胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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八章

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「そう言うことか――」
 デヴィッドから事の成り行きを聴いたアーネストは、ふぅと深く嘆息する。
「ヘンリーも知っていたんだ」
「きっかけはあの夏のテロだよ。TS映像を遠隔操作できれば、技術者が多大なリスクを負ってまで現場にいる必要はなくなる。あれからアスカちゃんはずっとその開発に専念してきて、もちろんヘンリーもそのことは知っていたんだ」
「解るよ。ようするに問題は――、」
 皮肉気に口元を歪めるアーネストに、デヴィッドも厳しい面持ちで頷く。
「軍事利用に直結する恐れがあった、ってこと。今回、はからずも証明されてしまったね」

 軍事利用を恐れて技術の公開をかたくなに拒んできた飛鳥が、率先して軍事行動として実践したのだ。そのあまりの運命の皮肉に、二人は目を見合わせ、やがてどちらからともなく目を逸らせると、互いにそれぞれの物想いに沈んだ。


「アスカちゃんのこと、腹が立つ?」
「僕たちにも隠していたってことを?」
 頷くデヴィッドに、苦笑しながらアーネストは首を振る。
「立場が逆なら、僕も同じことをしただろうよ」

 やがていずれは、と解ってはいても、そのいつかという日を一日でも引き伸ばしたいのが人というもの――。

 飛鳥の葛藤は決して他人事ではない。自分にしたって、自分たちの会社であるアーカシャーHDの製品が兵器として利用されるのには躊躇する。
 だが、それだって目の前で弟の命が危険に晒されているとなれば話は別だ。飛鳥にしろ、自分にしろ、その恐怖を何度も味わっているともなれば……。

 そんな想いが先だって、逆に飛鳥に対して今までとは異なった共感さえ感じているアーネストだった。

「今は皆どうしているの?」
「アスカちゃんは、今度こそ本当に寝ている。ヘンリーはTSの監視。動きがあったら僕を呼んで、って言ってある。サラはヨシノを探索中で、ほかの子たちは居間にいるはずだよ」
「ヘンリーに逢う前に、彼らの様子を見てくるかな」

 立ち上がるアーネストにデヴィッドも続いた。

「皆、食事は? ちゃんと食べられたかい?」
「もちろん。みんな若いよね~。こんな時でも、もりもり食べていたよ」
「アレンも?」
「必死の形相でね、無理やり口に押しこんでたなぁ」

 何ともいえない表情で視線を向けてきたデヴィッドにアーネストは小さく嘆息し、「あの子にしては格段の成長だね」と苦笑を返した。




 二階のアーネストの自室から居間におりると、テレビの音声だけが単調に流れる中、アレンもクリスもフレデリックも、蒼白な面を伏せたままじっと膝上で両手を組み合わせ、そろって祈りでも捧げているかのように黙りこくっている。

「どうしたの、みんな」
 デヴィッドはちらとアーネストと視線を交わし、二人で喋っていたこのわずかな間に何か悪い速報でも入ったのか、と緊張に身を強張らせる。

「ニュースで、」
 面をあげたフレデリックが、震え声で告げた。
「サウードの死亡説が流れている、って」
「立ち入り禁止の離宮から叫び声があがって、半狂乱のテロリストが幽霊兵に守られてさ迷い歩く血だらけのサウードを見たって、駆けつけた警備兵に供述してるって――」

 クリスが後をついで、叫ぶように一気に捲したてる。

 思わず吹き出しかけて慌てて口元を抑え、デヴィッドは顔の前で片手をひらひらと振る。

「血だらけにはした覚えはないなあ」
「え?」

 怪訝げな視線が一斉にデヴィッドに集中する。その横では、アーネストも肩を震わせて笑いを噛み殺している。

「TS映像だからね、そのサウード殿下。本物の居場所を掴まれないようにって敵を攪乱するために、アスカちゃんが作った立体映像のダミーだよ」

 ついに笑い出しながらデヴィッドが真相を告げると、一気に沈鬱だった空気が緩み、その口々には安堵の吐息が漏れていた。

「――きみ、今、テロリストって言ったね? 反乱軍じゃなくて」

 アーネストの目に慎重さが戻り、射るような視線がフレデリックに向けられた。

「はい。ニュースではそう言っていました。この機に乗じて、王室転覆を目論んで不法侵入したテロリストだって」

 フレデリックは居住まいを正してアーネストに応えた。死亡説はデマにしても、まだまだ安心できる状況ではないのだと、緩みかかった拳を膝の上でもう一度握りしめる。

「あの、腐れ大臣が――!」

 小声で呟いたアーネストの一番近くに座っていたアレンの肩がびくりと震えた。

「アブド大臣が――、」

 続きを言葉に載せることすら疎ましくて、アレンは言いかけたままいったん唇を引き結んだ。だが、すぐに深く深呼吸をすると毅然と頭をあげ、真っ直ぐにアーネストを振り仰いで、胸の内に燻る疑問を直球でぶつけた。

「アブド大臣はサウードの死を望んでいるのですね。だから、反乱軍が鎮圧されても、サウードも、陛下も、ヨシノも姿を現さない。そうなのですね」

 クーデター勃発からすでに一日半。戦闘はとうに収まり、情勢はいまだ混乱の中にあるとはいえ、王宮はアブド大臣の統制下で平穏をとり戻しつつあるという。報道では、そういわれているのだ。

 アーネストはアレンの真剣な眼差しにヘンリーと同じ強い意思を宿すセレストブルーを見出して、気圧されながらも誤魔化すことなく静かに頷く。

「まだ、終わりじゃないのですね」
 アレンは悲痛な面持ちで目を伏せ、唇を噛んだ。

「もう終わる」

 ふわりと、温かな手に頭を抱えられた。

「大丈夫、みんな無事だよ。サウード殿下から英国に支援要請があったんだ。保護して欲しいってね」

 目を見開いて顔をあげたアレンの頭を、アーネストがぽんぽんと撫でていた。次いで、ソファーから立ちあがって満面に喜色を湛えたクリスとフレデリックに微笑みかけている。
 そんな兄を横目で見遣り、デヴィッドは、僕には何も教えてくれなかったくせに――、と拗ねたように唇を尖らせる。

「英国は、要請を受けるんですね?」

 フレデリックの慎重な質問に、アーネストはしっかりと頷いた。

「まだ決定ではないけどね。詳細が決まり次第、僕がヨシノの保護者ガーディアンとして、殿下ともども彼を迎えにいくつもりだよ」

「僕も行きます!僕も、連れていって下さい!」

 アレンが震えながら、だが、はっきりとした声音で懇願していた。想いはすでにかの国に飛んでいるかのような――、遠い、遠い眼差しで。




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