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六章
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「え! 嘘だろ!」
大きなヘーゼルの瞳を目いっぱい見開いて見つめ返すデヴィッドに、アーネストはひょいっと肩をすくめてみせた。
待ち合わせのロビーのソファーは十分に間隔を取って置かれており、利用客たちが互いの会話を気にする必要がない程度に広い。だがそのなかでデヴィッドとアーネストは、内緒話でもするかのように顔を突きあわせ、小声で囁きあっている。
「すごいね、ヨシノ。ヘンリーでもそこまではしないよ」
「こっちに来たばかりの頃は、子ども子どもしていて、可愛かったのになぁ――」
大袈裟に吐息を漏らすアーネストに、デビッドは、ちっ、ちっ、と唇を尖らせ、顔の前で人差し指を立てて左右に揺らした。
「かなり前からあの子の噂ってすごいよ。今までやっかみだと思っていたから信じなかったけどさ」
「噂?」
「ケンブリッジ・クラブでいろいろ聞いた」
「なんで大学の?」
訝しげに眉を寄せるアーネストに、デヴィッドは瞳をくるくるさせて早口で応じた。
「ヨシノ、ハワード教授のラボに出入りしているだろ? 僕の学部でもエリオットに身内のいる奴がごろごろいるしね。それになんたって、アスカちゃんの弟だよ。みんな興味津々だよ」
「それで、どんな噂?」
御多分に洩れないのはアーネストも同様だ。兄の好奇心に満ちた瞳に応えて、デヴィッドも益々顔を寄せ、声を低めて耳打ちした。
「ピロートークで情報取ってくるってのは、初耳。でも似たような感じだね」
二人顔を見合わせて黙りこくり、お互いに続く言葉を探す。
「――あー、と。その噂、ヘンリーには?」
アーネストの問いかけにデヴィッドは首を横に振る。
「でも、知ってるかもねぇ」
ため息混じりのデヴィッドは、妙に納得した様子でうんうんと頷いている。
「だって、ヨシノって妙な色気があるじゃん」
「フェロモン出てるのかな?」
ソファー越しにいきなり重みのある両腕を首筋に回され、デヴィッドはうわっ、と大声をあげる。
「噂話は本人に聞こえないところでしろよ」
吉野の揶揄うような声めがけて反り返り、デヴィッドはゴツンと頭をぶつけた。「痛!」っと顔をしかめて避けた吉野の頭を、さらに追い打ちとばかりに拳骨でぐりぐりする。
「イエローカード! わざと聞かせるように言ったんだよ!」
「ひでぇな! 俺、暫定無罪だよ! 冤罪だ!」
「自供したあとで言われてもねぇ――。きみ、叩けばいくらでも埃が出そうだよねぇ」
呆れ顔のアーネストとデヴィッドに同時にため息をつかれ、吉野は逆に楽しそうに、にっと唇をあげた。
「俺、使えるだろ? いろいろとさ」
「え? 何? 何が使えるの?」
ふんわりとしたアレンの明るい声に三人は一斉に振り返った、デヴィッドは思わず目を逸らし、アーネストは頬を引きつらせて吉野を睨んでいる。
「通訳だよ。親父はそんなに英語が得意じゃないんだ」
ロビーの端できょろきょろしている飛鳥と父に、吉野は片手を挙げて大きく振った。
緊張した様子でぎこちなく挨拶を交わすアレンの横で、吉野は終始にこやかだ。ホテル内のレストランに移動してからも、アレンやアーネストを気遣ってか親子の会話のほとんどは英語で交わされていた。
時折首を傾げる父親に、吉野か飛鳥が、そしてデヴィッドが通訳を入れる。聞き役に徹してあまり喋らないが穏やかな笑顔で嬉しそうに相槌を打つ杜月氏を、アレンは、笑みを湛えて眺めている。そして隣に座る吉野に視線を移すと、この親子を見比べるようにして、ちょっと羨ましそうに囁いた。
「ヨシノは、お父さん似だね」
「よく言われる。飛鳥は死んだお袋似なんだ」
答えながら、かすかなバイブ音にすっと視線を落とし、吉野は胸ポケットからTSを取りだして視線を落とした。
「ヘンリーからだ。失礼」とそのままテーブルを離れ、レストランからレストルームに続く廊下へと移動する。
間を置いて杜月氏も、お手洗いにと席をたった。
「お前、また金融に手を出しているのか!」
廊下から聞こえてきた日本語の怒鳴り声に、飛鳥は手にしていたコーヒーカップをガチャリと置いて慌てて飛び出していく。そのあとを、皆、何事かとばらばらと追い駆ける。
柔らかな絨毯の敷かれた廊下の端で、激しく口論している杜月親子が彼らの視界に飛び込んできた。
「悪いか! もう金で苦労するのは嫌なんだ! 俺はもう、あの頃のような子どもじゃないんだ!」
「また同じことを繰り返すつもりなのか、お前は!」
振りあげられた父の腕を、飛鳥が掴んで必死に止めている。
「父さん、駄目だ! 傷が開く! 吉野の頬は手術したばかりなんだよ!」
「カスどもにつけ入られる隙さえなけりゃ、祖父ちゃんだって死なずにすんだんだ!」
「この馬鹿が! 親父がどんな想いで――!」
「言えよ! 俺のせいだって! 飛鳥のせいじゃない、祖父ちゃんは俺のせいで死んだんだって、はっきり言えよ!」
「吉野!」
アーネストも加わって抑えにかかるその腕を振り切って、なおも吉野に掴みかろうとする杜月氏の前に、アレンが蒼白な面で、声を震わせ、両手を広げて立ち塞がった。
「彼は、僕の大切な友人なんです。どんな理由があろうと、暴力の前に晒すわけにはいきません」
荒い息遣いで歯をカチカチと鳴らし、怒りに震えていた杜月氏が、ぐっと奥歯を噛みしめて口を結んだ。何度も肩で大きく深呼吸し、眉根を寄せ、ぎゅっと目を瞑る。
「父さん……」
飛鳥の声に、杜月氏は哀しげな瞳をあげた。
「きみ、ありがとう」
真っ直ぐにアレンに向かい合い頭を下げた杜月氏の肩を抱き、デヴィッドは顔を寄せて何か囁いた。そしてそのまま彼の腕を取ると、振り返ることもなくその場を後にした。
「デイヴはなんて?」
日本語で交わされていたその会話を、アーネストが飛鳥に訊ねた。
「外の空気を吸って少し落ち着きましょうって」
飛鳥はほっと息を吐く。そして、呼吸を落ち着けると、厳しく眉根を寄せ、今にも泣き崩れそうに震える瞳を吉野に向けた。
「吉野、どういうこと?」
「ヘンリーからの電話を聞かれた」
唇から流れる血を拳で拭い、吉野は吐き捨てるように答えた。
「ルドルフ・フォン・ヴォルフと取引する」
怪訝そうに小首を傾げた飛鳥を横目でちらと見て、これ以上の会話を拒む厳しい面持ちでアーネストは吉野の肩を抱いた。
「早く医者に見せた方がいい。傷が開いているかもしれないから。僕が連れていく。きみは、先に彼と部屋へ戻っていて」
アーネストは有無を言わせぬ口調で、ぐいっと吉野の背を押して歩きだした。
「アスカさん――」
自分に向けられていたアレンの心配そうな瞳に、飛鳥は申し訳なさそうに、かすかに微笑み返した。
「ありがとう。きみは、本当に、強い子だね」
大きなヘーゼルの瞳を目いっぱい見開いて見つめ返すデヴィッドに、アーネストはひょいっと肩をすくめてみせた。
待ち合わせのロビーのソファーは十分に間隔を取って置かれており、利用客たちが互いの会話を気にする必要がない程度に広い。だがそのなかでデヴィッドとアーネストは、内緒話でもするかのように顔を突きあわせ、小声で囁きあっている。
「すごいね、ヨシノ。ヘンリーでもそこまではしないよ」
「こっちに来たばかりの頃は、子ども子どもしていて、可愛かったのになぁ――」
大袈裟に吐息を漏らすアーネストに、デビッドは、ちっ、ちっ、と唇を尖らせ、顔の前で人差し指を立てて左右に揺らした。
「かなり前からあの子の噂ってすごいよ。今までやっかみだと思っていたから信じなかったけどさ」
「噂?」
「ケンブリッジ・クラブでいろいろ聞いた」
「なんで大学の?」
訝しげに眉を寄せるアーネストに、デヴィッドは瞳をくるくるさせて早口で応じた。
「ヨシノ、ハワード教授のラボに出入りしているだろ? 僕の学部でもエリオットに身内のいる奴がごろごろいるしね。それになんたって、アスカちゃんの弟だよ。みんな興味津々だよ」
「それで、どんな噂?」
御多分に洩れないのはアーネストも同様だ。兄の好奇心に満ちた瞳に応えて、デヴィッドも益々顔を寄せ、声を低めて耳打ちした。
「ピロートークで情報取ってくるってのは、初耳。でも似たような感じだね」
二人顔を見合わせて黙りこくり、お互いに続く言葉を探す。
「――あー、と。その噂、ヘンリーには?」
アーネストの問いかけにデヴィッドは首を横に振る。
「でも、知ってるかもねぇ」
ため息混じりのデヴィッドは、妙に納得した様子でうんうんと頷いている。
「だって、ヨシノって妙な色気があるじゃん」
「フェロモン出てるのかな?」
ソファー越しにいきなり重みのある両腕を首筋に回され、デヴィッドはうわっ、と大声をあげる。
「噂話は本人に聞こえないところでしろよ」
吉野の揶揄うような声めがけて反り返り、デヴィッドはゴツンと頭をぶつけた。「痛!」っと顔をしかめて避けた吉野の頭を、さらに追い打ちとばかりに拳骨でぐりぐりする。
「イエローカード! わざと聞かせるように言ったんだよ!」
「ひでぇな! 俺、暫定無罪だよ! 冤罪だ!」
「自供したあとで言われてもねぇ――。きみ、叩けばいくらでも埃が出そうだよねぇ」
呆れ顔のアーネストとデヴィッドに同時にため息をつかれ、吉野は逆に楽しそうに、にっと唇をあげた。
「俺、使えるだろ? いろいろとさ」
「え? 何? 何が使えるの?」
ふんわりとしたアレンの明るい声に三人は一斉に振り返った、デヴィッドは思わず目を逸らし、アーネストは頬を引きつらせて吉野を睨んでいる。
「通訳だよ。親父はそんなに英語が得意じゃないんだ」
ロビーの端できょろきょろしている飛鳥と父に、吉野は片手を挙げて大きく振った。
緊張した様子でぎこちなく挨拶を交わすアレンの横で、吉野は終始にこやかだ。ホテル内のレストランに移動してからも、アレンやアーネストを気遣ってか親子の会話のほとんどは英語で交わされていた。
時折首を傾げる父親に、吉野か飛鳥が、そしてデヴィッドが通訳を入れる。聞き役に徹してあまり喋らないが穏やかな笑顔で嬉しそうに相槌を打つ杜月氏を、アレンは、笑みを湛えて眺めている。そして隣に座る吉野に視線を移すと、この親子を見比べるようにして、ちょっと羨ましそうに囁いた。
「ヨシノは、お父さん似だね」
「よく言われる。飛鳥は死んだお袋似なんだ」
答えながら、かすかなバイブ音にすっと視線を落とし、吉野は胸ポケットからTSを取りだして視線を落とした。
「ヘンリーからだ。失礼」とそのままテーブルを離れ、レストランからレストルームに続く廊下へと移動する。
間を置いて杜月氏も、お手洗いにと席をたった。
「お前、また金融に手を出しているのか!」
廊下から聞こえてきた日本語の怒鳴り声に、飛鳥は手にしていたコーヒーカップをガチャリと置いて慌てて飛び出していく。そのあとを、皆、何事かとばらばらと追い駆ける。
柔らかな絨毯の敷かれた廊下の端で、激しく口論している杜月親子が彼らの視界に飛び込んできた。
「悪いか! もう金で苦労するのは嫌なんだ! 俺はもう、あの頃のような子どもじゃないんだ!」
「また同じことを繰り返すつもりなのか、お前は!」
振りあげられた父の腕を、飛鳥が掴んで必死に止めている。
「父さん、駄目だ! 傷が開く! 吉野の頬は手術したばかりなんだよ!」
「カスどもにつけ入られる隙さえなけりゃ、祖父ちゃんだって死なずにすんだんだ!」
「この馬鹿が! 親父がどんな想いで――!」
「言えよ! 俺のせいだって! 飛鳥のせいじゃない、祖父ちゃんは俺のせいで死んだんだって、はっきり言えよ!」
「吉野!」
アーネストも加わって抑えにかかるその腕を振り切って、なおも吉野に掴みかろうとする杜月氏の前に、アレンが蒼白な面で、声を震わせ、両手を広げて立ち塞がった。
「彼は、僕の大切な友人なんです。どんな理由があろうと、暴力の前に晒すわけにはいきません」
荒い息遣いで歯をカチカチと鳴らし、怒りに震えていた杜月氏が、ぐっと奥歯を噛みしめて口を結んだ。何度も肩で大きく深呼吸し、眉根を寄せ、ぎゅっと目を瞑る。
「父さん……」
飛鳥の声に、杜月氏は哀しげな瞳をあげた。
「きみ、ありがとう」
真っ直ぐにアレンに向かい合い頭を下げた杜月氏の肩を抱き、デヴィッドは顔を寄せて何か囁いた。そしてそのまま彼の腕を取ると、振り返ることもなくその場を後にした。
「デイヴはなんて?」
日本語で交わされていたその会話を、アーネストが飛鳥に訊ねた。
「外の空気を吸って少し落ち着きましょうって」
飛鳥はほっと息を吐く。そして、呼吸を落ち着けると、厳しく眉根を寄せ、今にも泣き崩れそうに震える瞳を吉野に向けた。
「吉野、どういうこと?」
「ヘンリーからの電話を聞かれた」
唇から流れる血を拳で拭い、吉野は吐き捨てるように答えた。
「ルドルフ・フォン・ヴォルフと取引する」
怪訝そうに小首を傾げた飛鳥を横目でちらと見て、これ以上の会話を拒む厳しい面持ちでアーネストは吉野の肩を抱いた。
「早く医者に見せた方がいい。傷が開いているかもしれないから。僕が連れていく。きみは、先に彼と部屋へ戻っていて」
アーネストは有無を言わせぬ口調で、ぐいっと吉野の背を押して歩きだした。
「アスカさん――」
自分に向けられていたアレンの心配そうな瞳に、飛鳥は申し訳なさそうに、かすかに微笑み返した。
「ありがとう。きみは、本当に、強い子だね」
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