってわけじゃないよ。これはこれですごく美味しかったよ」
デヴィッドは壁際に立つマーカスに気を使いつつ、軽く息をつく。マーカスは心得たもので、「恐れ入ります」とにこやかに頷き返している。
サラがメアリーを連れてマーシュコートに戻ってから、ここでの食事はすべてレストランのデリバリーだ。そこそこ贔屓の店のものなので、気に入らないのではないのだが。
「もうしばらくかかるかな。サラがね、やはり向こうの方が仕事が捗るらしくてね」
ヘンリーは申し訳なさそうに眉を上げてみせる。デヴィッドは若干考えこむように視線を漂わせ、アレンも残念そうに顔を伏せている。
メアリーは口実で、本音はあの二人に早く戻ってきて欲しいのだ。もちろん、メアリーの味が懐かしいのも嘘ではないのだけれど。
やはり彼らがいないと物足りない。食卓を囲んでいる時間は、それがよりいっそう意識され落ち着かなくなる。あの二人のどちらも、賑やかに場を盛り上げるタイプではないにも拘わらずだ。
ぽっかりと主人を欠いた幾つもの椅子が、完成された絵に虫食いの穴を開けたような損失感を生みだしている。
飛鳥にサラ、吉野、アーネスト――。
自分たち三人で埋めるには、広すぎるテーブルなのだ。
黙ってしまうと圧しかかってくる静寂が怖くて、デヴィッドは明るく声をあげ続ける。
「逆にこっちの仕事は滞ってしまってるよ! せめてアスカちゃんだけでも帰ってきてもらわないと! 最終チェックはやっぱり彼じゃないと! ね、アレン」
急に話を振られ、アレンは驚いたようにこくこくと頷く。
年明けの米国での見本市では、アーカシャーのブースに、急遽インテリア部門の見本の一室を展示しようとの話も出ているのだ。慶事だといえ、いつまでも飛鳥不在のままで推し進めるのは不安がある。
解っている、とヘンリーも頷いた。
婚約指輪を買うためにロンドンに出向いた後、共にここには戻らず、サラのもとへと彼を返したのは自分なのだ。今はまだ距離を置いておきたい自分の我儘で、いろんな事を滞らせていることは、ちゃんと解っている、と。
居間に移り食後のお茶を飲みながら、ヘンリーは暖炉の前に座りスケッチブックに向き合っているアレンの横顔をぼんやりと眺めていた。
今はデヴィッドもタブレットを手にメールチェックに余念がないのか、ほどよく温もった室内には、薪のはぜる音が時折聞こえるくらいだった。
その穏やかな沈黙をヘンリーの何げない呼びかけが破る。
「デイヴ、」
面をあげたデヴィッドに、アレンに目線を据えたままのヘンリーが映る。
「ロスで偶然旧友に逢ってね。エリオットのさ。面白い話を聴いたんだ」
自分に話しかけているとは思えない様子のヘンリーに、デヴィッドは「それで?」と、訝しげに相槌を打つ。
「現首相の辞任は時間の問題らしいよ。アブド元大臣との武器売買契約に絡む贈賄容疑が近々すっぱ抜かれるらしい。ヨシノがせっかく尻拭いに奔走したっていうのに、間に合わなかったようだね」
「本当の話? 三流紙のねつ造記事じゃなかったんだ!」
巷で、そんな噂がたっていることは知っていたが――。
アーネストからの話では、アブド大臣の失脚によってマシュリク国の武器購入の口約束はご破算になった、とデヴィッドは聴いていたのだ。
思わず声を高めた彼だったが、アレンはびくりと身を強張らせただけだ。それともデヴィッドの声よりも、吉野の名前に反応したのだろうか。
「それに加えて問題にされているのは、首相の財務大臣時代の中東諸国との『黒い交際』に関することらしいね。次期首相は、ブラッドリー内務大臣にほぼ確定しているそうだよ」
「セディのお父さんか!」
口に出してしまってから、デヴィッドはしまった、と唇を引き結ぶ。じっとアレンを見守るヘンリーを、次いで凍りついたように動かないアレンを一瞥して拳を握る。
「もしかすると、ヨシノがリークしたのかもしれないな。ブラッドリー内閣を一日でも早く発足させるために――」
アレンの前で吉野の名を出す事は憂慮していたのに……。
そんなデヴィッドの思いをまったく意に介する様子もなく話し続けるヘンリーを、デヴィッドは咎めるように睨めつけた。だがヘンリーはそんな彼の視線を無視し続けている。
「直に彼も帰ってくる。ヨシノ本人の口から、どういった思惑か訊くといい。どのみち避けては通れないことだからね、アレン」
俯いていた横顔が、ゆっくりとヘンリーを振り返る。燃え盛る暖炉を背景に、澄んだ透明の焔に照らされてなお判るほど、血の気を失い強張った面のアレンは、「はい」と小声で呟き、かくんと壊れた人形のように頷いた。
話題はやはり飛鳥とサラの婚約についてだ。デヴィッド中心の会話は変わらないとはいえ、いつもは聴く一方であまり喋ることのないアレンが、饒舌にその喜びを語っている。ヘンリーは積極的に参加することもなかったが尋ねられたことには率直に応え、和やかな空気のまま一通り食事を終えた。
「そろそろメアリーの料理が食べたいなぁ。いつ戻ってくるの? ――あ、このデリバリーが気に入らないってわけじゃないよ。これはこれですごく美味しかったよ」
デヴィッドは壁際に立つマーカスに気を使いつつ、軽く息をつく。マーカスは心得たもので、「恐れ入ります」とにこやかに頷き返している。
サラがメアリーを連れてマーシュコートに戻ってから、ここでの食事はすべてレストランのデリバリーだ。そこそこ贔屓の店のものなので、気に入らないのではないのだが。
「もうしばらくかかるかな。サラがね、やはり向こうの方が仕事が捗るらしくてね」
ヘンリーは申し訳なさそうに眉を上げてみせる。デヴィッドは若干考えこむように視線を漂わせ、アレンも残念そうに顔を伏せている。
メアリーは口実で、本音はあの二人に早く戻ってきて欲しいのだ。もちろん、メアリーの味が懐かしいのも嘘ではないのだけれど。
やはり彼らがいないと物足りない。食卓を囲んでいる時間は、それがよりいっそう意識され落ち着かなくなる。あの二人のどちらも、賑やかに場を盛り上げるタイプではないにも拘わらずだ。
ぽっかりと主人を欠いた幾つもの椅子が、完成された絵に虫食いの穴を開けたような損失感を生みだしている。
飛鳥にサラ、吉野、アーネスト――。
自分たち三人で埋めるには、広すぎるテーブルなのだ。
黙ってしまうと圧しかかってくる静寂が怖くて、デヴィッドは明るく声をあげ続ける。
「逆にこっちの仕事は滞ってしまってるよ! せめてアスカちゃんだけでも帰ってきてもらわないと! 最終チェックはやっぱり彼じゃないと! ね、アレン」
急に話を振られ、アレンは驚いたようにこくこくと頷く。
年明けの米国での見本市では、アーカシャーのブースに、急遽インテリア部門の見本の一室を展示しようとの話も出ているのだ。慶事だといえ、いつまでも飛鳥不在のままで推し進めるのは不安がある。
解っている、とヘンリーも頷いた。
婚約指輪を買うためにロンドンに出向いた後、共にここには戻らず、サラのもとへと彼を返したのは自分なのだ。今はまだ距離を置いておきたい自分の我儘で、いろんな事を滞らせていることは、ちゃんと解っている、と。
居間に移り食後のお茶を飲みながら、ヘンリーは暖炉の前に座りスケッチブックに向き合っているアレンの横顔をぼんやりと眺めていた。
今はデヴィッドもタブレットを手にメールチェックに余念がないのか、ほどよく温もった室内には、薪のはぜる音が時折聞こえるくらいだった。
その穏やかな沈黙をヘンリーの何げない呼びかけが破る。
「デイヴ、」
面をあげたデヴィッドに、アレンに目線を据えたままのヘンリーが映る。
「ロスで偶然旧友に逢ってね。エリオットのさ。面白い話を聴いたんだ」
自分に話しかけているとは思えない様子のヘンリーに、デヴィッドは「それで?」と、訝しげに相槌を打つ。
「現首相の辞任は時間の問題らしいよ。アブド元大臣との武器売買契約に絡む贈賄容疑が近々すっぱ抜かれるらしい。ヨシノがせっかく尻拭いに奔走したっていうのに、間に合わなかったようだね」
「本当の話? 三流紙のねつ造記事じゃなかったんだ!」
巷で、そんな噂がたっていることは知っていたが――。
アーネストからの話では、アブド大臣の失脚によってマシュリク国の武器購入の口約束はご破算になった、とデヴィッドは聴いていたのだ。
思わず声を高めた彼だったが、アレンはびくりと身を強張らせただけだ。それともデヴィッドの声よりも、吉野の名前に反応したのだろうか。
「それに加えて問題にされているのは、首相の財務大臣時代の中東諸国との『黒い交際』に関することらしいね。次期首相は、ブラッドリー内務大臣にほぼ確定しているそうだよ」
「セディのお父さんか!」
口に出してしまってから、デヴィッドはしまった、と唇を引き結ぶ。じっとアレンを見守るヘンリーを、次いで凍りついたように動かないアレンを一瞥して拳を握る。
「もしかすると、ヨシノがリークしたのかもしれないな。ブラッドリー内閣を一日でも早く発足させるために――」
アレンの前で吉野の名を出す事は憂慮していたのに……。
そんなデヴィッドの思いをまったく意に介する様子もなく話し続けるヘンリーを、デヴィッドは咎めるように睨めつけた。だがヘンリーはそんな彼の視線を無視し続けている。
「直に彼も帰ってくる。ヨシノ本人の口から、どういった思惑か訊くといい。どのみち避けては通れないことだからね、アレン」
俯いていた横顔が、ゆっくりとヘンリーを振り返る。燃え盛る暖炉を背景に、澄んだ透明の焔に照らされてなお判るほど、血の気を失い強張った面のアレンは、「はい」と小声で呟き、かくんと壊れた人形のように頷いた。
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