胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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八章

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 桜林から芝生をぬけ、二人はコンサバトリーへの緩やかな坂を下る。こちら側からは、ガラス越しに飛鳥やヘンリー、サラ、デヴィッドの姿が見えるのだが、彼らは真剣な表情で天井を見上げているだけで、一向に彼らに気づく素振りもない。

「また何か作っているのか――」
 尋ねたというよりは、ただ呟いただけのような吉野だったが、アレンは微笑んで頷いた。
「イベント用の新作だよ」
「何のイベント?」
「企業秘密」
 ちらりと横目で自分を見た吉野に、アレンはふふっと澄まして答える。

「お前なぁ――。いいよ、飛鳥に聞くから」
「僕も一緒にデザインを考えたんだよ」
「お前、学部は何にしたの?」
 誇らしげなアレンの横顔に、吉野は真面目な口調で問いかける。

「大学? 経営だよ」
「美術や音楽には進まないのか?」
「うん。趣味でやっているだけだしね」
「祖父さんの命令?」
「違うよ。僕が自分で選んだんだ」
 真っ直ぐに向けられた瞳。だが、どこか気負ったように強く紫が勝っているその瞳に、吉野はくすりと笑みを返す。



 コンサバトリーのドアを外側からカチャリと開けると、やはり想像した通りに仄暗い闇が広がっていた。この立体映像の空間にいつまで経っても慣れないアレンは、傍らの、ポケットに手を突っ込んだままの吉野の腕を我知らず掴んでいる。

「飛鳥」
 吉野はそんなアレンの戸惑いを特に気にするふうでもなく、かまわず足を進めていく。
「ああ、お帰り、吉野」
 さっきも聞いたぞ、と吉野はくすりと笑い、おもむろにぐるりと辺りを見渡す。

「ここって何なの? 待って、言わなくていい。当てるから」


 入ったばかりのときは暗闇に見えていたその場所は、少し慣れると、ほんわりと薄紫の光に包まれた空間に変わている。天井からも、床からも、いくつもの鍾乳石が突きだすように生えている洞窟らしい。
 細い通路から導かれる広場に、飛鳥とヘンリーが佇んでいる。その背後でサラとデヴィッドが、この場には不釣り合いなソファーに座り、パソコンを覗きこんでいる。


「――アラジンと魔法のランプの洞窟」

 なんだ、やっぱり知っているんじゃないか、とアレンはつまらなそうに唇を尖らせて吉野を睨む。


「残念、トム・ソーヤの洞窟だよ」
「嘘つけ。これ、鍾乳洞だろ? 懐かしいな」

 つららのように天井から下がるつらら石を鏡映しにした、透き通る湖面を模した床の上を突っ切って、吉野は飛鳥の傍らに沿う。

「トム・ソーヤの洞窟はテーマパークにあるものな。だから変更したんだろ?」
「お前さぁ、なんで知っているの? また勝手にパソコンに侵入した?」

 飛鳥は膨れて吉野を疑るように見やった。その横で、ヘンリーはすいと視線を逸らしている。

「あいつに聞いた」

 吉野の指差した先は白いソファーだ。飛鳥は、納得して吐息を漏らした。

「デヴィか……」
「その横」

 訝しげに眉根を寄せた飛鳥とほぼ同時に、何も言わないまま睨みつけてきたヘンリーに、吉野は思わず吹きだしながら、揶揄うように声を高める。

「そんな顔しなくてもいいだろ? 俺があいつと話しちゃまずいの?」

「僕にはメールひとつくれないのに……」
 掴まれた腕に力が入っている。振り返った吉野は、顎をしゃくってにっと笑った。
「大学でしっかり勉強しろよ。そしたらさ、俺がお前に質問するような日も、い、つ、か、来るかもしれないぞ」

 憮然と唇を尖らせているアレンを尻目に、吉野はヘンリーに視線を移すと、声音を落として彼を呼んだ。

「ヘンリー、ちょっといいか」


 コンサバトリーから退出する二人をじっと見送ると、アレンはくるりと向きを返る。
「アスカさん、もう絶対にヨシノを驚かせるようなものを創りましょうね! 一緒に!」
 彼には珍しくセレストブルーの瞳を燃えたたせ、力強く言い放つ。もちろん、飛鳥に依存のあろうはずがない。





「やっぱり、マーカスの淹れてくれるお茶が一番美味いよ」
「恐れいります」

 にっこりする吉野に、マーカスも柔らかく微笑み返している。

 いつの間にか人を使う立場の人間らしいオーラを身につけ、自分と対等に対座する彼に、その成長ぶりへの嬉しさと若干の淋しさを感じながら、ヘンリーは姿勢を正したまま続く言葉を待っている。

「悪い話がいくつかある」

 トーンを落として発せられた第一声に、ヘンリーは解っていた、とでもいうように軽く頷いてみせる。

「ジャックがかなり悪いんだ。明日、あいつも連れて逢いにいってくるよ」

 だが、予想に反した思いがけないその言葉に、ヘンリーはきつく眉を寄せることになったのだ。――中東情勢の厳しさなら、聞き及んでいたから覚悟はできていたのに。

「そんなにお悪いのかい?」
「たぶん、俺、ジャックに逢えるのは、これで最後になるんじゃないかと思うんだ」
「僕も――、かまわないかい?」
「喜ぶよ。よくあんたの話をしていたんだ。あんたとフランクの……」


 二人とも、それ以上は口を噤んだままで、ティーカップを運んだ。
 こくり、と飲み下した音が聞こえるほどの静寂のなかで、カチャリ、とカップの置かれる音が、いやに高く響いていた。

「――ありがとな」
「きみにお礼を言われる筋合いじゃないよ」
「いいじゃないか。俺、ジャックが好きなんだからさ。礼くらい言わせろよ。あの親父のために、あんたが色々骨を折ってくれてたことをさ、俺は絶対に忘れないよ」


 吉野が新入生の頃にあったジャックのパブの買収事件以来、ヘンリーは陰ながら彼の店を援助していたのだ。本人に気づかれないようにアルバイトや店員として優秀な人材をさし向け、経理や経営のノウハウを息子のジェイクに指導していたことを、吉野は知っている。だからアンも安心して大学に進学することができ、学業に打ちこめたのだ。
 ヘンリーは表立って恩を売るような真似はしない。相手が負担になるような好意のかけ方はしない。

 そこが、自分とは違う――。

 吐き出したい吐息をぐっと呑みこみ、吉野は表情を引きしめる。


「それからな、サウードの国の内部情勢なんだがな、」

 冷徹なまでに毅然と頷いたヘンリーをまっすぐに見つめ直して、吉野は話題を変えて話し始めた。



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