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七章
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吉野が久しぶりに学校に戻ってみると、見える景色が一変していたのだ。
真面目で地味なフレデリックは一躍時の人だ。だがあまりにも衝撃的な小説の内容に、校内はどこかピリピリとした空気に包まれている。それに何よりも取り沙汰されているのは――。
「やっぱりヘンリー卿だよね。この主人公が恋焦がれていた相手って!」などとクリスでさえも、あからさまに口にしている話題だった。
「お前さぁ、そんなこと軽々しく言うなよ。誤解されるだろ? もうこの学校には、ヘンリーやフランクをじかに知っている奴なんて、いないんだからさ」
吉野はややため息交じりで、そんな彼を諌めている。
「いいじゃないか! べつに付き合っていたとかじゃなくて、主人公の片想いなんだし。それに、告白しないまま、どこまでも相手を想い続けている純愛だよ。たとえ同性からでもこんなに愛されるなんて、僕は純粋に羨ましいよ!」と、クリスは瞳をキラキラと輝かせて主張してくるのだ。
「皆が皆、お前みたいに思う訳じゃないだろ? 変に勘ぐる奴らの方が多いんだよ」
「勘ぐるって?」
「だからさぁ、」
吉野は、またため息をつく。
だいたい吉野とアレンが陰で散々に噂されている現状で、彼らにとってこの内容は正直辛い。だが、友人の描きあげた架空の世界に夢中なクリスには、そんな現実は見えていないらしい。
この本をどう思っているか、と吉野はヘンリーに訊ねてみた。彼からは、「大いに笑った」と返ってきた。ヘンリーの言では、この主人公は実際のフランクとは似ても似つかぬ、フィクションならではの人物像なのだそうだ。
それはそうだろう。フレデリックにしろ、フランクが亡くなった当時は十一、二歳の子どもでしかなかったのだ。そのうえ実家でともに過ごすことのできた休暇中ですら、フランクはバイトに明け暮れていたのだ。彼らが接していた時間など、本当にわずかなものだった。不可解な死に絡めとられた兄が、弟の中で美化されるのも当然というものだ。
当事者にしてみれば笑い話になるような架空の話、そんなものなのかもしれない。
だが、想う相手に秘めた愛を捧げる、という本のテーマが異様な熱気を持って校内に広がっている事実を吉野はひしひしと感じていたし、これでまた、アレンの周囲が騒がしくなるのでは、と気が重いのだ。
肝心のフレデリックは自宅謹慎中で、直接会うこともできない。理由は、無断外泊だか外出だか――。さすがに学校側も、出版を理由に停学にはできないらしい。父兄や世間への対応に追われている現状の荒波が凪ぐまで、おとなしくしていろ、というところか――。
土曜か日曜にでも会いに行くか、と吉野はぼんやりと考えている。
本に書かれているヘンリーでさえ知らなかったこと――。
それが事実なのかも、吉野は知りたかった。そして、それをフレデリックがどうやって知り得たのか? 吉野にはとてもフィクションだとは思えない、事件の核心に迫る詳細な背景が本の中には描かれていたのだから。
クリスの講釈に長々と耳を傾ける一方で、吉野がそんな事も考えていると、遅れてアレンとサウードもやってきた。背後にイスハークも伴っている。学舎のカフェテリアといえども、これなら誰かに邪魔されることもないだろう、と吉野は片手を挙げて彼らを招く。
アレンが席に着いた時だった。
「こんな本がベストセラーだなんて世も末だね。男の癖に、男が好きだなんて、心が病んでいるんだ」
「まったくだ。そんな女々しい奴らは精神科にかかるべきだな」
背後からそんな会話が飛び込んできた。アレンの眉がピクリとあがる。吉野もいきおい眉を寄せる。
挑発だ、乗るな。
そう言おうと吉野が口を開いた時にはアレンはすでに立ちあがり、「相手を想う心に、性別なんて関係ないだろ」と、その形の良い眉を潜めて言い放っていた。
「同性愛なんて、精神病か脳の疾患だろ。生物学的に子孫を残せない相手を愛するなんて、異常としか思えないね」
相手も負けじと言い返してくる。
「おい、そんな奴かまうな」
吉野がちっと舌打ちして割って入る。
「彼氏のご登場だ!」
テーブルを囲んでいた連中から、どっと笑い声が起こった。
「へぇ~、じゃあ、あなたにとって愛は生殖行為でしかない訳だ。愛にだって色んな形があるだろ? 家族の情愛、師弟愛、友愛。子孫を残せない相手への愛は病気だっていうなら、愛という概念そのものをすべて否定するの?」
アレンは吉野の制止に小さく首を振って喋り続けた。セレストブルーの瞳が紫を帯びて燃えあがっている。
「おいおい、正常な愛をきみたちの異常な性愛と一緒にしないでくれよ」
さげずみを含んだ笑みで口元を歪め、その男は呆れたように肩をすくめた。
「正常とか異常とか、誰が決めたんだ!」
「為政者だよ」
甲高いアレンの問いにそう答えたのは、眼前の男ではなく、吉野だった。
「権力者にとって都合が良ければ正常。そうでなければ異常。だから古代ギリシャでは同性愛は正常。男女比率がアンバランスで、人口を増やさなきゃならない時代や場所では異常。――もう、いいだろ?」
吉野は、アレンの頭をぽんと叩く。
「何が何でも血筋を絶やすな、って育てられるお貴族さまも大変だな。繁殖のために存在しているようなもんだもんな。だから、あんたにとっては異常。ブリードに縛られない俺たち一般人にとっては正常」
吉野は相手を憐れむように、にっと笑った。
「ゲイフォビアは、同性愛的趣向が高いのに、キリスト教的倫理観が強く刷り込まれている連中に多いって統計に出てるぞ。あんたも辛いんなら、早く医者にかかれよ。守秘義務があるからさ、あんたの秘密が漏れることもないさ」
青筋を立てて唇を戦慄かせている相手に、話は済んだとばかりに背を向けると、吉野は顎をしゃくって出口をさした。
「出よう。俺、真面目な話があるんだ」
真面目で地味なフレデリックは一躍時の人だ。だがあまりにも衝撃的な小説の内容に、校内はどこかピリピリとした空気に包まれている。それに何よりも取り沙汰されているのは――。
「やっぱりヘンリー卿だよね。この主人公が恋焦がれていた相手って!」などとクリスでさえも、あからさまに口にしている話題だった。
「お前さぁ、そんなこと軽々しく言うなよ。誤解されるだろ? もうこの学校には、ヘンリーやフランクをじかに知っている奴なんて、いないんだからさ」
吉野はややため息交じりで、そんな彼を諌めている。
「いいじゃないか! べつに付き合っていたとかじゃなくて、主人公の片想いなんだし。それに、告白しないまま、どこまでも相手を想い続けている純愛だよ。たとえ同性からでもこんなに愛されるなんて、僕は純粋に羨ましいよ!」と、クリスは瞳をキラキラと輝かせて主張してくるのだ。
「皆が皆、お前みたいに思う訳じゃないだろ? 変に勘ぐる奴らの方が多いんだよ」
「勘ぐるって?」
「だからさぁ、」
吉野は、またため息をつく。
だいたい吉野とアレンが陰で散々に噂されている現状で、彼らにとってこの内容は正直辛い。だが、友人の描きあげた架空の世界に夢中なクリスには、そんな現実は見えていないらしい。
この本をどう思っているか、と吉野はヘンリーに訊ねてみた。彼からは、「大いに笑った」と返ってきた。ヘンリーの言では、この主人公は実際のフランクとは似ても似つかぬ、フィクションならではの人物像なのだそうだ。
それはそうだろう。フレデリックにしろ、フランクが亡くなった当時は十一、二歳の子どもでしかなかったのだ。そのうえ実家でともに過ごすことのできた休暇中ですら、フランクはバイトに明け暮れていたのだ。彼らが接していた時間など、本当にわずかなものだった。不可解な死に絡めとられた兄が、弟の中で美化されるのも当然というものだ。
当事者にしてみれば笑い話になるような架空の話、そんなものなのかもしれない。
だが、想う相手に秘めた愛を捧げる、という本のテーマが異様な熱気を持って校内に広がっている事実を吉野はひしひしと感じていたし、これでまた、アレンの周囲が騒がしくなるのでは、と気が重いのだ。
肝心のフレデリックは自宅謹慎中で、直接会うこともできない。理由は、無断外泊だか外出だか――。さすがに学校側も、出版を理由に停学にはできないらしい。父兄や世間への対応に追われている現状の荒波が凪ぐまで、おとなしくしていろ、というところか――。
土曜か日曜にでも会いに行くか、と吉野はぼんやりと考えている。
本に書かれているヘンリーでさえ知らなかったこと――。
それが事実なのかも、吉野は知りたかった。そして、それをフレデリックがどうやって知り得たのか? 吉野にはとてもフィクションだとは思えない、事件の核心に迫る詳細な背景が本の中には描かれていたのだから。
クリスの講釈に長々と耳を傾ける一方で、吉野がそんな事も考えていると、遅れてアレンとサウードもやってきた。背後にイスハークも伴っている。学舎のカフェテリアといえども、これなら誰かに邪魔されることもないだろう、と吉野は片手を挙げて彼らを招く。
アレンが席に着いた時だった。
「こんな本がベストセラーだなんて世も末だね。男の癖に、男が好きだなんて、心が病んでいるんだ」
「まったくだ。そんな女々しい奴らは精神科にかかるべきだな」
背後からそんな会話が飛び込んできた。アレンの眉がピクリとあがる。吉野もいきおい眉を寄せる。
挑発だ、乗るな。
そう言おうと吉野が口を開いた時にはアレンはすでに立ちあがり、「相手を想う心に、性別なんて関係ないだろ」と、その形の良い眉を潜めて言い放っていた。
「同性愛なんて、精神病か脳の疾患だろ。生物学的に子孫を残せない相手を愛するなんて、異常としか思えないね」
相手も負けじと言い返してくる。
「おい、そんな奴かまうな」
吉野がちっと舌打ちして割って入る。
「彼氏のご登場だ!」
テーブルを囲んでいた連中から、どっと笑い声が起こった。
「へぇ~、じゃあ、あなたにとって愛は生殖行為でしかない訳だ。愛にだって色んな形があるだろ? 家族の情愛、師弟愛、友愛。子孫を残せない相手への愛は病気だっていうなら、愛という概念そのものをすべて否定するの?」
アレンは吉野の制止に小さく首を振って喋り続けた。セレストブルーの瞳が紫を帯びて燃えあがっている。
「おいおい、正常な愛をきみたちの異常な性愛と一緒にしないでくれよ」
さげずみを含んだ笑みで口元を歪め、その男は呆れたように肩をすくめた。
「正常とか異常とか、誰が決めたんだ!」
「為政者だよ」
甲高いアレンの問いにそう答えたのは、眼前の男ではなく、吉野だった。
「権力者にとって都合が良ければ正常。そうでなければ異常。だから古代ギリシャでは同性愛は正常。男女比率がアンバランスで、人口を増やさなきゃならない時代や場所では異常。――もう、いいだろ?」
吉野は、アレンの頭をぽんと叩く。
「何が何でも血筋を絶やすな、って育てられるお貴族さまも大変だな。繁殖のために存在しているようなもんだもんな。だから、あんたにとっては異常。ブリードに縛られない俺たち一般人にとっては正常」
吉野は相手を憐れむように、にっと笑った。
「ゲイフォビアは、同性愛的趣向が高いのに、キリスト教的倫理観が強く刷り込まれている連中に多いって統計に出てるぞ。あんたも辛いんなら、早く医者にかかれよ。守秘義務があるからさ、あんたの秘密が漏れることもないさ」
青筋を立てて唇を戦慄かせている相手に、話は済んだとばかりに背を向けると、吉野は顎をしゃくって出口をさした。
「出よう。俺、真面目な話があるんだ」
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