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八章
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灯りの落ちた室内に足を踏みいれてみると、煌々と月に照らされている中庭の方がよほど明るかった。窓を透かして差しこむ月光が、全体を覆う飾り彫りそのままの形の数多の星を、闇色に染まる床に撒き散らしている。その木枠の影と星の光に綴じつけられたような吉野が、出窓に腰かけている。黒々とした影の一部となっている彼に声をかけることを躊躇して、アレンは、入り口の扉を開け放ったまま立ちつくしてしまった。
「どうした? こっちにこいよ」
影がわずかに動く。アレンはほっとして歩みより、木枠から差しこむ光に照らされる吉野の面を見下ろした。張り詰めたようなどこか憂いを帯びたアレンに、吉野は柔らかな笑みを見せた。
「ありがとな。あの映像を創るのに、お前も協力してくれたんだって? クリスたちに聞いたよ」
アレンはふるふると顔を横に振る。
「座れよ。俺に用があるんだろう?」
言われるままに腰を下ろすと、自分の膝の上にも歪んだ星が瞬いた。手のひらの上に落ちる星の光を握りこもうと、握ったり開いたり――。こんなことに、子どものように気をとられている彼を、吉野のくすくす笑いが掠める。
「馬鹿だな。掴まえるのは無理だよ」
差し伸ばされた大きな手のひらがアレンの手の上に影を落とし、彼の握ろうとしていた星を掬う。
「飛鳥は元気になったか?」
「え? アスカさん?」
「あの映像で、飛鳥は少しは楽になったのか?」
唐突になされたその問いに、アレンは戸惑い面をあげた。だが吉野の視線は、木枠の星の隙間から見える外の世界に向けられていた。
まるで閉じこめられているみたいだ。
吉野の上に落ちる光と影に、そんな思いがアレンの中をふとよぎる。
「楽になるって?」と、アレンは解らないまま繰り返した。
「俺のためにあれほどの人間の意識を狂わせ、死刑台に送ることに手を貸したんだ。そんな罪悪感が少しはましになったか、って訊いてるんだよ」
吉野は淡々とした口調で続ける。
「あの兵士の映像はサラが、」
「あんなもの作れるのは飛鳥だけだ」
「でも、きみは」
「飛鳥はそれを俺に知られるのを嫌がるだろ?」
くすりと笑った吉野に、アレンはぷっとふくれて唇を尖らせる。
「僕まで騙さなくたっていいじゃないか」
「だってお前、嘘つくの下手じゃん」
文句のひとつも言いたいのに、久しぶりに見る吉野の無邪気な顔に言葉が喉の奥で引っかかって、アレンはなにも言い返せない。
「飛鳥に伝えてやって。皆、今は穏やかな顔をしてるよ、って」
アレンは黙ったままこくりと頷いた。
吉野の言い分に不本意ながら同意せざるを得なかったのだ。確かに飛鳥は軍事協力に繋がる映像制作を嫌悪しているし、はっきりとそう公言もしている。しかしそれを弟のためにあっさりと翻した。飛鳥にしても立つ瀬がないだろう。
だから、吉野は気づかないふりを通した。それは、浅はかな自分が飛鳥の心の状態を心配する彼の、そんな想いを漏らしてしまわないためでもあったのだ。
どこまで隠し通せるか判らないが、飛鳥の創った立体映像の事実は公には伏せられたままにされている。
捕まったテロリストにせよ、反乱軍の兵士にせよ、彼らは予言者の子孫である王族をその手にかけようとした事で神の怒りを買い、彼らを守る幽霊兵士に追いたてられたのだと本気で信じているのだ。
そして今は、改心することで、また約束の土地への道を神は照らして下さっている、と。
「きみが、どんどん遠くなるみたいだ」
アレンはぽつりと呟いた。
この国で吉野は英雄視され、神格化され、なくてはならない特別な存在なのだ。わずか数日の滞在で、アレンにしろ、ひしひしと実感している。
そんな吉野を、サウードは憂いているのだ。吉野が吉野ではなく、大勢にとって都合のいい何かに祭りあげられていく現状を。大衆に絡めとられ、喰いつくされてしまうことを、彼は恐れているのだ。
「どんなに遠くなったって、お前はこうして俺のいる場所まで来るじゃないか」
吉野はまた、少し首を傾けてくすくすと笑った。
「お前は俺が会ったどんな米国人とも違う。文句の一つも言わない癖に、壁があれば突き崩してくるし、でかい川に阻まれても、あぷあぷしながらでも泳ぎきる。熱砂の砂漠だって超えてくる。お前みたいな奴、初めてだよ」
迷惑なんだ――。
と、アレンは唇を噛んで下を向いた。羞恥で握りしめた拳が震る。その上に落ちる歪んだ星の瞬きも震えている。
「ありがとな。お前がいつも俺を見張っていてくれるから、俺は道を踏み外さないでいられるんだ」
目を瞠って、アレンは吉野の面を見つめた。薄闇の中、月光に照らされた彼は、穏やかな微笑を浮かべている。
「なに? 言えよ、俺に用があってここに来たんだろ?」
「――英国へ帰って欲しい。僕と一緒に」
きみを心配する飛鳥さんの許へ。兄の許へ。平和で、穏やかで、静かなあの国へ。命の危険など恐れなくていい場所へ。
僕たちの暮らすあの家へ。
それが、本当に、きみの帰るべき場所であるのなら――。
「いいよ。それがお前の、本当の望みなら」
少しの沈黙の後、吉野は静かに首肯した。そんな吉野から目を逸らさず大きな目を見開いたまま、アレンは苦しげに眉を寄せて首を横に振った。
「これはサウードの望みだ。僕の望みは、――きみが、――きみの信念のままに生きてくれること。それしかない」
語尾を震わせ、俯いて、アレンは囁くような小声で告げた。
「ありがとう。お前だけだよ。俺が、俺でいることを許してくれるのは。お前だけが俺になにも望まない。だから、お前は俺の特別なんだ。――サウードとは直に話すよ」
息を震わせてぎゅっと目を瞑り俯いているアレンの、柔らかな月明かりを跳ねる金髪を、吉野はくしゃりと撫でる。
「お前、もう泣かなくなったんだな。お前は嫌がるけど、こんな時、こうやって頭を撫でてやる代りにどうすればいいのか、俺にはもう判らないよ」
両膝を立てて、その間に顔を埋めて震えながら自分自身を抱きしめているアレンの傍らで、吉野はまた視線を星型の格子から覗く夜空へ戻した。そしてそのまま、じっと黙したまま月を見ていた。
「どうした? こっちにこいよ」
影がわずかに動く。アレンはほっとして歩みより、木枠から差しこむ光に照らされる吉野の面を見下ろした。張り詰めたようなどこか憂いを帯びたアレンに、吉野は柔らかな笑みを見せた。
「ありがとな。あの映像を創るのに、お前も協力してくれたんだって? クリスたちに聞いたよ」
アレンはふるふると顔を横に振る。
「座れよ。俺に用があるんだろう?」
言われるままに腰を下ろすと、自分の膝の上にも歪んだ星が瞬いた。手のひらの上に落ちる星の光を握りこもうと、握ったり開いたり――。こんなことに、子どものように気をとられている彼を、吉野のくすくす笑いが掠める。
「馬鹿だな。掴まえるのは無理だよ」
差し伸ばされた大きな手のひらがアレンの手の上に影を落とし、彼の握ろうとしていた星を掬う。
「飛鳥は元気になったか?」
「え? アスカさん?」
「あの映像で、飛鳥は少しは楽になったのか?」
唐突になされたその問いに、アレンは戸惑い面をあげた。だが吉野の視線は、木枠の星の隙間から見える外の世界に向けられていた。
まるで閉じこめられているみたいだ。
吉野の上に落ちる光と影に、そんな思いがアレンの中をふとよぎる。
「楽になるって?」と、アレンは解らないまま繰り返した。
「俺のためにあれほどの人間の意識を狂わせ、死刑台に送ることに手を貸したんだ。そんな罪悪感が少しはましになったか、って訊いてるんだよ」
吉野は淡々とした口調で続ける。
「あの兵士の映像はサラが、」
「あんなもの作れるのは飛鳥だけだ」
「でも、きみは」
「飛鳥はそれを俺に知られるのを嫌がるだろ?」
くすりと笑った吉野に、アレンはぷっとふくれて唇を尖らせる。
「僕まで騙さなくたっていいじゃないか」
「だってお前、嘘つくの下手じゃん」
文句のひとつも言いたいのに、久しぶりに見る吉野の無邪気な顔に言葉が喉の奥で引っかかって、アレンはなにも言い返せない。
「飛鳥に伝えてやって。皆、今は穏やかな顔をしてるよ、って」
アレンは黙ったままこくりと頷いた。
吉野の言い分に不本意ながら同意せざるを得なかったのだ。確かに飛鳥は軍事協力に繋がる映像制作を嫌悪しているし、はっきりとそう公言もしている。しかしそれを弟のためにあっさりと翻した。飛鳥にしても立つ瀬がないだろう。
だから、吉野は気づかないふりを通した。それは、浅はかな自分が飛鳥の心の状態を心配する彼の、そんな想いを漏らしてしまわないためでもあったのだ。
どこまで隠し通せるか判らないが、飛鳥の創った立体映像の事実は公には伏せられたままにされている。
捕まったテロリストにせよ、反乱軍の兵士にせよ、彼らは予言者の子孫である王族をその手にかけようとした事で神の怒りを買い、彼らを守る幽霊兵士に追いたてられたのだと本気で信じているのだ。
そして今は、改心することで、また約束の土地への道を神は照らして下さっている、と。
「きみが、どんどん遠くなるみたいだ」
アレンはぽつりと呟いた。
この国で吉野は英雄視され、神格化され、なくてはならない特別な存在なのだ。わずか数日の滞在で、アレンにしろ、ひしひしと実感している。
そんな吉野を、サウードは憂いているのだ。吉野が吉野ではなく、大勢にとって都合のいい何かに祭りあげられていく現状を。大衆に絡めとられ、喰いつくされてしまうことを、彼は恐れているのだ。
「どんなに遠くなったって、お前はこうして俺のいる場所まで来るじゃないか」
吉野はまた、少し首を傾けてくすくすと笑った。
「お前は俺が会ったどんな米国人とも違う。文句の一つも言わない癖に、壁があれば突き崩してくるし、でかい川に阻まれても、あぷあぷしながらでも泳ぎきる。熱砂の砂漠だって超えてくる。お前みたいな奴、初めてだよ」
迷惑なんだ――。
と、アレンは唇を噛んで下を向いた。羞恥で握りしめた拳が震る。その上に落ちる歪んだ星の瞬きも震えている。
「ありがとな。お前がいつも俺を見張っていてくれるから、俺は道を踏み外さないでいられるんだ」
目を瞠って、アレンは吉野の面を見つめた。薄闇の中、月光に照らされた彼は、穏やかな微笑を浮かべている。
「なに? 言えよ、俺に用があってここに来たんだろ?」
「――英国へ帰って欲しい。僕と一緒に」
きみを心配する飛鳥さんの許へ。兄の許へ。平和で、穏やかで、静かなあの国へ。命の危険など恐れなくていい場所へ。
僕たちの暮らすあの家へ。
それが、本当に、きみの帰るべき場所であるのなら――。
「いいよ。それがお前の、本当の望みなら」
少しの沈黙の後、吉野は静かに首肯した。そんな吉野から目を逸らさず大きな目を見開いたまま、アレンは苦しげに眉を寄せて首を横に振った。
「これはサウードの望みだ。僕の望みは、――きみが、――きみの信念のままに生きてくれること。それしかない」
語尾を震わせ、俯いて、アレンは囁くような小声で告げた。
「ありがとう。お前だけだよ。俺が、俺でいることを許してくれるのは。お前だけが俺になにも望まない。だから、お前は俺の特別なんだ。――サウードとは直に話すよ」
息を震わせてぎゅっと目を瞑り俯いているアレンの、柔らかな月明かりを跳ねる金髪を、吉野はくしゃりと撫でる。
「お前、もう泣かなくなったんだな。お前は嫌がるけど、こんな時、こうやって頭を撫でてやる代りにどうすればいいのか、俺にはもう判らないよ」
両膝を立てて、その間に顔を埋めて震えながら自分自身を抱きしめているアレンの傍らで、吉野はまた視線を星型の格子から覗く夜空へ戻した。そしてそのまま、じっと黙したまま月を見ていた。
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