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八章
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マシュリク国と砂漠で繋がる隣国の国際空港に軍用機で降りたったアーネストは、施設内移動のための送迎車までのわずかな距離ですら息を吸い込むことを躊躇する熱と、どこかざらついた感触のある空気に顔をしかめていた。自分を包む空気が、まるで意志を持っているかのようにゆらゆらと揺らめき立ちあがって見えるのだ。目前の空港施設が歪んで見える。まるでお湯の中にとっぷりと浸かって辺りを見回しているような中で、この国の案内人のまとう白い民族衣裳だけが、きつすぎる陽射しを跳ね返して輝いている。
冷房の効いた建物内に入ると、彼はやっと大きく息を吸いこんだ。同行した軍の連中とはいったんここで別れ、先んじて現地入りしている情報参謀部と合流する手筈になっている。案内された二階VIPラウンジに入ったところで、「久しぶりだな、アーネスト、元気だったか?」と、懐かしい声に呼び掛けられた。背筋を伸ばし、笑みを湛えて振り返る。
白いシャツにトラウザーズのエドワード・グレイが、記憶にある彼と比べて日焼けし精悍さの増した姿でそこにいた。だがその雰囲気は、生来陽気な性質の彼にしては、いくぶん殺伐としたようも見える。
「やあ、エド。きみこそ変わりないかい?」
再会の握手を交わすエドワードと、アーネストがこうして直接顔を合わすのは何年ぶりだろうか?
エドワードは、これから彼と行動をともにする数人の諜報員とは顔見知りらしく軽い挨拶を交わしている。だが彼らはすぐに、予定まで時間はまだまだあるし、久々の旧友同士の間で積もる話もあるだろう、と二人を残してラウンジの奥へと気を利かせて歩み去ってくれた。
あくまでも自分はお客様扱いだな。と、アーネストは苦笑しつつ、それならそれで、とエドワードに向き直る。
「まるでリゾート帰りのようだね。僕は、あの焼き殺さんとばかりに照りつけてくる太陽を少し甘く見ていたようだよ。この国に着いてわずか五分で、もうこの建物から一生出たくない気分だ」
「直ぐに慣れるさ。ヘンリーや、デイヴは元気にしているかい?」
肩をすくめるアーネストを豪快に笑い飛ばす屈託のない笑顔に、ここがどこで、自分が何のためにここにいるのか忘れそうになる。アーネストはにこやかに微笑んだまま、「情報部のきみが聞くまでもないだろ? 本当に訊きたいのはアスカ・トヅキのことかい?」と直球で訊ねた。どれほどの歳月を開けたとして、気心知れた幼馴染相手によけいな前置きなど要らない。エドワードは、「さすがにアーニーは話が早いな」とまた声を立てて笑った。
アーネストは、そこで待つようにと言われた、木製の幾何学模様の透かし彫りパーテーションで区切られた一角にある白い革張りのソファーに腰をおろした。手持ち無沙汰に頭上を見あげると、嵌めこまれたトップライトが、天井一面に貼られた細かな白いモザイクタイルをきらきらと照らしている。所々に置かれた自分の背丈と変わらない大きさの観葉植物がこのエキゾチックな空間に彩を添えている。
やがてエドワードが金色の盆に、金の縁取りのあるガラスのデミタスカップと真鍮のポットを載せて戻ってきた。脚付ガラスの菓子鉢には、ドライデーツが盛られている。
白い湯気のたつ紅茶が音をたてて注がれ、アーネストの前に置かれる。スパイスの香りが鼻腔を刺激する。彼は甘い紅茶を一息に流しこんだ。見た目ほどは熱くはない。
「それで、アスカはどうしてる?」
「弟の身を心配しすぎて胃潰瘍で静養中だよ」
「――悪いのか?」
「本当は入院させたいんだけどね、ヘンリーの弟が誘拐されかかったりで今は身辺が騒がしいからね、自宅療養中だ」
アーネストはすっと視線をあげてエドワードの様子を伺った。睨んだとおり、彼は自分の言葉を訝しんで目を眇めている。
「アスカがどうかした?」
「ん? ああ、ヘンリーの会社の立体映像、アスカが作ったんだよな」
「そうだよ」
「弟もそれを作れるのか?」
「どうしてそんなことを訊くのかな? 何かあった?」
「まぁ、いろいろとな……」
言葉を濁しながらエドワードは眉根を寄せ、おもむろに尻ポケットからへしゃげた煙草を取りだしてその中から一本抜くと、くしゃりと空になった箱を握り潰す。
「英国製もこれで終わりだ」
「すぐに帰れるさ」
半ば同情の色を浮かべてアーネストは口角をあげている。
「誰が操っているんだ?」
「何を?」
「あの立体映像」
「何の話?」
アーネストは手ずから、デミカップに二杯目の紅茶を注いだ。ちらりとエドワードを見ると、彼は煙草を加えたまま小さく頭を振っている。
「ロンドンの本店でもパリの見本市でも、立体映像を作るには大がかりな装置が必要で遠隔操作はできない、と言っていた」
「ロンドンの本店に来てくれていたんだ? ありがとう。そうだね、きみの言うとおりだよ」
さすがにロンドン本店の立体映像を見たことがあるのなら、巷を賑わせている殿下の幽霊は映像だと、そのくらいの予測はつくだろう。
アーネストは思考を巡らせながら、冷めてはいないが中途半端に温い紅茶を吐息と一緒に流しこむ。
「それなら、このところこの国で現れているあの国王や、皇太子の立体映像は弟が作って操作しているってことなのか?」
「彼のことは解らないな。そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない」
この手が使えるのもここまでか、とアーネストは内心の失望を隠しながらしらばっくれてみせる。
「あと三時間したら出国だってのに、ヨシノ・トヅキが海沿いの街、サハイヤ地区で目撃されてるんだ。もしも、今そこにいるのだとしたら、奴はここまでどうやって来るつもりなんだ? 空路は使えないだろ。陸路ではとてもじゃないが間に合わない。やはりそれも立体映像だと思うか、アーニー?」
訳が解らないと言いたげに、エドワードは、「まったく、こんなときにハリーは一切協力しやがらない」とぼやいて、乾燥し、焦げたように日焼けした指に挟まれたまだ長く残る煙草を荒く吸いこんだ。そして、ため息とともに煙を吐きすと、灰皿に押しつけ揉み消した。
冷房の効いた建物内に入ると、彼はやっと大きく息を吸いこんだ。同行した軍の連中とはいったんここで別れ、先んじて現地入りしている情報参謀部と合流する手筈になっている。案内された二階VIPラウンジに入ったところで、「久しぶりだな、アーネスト、元気だったか?」と、懐かしい声に呼び掛けられた。背筋を伸ばし、笑みを湛えて振り返る。
白いシャツにトラウザーズのエドワード・グレイが、記憶にある彼と比べて日焼けし精悍さの増した姿でそこにいた。だがその雰囲気は、生来陽気な性質の彼にしては、いくぶん殺伐としたようも見える。
「やあ、エド。きみこそ変わりないかい?」
再会の握手を交わすエドワードと、アーネストがこうして直接顔を合わすのは何年ぶりだろうか?
エドワードは、これから彼と行動をともにする数人の諜報員とは顔見知りらしく軽い挨拶を交わしている。だが彼らはすぐに、予定まで時間はまだまだあるし、久々の旧友同士の間で積もる話もあるだろう、と二人を残してラウンジの奥へと気を利かせて歩み去ってくれた。
あくまでも自分はお客様扱いだな。と、アーネストは苦笑しつつ、それならそれで、とエドワードに向き直る。
「まるでリゾート帰りのようだね。僕は、あの焼き殺さんとばかりに照りつけてくる太陽を少し甘く見ていたようだよ。この国に着いてわずか五分で、もうこの建物から一生出たくない気分だ」
「直ぐに慣れるさ。ヘンリーや、デイヴは元気にしているかい?」
肩をすくめるアーネストを豪快に笑い飛ばす屈託のない笑顔に、ここがどこで、自分が何のためにここにいるのか忘れそうになる。アーネストはにこやかに微笑んだまま、「情報部のきみが聞くまでもないだろ? 本当に訊きたいのはアスカ・トヅキのことかい?」と直球で訊ねた。どれほどの歳月を開けたとして、気心知れた幼馴染相手によけいな前置きなど要らない。エドワードは、「さすがにアーニーは話が早いな」とまた声を立てて笑った。
アーネストは、そこで待つようにと言われた、木製の幾何学模様の透かし彫りパーテーションで区切られた一角にある白い革張りのソファーに腰をおろした。手持ち無沙汰に頭上を見あげると、嵌めこまれたトップライトが、天井一面に貼られた細かな白いモザイクタイルをきらきらと照らしている。所々に置かれた自分の背丈と変わらない大きさの観葉植物がこのエキゾチックな空間に彩を添えている。
やがてエドワードが金色の盆に、金の縁取りのあるガラスのデミタスカップと真鍮のポットを載せて戻ってきた。脚付ガラスの菓子鉢には、ドライデーツが盛られている。
白い湯気のたつ紅茶が音をたてて注がれ、アーネストの前に置かれる。スパイスの香りが鼻腔を刺激する。彼は甘い紅茶を一息に流しこんだ。見た目ほどは熱くはない。
「それで、アスカはどうしてる?」
「弟の身を心配しすぎて胃潰瘍で静養中だよ」
「――悪いのか?」
「本当は入院させたいんだけどね、ヘンリーの弟が誘拐されかかったりで今は身辺が騒がしいからね、自宅療養中だ」
アーネストはすっと視線をあげてエドワードの様子を伺った。睨んだとおり、彼は自分の言葉を訝しんで目を眇めている。
「アスカがどうかした?」
「ん? ああ、ヘンリーの会社の立体映像、アスカが作ったんだよな」
「そうだよ」
「弟もそれを作れるのか?」
「どうしてそんなことを訊くのかな? 何かあった?」
「まぁ、いろいろとな……」
言葉を濁しながらエドワードは眉根を寄せ、おもむろに尻ポケットからへしゃげた煙草を取りだしてその中から一本抜くと、くしゃりと空になった箱を握り潰す。
「英国製もこれで終わりだ」
「すぐに帰れるさ」
半ば同情の色を浮かべてアーネストは口角をあげている。
「誰が操っているんだ?」
「何を?」
「あの立体映像」
「何の話?」
アーネストは手ずから、デミカップに二杯目の紅茶を注いだ。ちらりとエドワードを見ると、彼は煙草を加えたまま小さく頭を振っている。
「ロンドンの本店でもパリの見本市でも、立体映像を作るには大がかりな装置が必要で遠隔操作はできない、と言っていた」
「ロンドンの本店に来てくれていたんだ? ありがとう。そうだね、きみの言うとおりだよ」
さすがにロンドン本店の立体映像を見たことがあるのなら、巷を賑わせている殿下の幽霊は映像だと、そのくらいの予測はつくだろう。
アーネストは思考を巡らせながら、冷めてはいないが中途半端に温い紅茶を吐息と一緒に流しこむ。
「それなら、このところこの国で現れているあの国王や、皇太子の立体映像は弟が作って操作しているってことなのか?」
「彼のことは解らないな。そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない」
この手が使えるのもここまでか、とアーネストは内心の失望を隠しながらしらばっくれてみせる。
「あと三時間したら出国だってのに、ヨシノ・トヅキが海沿いの街、サハイヤ地区で目撃されてるんだ。もしも、今そこにいるのだとしたら、奴はここまでどうやって来るつもりなんだ? 空路は使えないだろ。陸路ではとてもじゃないが間に合わない。やはりそれも立体映像だと思うか、アーニー?」
訳が解らないと言いたげに、エドワードは、「まったく、こんなときにハリーは一切協力しやがらない」とぼやいて、乾燥し、焦げたように日焼けした指に挟まれたまだ長く残る煙草を荒く吸いこんだ。そして、ため息とともに煙を吐きすと、灰皿に押しつけ揉み消した。
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