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八章
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「アスカちゃん、顔が緩んでいるよ」
そんなデヴィッドの呆れ声にも、飛鳥は緩みきった口許をさらに綻ばせている。
「だって、この頃の吉野なんて可愛すぎだろ」
コンサバトリー内を、いや、木漏れ日の差す明るい新緑の森の中を、そこに溶け込むような緑の衣裳で、小さな弓を片手に幼い吉野が走り回っている。その映像に、飛鳥はさきほどからにやにやと顔を緩ませっ放しなのだ。
「小さなロビン・フッドか、ピーター・パンかって感じでさ!」
「イメージ、被りすぎだよねぇ」
楽しそうな飛鳥とは裏腹に、デヴィッドは深いため息を漏らしている。
「やっぱり、てんで駄目だ。使い物にならないよ」
「そう? 面白いと思うよ、このゲーム」
「そりゃ、主人公がヨシノだからでしょ」
声を立てて笑うデヴィッドに釣られて飛鳥も笑いだし、「ラスボスはコスプレしたヘンリーだしね」と付け加える。
デヴィッドは、さっそく手元に置かれた投影装置をカチャカチャと触り、王の扮装をしたヘンリーを小さな吉野の隣に並びたたせる。
「うわっ、ヘンリーが若いよ!」
「彼が見たら、絶対にこんな顔するよ」と飛鳥が眉をしかめてみせると、デヴィッドも大いに賛同して笑い転げた。
「ヘンリー、知らないものねぇ」
二人の視線の先で、頭上に冠を頂き、鎖帷子に白のタバートをまとったヘンリーの真紅のマントが風になびいている。本物の風など、もちろん吹いてはいないが――。威厳と華やぎを両立させ、かす涼やかに佇むその姿は、まさに王者というに相応しい。
「せっかくアスカちゃんに立体映像に直してもらったのにね――。ごめん、やっぱり僕には無理みたいだ。商品になるようなものは作れない」
デヴィッドは笑いを治めると、深くしみじみと息をついた。
「これは僕の青春の思い出。それだけのものでしかないんだ」
「もったいないなぁ……。きみは、この道にはもう進む気はないの?」
飛鳥にしてみれば、映像も構成も充分に楽しめる完成度の高いものなのだ。何が気にいらないのか、というよりも、デヴィッドは話がでた時と比べると、すっかりやる気の方が失われてしまっているようにみえる。
「充分好きにさせてもらったからねぇ……。僕はこれ以上アーニー一人にラザフォードを押しつける訳にはいかないよ。アスカちゃん、きみがヨシノが可愛くって仕方がないように、アーニーは、僕の傘となり杖となって今までの僕を守って、支えてくれていたからね」
周囲の緑に染まるように、彼の深緑を映すヘーゼルの瞳が物憂げに揺れていた。
「僕にはアーニーの想いは判らないけれど――。僕は、家の柵は僕が背負うから、吉野は好きに生きてくれればいい、って思ってるよ。きみたちやヘンリー、ロニーの背負ってきているものには、及びもつかないのだろうけど――」
「アスカちゃんがそんなだから、ヨシノの方もお兄ちゃん離れできないんだねえ」
ソファーの肘掛けに寄りかかり、くすくす笑うデヴィッドを、飛鳥は思いがけず「え?」と見つめ返した。
吉野は好きに生きているじゃないか――、と。
デヴィッドはその頬に明るい緑の照り返しを受けながら、ぼんやりと森の中のヘンリーを眺めている。
「芸術を表現することに、意欲が湧かなくなったのかなぁ。芸術を生きている奴が目の前にいるからねぇ。ヘンリーはまさしく、リチャード小父さんの作品だよ」
「作品――、ヘンリーが?」
「貴族っていうのは、存在そのものが芸術なんだ。その生き方で人々を魅了し、侵さざるべきものとして納得させるだけの美と品格がなければ存続できない。清廉に、美しく、常に正しく、誇り高く――。それがヘンリーだよ」
確かに、そこにいるだけで彼は他を圧倒し魅了する。その静謐な空気に。高貴さに。誰もが憧れずにはいられない。昔も今も。
「美しく生きる、それは勝手気ままに生きていたんじゃ叶わない」
「――ここにいる彼は、きみだけの彼なんだね」
誰にも見られたくない、触れられたくない、そういう事なのだ、きっと――。
飛鳥はひとり納得を得て押し黙った。彼自身が、小さな吉野をこの空間に閉じ込めておきたいと想うのと、デヴィッドのヘンリーへの想いは同じなのだ、と。
「じゃあ、別の何かを考えないとね。やっぱり止めた、なんて言うとヘンリーが切れるよ。ああいう時の彼のあの笑顔――」
「背筋が凍るよね」
だらりと感傷に浸っていたデヴィッドの背筋がしゃきりと伸びる。飛鳥の言う通り、これが駄目なら代替案を出せ。そう言うのがヘンリーだ。
彼はこの物憂い甘酸っぱい感傷を理解してくれる。大切にしてくれる。だが、そこに留まり続けることは許さない。
ともに歩み続けたいと、望むのであれば――。
「ゲームじゃなくてさぁ、TSイベントにしようよ、ロンドンの本店でさ。それならやってみたいことがあるんだ。MR――、複合現実ならでは、ってやつ!」
デヴィッドは、打って変わって明るく声を弾ませる。飛鳥は笑って頷いて、新緑に萌える閑寂な森を一瞬のうちにかき消した。
そんなデヴィッドの呆れ声にも、飛鳥は緩みきった口許をさらに綻ばせている。
「だって、この頃の吉野なんて可愛すぎだろ」
コンサバトリー内を、いや、木漏れ日の差す明るい新緑の森の中を、そこに溶け込むような緑の衣裳で、小さな弓を片手に幼い吉野が走り回っている。その映像に、飛鳥はさきほどからにやにやと顔を緩ませっ放しなのだ。
「小さなロビン・フッドか、ピーター・パンかって感じでさ!」
「イメージ、被りすぎだよねぇ」
楽しそうな飛鳥とは裏腹に、デヴィッドは深いため息を漏らしている。
「やっぱり、てんで駄目だ。使い物にならないよ」
「そう? 面白いと思うよ、このゲーム」
「そりゃ、主人公がヨシノだからでしょ」
声を立てて笑うデヴィッドに釣られて飛鳥も笑いだし、「ラスボスはコスプレしたヘンリーだしね」と付け加える。
デヴィッドは、さっそく手元に置かれた投影装置をカチャカチャと触り、王の扮装をしたヘンリーを小さな吉野の隣に並びたたせる。
「うわっ、ヘンリーが若いよ!」
「彼が見たら、絶対にこんな顔するよ」と飛鳥が眉をしかめてみせると、デヴィッドも大いに賛同して笑い転げた。
「ヘンリー、知らないものねぇ」
二人の視線の先で、頭上に冠を頂き、鎖帷子に白のタバートをまとったヘンリーの真紅のマントが風になびいている。本物の風など、もちろん吹いてはいないが――。威厳と華やぎを両立させ、かす涼やかに佇むその姿は、まさに王者というに相応しい。
「せっかくアスカちゃんに立体映像に直してもらったのにね――。ごめん、やっぱり僕には無理みたいだ。商品になるようなものは作れない」
デヴィッドは笑いを治めると、深くしみじみと息をついた。
「これは僕の青春の思い出。それだけのものでしかないんだ」
「もったいないなぁ……。きみは、この道にはもう進む気はないの?」
飛鳥にしてみれば、映像も構成も充分に楽しめる完成度の高いものなのだ。何が気にいらないのか、というよりも、デヴィッドは話がでた時と比べると、すっかりやる気の方が失われてしまっているようにみえる。
「充分好きにさせてもらったからねぇ……。僕はこれ以上アーニー一人にラザフォードを押しつける訳にはいかないよ。アスカちゃん、きみがヨシノが可愛くって仕方がないように、アーニーは、僕の傘となり杖となって今までの僕を守って、支えてくれていたからね」
周囲の緑に染まるように、彼の深緑を映すヘーゼルの瞳が物憂げに揺れていた。
「僕にはアーニーの想いは判らないけれど――。僕は、家の柵は僕が背負うから、吉野は好きに生きてくれればいい、って思ってるよ。きみたちやヘンリー、ロニーの背負ってきているものには、及びもつかないのだろうけど――」
「アスカちゃんがそんなだから、ヨシノの方もお兄ちゃん離れできないんだねえ」
ソファーの肘掛けに寄りかかり、くすくす笑うデヴィッドを、飛鳥は思いがけず「え?」と見つめ返した。
吉野は好きに生きているじゃないか――、と。
デヴィッドはその頬に明るい緑の照り返しを受けながら、ぼんやりと森の中のヘンリーを眺めている。
「芸術を表現することに、意欲が湧かなくなったのかなぁ。芸術を生きている奴が目の前にいるからねぇ。ヘンリーはまさしく、リチャード小父さんの作品だよ」
「作品――、ヘンリーが?」
「貴族っていうのは、存在そのものが芸術なんだ。その生き方で人々を魅了し、侵さざるべきものとして納得させるだけの美と品格がなければ存続できない。清廉に、美しく、常に正しく、誇り高く――。それがヘンリーだよ」
確かに、そこにいるだけで彼は他を圧倒し魅了する。その静謐な空気に。高貴さに。誰もが憧れずにはいられない。昔も今も。
「美しく生きる、それは勝手気ままに生きていたんじゃ叶わない」
「――ここにいる彼は、きみだけの彼なんだね」
誰にも見られたくない、触れられたくない、そういう事なのだ、きっと――。
飛鳥はひとり納得を得て押し黙った。彼自身が、小さな吉野をこの空間に閉じ込めておきたいと想うのと、デヴィッドのヘンリーへの想いは同じなのだ、と。
「じゃあ、別の何かを考えないとね。やっぱり止めた、なんて言うとヘンリーが切れるよ。ああいう時の彼のあの笑顔――」
「背筋が凍るよね」
だらりと感傷に浸っていたデヴィッドの背筋がしゃきりと伸びる。飛鳥の言う通り、これが駄目なら代替案を出せ。そう言うのがヘンリーだ。
彼はこの物憂い甘酸っぱい感傷を理解してくれる。大切にしてくれる。だが、そこに留まり続けることは許さない。
ともに歩み続けたいと、望むのであれば――。
「ゲームじゃなくてさぁ、TSイベントにしようよ、ロンドンの本店でさ。それならやってみたいことがあるんだ。MR――、複合現実ならでは、ってやつ!」
デヴィッドは、打って変わって明るく声を弾ませる。飛鳥は笑って頷いて、新緑に萌える閑寂な森を一瞬のうちにかき消した。
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