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八章
洞窟1
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飛鳥の発作は、僕の知っている、あんな程度のものではなかったのか……。
――あんたは飛鳥を知らない。
いつだったか、吉野言われた言葉がヘンリーの脳裏をよぎっていた。
知らないから、分からないから分かろうと努力しているのではないか。それなのに、歩み寄ろうとしてくれないのは、きみたちの方じゃないか!
不機嫌そうにどこというわけでもなく視線を漂わせ、何度も吐息を漏らしているヘンリーの斜め上から、呆れ顔のデヴィッドが覗きこむ。
「ここ、どこだか解ってる、ヘンリー?」
「イベント会場モニター管理室」
何を当たり前のことを訊いているのだと、ヘンリーはデヴィッドではなく、ずらりと壁面に並ぶいくつものモニターを一瞥する。そこには開場されたばかりの仄暗いTS世界が、各部屋ごとに映しだされている。
「そんなしかめっ面しちゃって、どうしたのさ?」
顔をしかめて見せるデヴィッドに、ヘンリーは煩そうに眉尻をあげる。
「僕の顔が外部に映るわけじゃないのだから、別にいいだろう?」
「そうはいかないよ」
デヴィッドは壁際に置かれたソファーに居るヘンリーの横に腰掛け、くいっと顔を振ると、モニター画面の前に座る数人のスタッフを暗に示した。
「彼ら、きみの不機嫌を気にしてる。何か気に入らないんじゃないか、ってさっきからずっと不安に思ってるんだよ」
小声で囁かれたデヴィッドの言葉にヘンリーは軽く眉をしかめ、やはり小声で吐き捨てるように呟いた。
「僕に甘えるんじゃないよ」
デヴィッドは、黙ってヘンリーの腕をぐいっと引っ張り立ちあがらせた。
「視察に行こうか。きみはまだ、新たにつけ加えられた場面を見てないんだろ?」
苦虫を噛み潰したようなヘンリーの表情にはおかまいなしで、デヴィッドはモニター前のスタッフに一声かけると、勢いよく部屋をでる。ヘンリー自身も、迷惑そうな顔をしながら逆らわなかったのは、自分自身の荒れた感情を持てあましていたからだろう。
人気のない廊下にでてようやく、ヘンリーはデヴィッドの手を振り払い立ちどまった。
「こんな状態で人前に出ろって? さすがにそれは勘弁して欲しいね」
「裏口からチラッと覘くだけだよ。行こう、冷静になれるから」
自分の不機嫌さを叱るわけでもなく、ヘーゼルの瞳を輝かせて無邪気に笑い、また彼の腕を掴みなおして早足で歩きだしたデヴィッドに、ヘンリーは自嘲的な笑みを浮かべて従っていた。
きみは、いつだってそうだったな――。
泣き虫なくせに、強い。
いつだって前向きで、理不尽な現実に屈しない。辛いことにも、苦しいことにも笑って立ち向かうんだ。
今みたいに。
「そうやって冒険に飛びだしていく。僕はきみの無鉄砲さがいつも羨ましかったよ」
「何のこと?」
「アスカから聞いているんだろ?」
「大筋はね」
「きみは平気なの?」
歩調を緩め、デヴィッドは考えこむように両腕を頭の後ろで組むと、ゆるく目を眇めた。
「どうだろう? 言われてみれば、確かにそうなのかな、って気もするし」
細められたヘーゼルの瞳が憂いを帯びた緑に変わっている。
「でも、僕はもとから映像酔いし難い体質なんだよねぇ。ゲーム歴が長いせいかなぁ?」
一瞬見せた深緑は、もう明るい金色を帯びている。
「だからたぶん、平気!」
大きな瞳を丸めてカラッと笑うデヴィッドに、ヘンリーも思わず釣られたように笑みを零す。
「アスカもきみくらい単純に考えてくれたらいいのにな」
ヘンリーの呟きを、デヴィッドはブルネットの巻き毛をゆらりと左右に振ってカラカラと笑い飛ばした。
「アスカちゃんが僕みたいになっちゃたらさぁ、」
トントン、と扉を叩き、カチャリとドアノブを回しながら、彼はヘンリーを振り返った。
「こんな複雑な世界は作れなくなってしまうよ、きっと」
光を遮る黒いカーテンを捲りあげ、二人は会場の出口側から中に入った。TS会場に続くために、室内は特殊な照明に照らされているのだ。一見してそうとは判らない充分な採光の中には、数人のスタッフが待機していた。
突然現れたトップ二人に対して緊張の面持ちで一斉に姿勢を正した彼らに、デヴィッドもヘンリーもまずは労いの言葉をかける。
「ちょっと、見てきていいかな? 夜間にかなりの修正を加えたのが気になっちゃって」
親しげなデヴィッドの口調に緊張を解いて、スタッフの一人が進みでる。
「あ、いいんだよ、案内は。お客さまの位置情報を送って。僕たちには、センサーは反応しないようにしておいてくれる?」
「了解しました」の言葉とともに、デヴィッドはスタッフから会場内の地図や、自分たちをふくむ参加者、スタッフのすべての位置情報が表示されているタブレット端末を渡され、簡単な説明を受ける。
「こちらへ、第一ブースの非常口までご案内します。CEOが会場入り口にいきなりいらしたら大騒ぎになりかねませんからね」
にこやかに笑うスタッフにヘンリーは苦笑をみせ、「僕だって楽しみたいのにな」と肩をすくめてみせる。
「ぜひ楽しんでいらして下さい。驚かれること間違いなしですよ!」
変更事項をすでに体験しているのか、意味ありげに瞳を煌めかせて見送るスタッフにお礼を言って、二人は、あんな状態の飛鳥の作った、ヘンリーには捉えることのできない飛鳥の見ている蜃気楼を確かめるために、足を進めたのだった。
――あんたは飛鳥を知らない。
いつだったか、吉野言われた言葉がヘンリーの脳裏をよぎっていた。
知らないから、分からないから分かろうと努力しているのではないか。それなのに、歩み寄ろうとしてくれないのは、きみたちの方じゃないか!
不機嫌そうにどこというわけでもなく視線を漂わせ、何度も吐息を漏らしているヘンリーの斜め上から、呆れ顔のデヴィッドが覗きこむ。
「ここ、どこだか解ってる、ヘンリー?」
「イベント会場モニター管理室」
何を当たり前のことを訊いているのだと、ヘンリーはデヴィッドではなく、ずらりと壁面に並ぶいくつものモニターを一瞥する。そこには開場されたばかりの仄暗いTS世界が、各部屋ごとに映しだされている。
「そんなしかめっ面しちゃって、どうしたのさ?」
顔をしかめて見せるデヴィッドに、ヘンリーは煩そうに眉尻をあげる。
「僕の顔が外部に映るわけじゃないのだから、別にいいだろう?」
「そうはいかないよ」
デヴィッドは壁際に置かれたソファーに居るヘンリーの横に腰掛け、くいっと顔を振ると、モニター画面の前に座る数人のスタッフを暗に示した。
「彼ら、きみの不機嫌を気にしてる。何か気に入らないんじゃないか、ってさっきからずっと不安に思ってるんだよ」
小声で囁かれたデヴィッドの言葉にヘンリーは軽く眉をしかめ、やはり小声で吐き捨てるように呟いた。
「僕に甘えるんじゃないよ」
デヴィッドは、黙ってヘンリーの腕をぐいっと引っ張り立ちあがらせた。
「視察に行こうか。きみはまだ、新たにつけ加えられた場面を見てないんだろ?」
苦虫を噛み潰したようなヘンリーの表情にはおかまいなしで、デヴィッドはモニター前のスタッフに一声かけると、勢いよく部屋をでる。ヘンリー自身も、迷惑そうな顔をしながら逆らわなかったのは、自分自身の荒れた感情を持てあましていたからだろう。
人気のない廊下にでてようやく、ヘンリーはデヴィッドの手を振り払い立ちどまった。
「こんな状態で人前に出ろって? さすがにそれは勘弁して欲しいね」
「裏口からチラッと覘くだけだよ。行こう、冷静になれるから」
自分の不機嫌さを叱るわけでもなく、ヘーゼルの瞳を輝かせて無邪気に笑い、また彼の腕を掴みなおして早足で歩きだしたデヴィッドに、ヘンリーは自嘲的な笑みを浮かべて従っていた。
きみは、いつだってそうだったな――。
泣き虫なくせに、強い。
いつだって前向きで、理不尽な現実に屈しない。辛いことにも、苦しいことにも笑って立ち向かうんだ。
今みたいに。
「そうやって冒険に飛びだしていく。僕はきみの無鉄砲さがいつも羨ましかったよ」
「何のこと?」
「アスカから聞いているんだろ?」
「大筋はね」
「きみは平気なの?」
歩調を緩め、デヴィッドは考えこむように両腕を頭の後ろで組むと、ゆるく目を眇めた。
「どうだろう? 言われてみれば、確かにそうなのかな、って気もするし」
細められたヘーゼルの瞳が憂いを帯びた緑に変わっている。
「でも、僕はもとから映像酔いし難い体質なんだよねぇ。ゲーム歴が長いせいかなぁ?」
一瞬見せた深緑は、もう明るい金色を帯びている。
「だからたぶん、平気!」
大きな瞳を丸めてカラッと笑うデヴィッドに、ヘンリーも思わず釣られたように笑みを零す。
「アスカもきみくらい単純に考えてくれたらいいのにな」
ヘンリーの呟きを、デヴィッドはブルネットの巻き毛をゆらりと左右に振ってカラカラと笑い飛ばした。
「アスカちゃんが僕みたいになっちゃたらさぁ、」
トントン、と扉を叩き、カチャリとドアノブを回しながら、彼はヘンリーを振り返った。
「こんな複雑な世界は作れなくなってしまうよ、きっと」
光を遮る黒いカーテンを捲りあげ、二人は会場の出口側から中に入った。TS会場に続くために、室内は特殊な照明に照らされているのだ。一見してそうとは判らない充分な採光の中には、数人のスタッフが待機していた。
突然現れたトップ二人に対して緊張の面持ちで一斉に姿勢を正した彼らに、デヴィッドもヘンリーもまずは労いの言葉をかける。
「ちょっと、見てきていいかな? 夜間にかなりの修正を加えたのが気になっちゃって」
親しげなデヴィッドの口調に緊張を解いて、スタッフの一人が進みでる。
「あ、いいんだよ、案内は。お客さまの位置情報を送って。僕たちには、センサーは反応しないようにしておいてくれる?」
「了解しました」の言葉とともに、デヴィッドはスタッフから会場内の地図や、自分たちをふくむ参加者、スタッフのすべての位置情報が表示されているタブレット端末を渡され、簡単な説明を受ける。
「こちらへ、第一ブースの非常口までご案内します。CEOが会場入り口にいきなりいらしたら大騒ぎになりかねませんからね」
にこやかに笑うスタッフにヘンリーは苦笑をみせ、「僕だって楽しみたいのにな」と肩をすくめてみせる。
「ぜひ楽しんでいらして下さい。驚かれること間違いなしですよ!」
変更事項をすでに体験しているのか、意味ありげに瞳を煌めかせて見送るスタッフにお礼を言って、二人は、あんな状態の飛鳥の作った、ヘンリーには捉えることのできない飛鳥の見ている蜃気楼を確かめるために、足を進めたのだった。
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