胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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八章

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 ガバッ、と起きあがった飛鳥の目に一番に飛びこんできたのは、すぐそばで胡座をかき、じっと宙を睨みながら飛鳥のノートパソコンを叩いているデヴィッドの姿だった。

「何しているんだ!」

 思わず怒鳴りつけた飛鳥を振り返り、デヴィッドは「おはよう、もう夜だけどね」と、いつもと変わらない笑顔を見せる。だが飛鳥の視線はすでにデヴィッドを通り越している。その向こう、宙に浮くいくつものTS画面の上に目まぐるしく走らせて、食いいるように確認している。

「大丈夫だよ。今はどの離宮も、別荘も、ホテルのスィートルームも、平穏ぶじ」

 ふぅ、と飛鳥の口から吐息が漏れる。高まっていた緊張が一気に萎む。

「僕は、どのくらい寝ていた?」
「そうだね、7、8時間ってところかな」

 また飛鳥の口からは大きな吐息が漏れている。

「ごめん……」
「なんで謝るの?」
「いろいろ……」
「ヨシノたちがぶじ保護されるまで、僕がこれの監視をする。いい、アスカちゃん?」

 画面から目を逸らし、デヴィッドは飛鳥を振り返った。飛鳥は困惑して、返事もできないまま固まっているように見えた。だがやがて、彼は小さく首を振った。

「だめだよ。こんなことをきみにさせるわけにはいかない。こんな――」
「人殺しの真似事?」
 デヴィッドの皮肉な口ぶりに、飛鳥は眉をひそめて唇を噛む。
「殺しているわけじゃないでしょ」
 デヴィッドはそんな飛鳥を慰めるように呟いた。
「彼らは王族の命を狙った反逆者だ。警備兵が来るまで僕が足止めすることで捕まって、いずれ極刑になる」
「当然だよ!」

 黙りこんでしまった飛鳥に、デヴィッドは呆れ返った口調でたたみかけるように続けた。

「アスカちゃんにこそ、こんなことはさせられないよ。胃に穴が開くほど病んでいるくせに」
「ごめん……。でも、胃に穴を開けるのは、僕だけでいいだろ」

 情けない面持ちで呟いた飛鳥を、デヴィッドはふん、と鼻を鳴らして笑う。

「僕をアスカちゃんと一緒にしないでよ。僕はエリオットでも、ウイスタンでも軍事演習にも参加していたんだ。銃器だって扱える。敵に銃口を向けることをためらったりしない。――だから僕はね、アスカちゃん、きみと同じことをしたって、きみほどに傷ついたりはしないんだ」

 ふと飛鳥の目に映る淡々と語るデヴィッドの今の表情の上に、ヘンリーを貶めるなと、涙を滲ませて噛みついてきた彼の幼い表情が重なった。

 あれは、いつのことだったろうか――。ほんの数年前ではなかったのか。

「引き金を引くのをためらった方が死ぬ。ちゃんと解っているのにきみって人は――。こうやってヨシノの盾になりながらも、相手の命や、その家族を思って涙を流すんだ。僕は違うよ。躊躇しないし、良心の呵責を感じることもない。戦争も、テロも、謀略、暗殺――、どれも他人事じゃない、自分の身に起きうる問題トラブルとして育てられてきたし、それに対処できるように教育されてきたんだからね」

 教育以上に性格だろうけどね――。と思い返し、デヴィッドは自分で言いながら苦笑する。

 飛鳥は深く考えすぎるのだ。相手を思いやり過ぎる。相手の事を考え、どこまでも先を読もうとする。吉野と同じように。恐らく、この反乱軍のクーデターや便乗テロが完全制圧された後の、負けた弱者の怨嗟がどのような波紋を生んでいくのか、そこまで考えての憂慮もあるのだろう。できる事なら、敵であっても命は奪わず、話し合えるのなら話し合い、対立など終わらせたい、と心から祈ってもいるのだろう。有り得ないとどこかで解ってはいても。

「さぁ、解ったら下に顔を見せてあげて。それからご飯を食べてきなよ。アレンたちだって、きみを心配してるんだ。それに、ウィルと連絡が取れたって、さっきヘンリーが言ってた。聴いてきなよ」
「え?」

 殺伐としていた飛鳥の瞳に火が点った。

「さあ、僕よりも、ヘンリーの口から聴く方がいいだろ?」

 ウインクして、くいっと顎でドアを指し示すデヴィッドに、飛鳥はにっこりして立ちあがる。

「さっき、ウイスタンで泣いていたきみを思い出していた」

 言いながら、きょとんとするデヴィッドを尻目に飛鳥はくしゃくしゃのシャツだけでもと急いで着替え、別のシャツに袖を通している。

「あの時、きみは吉野みたいだと思ったんだ。一途で、真摯な瞳が吉野に似てるって。それを思い出してた」
「え~! 冗談じゃないよ、あんな悪ガキ! 僕は紳士なんだからね!」

 ノートパソコンから手を放し、デヴィッドは膨れっ面で唇を尖らせる。飛鳥は、ははは、と声をたてて笑った。

「そうだね、きみは紳士だね。あいつもきみみたいな紳士になってくれるかな、って期待が持てるよね」
「どういう意味だよ、アスカちゃん!」
「言葉通りだよ。ヘンリーは居間かな?」
「みんなといるよ」

 まだ不満そうに膨れたまま、けれど口元を緩ませてデヴィッドは答えた。

「ありがとう、デヴィ」

 ボタンをかけ終えた飛鳥が、小走りに部屋を駆け出ていく。

 デヴィッドは大きく息を吸いこむと宙を睨み、画面の中で今立ち昇ったばかりの硝煙と、自分の耳にのみ聞こえる設定にしている音声に神経を研ぎ澄ませて、ノートパソコンのキーボードを叩き始めた。





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