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八章
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「ヨシノが僕から離れていったのは、このことを僕に教えるためだったのかな」
車のシートに深く寄りかかったまま、アレンがふいに呟いた。
「このことって?」
フレデリックは、それまでの緊張をようやくほぐして脱力していた身体を起こし、問い返す。
「セレモニーの間中、僕はヨシノのことだけしか考えられなかったんだ。皆、あの瞬間、あの場にいたのに――、僕だけが違っていた。僕はいつもそうなんだ。ヨシノの背中を追うばかりで周りがちっとも見えていない。皆があんなふうに僕のことを想ってくれていたなんてちっとも知らなかった。それに――、知ろうともしなかった」
自己嫌悪で声を震わせて、とつとつと絞りだすように話すアレンの拳は膝のうえでぎゅっと握られている。その上に、フレデリックは自分の手を重ねて置いた。
「そうだね。きみのことを見守っていたのはヨシノだけじゃない。きみは、きみが思っている以上にたくさんの仲間に愛されていたよ。確かに彼は、きみにそのことに気づいて欲しかったのかもしれないね」
優しく微笑んで目を細めるフレデリックの横で、クリスが目をむいて唇を尖らせ口を挟んだ。
「とんでもない! 気づかなくて良かったんだよ! だいたいきみはさ、自覚がなさすぎるもの! きみがにっこりして、ありがとうって言うたびに、雄叫びがあがってたんだよ! きみのためなら死んでもいいなんて言いだす輩がどれほどいたか、きみは知らないから――!」
「まさか……。エリオットだよ? 考えられないよ」
苦笑するアレンに、クリスは人差し指を立てて、ちっちっと横に振る。
「甘い、甘い! きみの横に常にいたのが、あのヨシノで、彼がいなくなってからは学生デヴューのベストセラー作家、フレデリック・キングスリーだったから、誰も何も言いだせなかっただけなんだからね!」
ぽかんと自分を見つめるアレンを呆れたように見遣り、「まったく、僕がどれだけきみへのラブレターを握り潰してきたか知らないから……。ヨシノだって、」とそこまで言いかけてから、クリスは慌てて口をつぐんだ。だが時すでに遅しで、「ヨシノだって?」とアレンは探るように彼を見つめてオウム返しに問い質していた。クリスはフレデリックに助けを求めるようにその脇を小突いた。だがフレデリックの方も、クリスの脇腹を突き返して眉を潜めている。
「ヨシノ、やっぱり影でなんやかやしていたんだ――」
吉野がこの場にいようといまいと関係ない。自分は常に彼の灯す明かりに照らされ、彼の作る影の中に守られている。この事実は変わらないのだ、とアレンは苦笑して軽く首を振った。
その彼が自分を一人残して逝くわけがない。どんな危険に晒されようとも――。
「いいよ、もう。ヨシノが守ってくれていたから、今の僕がいる。解っているよ」
「僕たちだっているよ!」
「そうだよ、アレン。ヨシノだけじゃない。僕たちも寮の皆も、彼には及ばないまでも、少しでもきみの支えになりたいとずっと思っているんだよ。そしてそれは卒業したって変わりはしない」
クリスもフレデリックも、これから聞かされることになる吉野の現状に思いを馳せ、少なからずショックを受けることになるであろう未来を想定しているのだ。その時に、決して取り乱したりしないように、互いが互いの支えになれるようにと覚悟を決めているのだ。それがその口調に、そして決然とした視線に見て取れた。
「ありがとう。僕も僕にできることを探す。ヨシノのためにできることを」
祈りにも似た想いを込めて、アレンはぎゅっと目を閉じて両の手を組み合わせた。
初めて訪れたケンブリッジ郊外のヘンリーの館を、クリスもフレデリックも、意外な思いで見上げていた。闇の中浮かびあがる蜂蜜色の館が、ヘンリーやアレンの持つ豪華で華やかなイメージとはそぐわない、愛らしく温かな雰囲気に満ちていたからだ。
彼らが出迎えた執事に案内されて居間へ通されると、一足先に帰宅していたヘンリーとアーネストがソファーから立ち上がった。
「すまなかったね、急に無理を言って」
「いいえ、こちらこそ、お気遣いいただきありがとうございます」
しっかりしたフレデリックの返答に、ヘンリーは笑みを湛えて握手を交わす。次いでクリスとも。そのなかでアレンだけが、今は火の入っていない暖炉上に映しだされている、ハンディカメラで撮られたらしい荒い映像を食い入るように見つめていた。
白亜の宮殿からいく筋も黒炎が昇り立っている。その正面玄関に次々と集まるジープからは続々と銃器を抱えた兵士たちが飛び降り、王宮内へと向かっているのだ。
「まさか、テロ――、王宮で?」
蒼白な面に瞬きさえ忘れたかのように立ちつくしているアレンに驚き、すぐにその先の映像がどこであるのか察したフレデリックは、自らも血の気が引いていくのを自覚しながら呟いた。
「そうじゃない、クーデターだ」
「クーデターって、ヨシノは? サウードは? イスハークは?」
淡々としたヘンリーの返答に、フレデリックの腕にすがりついて声を荒らげて叫んだのは、アレンではなく、クリスだった。
「マーカス、お茶を」
アーネストは傍らの執事をちらりと見ると、クリスを支えソファーに座らせる。
「きみたちも座って」
アレンも、フレデリックも、ふらりと倒れこむように腰をおろした。
「ヨシノは――」
「ぶじ。まだ居場所は確定できていないけれど。TSを使って、国王とサウード殿下の居所は反乱軍に知られないように攪乱しているところ」
上方から降ってきた、可愛らしい、だが緊迫した声音に、皆一斉に頭上を振り仰いでいた。
車のシートに深く寄りかかったまま、アレンがふいに呟いた。
「このことって?」
フレデリックは、それまでの緊張をようやくほぐして脱力していた身体を起こし、問い返す。
「セレモニーの間中、僕はヨシノのことだけしか考えられなかったんだ。皆、あの瞬間、あの場にいたのに――、僕だけが違っていた。僕はいつもそうなんだ。ヨシノの背中を追うばかりで周りがちっとも見えていない。皆があんなふうに僕のことを想ってくれていたなんてちっとも知らなかった。それに――、知ろうともしなかった」
自己嫌悪で声を震わせて、とつとつと絞りだすように話すアレンの拳は膝のうえでぎゅっと握られている。その上に、フレデリックは自分の手を重ねて置いた。
「そうだね。きみのことを見守っていたのはヨシノだけじゃない。きみは、きみが思っている以上にたくさんの仲間に愛されていたよ。確かに彼は、きみにそのことに気づいて欲しかったのかもしれないね」
優しく微笑んで目を細めるフレデリックの横で、クリスが目をむいて唇を尖らせ口を挟んだ。
「とんでもない! 気づかなくて良かったんだよ! だいたいきみはさ、自覚がなさすぎるもの! きみがにっこりして、ありがとうって言うたびに、雄叫びがあがってたんだよ! きみのためなら死んでもいいなんて言いだす輩がどれほどいたか、きみは知らないから――!」
「まさか……。エリオットだよ? 考えられないよ」
苦笑するアレンに、クリスは人差し指を立てて、ちっちっと横に振る。
「甘い、甘い! きみの横に常にいたのが、あのヨシノで、彼がいなくなってからは学生デヴューのベストセラー作家、フレデリック・キングスリーだったから、誰も何も言いだせなかっただけなんだからね!」
ぽかんと自分を見つめるアレンを呆れたように見遣り、「まったく、僕がどれだけきみへのラブレターを握り潰してきたか知らないから……。ヨシノだって、」とそこまで言いかけてから、クリスは慌てて口をつぐんだ。だが時すでに遅しで、「ヨシノだって?」とアレンは探るように彼を見つめてオウム返しに問い質していた。クリスはフレデリックに助けを求めるようにその脇を小突いた。だがフレデリックの方も、クリスの脇腹を突き返して眉を潜めている。
「ヨシノ、やっぱり影でなんやかやしていたんだ――」
吉野がこの場にいようといまいと関係ない。自分は常に彼の灯す明かりに照らされ、彼の作る影の中に守られている。この事実は変わらないのだ、とアレンは苦笑して軽く首を振った。
その彼が自分を一人残して逝くわけがない。どんな危険に晒されようとも――。
「いいよ、もう。ヨシノが守ってくれていたから、今の僕がいる。解っているよ」
「僕たちだっているよ!」
「そうだよ、アレン。ヨシノだけじゃない。僕たちも寮の皆も、彼には及ばないまでも、少しでもきみの支えになりたいとずっと思っているんだよ。そしてそれは卒業したって変わりはしない」
クリスもフレデリックも、これから聞かされることになる吉野の現状に思いを馳せ、少なからずショックを受けることになるであろう未来を想定しているのだ。その時に、決して取り乱したりしないように、互いが互いの支えになれるようにと覚悟を決めているのだ。それがその口調に、そして決然とした視線に見て取れた。
「ありがとう。僕も僕にできることを探す。ヨシノのためにできることを」
祈りにも似た想いを込めて、アレンはぎゅっと目を閉じて両の手を組み合わせた。
初めて訪れたケンブリッジ郊外のヘンリーの館を、クリスもフレデリックも、意外な思いで見上げていた。闇の中浮かびあがる蜂蜜色の館が、ヘンリーやアレンの持つ豪華で華やかなイメージとはそぐわない、愛らしく温かな雰囲気に満ちていたからだ。
彼らが出迎えた執事に案内されて居間へ通されると、一足先に帰宅していたヘンリーとアーネストがソファーから立ち上がった。
「すまなかったね、急に無理を言って」
「いいえ、こちらこそ、お気遣いいただきありがとうございます」
しっかりしたフレデリックの返答に、ヘンリーは笑みを湛えて握手を交わす。次いでクリスとも。そのなかでアレンだけが、今は火の入っていない暖炉上に映しだされている、ハンディカメラで撮られたらしい荒い映像を食い入るように見つめていた。
白亜の宮殿からいく筋も黒炎が昇り立っている。その正面玄関に次々と集まるジープからは続々と銃器を抱えた兵士たちが飛び降り、王宮内へと向かっているのだ。
「まさか、テロ――、王宮で?」
蒼白な面に瞬きさえ忘れたかのように立ちつくしているアレンに驚き、すぐにその先の映像がどこであるのか察したフレデリックは、自らも血の気が引いていくのを自覚しながら呟いた。
「そうじゃない、クーデターだ」
「クーデターって、ヨシノは? サウードは? イスハークは?」
淡々としたヘンリーの返答に、フレデリックの腕にすがりついて声を荒らげて叫んだのは、アレンではなく、クリスだった。
「マーカス、お茶を」
アーネストは傍らの執事をちらりと見ると、クリスを支えソファーに座らせる。
「きみたちも座って」
アレンも、フレデリックも、ふらりと倒れこむように腰をおろした。
「ヨシノは――」
「ぶじ。まだ居場所は確定できていないけれど。TSを使って、国王とサウード殿下の居所は反乱軍に知られないように攪乱しているところ」
上方から降ってきた、可愛らしい、だが緊迫した声音に、皆一斉に頭上を振り仰いでいた。
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