602 / 758
九章
6
しおりを挟む
それぞれのカレッジで夕食を終え帰宅したアレンたちが、居間でお茶を飲みながら思いおもいにくつろいでいる。窓外は細やかな雨が降り続いている。静かで穏やかな時間が流れていた。
アレンがついっと顔を窓に向けた。通りに停まった車のヘッドライトに目ざとく気づいたらしい。
「デヴィッド卿だ」
嬉しそうに顔をほころばし、玄関に出迎える。その背中にちらりと目をやりクリスも頬を緩めている。
「アレンはなんだか、すごく充実している感じだね」
「毎日に張りがあるって本人も言ってたよ」
フレデリックも穏やかな口調で同意する。
詳しい経緯は聴いていないものの、アレンはここしばらく、ヘンリーと飛鳥との仲違いの責任が自分にあると感じていて、酷く落ちこんでいたのだ。ところが、それがどうやらアレンのせい、というわけでもなかったと解ると、安堵するどころか余計に難しい顔をして考えこむようになっていた。
数日前に、飛鳥がヘンリーとサラの待つ彼らの地元を訪れると聴き、やっと蟠りも解消されたのか、と浮上し始めたところなのだ。
それまでは、そんな心の中の澱に足をすくわれてなるものかとばかりに、必死な形相で大学の課題やインテリアのデザインに打ちこんでいたのだが。もうすっかり、ふわりと肩の力の抜けた様子だ。
「デヴィッド卿の影響もあるんだろうね」
フレデリックは、かすかに声の漏れ聞こえる閉ざされたドアを眺め、どこかしら淋しそうな笑みを結んでつけ加えた。
彼は、自分では力不足なのだ、と諦めに似た羨望に胸を塞がれていた。それでも、アレンが前向きに何かに取り組んでいる現状は喜ばしい気持ちに嘘はない。だから、そこに居るだけで周囲を陽気な気分にし、盛り立て、なおかつアレンに殻に籠る時間を与えないデヴィッドの隠れた気遣いを、尊敬せずにはいられない。とても敵わない、そう思わずにはいられない。
「フレッド、クリス!」
そんなフレデリックの物思いを打ち破る、アレンの悲鳴にも似た声があがる。何ごとかと、ソファーから跳ねあがった二人の前で、ドアがいささか乱暴なほど勢いよく開く。
飛びこんできたアレンは、興奮した面持ちで上気している。
「アスカさんが!」
事故か、事件か――。
二人は不安に固まり、室内には緊張が走る。
「婚約だって! サラと!」
嬉しくて堪らないふうに上擦った声音で叫ぶと、「やった!」と、アレンは我を忘れて叫んでいた。
その内容にも、伝えたアレンの様子にもあっけにとられた様子で、フレデリックも、クリスも、言葉を忘れて立ちつくしている。
「まぁまぁ、落ち着いて、落ち着いて」
アレンの背後にいたデヴィッドが、ぽんぽんと彼の両肩に手を置いて宥めている。
「兄弟になるんだ! アスカさんと、ヨシノと! 奇跡みたいだ!」
そこまで考えが及んでいなかったクリスは、目をまん丸にしたまま、呆然と「おめでとう」と呟いた。
「なんだか、アスカさんとレディ・サラにおめでとうっていうより、きみへお祝いを告げているみたいだ」
くすくす肩を震わせて笑いだし、クリスは傍らのフレデリックに眼をやる。
「ね?」
「また、急な話なのですね」
フレデリックは、なにか思惑有りなのではないかと疑っているのか、ふぅ、とため息をつきながら苦笑している。
奇しくも米国では、アレンの姉キャルの婚約話がたけなわのはず。そこへもってサラまでなんて――。
「急ってことはないよ。アスカさんはずっとサラを想っていたもの。やっと兄のお許しがもらえたんじゃないかな。アスカさんの帰国の話で、サラもアスカさんがかけがえのない人だって再認識したんだよ、きっと」
いつになく饒舌に語るアレンは、蕩けそうな笑みを浮かべている。
「なんだ、僕よりきみの方が詳しいじゃないか! 僕は全然知らなかったよ!」
今度はデヴィッドが頓狂な声をあげる。だがアレンは、ふふふっと笑うだけで、それ以上は口を噤んだ。本人に確かめたわけではないのだ。憶測でそれらしいことを言ってはいけないことに、遅ればせながら気づいたのだ。
「戻ってこられたら、アスカさんにくわしく教えてもらわなくちゃ」
「まったくだよ~。よくあのヘンリーが頷いたな、って仰天したからねぇ、僕にしたって。サラなんてきみらと同い年だよ、早すぎないかな、って気もするよぉ」
納得しきれていない様子のデヴィッドに、クリスは頷き、フレデリックは思案顔だ。
「でも、サラですよ。逆に兄は安心なんじゃないのかなぁ。兄にしたっていつまでも独り身ではいられないでしょうし――。一番信頼している親友に、彼女のことを託せるなら、ってことなんじゃないでしょうか」
軽く小首を傾げて言うアレンに、デヴィッドも吐息交じりに頷いた。
「まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「それでね、クリスマスに婚約披露のパーティーをするって。ヨシノも戻ってくるんだって!」
「そうだよね! アスカさんのお祝いだもの!」
素直に歓声をあげるクリスを尻目に、フレデリックは、あのなによりも兄思いの吉野はこの婚約をどう思っているのだろうか、とこの二人のように手放しで喜んでいいのか判らないまま、ふとアレンの傍らのデヴィッドを見遣っていた。
その口許は微笑んでいるのに、彼もまたいつになく緊張感を湛えた思案気な瞳をしているように、フレデリックには感じられたのだ。
アレンがついっと顔を窓に向けた。通りに停まった車のヘッドライトに目ざとく気づいたらしい。
「デヴィッド卿だ」
嬉しそうに顔をほころばし、玄関に出迎える。その背中にちらりと目をやりクリスも頬を緩めている。
「アレンはなんだか、すごく充実している感じだね」
「毎日に張りがあるって本人も言ってたよ」
フレデリックも穏やかな口調で同意する。
詳しい経緯は聴いていないものの、アレンはここしばらく、ヘンリーと飛鳥との仲違いの責任が自分にあると感じていて、酷く落ちこんでいたのだ。ところが、それがどうやらアレンのせい、というわけでもなかったと解ると、安堵するどころか余計に難しい顔をして考えこむようになっていた。
数日前に、飛鳥がヘンリーとサラの待つ彼らの地元を訪れると聴き、やっと蟠りも解消されたのか、と浮上し始めたところなのだ。
それまでは、そんな心の中の澱に足をすくわれてなるものかとばかりに、必死な形相で大学の課題やインテリアのデザインに打ちこんでいたのだが。もうすっかり、ふわりと肩の力の抜けた様子だ。
「デヴィッド卿の影響もあるんだろうね」
フレデリックは、かすかに声の漏れ聞こえる閉ざされたドアを眺め、どこかしら淋しそうな笑みを結んでつけ加えた。
彼は、自分では力不足なのだ、と諦めに似た羨望に胸を塞がれていた。それでも、アレンが前向きに何かに取り組んでいる現状は喜ばしい気持ちに嘘はない。だから、そこに居るだけで周囲を陽気な気分にし、盛り立て、なおかつアレンに殻に籠る時間を与えないデヴィッドの隠れた気遣いを、尊敬せずにはいられない。とても敵わない、そう思わずにはいられない。
「フレッド、クリス!」
そんなフレデリックの物思いを打ち破る、アレンの悲鳴にも似た声があがる。何ごとかと、ソファーから跳ねあがった二人の前で、ドアがいささか乱暴なほど勢いよく開く。
飛びこんできたアレンは、興奮した面持ちで上気している。
「アスカさんが!」
事故か、事件か――。
二人は不安に固まり、室内には緊張が走る。
「婚約だって! サラと!」
嬉しくて堪らないふうに上擦った声音で叫ぶと、「やった!」と、アレンは我を忘れて叫んでいた。
その内容にも、伝えたアレンの様子にもあっけにとられた様子で、フレデリックも、クリスも、言葉を忘れて立ちつくしている。
「まぁまぁ、落ち着いて、落ち着いて」
アレンの背後にいたデヴィッドが、ぽんぽんと彼の両肩に手を置いて宥めている。
「兄弟になるんだ! アスカさんと、ヨシノと! 奇跡みたいだ!」
そこまで考えが及んでいなかったクリスは、目をまん丸にしたまま、呆然と「おめでとう」と呟いた。
「なんだか、アスカさんとレディ・サラにおめでとうっていうより、きみへお祝いを告げているみたいだ」
くすくす肩を震わせて笑いだし、クリスは傍らのフレデリックに眼をやる。
「ね?」
「また、急な話なのですね」
フレデリックは、なにか思惑有りなのではないかと疑っているのか、ふぅ、とため息をつきながら苦笑している。
奇しくも米国では、アレンの姉キャルの婚約話がたけなわのはず。そこへもってサラまでなんて――。
「急ってことはないよ。アスカさんはずっとサラを想っていたもの。やっと兄のお許しがもらえたんじゃないかな。アスカさんの帰国の話で、サラもアスカさんがかけがえのない人だって再認識したんだよ、きっと」
いつになく饒舌に語るアレンは、蕩けそうな笑みを浮かべている。
「なんだ、僕よりきみの方が詳しいじゃないか! 僕は全然知らなかったよ!」
今度はデヴィッドが頓狂な声をあげる。だがアレンは、ふふふっと笑うだけで、それ以上は口を噤んだ。本人に確かめたわけではないのだ。憶測でそれらしいことを言ってはいけないことに、遅ればせながら気づいたのだ。
「戻ってこられたら、アスカさんにくわしく教えてもらわなくちゃ」
「まったくだよ~。よくあのヘンリーが頷いたな、って仰天したからねぇ、僕にしたって。サラなんてきみらと同い年だよ、早すぎないかな、って気もするよぉ」
納得しきれていない様子のデヴィッドに、クリスは頷き、フレデリックは思案顔だ。
「でも、サラですよ。逆に兄は安心なんじゃないのかなぁ。兄にしたっていつまでも独り身ではいられないでしょうし――。一番信頼している親友に、彼女のことを託せるなら、ってことなんじゃないでしょうか」
軽く小首を傾げて言うアレンに、デヴィッドも吐息交じりに頷いた。
「まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「それでね、クリスマスに婚約披露のパーティーをするって。ヨシノも戻ってくるんだって!」
「そうだよね! アスカさんのお祝いだもの!」
素直に歓声をあげるクリスを尻目に、フレデリックは、あのなによりも兄思いの吉野はこの婚約をどう思っているのだろうか、とこの二人のように手放しで喜んでいいのか判らないまま、ふとアレンの傍らのデヴィッドを見遣っていた。
その口許は微笑んでいるのに、彼もまたいつになく緊張感を湛えた思案気な瞳をしているように、フレデリックには感じられたのだ。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夏の嵐
萩尾雅縁
キャラ文芸
垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。
全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
霧のはし 虹のたもとで
萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。
古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。
ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。
美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。
一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。
そして晃の真の目的は?
英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる