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八章
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アイボリーで内装を統一された小型ジェットの要人輸送機の座席に、サウード皇太子が静かに目を閉じたまま腰かけている。その向かいには疲れきった様子の国王。通路を挟んだ隣の席にアーネストが座る。杜月吉野はやはり間に合わなかった。吉野の身元引受人であるアーネストは渋ったが、あやふやな目撃証言があるだけの吉野一人のために予定を変更することは叶わず、要人護送は時間通り遂行された。
英国行きの民間ビジネスジェットに偽装した軍用機に要人二名を搭乗させ終え、任務の順調な進行にほっと安堵の息をつきながらも、エドワード・グレイはかすかな違和感を打ち消すことができないまま、機内後部座席から中央部の彼らを眺めていた。
何が変、というわけでもないのだ。皆、緊張した面持ちで黙りこくったまま、思索に耽っているように見える。時おり窓の外に視線を流して陽炎に揺れる滑走路を眺めたり、小声で会話したりしながら離陸時間を待っている。
国王一行は出立時刻ぎりぎりになってこの空港に到着し、人目を憚るためラウンジには入らず、そのまま用意された小型ジェットに乗りこんだ。その様子を、エドワードはアーネストとともにラウンジから眺めていた。遠目には、ビジネス鞄を下げたエグゼクティブ一行としか映らなかった。
遅れて搭乗した自分たち英国諜報員は護衛に阻まれて彼らと口を利くことも叶わない中で、アーネストのみが親しげに彼らの傍らに当然のように座した。
テロリストや反乱軍の残党に狙われているとういうわりに、ここまで何の問題もない。懸念されていたマシュリク国からの国境超えも、隣国の援助で事なきを得た。そのあまりの順当さが、違和感といえばそうなのかもしれない。どこか納得のいかないまま、エドワードは離陸に備えてシートベルトを締める。
やがて機体が緩やかに動きだした。
と、視界の端、通りすぎていく滑走路の向こうで、蜃気楼のようなアーネストが手を振っていた。
狐に摘まれた思いでエドワードはシートベルトを外し、立ちあがって座席に座るアーネストを眺めた。何事もなく窓に顔を向けている彼の姿に、なんだ、見間違いかと吐息をついて着席しなおす。
だがその直後、爆音とともに機体が衝撃に激しく揺れ、窓外は黒煙に包まれた。
「地対空ミサイルか!」
「損傷状況は!」
「陛下、お怪我は!」
ガタガタと揺れて定まらない機内に怒声が飛び交う。機内に侵入してきた強い異臭に顔が歪む。コックピットから副操縦士が顔をだし、破損状況を大声で告げている。だが、立って歩くのもおぼつかないほどに激しく上下左右に揺さぶられる機内で、国王、皇太子、そしてアーネストは、何食わぬ顔でまどろんでいるがごとくの穏やかな佇まいだ。
「まさか、」
エドワードが立ちあがろうとしたとき、またガクンと機体がさがった。
左翼損傷、燃料漏れをおこして油圧システムが停止、機体制御不可能、とコックピットからのアナウンスが叫んでいる。このまま推力操縦を続け、砂漠に緊急着陸する、と――。
「どういうことだ!」
にこやかに談笑すらしているアーネストたちを、エドワードたち現地で彼らを迎えた国防情報参謀部は怪訝な顔で眺め、対して彼を伴って英国からやってきた秘密情報部は渋面ではあるが、この現状に驚いた様子もない。
国防省と外務省、それぞれに管轄は違うとはいえ、今は協力して要人保護のこの任務を遂行しているはずだ。命懸けで――。
「見てのとおりさ」
吐き捨てるように言われたその言葉にエドワードは歯噛みし、胃がひっくり返りそうなほど揺れる機体の中で、秘密情報部の奴らを殴り飛ばしてやろうと立ちあがった。だがその間に、同僚がその中の一人に掴みかかっていた。
そんな内側での争いに容赦なく、機体は不安定に揺れ動きながら降下していた。「緊急着陸準備」の大声に、立ちあがっていた者は這うようにして、座席に戻り衝撃に備えた。
ドン!
初めに感じた以上の衝撃が全身をつらぬき、轟音とともにエドワードは横壁面に叩きつけられていた。
視界が反転する。シートベルトに繋がれているにもかかわらず、千切れんばかりに身体が上に引っ張られる。横転する機体の中で最後にエドワードの視界に映ったのは、窓を塞ぐ細かな霧のような砂塵だった。
「こいつさえいなけりゃ、叩き落としてやったのに」
熱砂の上に放りだされているエドワードを真上から見下ろしている吉野の呟きに、ウィリアムは面をあげて苦笑して応えた。彼はちょうど、胴体着陸して横転、半壊した状態で砂に埋もれた機体から数名のサウブ姿の男たちとともに、息のあるなしに関わらず乗員を運びだしているところだった。
「だからアーネスト卿は、彼を搭乗させたのでしょう」
「もう十分ほどで救護班が到着します」
その声に被さるように、四輪駆動の車中でナビゲーション画面を眺めていた男が大声で告げる。
吉野はちっと舌打ちして、「その前に引火する。後は頼んだぞ」と叫び返す。次いで頭に無造作に巻きつけたクーフィーヤで鼻から喉元をしっかりと覆い、残骸となった小型ジェットの麓に寝そべる駱駝を舌を鳴らして呼び、飛び乗るなりウィリアムを呼んだ。
「行くぞ!」
駱駝に鞭を入れ疾走する吉野に続き、ウィリアムと彼らに従う護衛たちの駱駝も次々とその場を離れて、砂塵を撒きあげながら駆けだしていった。
英国行きの民間ビジネスジェットに偽装した軍用機に要人二名を搭乗させ終え、任務の順調な進行にほっと安堵の息をつきながらも、エドワード・グレイはかすかな違和感を打ち消すことができないまま、機内後部座席から中央部の彼らを眺めていた。
何が変、というわけでもないのだ。皆、緊張した面持ちで黙りこくったまま、思索に耽っているように見える。時おり窓の外に視線を流して陽炎に揺れる滑走路を眺めたり、小声で会話したりしながら離陸時間を待っている。
国王一行は出立時刻ぎりぎりになってこの空港に到着し、人目を憚るためラウンジには入らず、そのまま用意された小型ジェットに乗りこんだ。その様子を、エドワードはアーネストとともにラウンジから眺めていた。遠目には、ビジネス鞄を下げたエグゼクティブ一行としか映らなかった。
遅れて搭乗した自分たち英国諜報員は護衛に阻まれて彼らと口を利くことも叶わない中で、アーネストのみが親しげに彼らの傍らに当然のように座した。
テロリストや反乱軍の残党に狙われているとういうわりに、ここまで何の問題もない。懸念されていたマシュリク国からの国境超えも、隣国の援助で事なきを得た。そのあまりの順当さが、違和感といえばそうなのかもしれない。どこか納得のいかないまま、エドワードは離陸に備えてシートベルトを締める。
やがて機体が緩やかに動きだした。
と、視界の端、通りすぎていく滑走路の向こうで、蜃気楼のようなアーネストが手を振っていた。
狐に摘まれた思いでエドワードはシートベルトを外し、立ちあがって座席に座るアーネストを眺めた。何事もなく窓に顔を向けている彼の姿に、なんだ、見間違いかと吐息をついて着席しなおす。
だがその直後、爆音とともに機体が衝撃に激しく揺れ、窓外は黒煙に包まれた。
「地対空ミサイルか!」
「損傷状況は!」
「陛下、お怪我は!」
ガタガタと揺れて定まらない機内に怒声が飛び交う。機内に侵入してきた強い異臭に顔が歪む。コックピットから副操縦士が顔をだし、破損状況を大声で告げている。だが、立って歩くのもおぼつかないほどに激しく上下左右に揺さぶられる機内で、国王、皇太子、そしてアーネストは、何食わぬ顔でまどろんでいるがごとくの穏やかな佇まいだ。
「まさか、」
エドワードが立ちあがろうとしたとき、またガクンと機体がさがった。
左翼損傷、燃料漏れをおこして油圧システムが停止、機体制御不可能、とコックピットからのアナウンスが叫んでいる。このまま推力操縦を続け、砂漠に緊急着陸する、と――。
「どういうことだ!」
にこやかに談笑すらしているアーネストたちを、エドワードたち現地で彼らを迎えた国防情報参謀部は怪訝な顔で眺め、対して彼を伴って英国からやってきた秘密情報部は渋面ではあるが、この現状に驚いた様子もない。
国防省と外務省、それぞれに管轄は違うとはいえ、今は協力して要人保護のこの任務を遂行しているはずだ。命懸けで――。
「見てのとおりさ」
吐き捨てるように言われたその言葉にエドワードは歯噛みし、胃がひっくり返りそうなほど揺れる機体の中で、秘密情報部の奴らを殴り飛ばしてやろうと立ちあがった。だがその間に、同僚がその中の一人に掴みかかっていた。
そんな内側での争いに容赦なく、機体は不安定に揺れ動きながら降下していた。「緊急着陸準備」の大声に、立ちあがっていた者は這うようにして、座席に戻り衝撃に備えた。
ドン!
初めに感じた以上の衝撃が全身をつらぬき、轟音とともにエドワードは横壁面に叩きつけられていた。
視界が反転する。シートベルトに繋がれているにもかかわらず、千切れんばかりに身体が上に引っ張られる。横転する機体の中で最後にエドワードの視界に映ったのは、窓を塞ぐ細かな霧のような砂塵だった。
「こいつさえいなけりゃ、叩き落としてやったのに」
熱砂の上に放りだされているエドワードを真上から見下ろしている吉野の呟きに、ウィリアムは面をあげて苦笑して応えた。彼はちょうど、胴体着陸して横転、半壊した状態で砂に埋もれた機体から数名のサウブ姿の男たちとともに、息のあるなしに関わらず乗員を運びだしているところだった。
「だからアーネスト卿は、彼を搭乗させたのでしょう」
「もう十分ほどで救護班が到着します」
その声に被さるように、四輪駆動の車中でナビゲーション画面を眺めていた男が大声で告げる。
吉野はちっと舌打ちして、「その前に引火する。後は頼んだぞ」と叫び返す。次いで頭に無造作に巻きつけたクーフィーヤで鼻から喉元をしっかりと覆い、残骸となった小型ジェットの麓に寝そべる駱駝を舌を鳴らして呼び、飛び乗るなりウィリアムを呼んだ。
「行くぞ!」
駱駝に鞭を入れ疾走する吉野に続き、ウィリアムと彼らに従う護衛たちの駱駝も次々とその場を離れて、砂塵を撒きあげながら駆けだしていった。
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