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六章
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「嫌だね。もう僕が行かなくたっていいだろ?」
ヘンリーはホテルの自室でソファーに腰かけ、静まり返り闇に沈む通りを眺めながら応えていた。記者会見に警察の事情聴衆で半日を潰され、やっと解放された今は、夜中をとっくに廻っている。
「だいたい、テロに襲撃されたって言うのに、翌日も見本市を開催するってどういう神経だい?」
「テロに屈しないという意思表明だそうだよ。もちろん直接被害にあった講演会場と、爆破被害の現場付近は封鎖されるそうだけれど」
「見本市がもたらす経済効果が惜しいだけだろ。生々しいテロの爪痕まで使って、物見高い連中を集めるつもりなんだ。あいつらの考えそうなことだよ。僕なら社員の安全を第一に選ぶね」
不愉快そうに吐息をつき、ヘンリーは両眉をあげて唇を尖らせた。
「……軽傷とはいえ負傷者五十名のうちの半数が、出入り口付近でTS映像を操作していたうちの社員っていうのもね。とてもじゃないが、これ以上彼らに協力する気になんてならないね。警察だって、本当に動いたのは実際に襲撃があってからじゃないか」
「ヘンリー、」
アーネストは苦笑しながら、ヘンリーを宥めるように頭を振った。
「各国政府から問い合わせと、演説映像の依頼がひっきりなしだそうだよ。本社からの連絡に、ずっとデヴィッドが一人で対応してくれていたんだ」
「全部断ればいい」
ヘンリーは素っ気なく応えた。
「どうせテロ対策だの、暗殺回避だの名目をつけて映像に演説させ、ご本人はその間にゴルフだろ?」
「ああ、きみがよくやっている……」
クスクスと笑うアーネストを、ヘンリーはふくれっ面で睨めつける。
「依頼を断って、今回の経費五百万ポンド、どうやって回収するつもりだい?」
「そんなもの、宣伝費と思えばいいだろ。アーカシャ―HDの名前と、画像は悪いとはいえアスカの作った映像が全世界に放映されたんだ。テロに襲撃され、民間人死者を出すことなく切り抜けた奇跡の映像だってね。――もっとも、金銭以上の代償が大きすぎる」
ぷいっと顔を背けたヘンリーの子どもっぽい仕草に、心中を察してアーネストも小さく吐息をつく。
「――ヨシノの顔の傷、残るそうだよ」
胸中の鬱屈を吐きだすようにヘンリーは呟いた。
「それだけじゃない。顔面神経損傷、頬枝断裂で、彼のあの笑顔がもう、見られなくなるかもしれないんだ」
「神経をつなぐ手術は成功したんだろ?」
「上手くいったとして、表情が戻るまで半年はかかるそうだ。僕は、アスカに合わす顔がない」
これに関しては、アーネストもかける言葉を持たなかった。どう言い訳したところで誤魔化しようがない。吉野の頬に残る大きく切り裂かれた痕が、上手く動かない左側の頬が、何があったかを何よりも雄弁に語るだろう。吉野をあの場所に置いた事実を、飛鳥はきっと許さないだろう。危険は十分に予測されていたのだから――。
「技術者が足りない。アスカの映像を完璧に理解して動かせるのが、ヨシノしかいないことが問題なんだ」
深い吐息とともに吐きだされたヘンリーの不満に、アーネストも力強く頷いた。
「戻ったら研修会を――、それよりも、もっと長期で研修期間を取って人材を育てなくては」
たった二日間アスカの映像に触れ、ヨシノの仕事ぶりを見ていたニューヨークチームの方が、ロンドンチームよりも理解が早く、深かったのだ。ここはやはり……。
深く思索に耽ろうとするヘンリーを呼び戻すように、アーネストは肩をすくめて呼びかけた。
「ヘンリー、それよりも明日のことだよ」
「ヨシノへの狙撃、誰の指示だと思う?」
ヘンリーは、思慮深いアーネストの猫のようなヘーゼルの瞳を探るように見つめている。小さく息をつき、アーネストは諦めたように応えた。
「『残忍なテロと闘い生き残った英雄』、になり損ねたルノー」
「それから?」
「対テロ戦争と反イスラム思想を煽りたい思惑を邪魔されたフェイラーの、きみへの威嚇」
「それに?」
「まだ他に可能性がある?」
アーネストは驚いたように目を見開いた。ヘーゼルの瞳がその色を変える。
「マルセッロ・ボルージャ。双子のマルセルと意見が対立している。彼は、ヨシノが邪魔だ」
「ロレンツォはなんて?」
ヘンリーは首を横に振る。
「それにドイツ・グレンツ社買収が気に入らない連中の便乗かもしれない。例えば、スイス・ルベリーニ。ルベリーニ一族は、買収もこのテロ襲撃も、どちらも知っていたはずだからね」
問い質すようなヘンリーの視線に、アーネストも返事に詰まり唇を噛んだ。
「これは公表されていないんだけどね、講演会場でヨシノとテロリストを狙撃したルノーのSPは、警察が踏み込んだときにはね、自分で自分の頭を撃ち抜いて死んでいたんだ」
「自殺? 口封じじゃなくて?」
「判らない。それに、狙いは本当にヨシノだったのかもはっきりしない。誰でも良かったのかもしれないし、本当は、僕を狙ったのかもしれない」
ヘンリーは目を細め、にっと笑った。
「こんな現状で、僕に見本市に顔をだせと言うほど、きみは薄情な奴じゃないよね?」
ヘンリーはホテルの自室でソファーに腰かけ、静まり返り闇に沈む通りを眺めながら応えていた。記者会見に警察の事情聴衆で半日を潰され、やっと解放された今は、夜中をとっくに廻っている。
「だいたい、テロに襲撃されたって言うのに、翌日も見本市を開催するってどういう神経だい?」
「テロに屈しないという意思表明だそうだよ。もちろん直接被害にあった講演会場と、爆破被害の現場付近は封鎖されるそうだけれど」
「見本市がもたらす経済効果が惜しいだけだろ。生々しいテロの爪痕まで使って、物見高い連中を集めるつもりなんだ。あいつらの考えそうなことだよ。僕なら社員の安全を第一に選ぶね」
不愉快そうに吐息をつき、ヘンリーは両眉をあげて唇を尖らせた。
「……軽傷とはいえ負傷者五十名のうちの半数が、出入り口付近でTS映像を操作していたうちの社員っていうのもね。とてもじゃないが、これ以上彼らに協力する気になんてならないね。警察だって、本当に動いたのは実際に襲撃があってからじゃないか」
「ヘンリー、」
アーネストは苦笑しながら、ヘンリーを宥めるように頭を振った。
「各国政府から問い合わせと、演説映像の依頼がひっきりなしだそうだよ。本社からの連絡に、ずっとデヴィッドが一人で対応してくれていたんだ」
「全部断ればいい」
ヘンリーは素っ気なく応えた。
「どうせテロ対策だの、暗殺回避だの名目をつけて映像に演説させ、ご本人はその間にゴルフだろ?」
「ああ、きみがよくやっている……」
クスクスと笑うアーネストを、ヘンリーはふくれっ面で睨めつける。
「依頼を断って、今回の経費五百万ポンド、どうやって回収するつもりだい?」
「そんなもの、宣伝費と思えばいいだろ。アーカシャ―HDの名前と、画像は悪いとはいえアスカの作った映像が全世界に放映されたんだ。テロに襲撃され、民間人死者を出すことなく切り抜けた奇跡の映像だってね。――もっとも、金銭以上の代償が大きすぎる」
ぷいっと顔を背けたヘンリーの子どもっぽい仕草に、心中を察してアーネストも小さく吐息をつく。
「――ヨシノの顔の傷、残るそうだよ」
胸中の鬱屈を吐きだすようにヘンリーは呟いた。
「それだけじゃない。顔面神経損傷、頬枝断裂で、彼のあの笑顔がもう、見られなくなるかもしれないんだ」
「神経をつなぐ手術は成功したんだろ?」
「上手くいったとして、表情が戻るまで半年はかかるそうだ。僕は、アスカに合わす顔がない」
これに関しては、アーネストもかける言葉を持たなかった。どう言い訳したところで誤魔化しようがない。吉野の頬に残る大きく切り裂かれた痕が、上手く動かない左側の頬が、何があったかを何よりも雄弁に語るだろう。吉野をあの場所に置いた事実を、飛鳥はきっと許さないだろう。危険は十分に予測されていたのだから――。
「技術者が足りない。アスカの映像を完璧に理解して動かせるのが、ヨシノしかいないことが問題なんだ」
深い吐息とともに吐きだされたヘンリーの不満に、アーネストも力強く頷いた。
「戻ったら研修会を――、それよりも、もっと長期で研修期間を取って人材を育てなくては」
たった二日間アスカの映像に触れ、ヨシノの仕事ぶりを見ていたニューヨークチームの方が、ロンドンチームよりも理解が早く、深かったのだ。ここはやはり……。
深く思索に耽ろうとするヘンリーを呼び戻すように、アーネストは肩をすくめて呼びかけた。
「ヘンリー、それよりも明日のことだよ」
「ヨシノへの狙撃、誰の指示だと思う?」
ヘンリーは、思慮深いアーネストの猫のようなヘーゼルの瞳を探るように見つめている。小さく息をつき、アーネストは諦めたように応えた。
「『残忍なテロと闘い生き残った英雄』、になり損ねたルノー」
「それから?」
「対テロ戦争と反イスラム思想を煽りたい思惑を邪魔されたフェイラーの、きみへの威嚇」
「それに?」
「まだ他に可能性がある?」
アーネストは驚いたように目を見開いた。ヘーゼルの瞳がその色を変える。
「マルセッロ・ボルージャ。双子のマルセルと意見が対立している。彼は、ヨシノが邪魔だ」
「ロレンツォはなんて?」
ヘンリーは首を横に振る。
「それにドイツ・グレンツ社買収が気に入らない連中の便乗かもしれない。例えば、スイス・ルベリーニ。ルベリーニ一族は、買収もこのテロ襲撃も、どちらも知っていたはずだからね」
問い質すようなヘンリーの視線に、アーネストも返事に詰まり唇を噛んだ。
「これは公表されていないんだけどね、講演会場でヨシノとテロリストを狙撃したルノーのSPは、警察が踏み込んだときにはね、自分で自分の頭を撃ち抜いて死んでいたんだ」
「自殺? 口封じじゃなくて?」
「判らない。それに、狙いは本当にヨシノだったのかもはっきりしない。誰でも良かったのかもしれないし、本当は、僕を狙ったのかもしれない」
ヘンリーは目を細め、にっと笑った。
「こんな現状で、僕に見本市に顔をだせと言うほど、きみは薄情な奴じゃないよね?」
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