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七章
煌き
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飛鳥の部屋と同じように、様々な機材に埋もれる床の中央に置かれた天蓋付き四柱式ベッドの中でうつらうつらしているサラを、飛鳥は息を殺して静かに見守っている。
この部屋のライラック色のブロケード張りの壁も、ライラックの花と葉が刺繍されているクリーム色のカーテンも、マーシュコートの彼女の自室とまったく同じ。薄紫のベッドカバーに包まれたサラは、熱でいつもよりも紅潮している。普段はきっちりと編まれている髪が、今は寝乱れて流れる水のように方向もなく広がっている。薄らと開かれた紅い唇が浅い呼吸を繰り返す。
サラは変化を好まない。
日常の規則正しいリズムが少しでも狂うと混乱する。ケンブリッジに居を移し、共に暮らすようになってから、サラは体調を崩すことが多くなった。いくら限られた顔見知りの相手との共同生活とはいっても、静かで穏やかな田舎の暮らしに比べれば、ここは彼女にとって慌ただしく、騒がしい場所に違いない。意識に上らないストレスが日々彼女の心に負荷をかけているのは想像に難くない。
だが、それだけじゃない。なにより彼女を不安にさせるのは、ヘンリーが何日も家を空ける時なのだ――。
定期休暇にはマーシュコートに帰っていた学生時代と違い、彼がまとまって家に滞在する日にち、一日を通して自由になる時間は、一緒に暮らすようになってからの方が、かえって減っているのではないだろうか。
飛鳥の心配そうな視線の先で、くっと眉根を寄せたサラが薄く瞼を持ちあげた。
ベッドサイドランプの仄かな灯りの中に飛鳥を見つけ、サラはふわりと安心したように微笑んだ。
「喉、渇いてない? 何か飲む?」
応えるように横向きに寝返り、頭を持ちあげて潤んだ新緑の瞳で見あげたサラの小さな唇に、飛鳥はグラスに注いだ水を少しずつ流しいれる。
「すごく静かね。みんな、お出かけ?」
囁くような枯れた声だ。
「うん。もうじき戻ってくると思う」
「そう……。飛鳥は、お留守番?」
微笑んだ飛鳥を真っ直ぐに見つめて、サラは再度訊ねた。
「私のせい?」
「違うよ。吉野が煩いからだよ。吉野とアレンは学校の友人のパーティーに行ってるんだ。そんな正式なパーティーなんて、僕じゃ絶対にドジを踏んで恥をかくことになるから来るな、て。デヴィが代理で付き添ってくれてる」
本当は、帰省せずにケンブリッジに残っている大学の友人たちに、一緒にカウントダウンを迎えようと誘われていた。けれど、さすがにサラを一人残して行く気にはならなかったのだ。
「ニューイヤーパーティー?」
柔らかな羽枕に半分顔を埋めながら、サラはぼんやりとした視線を飛鳥から逸らさない。その雨あがりの若葉のような瞳に囚われたまま、飛鳥は優しげに頷く。
「もう、新年なの?」
「うん」
「ごめんなさい」
「どうしたの?」
「一人で寂しかったでしょう?」
消えいりそうな声で呟いたサラに、飛鳥は微笑んで頭を振る。
「寂しくなかったよ。きみの傍にいたから。時計と睨めっこして、零時ぴったりに、きみに、新年おめでとう、って言ったよ。それにね、TSの中継でロンドンの花火を見てたんだ。吉野たちもすぐ近くで同じ花火を見ていたはずだよ。ごめん、起こせば良かったね」
「新年おめでとう」
「おめでとう、サラ。ヘンリーからメッセージが届いているよ。電話もあったんだけどね、きみは眠っていたから」
飛鳥はサイドボードに置いていたTSを起動させ、画面をサラに見えやすい位置に指で移動させる。そこに流れるヘンリーとアーネストの新年のメッセージに、サラは嬉しそうに顔をほころばす。
「ニューヨークはまだ明けていないのね。私も、零時ぴったりに電話する」
「彼らは今、ロスだよ。予定変更したんだって。だから時差は8時間だ。まだまだだよ。きみはもう少し眠るといい。ちゃんと起こしてあげるから」
サラは軽く頭を持ちあげて、サイドボードの上の置時計に目線を向ける。
「まだ1時……」
「ね」
飛鳥はサラの額に張りついた幾筋かの黒髪を丁寧に払い、ゆっくりと包み込むように頭を撫でた。サラはその瞳にがっかりとした色をかすかに浮かべて、「起こしてね、絶対よ」と念を押して飛鳥を見つめる。
「約束する」
その返事に、サラは安心したように口角をあげると瞼を閉じた。
再び静寂が室内を覆う。室内に規則正しく穏やかな寝息が立つのを待ってから、飛鳥は滑るように足音を忍ばせて部屋を後にした。
「新年おめでとう、みんな」
「おめでとう」
口々に挨拶を交わしながら、飛鳥は夜中の二時をかなり回ってから戻ってきた吉野たちを居間に迎えた。本当のところマーカスに声をかけられるまで、彼はソファーに座ったままうたた寝していたのだが。
「サラの具合は?」
「微熱がまだ取れない。でもかなりマシみたいだよ」
「彼女、冬に弱いもんねぇ」
倒れこむようにソファーに腰かけるデヴィッドに続き、吉野やアレンもぐったりとした様子で腰をおろす。
「マーカス、お茶を貰えるかな」
ブラックタイを解きながら、デヴィッドは戸口に立つマーカスにくたびれきった口調で告げる。
「なんだか、みんなお疲れ様」
そう言う飛鳥も大あくびをしている。
「まったくねぇ、こいつのせいだよ!」
言いながら傍らの吉野のこめかみに、デヴィッドはいきなりデコピンを食らわせる。
「デヴィ、しつこいぞ。もういいだろ、いい加減、」
「こいつはねぇ、もう、ふらふら、ふらふら、」
「黙れ、って」
「イタタタ!」
「吉野!」
飛鳥はびっくりして、デヴィッドの頬をぐいっと摘んで引っ張る吉野を慌てて止めにはいる。
「アスカさん、この二人、車中でもずっとこの調子だったんですよ」
眠たそうな、とろんとした目を擦りながら、アレンが呟くように訴えた。
「お前!」
「吉野!」
アレンを睨みつけた吉野に、新年そうそう降ってきたのは飛鳥の怒声だ。吉野は唇を尖らせて、ひょいっと肩をすくめていた。
この部屋のライラック色のブロケード張りの壁も、ライラックの花と葉が刺繍されているクリーム色のカーテンも、マーシュコートの彼女の自室とまったく同じ。薄紫のベッドカバーに包まれたサラは、熱でいつもよりも紅潮している。普段はきっちりと編まれている髪が、今は寝乱れて流れる水のように方向もなく広がっている。薄らと開かれた紅い唇が浅い呼吸を繰り返す。
サラは変化を好まない。
日常の規則正しいリズムが少しでも狂うと混乱する。ケンブリッジに居を移し、共に暮らすようになってから、サラは体調を崩すことが多くなった。いくら限られた顔見知りの相手との共同生活とはいっても、静かで穏やかな田舎の暮らしに比べれば、ここは彼女にとって慌ただしく、騒がしい場所に違いない。意識に上らないストレスが日々彼女の心に負荷をかけているのは想像に難くない。
だが、それだけじゃない。なにより彼女を不安にさせるのは、ヘンリーが何日も家を空ける時なのだ――。
定期休暇にはマーシュコートに帰っていた学生時代と違い、彼がまとまって家に滞在する日にち、一日を通して自由になる時間は、一緒に暮らすようになってからの方が、かえって減っているのではないだろうか。
飛鳥の心配そうな視線の先で、くっと眉根を寄せたサラが薄く瞼を持ちあげた。
ベッドサイドランプの仄かな灯りの中に飛鳥を見つけ、サラはふわりと安心したように微笑んだ。
「喉、渇いてない? 何か飲む?」
応えるように横向きに寝返り、頭を持ちあげて潤んだ新緑の瞳で見あげたサラの小さな唇に、飛鳥はグラスに注いだ水を少しずつ流しいれる。
「すごく静かね。みんな、お出かけ?」
囁くような枯れた声だ。
「うん。もうじき戻ってくると思う」
「そう……。飛鳥は、お留守番?」
微笑んだ飛鳥を真っ直ぐに見つめて、サラは再度訊ねた。
「私のせい?」
「違うよ。吉野が煩いからだよ。吉野とアレンは学校の友人のパーティーに行ってるんだ。そんな正式なパーティーなんて、僕じゃ絶対にドジを踏んで恥をかくことになるから来るな、て。デヴィが代理で付き添ってくれてる」
本当は、帰省せずにケンブリッジに残っている大学の友人たちに、一緒にカウントダウンを迎えようと誘われていた。けれど、さすがにサラを一人残して行く気にはならなかったのだ。
「ニューイヤーパーティー?」
柔らかな羽枕に半分顔を埋めながら、サラはぼんやりとした視線を飛鳥から逸らさない。その雨あがりの若葉のような瞳に囚われたまま、飛鳥は優しげに頷く。
「もう、新年なの?」
「うん」
「ごめんなさい」
「どうしたの?」
「一人で寂しかったでしょう?」
消えいりそうな声で呟いたサラに、飛鳥は微笑んで頭を振る。
「寂しくなかったよ。きみの傍にいたから。時計と睨めっこして、零時ぴったりに、きみに、新年おめでとう、って言ったよ。それにね、TSの中継でロンドンの花火を見てたんだ。吉野たちもすぐ近くで同じ花火を見ていたはずだよ。ごめん、起こせば良かったね」
「新年おめでとう」
「おめでとう、サラ。ヘンリーからメッセージが届いているよ。電話もあったんだけどね、きみは眠っていたから」
飛鳥はサイドボードに置いていたTSを起動させ、画面をサラに見えやすい位置に指で移動させる。そこに流れるヘンリーとアーネストの新年のメッセージに、サラは嬉しそうに顔をほころばす。
「ニューヨークはまだ明けていないのね。私も、零時ぴったりに電話する」
「彼らは今、ロスだよ。予定変更したんだって。だから時差は8時間だ。まだまだだよ。きみはもう少し眠るといい。ちゃんと起こしてあげるから」
サラは軽く頭を持ちあげて、サイドボードの上の置時計に目線を向ける。
「まだ1時……」
「ね」
飛鳥はサラの額に張りついた幾筋かの黒髪を丁寧に払い、ゆっくりと包み込むように頭を撫でた。サラはその瞳にがっかりとした色をかすかに浮かべて、「起こしてね、絶対よ」と念を押して飛鳥を見つめる。
「約束する」
その返事に、サラは安心したように口角をあげると瞼を閉じた。
再び静寂が室内を覆う。室内に規則正しく穏やかな寝息が立つのを待ってから、飛鳥は滑るように足音を忍ばせて部屋を後にした。
「新年おめでとう、みんな」
「おめでとう」
口々に挨拶を交わしながら、飛鳥は夜中の二時をかなり回ってから戻ってきた吉野たちを居間に迎えた。本当のところマーカスに声をかけられるまで、彼はソファーに座ったままうたた寝していたのだが。
「サラの具合は?」
「微熱がまだ取れない。でもかなりマシみたいだよ」
「彼女、冬に弱いもんねぇ」
倒れこむようにソファーに腰かけるデヴィッドに続き、吉野やアレンもぐったりとした様子で腰をおろす。
「マーカス、お茶を貰えるかな」
ブラックタイを解きながら、デヴィッドは戸口に立つマーカスにくたびれきった口調で告げる。
「なんだか、みんなお疲れ様」
そう言う飛鳥も大あくびをしている。
「まったくねぇ、こいつのせいだよ!」
言いながら傍らの吉野のこめかみに、デヴィッドはいきなりデコピンを食らわせる。
「デヴィ、しつこいぞ。もういいだろ、いい加減、」
「こいつはねぇ、もう、ふらふら、ふらふら、」
「黙れ、って」
「イタタタ!」
「吉野!」
飛鳥はびっくりして、デヴィッドの頬をぐいっと摘んで引っ張る吉野を慌てて止めにはいる。
「アスカさん、この二人、車中でもずっとこの調子だったんですよ」
眠たそうな、とろんとした目を擦りながら、アレンが呟くように訴えた。
「お前!」
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アレンを睨みつけた吉野に、新年そうそう降ってきたのは飛鳥の怒声だ。吉野は唇を尖らせて、ひょいっと肩をすくめていた。
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