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七章
条件4
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白を基調とした配色に、ラベンダーと若草色をアクセントにした上品な設えのリビングルーム。見覚えのある設えを、吉野はふーんと見回した。ポケットに手を突っ込んだまま、戸口から窓辺までつかつかと足を進める。さすがの彼も、今日は高級ホテルに相応しいジャケットとトラウザーズ姿だ。
だが部屋の主人に背を向けたまま、一枚ガラスの広い窓から見渡せる大観覧車を、彼はなんの気兼ねも見せずに眺めている。それからやっとくるりと身体を反転させ、射るような視線を向けているこの部屋の主へと向き直る。
「この部屋、あんたの部屋だったんだ? 一昨年の新年の花火、ここから見せてもらったよ」
「今年も友人たちと来るといい。その日、私はいない。好きに使ってくれてかまわない」
「残念だな。俺も呼ばれているんだ。あんたの出席するそのパーティーにね」
白のサウブを着たアブドは、吉野の一挙一動をソファーに深くもたれかかったままじっと眺めている。
「それなら、ともに花火を楽しめるわけだな。パーティー会場はこの上だ」
鷹揚な笑みを浮かべるアブド・H・アル=マルズークに、吉野も儀礼的に唇の端を跳ねあげる。
「その頬の傷、お前の笑みが常に泣いて見えるのは、その傷のせいか?」
「そう? そんなことを言われたの初めてだよ」
吉野はソファーには向かわずに、そのまま浅い白塗りの腰高窓の枠に腰かけて足を投げだした。
アーカシャ―HD米国支部ニューヨーク支店は、すでにこの大都市の新名所となって久しい。その二階から、ヘンリーとアーネストは眼下に広がるコンクリート広場を見下ろしていた。
曇天の下、広場の中央にはアレンの佇む睡蓮池の立体映像が、ぼうと、寒々とした灰色の空気に浮かびあがるように青白く輝いている。その周りを囲って、赤いロープの繋がれた金色のポーチが八角形に設置されている。そしてその外側では鈴なりの観光客が白い息を吐きながら、喧騒の中、映像を見守っているのだ。ある種の社会現象と言えなくもない熱狂ぶりは、ロンドン支店以上にも見える。
「そろそろ時間です」
支店長のサリー・フィールドがちらりと腕時計に目をやり、誇らしげにガラス越しの広場に視線を落とす。
池の中のアレンがゆっくりと面を上げ、片手を天高く伸ばす。背中の羽が大きく広がり、はためく。
中空から舞い落ちる雪の結晶を掴もうとでもしているのか、さらにもう一方の手も添える。それはまるで天に向かって祈りを捧げているようにも見える。周囲に集まった観客たちの多くはどよめき、その映像を食い入るように眺めて、胸の辺りで両手を組み合わせてともに祈りを捧げている。祈りは、ふわりふわりと舞い落ちる雪が消え、アレンが再び顔を伏せて元の水底を見つめる姿勢に戻るまで続いた。
「――同じ映像でも、ロンドンとはずいぶん反応が違うね」
この光景にアーネストは息を呑み、驚いた様子で呟いている。
「米国人の方が信心深いってことかな?」
ヘンリーも意外感を隠そうともしない。
「ロンドンの反応は、どんなものだったのでしょうか?」
本社のトップ二人の反応に対して、サリーはわずかにがっかりした色を見せ、控えめに訊ねる。
「もっとこう、作品を鑑賞している、て感じかな。少なくとも宗教的な反応ではないね」
クリスマスを挟んだ一週間だけの限定イベント「睡蓮池」の公開は、ロンドンに続きここニューヨークでも好評を博している。なかでも朝晩二回動作するアレンを見ようと、この時間帯は毎回大した人だかりなのだ。
英国本社から出向いてきたトップの冷ややかな反応を盛り返そうと、ここニューヨークでの盛況ぶりをサリーは熱を込めて語った。
だが、ひとしきり報告を終えた彼女がいったん席を外したとたん、深くため息をつくヘンリーは、真剣な眼差しをアーネストに向けた。
「問題はね、誰も損害を被っていないってことなんだよ」
「どの問題?」
アーネストは、唐突に話し掛けられたこの言葉の意味がまるで判らず、軽く眉根を寄せる。
「ヨシノ」
ヘンリーの唇から溢れたまったく関係ない話題に、アーネストは呆れて思わず失笑を漏らした。
「私の顧問にならないか?」
そのころロンドンのホテルの一室では、アブドが物憂げにソファークッションにもたれかかったまま訊ねていた。
「年明けに、経済開発評議会議長に就任することが決まっている。優秀なアドバイザーが欲しい」
「へぇ、嬉しいね。優秀だってことは認めてくれるんだ」
吉野は窓枠に腰かけたまま、鈍色の空に滲むようなテムズ川を眺めている。
「どうだ? サウードの三倍払おう」
「あいつとの契約は金だけじゃないんだ。俺の身辺警護が報酬だよ」
「それなら、あれはもう失格だな」
アブドは緩く微笑み、自分の頬にすっと指で線を引く。
「まだだよ。俺、ちゃんと生きているもの」
「私なら、そんな傷など負わせない」
「面白いことを言うね! あんたがつけた傷じゃないか!」
吉野は目を細め、くっと唇の端を跳ねあげて、小刻みに肩を震わせて笑った。
「どうしたの? 俺を殺るのやめたの? 米国にいる、廃太子にされたあんたの兄貴に止められた?」
「何のことだ? それに、どうしてそこで、私の兄が出てくるんだ?」
アブドは鷹揚な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと足を組み直す。
「アブドゥルアジーズが説明してくれただろ?」
「意味が解らないね」
のんびりと答え大あくびをする吉野に、アブドもまた悠然と微笑み返す。吉野は寝不足の目を擦りながら、にんまりと微笑んだ。
「俺、見た目よりずっと根に持つ方なんだ」
だが部屋の主人に背を向けたまま、一枚ガラスの広い窓から見渡せる大観覧車を、彼はなんの気兼ねも見せずに眺めている。それからやっとくるりと身体を反転させ、射るような視線を向けているこの部屋の主へと向き直る。
「この部屋、あんたの部屋だったんだ? 一昨年の新年の花火、ここから見せてもらったよ」
「今年も友人たちと来るといい。その日、私はいない。好きに使ってくれてかまわない」
「残念だな。俺も呼ばれているんだ。あんたの出席するそのパーティーにね」
白のサウブを着たアブドは、吉野の一挙一動をソファーに深くもたれかかったままじっと眺めている。
「それなら、ともに花火を楽しめるわけだな。パーティー会場はこの上だ」
鷹揚な笑みを浮かべるアブド・H・アル=マルズークに、吉野も儀礼的に唇の端を跳ねあげる。
「その頬の傷、お前の笑みが常に泣いて見えるのは、その傷のせいか?」
「そう? そんなことを言われたの初めてだよ」
吉野はソファーには向かわずに、そのまま浅い白塗りの腰高窓の枠に腰かけて足を投げだした。
アーカシャ―HD米国支部ニューヨーク支店は、すでにこの大都市の新名所となって久しい。その二階から、ヘンリーとアーネストは眼下に広がるコンクリート広場を見下ろしていた。
曇天の下、広場の中央にはアレンの佇む睡蓮池の立体映像が、ぼうと、寒々とした灰色の空気に浮かびあがるように青白く輝いている。その周りを囲って、赤いロープの繋がれた金色のポーチが八角形に設置されている。そしてその外側では鈴なりの観光客が白い息を吐きながら、喧騒の中、映像を見守っているのだ。ある種の社会現象と言えなくもない熱狂ぶりは、ロンドン支店以上にも見える。
「そろそろ時間です」
支店長のサリー・フィールドがちらりと腕時計に目をやり、誇らしげにガラス越しの広場に視線を落とす。
池の中のアレンがゆっくりと面を上げ、片手を天高く伸ばす。背中の羽が大きく広がり、はためく。
中空から舞い落ちる雪の結晶を掴もうとでもしているのか、さらにもう一方の手も添える。それはまるで天に向かって祈りを捧げているようにも見える。周囲に集まった観客たちの多くはどよめき、その映像を食い入るように眺めて、胸の辺りで両手を組み合わせてともに祈りを捧げている。祈りは、ふわりふわりと舞い落ちる雪が消え、アレンが再び顔を伏せて元の水底を見つめる姿勢に戻るまで続いた。
「――同じ映像でも、ロンドンとはずいぶん反応が違うね」
この光景にアーネストは息を呑み、驚いた様子で呟いている。
「米国人の方が信心深いってことかな?」
ヘンリーも意外感を隠そうともしない。
「ロンドンの反応は、どんなものだったのでしょうか?」
本社のトップ二人の反応に対して、サリーはわずかにがっかりした色を見せ、控えめに訊ねる。
「もっとこう、作品を鑑賞している、て感じかな。少なくとも宗教的な反応ではないね」
クリスマスを挟んだ一週間だけの限定イベント「睡蓮池」の公開は、ロンドンに続きここニューヨークでも好評を博している。なかでも朝晩二回動作するアレンを見ようと、この時間帯は毎回大した人だかりなのだ。
英国本社から出向いてきたトップの冷ややかな反応を盛り返そうと、ここニューヨークでの盛況ぶりをサリーは熱を込めて語った。
だが、ひとしきり報告を終えた彼女がいったん席を外したとたん、深くため息をつくヘンリーは、真剣な眼差しをアーネストに向けた。
「問題はね、誰も損害を被っていないってことなんだよ」
「どの問題?」
アーネストは、唐突に話し掛けられたこの言葉の意味がまるで判らず、軽く眉根を寄せる。
「ヨシノ」
ヘンリーの唇から溢れたまったく関係ない話題に、アーネストは呆れて思わず失笑を漏らした。
「私の顧問にならないか?」
そのころロンドンのホテルの一室では、アブドが物憂げにソファークッションにもたれかかったまま訊ねていた。
「年明けに、経済開発評議会議長に就任することが決まっている。優秀なアドバイザーが欲しい」
「へぇ、嬉しいね。優秀だってことは認めてくれるんだ」
吉野は窓枠に腰かけたまま、鈍色の空に滲むようなテムズ川を眺めている。
「どうだ? サウードの三倍払おう」
「あいつとの契約は金だけじゃないんだ。俺の身辺警護が報酬だよ」
「それなら、あれはもう失格だな」
アブドは緩く微笑み、自分の頬にすっと指で線を引く。
「まだだよ。俺、ちゃんと生きているもの」
「私なら、そんな傷など負わせない」
「面白いことを言うね! あんたがつけた傷じゃないか!」
吉野は目を細め、くっと唇の端を跳ねあげて、小刻みに肩を震わせて笑った。
「どうしたの? 俺を殺るのやめたの? 米国にいる、廃太子にされたあんたの兄貴に止められた?」
「何のことだ? それに、どうしてそこで、私の兄が出てくるんだ?」
アブドは鷹揚な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと足を組み直す。
「アブドゥルアジーズが説明してくれただろ?」
「意味が解らないね」
のんびりと答え大あくびをする吉野に、アブドもまた悠然と微笑み返す。吉野は寝不足の目を擦りながら、にんまりと微笑んだ。
「俺、見た目よりずっと根に持つ方なんだ」
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