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九章
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まったくなんだってこんな所で、こんな事をしているのだか……。
ヘンリーは人目を避けて顔を窓に向け嘆息していた。はたして自分がこれからする事に明快な意味はあるのか、自信が持てなかったのだ。いや、意味など必要ない事をしようとしている自分が、信じられなかったのかもしれない。
レストランのエントランスで予定通りあがった騒がしい声に、ヘンリーは立ちあがる。
予約を入れたの、入っていないので、若い男と受付係が揉めているのだ。腹立たしいのは解るにしても、この場での、このあまりの騒ぎように周囲は失笑を禁じ得ないようだ。女性連れでもあり、彼は引くに引けないのであろうか。
連れはキャルではないのだな、とそれもヘンリーの苦笑いの一因だ。
「よかったら、僕のテーブルへいらっしゃいませんか?」
突然の背後からの声に、男は弾かれたように振り返る。喜色満面のその面は、驚きのあまりか喜びのためか、口をぱくぱくさせている。
「あ、ありがとうございます! ソールスベリーさん!」
やっと喉を通りぬけることができた声は、上擦って掠れている。
「僕は、」
「もちろん存じあげています」と差しだされた手をさらりと握り返し、ヘンリーはにこやかな笑みで応えた。
その青年ロバート・カールトンは、すぐさま「きみ、帰ってくれる? これからビジネスの話をするから」と、安堵の笑みを湛えて歩みよった連れの女性に一瞥を投げかけた。そして、唖然と目を瞠っている彼女のことなどすでに脳裏から捨て去ったとばかりに、夢中でヘンリーに話しかける。
先日のフェイラー家のパーティーに同じく参加していたにもかかわらず、知らされたのはヘンリーが退出してからだったこと。悔しくて堪らなかったと、彼は瞳を輝かせてヘンリーを凝視しているのだ。
「本当に、お逢いできて光栄です、ソールスベリーさん。まだロスにいらっしゃると聞いてロス中のホテルを探し回ったのですよ。こうしてお遇いできるかと思って! 夢が叶いました!」
「ヘンリーでかまわないよ。きみとそう年齢も変わらないしね」
笑みを絶やさずに、ヘンリーは彼を自分のテーブルへと誘った。
だが時をおかずして、彼の胸中は食事中も止まることなく喋り続けるロバートに呆れ返り、この無意味な会食を目論んだ自分に対しても、じんわりと後悔が滲みだすことになる。
さて、吉野のことをどうきりだすか――。
どこか頭の上を滑っていたロバートの声が、ふっと大きく耳に入った。
「人材派遣の業務簡略化コンサルタント?」
ヘンリーは興味深気に呟いた。そのわずかな反応にロバートの声は一段と高まり、自分の立ちあげた会社で開発しているシステムを、ますます勢いこんで喋りだした。
一般の会社が人材派遣会社に派遣社員を要請する。すると彼の開発している人口知能が、その会社の業務内容を精査し必要最低雇用人数を割りだし調節して、それに見合う人材を派遣するというものだ。その中には、無駄な事務的システムを回避し最大効率化を狙えるようにとの――。
滔々と身振り手振りを加えて懸命に説明するロバートを、ヘンリーは冷ややかに見据えていた。
なんて、陳腐な……。雇用者をつねに同じように動くロボットかなにかと思っているのか、この男は。
冷笑を浮かべた彼の反応を賛同と捉えたのか、ロバートはさらに勢いづいて、彼に意見を求めてきた。
「そうだね、僕なら事務作業の効率化を図るかな。スタッフが退屈で義務的な作業の繰り返しでやる気を失わないように。創造性を刺激できない職場では効率も落ちるからね」
意見を求められ、ヘンリーは苦笑してそう答えた。
心配できるレベルですらなかったのだ。吉野の勧める投資に乗ろうが、乗るまいが、この凡庸な男は、すぐに自分の会社を潰すことになるだろう。
「さすがに――。あなたの仰られることは、他とは違うなぁ!」
ヘンリーは嫌味をこめて言ったつもりなのだが、逆にロバートは感嘆したように吐息を漏らしている。
あの吉野が、この男と会話しているところを想像できないな。
ふっ、とヘンリーは視線を窓外に逸らす。
だがロバートはおかまいなしで、喋りつづけている。相手が聴いていようが、いまいが関係ないのかもしれない。
あの自己中心的なキャルが、これよりも吉野に惹かれるのも当然というものだ。吉野は人の虚栄心を満たすことに長けている。そしてそれだけではなく、いつの間にか、誰もが心の奥底に抱えている空虚な穴に、するりと滑りこんでいく。
「――それに、オイルダラーにも僕の会社に投資してもらえそうなんですよ」
まさかこの男、自分と吉野との関係を知らないのではあるまいな、との疑いが、ヘンリーの胸中に湧きあがってきたときだった。
長々と無駄話につきあいようやく垣間見えた目的地に、ヘンリーは軽く目を細め、優雅に微笑んで頷いた。
「それは素晴らしい話だね。きみのヴィジョンは、充分なリターンが見込めると評価されているわけだね」
ヘンリーは人目を避けて顔を窓に向け嘆息していた。はたして自分がこれからする事に明快な意味はあるのか、自信が持てなかったのだ。いや、意味など必要ない事をしようとしている自分が、信じられなかったのかもしれない。
レストランのエントランスで予定通りあがった騒がしい声に、ヘンリーは立ちあがる。
予約を入れたの、入っていないので、若い男と受付係が揉めているのだ。腹立たしいのは解るにしても、この場での、このあまりの騒ぎように周囲は失笑を禁じ得ないようだ。女性連れでもあり、彼は引くに引けないのであろうか。
連れはキャルではないのだな、とそれもヘンリーの苦笑いの一因だ。
「よかったら、僕のテーブルへいらっしゃいませんか?」
突然の背後からの声に、男は弾かれたように振り返る。喜色満面のその面は、驚きのあまりか喜びのためか、口をぱくぱくさせている。
「あ、ありがとうございます! ソールスベリーさん!」
やっと喉を通りぬけることができた声は、上擦って掠れている。
「僕は、」
「もちろん存じあげています」と差しだされた手をさらりと握り返し、ヘンリーはにこやかな笑みで応えた。
その青年ロバート・カールトンは、すぐさま「きみ、帰ってくれる? これからビジネスの話をするから」と、安堵の笑みを湛えて歩みよった連れの女性に一瞥を投げかけた。そして、唖然と目を瞠っている彼女のことなどすでに脳裏から捨て去ったとばかりに、夢中でヘンリーに話しかける。
先日のフェイラー家のパーティーに同じく参加していたにもかかわらず、知らされたのはヘンリーが退出してからだったこと。悔しくて堪らなかったと、彼は瞳を輝かせてヘンリーを凝視しているのだ。
「本当に、お逢いできて光栄です、ソールスベリーさん。まだロスにいらっしゃると聞いてロス中のホテルを探し回ったのですよ。こうしてお遇いできるかと思って! 夢が叶いました!」
「ヘンリーでかまわないよ。きみとそう年齢も変わらないしね」
笑みを絶やさずに、ヘンリーは彼を自分のテーブルへと誘った。
だが時をおかずして、彼の胸中は食事中も止まることなく喋り続けるロバートに呆れ返り、この無意味な会食を目論んだ自分に対しても、じんわりと後悔が滲みだすことになる。
さて、吉野のことをどうきりだすか――。
どこか頭の上を滑っていたロバートの声が、ふっと大きく耳に入った。
「人材派遣の業務簡略化コンサルタント?」
ヘンリーは興味深気に呟いた。そのわずかな反応にロバートの声は一段と高まり、自分の立ちあげた会社で開発しているシステムを、ますます勢いこんで喋りだした。
一般の会社が人材派遣会社に派遣社員を要請する。すると彼の開発している人口知能が、その会社の業務内容を精査し必要最低雇用人数を割りだし調節して、それに見合う人材を派遣するというものだ。その中には、無駄な事務的システムを回避し最大効率化を狙えるようにとの――。
滔々と身振り手振りを加えて懸命に説明するロバートを、ヘンリーは冷ややかに見据えていた。
なんて、陳腐な……。雇用者をつねに同じように動くロボットかなにかと思っているのか、この男は。
冷笑を浮かべた彼の反応を賛同と捉えたのか、ロバートはさらに勢いづいて、彼に意見を求めてきた。
「そうだね、僕なら事務作業の効率化を図るかな。スタッフが退屈で義務的な作業の繰り返しでやる気を失わないように。創造性を刺激できない職場では効率も落ちるからね」
意見を求められ、ヘンリーは苦笑してそう答えた。
心配できるレベルですらなかったのだ。吉野の勧める投資に乗ろうが、乗るまいが、この凡庸な男は、すぐに自分の会社を潰すことになるだろう。
「さすがに――。あなたの仰られることは、他とは違うなぁ!」
ヘンリーは嫌味をこめて言ったつもりなのだが、逆にロバートは感嘆したように吐息を漏らしている。
あの吉野が、この男と会話しているところを想像できないな。
ふっ、とヘンリーは視線を窓外に逸らす。
だがロバートはおかまいなしで、喋りつづけている。相手が聴いていようが、いまいが関係ないのかもしれない。
あの自己中心的なキャルが、これよりも吉野に惹かれるのも当然というものだ。吉野は人の虚栄心を満たすことに長けている。そしてそれだけではなく、いつの間にか、誰もが心の奥底に抱えている空虚な穴に、するりと滑りこんでいく。
「――それに、オイルダラーにも僕の会社に投資してもらえそうなんですよ」
まさかこの男、自分と吉野との関係を知らないのではあるまいな、との疑いが、ヘンリーの胸中に湧きあがってきたときだった。
長々と無駄話につきあいようやく垣間見えた目的地に、ヘンリーは軽く目を細め、優雅に微笑んで頷いた。
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