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八章
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「助けてあげてもいい」
ヘンリーは動けないながらも、毅然と自分を睨みつけるエドワードを見下ろし、やんわりと微笑んで言った。
「僕に忠誠を誓え、エドワード・グレイ」
静かな口調とは裏腹に、厳しく冷ややかに告げられたその言葉に、意味が解らないとエドワードは眉根を寄せる。その無言の問いに応えて、ヘンリーは言葉を継いだ。
「僕の援助なしでは、きみはテロリストに国家機密を売った国賊として軍法会議にかけられることになる」
「跪けと? ルベリーニのように? それが友人に言う言葉か!」
エドワードはせめてもの渾身の力を込めて噛みついた。
「友人? 軍の開発したLSDを僕に盛っておいて、よく言うよ」
ヘンリーはそんな彼の口調を軽くいなしてくすくすと笑った。
「なんだ、お前、あんなガキの頃のことをまだ根に持ってるのか?」
「あの経験のおかげで、僕は人と普通に会食ができなくなったよ」
「俺のせいにするなよ! お前が知らない奴から差しだされたものを口にしなくなったのは、もとからだろうが!」
今度はエドワードが呆れ顔で言い返す。この一瞬に、ヘンリーとすごした学生時代の思い出が走馬灯のように駆けめぐっていた。ヘンリーにしてもただの冗談のつもりだったのか、今は表情を緩めている。だが、次いで彼の口からでたのは、懐かしい思い出話などではもちろんなかった。
「せっかく僕が助け舟をだしてあげる気になっているのに、気づきもしないなんて、あまりにきみらしくてね――」
「助け舟? 忠誠を誓うことがか?」
エドワードは鼻で嗤った。
「まったく、きみは――。ヨシノがどれほどきみたち英国情報部を憎んでいるか、もう忘れてしまっているらしい。それなのに、またいけしゃあしゃあとあの子の身内に手をだして彼の神経を逆なでする。あの子を舐めてかかるのも大概にするといい」
ヘンリーは呆れたというよりも、嘲笑うように言い捨て立ちあがった。
「憎む? それはお互い様だろうが。こっちは諜報員を一人潰されたんだぞ」
「たかだか十四、五の子どもに薬物を使うような下衆な輩じゃないか」
「優秀な男だったのに、職場復帰は叶わないまま退職した」
「生きているのか――」
ふいに告げられた不愉快な記憶を、ヘンリーは口の端で嗤いながらも、不穏な呟きで受けとめていた。
杜月吉野の調査に出向き、返り討ちにあって廃人同様の薬物依存状態で病院に担ぎこまれた諜報員。今さらながらの苦い記憶に、エドワードは口をへの字に曲げていた。
私怨がある――。
だから、杜月吉野は自分たちを信じず、映像を使った偽装工作をしたというのか? それも、こんな子ども騙しな人をおちょくったやり方で。
「ハリー、座れよ。話はまだ終わっていない」
光沢のある灰色のジャケットに腕を通し、病室を出ていこうとするヘンリーを吐息混じりに、エドワードは呼び留める。
「ハリーと呼ぶな」
「相変わらずか。俺も急かしたくはないんだがな、そうも言ってられないだろう? お前のその様子じゃな」
「きみにしては察しがいいじゃないか」
「俺に何をさせたいんだ」
「大した事じゃないよ」
ヘンリーは踵を返し、横たわるエドワードの耳元に顔を寄せて囁いた。
「なんだ、そんな事でいいのか?」
拍子抜けしている彼に、ヘンリーはにっこりと笑みを返す。
「守れるならね」
「俺の見返りは?」
エドワードは、先程までの緊張はすっかり取り払って、悪戯っぽくヘンリーを見上げていた。
冗談なのだ、と思ったのだ。国よりも、自分に忠誠を誓えなどと、ただの冗談だったのだと――。
「きみが今回の事件に無関係だと証明してあげるよ」
「どうやって?」
「さあ? その辺は弁護士と相談してくれるかい?」
「おい、おい、ずいぶん無責任な、」
言いかけてエドワードは声を立てて笑った。目覚めたばかりの時と比べると、かなりはっきりとした笑い声だ。
そのための、アーネストか!
彼は搭乗しない杜月吉野を迎えにきたのではない。この事態の証人となり、かつ迅速にわけのわからないままに巻き込まれた自分の弁護をするために、この地までその身をはこんできたのだ。
「借りができたな」
笑いを収め、向き合った澄んだエドワードの琥珀色の双眸に、ヘンリーは哀れみともつかぬ微妙な頬笑みを見せた。
「礼には及ばないよ。職務に実直で疑うことを知らない単細胞な諜報員くん。きみはまず、どうしてきみがこの任務を命じられたか、から考えなくちゃならないよ」
エドワードの瞳にまた険が走った。
「民間人であるアーニーの同行がすんなり通ったのも同じ理由だ」
「狙いは、」
「そう、僕だよ。国防省は、どうやら僕のことがお気に召さないらしい。新政権樹立後のアブドとどんな密約を交わしたのかは知らないけれどね。きみの命も、しょせん使い捨ての駒に過ぎない、ってことさ」
表情を強張らせているエドワードとは対象的に、淡々と笑みさえ浮かべているようなヘンリーのセレストブルーの瞳からは、国家の裏切りに対する怒りも、哀しみも見いだせなかった。
「僕は国に逆らう気なんて、これっぽっちもないのにね」
ヘンリーは叱られた子どものように肩をすくめてみせ、無邪気に笑ってそう言った。
ヘンリーは動けないながらも、毅然と自分を睨みつけるエドワードを見下ろし、やんわりと微笑んで言った。
「僕に忠誠を誓え、エドワード・グレイ」
静かな口調とは裏腹に、厳しく冷ややかに告げられたその言葉に、意味が解らないとエドワードは眉根を寄せる。その無言の問いに応えて、ヘンリーは言葉を継いだ。
「僕の援助なしでは、きみはテロリストに国家機密を売った国賊として軍法会議にかけられることになる」
「跪けと? ルベリーニのように? それが友人に言う言葉か!」
エドワードはせめてもの渾身の力を込めて噛みついた。
「友人? 軍の開発したLSDを僕に盛っておいて、よく言うよ」
ヘンリーはそんな彼の口調を軽くいなしてくすくすと笑った。
「なんだ、お前、あんなガキの頃のことをまだ根に持ってるのか?」
「あの経験のおかげで、僕は人と普通に会食ができなくなったよ」
「俺のせいにするなよ! お前が知らない奴から差しだされたものを口にしなくなったのは、もとからだろうが!」
今度はエドワードが呆れ顔で言い返す。この一瞬に、ヘンリーとすごした学生時代の思い出が走馬灯のように駆けめぐっていた。ヘンリーにしてもただの冗談のつもりだったのか、今は表情を緩めている。だが、次いで彼の口からでたのは、懐かしい思い出話などではもちろんなかった。
「せっかく僕が助け舟をだしてあげる気になっているのに、気づきもしないなんて、あまりにきみらしくてね――」
「助け舟? 忠誠を誓うことがか?」
エドワードは鼻で嗤った。
「まったく、きみは――。ヨシノがどれほどきみたち英国情報部を憎んでいるか、もう忘れてしまっているらしい。それなのに、またいけしゃあしゃあとあの子の身内に手をだして彼の神経を逆なでする。あの子を舐めてかかるのも大概にするといい」
ヘンリーは呆れたというよりも、嘲笑うように言い捨て立ちあがった。
「憎む? それはお互い様だろうが。こっちは諜報員を一人潰されたんだぞ」
「たかだか十四、五の子どもに薬物を使うような下衆な輩じゃないか」
「優秀な男だったのに、職場復帰は叶わないまま退職した」
「生きているのか――」
ふいに告げられた不愉快な記憶を、ヘンリーは口の端で嗤いながらも、不穏な呟きで受けとめていた。
杜月吉野の調査に出向き、返り討ちにあって廃人同様の薬物依存状態で病院に担ぎこまれた諜報員。今さらながらの苦い記憶に、エドワードは口をへの字に曲げていた。
私怨がある――。
だから、杜月吉野は自分たちを信じず、映像を使った偽装工作をしたというのか? それも、こんな子ども騙しな人をおちょくったやり方で。
「ハリー、座れよ。話はまだ終わっていない」
光沢のある灰色のジャケットに腕を通し、病室を出ていこうとするヘンリーを吐息混じりに、エドワードは呼び留める。
「ハリーと呼ぶな」
「相変わらずか。俺も急かしたくはないんだがな、そうも言ってられないだろう? お前のその様子じゃな」
「きみにしては察しがいいじゃないか」
「俺に何をさせたいんだ」
「大した事じゃないよ」
ヘンリーは踵を返し、横たわるエドワードの耳元に顔を寄せて囁いた。
「なんだ、そんな事でいいのか?」
拍子抜けしている彼に、ヘンリーはにっこりと笑みを返す。
「守れるならね」
「俺の見返りは?」
エドワードは、先程までの緊張はすっかり取り払って、悪戯っぽくヘンリーを見上げていた。
冗談なのだ、と思ったのだ。国よりも、自分に忠誠を誓えなどと、ただの冗談だったのだと――。
「きみが今回の事件に無関係だと証明してあげるよ」
「どうやって?」
「さあ? その辺は弁護士と相談してくれるかい?」
「おい、おい、ずいぶん無責任な、」
言いかけてエドワードは声を立てて笑った。目覚めたばかりの時と比べると、かなりはっきりとした笑い声だ。
そのための、アーネストか!
彼は搭乗しない杜月吉野を迎えにきたのではない。この事態の証人となり、かつ迅速にわけのわからないままに巻き込まれた自分の弁護をするために、この地までその身をはこんできたのだ。
「借りができたな」
笑いを収め、向き合った澄んだエドワードの琥珀色の双眸に、ヘンリーは哀れみともつかぬ微妙な頬笑みを見せた。
「礼には及ばないよ。職務に実直で疑うことを知らない単細胞な諜報員くん。きみはまず、どうしてきみがこの任務を命じられたか、から考えなくちゃならないよ」
エドワードの瞳にまた険が走った。
「民間人であるアーニーの同行がすんなり通ったのも同じ理由だ」
「狙いは、」
「そう、僕だよ。国防省は、どうやら僕のことがお気に召さないらしい。新政権樹立後のアブドとどんな密約を交わしたのかは知らないけれどね。きみの命も、しょせん使い捨ての駒に過ぎない、ってことさ」
表情を強張らせているエドワードとは対象的に、淡々と笑みさえ浮かべているようなヘンリーのセレストブルーの瞳からは、国家の裏切りに対する怒りも、哀しみも見いだせなかった。
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ヘンリーは叱られた子どものように肩をすくめてみせ、無邪気に笑ってそう言った。
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