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六章
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「メシ食いに行くぞ!」
吉野はまとめられた札束を無造作に掴んで腰をあげると、その手を頭上高くに掲げてみせた。
「うまいビストロに連れてってくれ! 俺のおごりだ! この金、全部使いきるまで食いまくるぞ!」
すっからかんに金を巻きあげられ、呆然とした涙目で地べたに傍りこんでいた連中の土気色の顔色に血の気が戻る。
「おう! 行こう、行こう!」「うまい店ならまかせとけ!」と次々と立ちあがり、同じく拳を空に突きあげる。
「また何を始めるんだか」
「あんな糞オヤジ連中を引き連れて、どうしようってんだ……」
呆れ顔から怪訝そうな表情に変わったアリーが、ウィリアムと顔を見合わせる。だがそれ以上は何も言わずに、苦虫を噛み潰したような顔で、吉野を真ん中にしてドヤドヤと歩きだした集団につかず離れず後を追う。
「今さらなんだけどな、」
しばらくしてアリーは無表情のまま切りだした。大通りにでて人通りも増えてきている。騒がしい吉野たちの一団に、すれ違う通行人は顔をしかめている。
「あのガキ、何ヶ国語喋れるんだ? 自分は通訳も兼ねてこの役目を命じられたと思っていたんだが」
「その気になればいくらでも。その場で覚えてしまいますからね」
「その場でって……」
訳が判らないふうなアリーに、ウィリアムは曖昧な微笑を返すだけだ。その眼は、声高に喋り散らし騒がしく前を行く一団を追っている。
「記憶力がいいんですよ。耳もね」
同時にちっと舌打ちしていた。視界を遮る高い建物の角を曲がったとたん、前を歩いていたはずの連中が一斉に走りだしたのだ。
「まずい! 逃げる気だ!」
数人に分かれ、固まって走る連中が邪魔で吉野を見失った。
「やられた!」
ウィリアムは間髪入れず、音声認識で吉野の位置情報を映すTS画面を眼前に呼びだしている。一瞥すると、追いかけようと走りだしたアリーを追い、その腕を掴んで止めた。
「もう車の中です」
二人して、ため息をついて立ち止まった。
「GPSで居場所は知られていると判っているのに、なんでこう逃げたがるんだ、あいつは?」
「とにかく追いかけましょう。拉致の可能性もないわけじゃない」
ウィリアムはタクシーを捉まえるために、すでに車道に向かい片手を挙げていた。
――とにかく自由にさせろ。行動に規制をかけるな。だけど安全の確保は第一に。決して危険な目に晒すんじゃないよ。
ウィリアムは、そうヘンリーに仰せつかっているのだ。
――まさか、あの子がたかだか観光気分で欧州に行くはずがないだろ? 誰に会いに行くのか知りたい。そして、誰が接触してくるのかも知りたいんだ。
あまりにも派手に動きまわられるせいで、目的の特定ができない。
日本で初めて会ったときには悔しそうに自分を睨めつけていた、どこかあどけなさの残る少年は、わずか数年の間にこうも人を食った、手にあまるほどしたたかな男に育ってきているのだ。
主人の楽しそうな顔を思い浮かべ苦笑しながら、ウィリアムは、タクシーの隣座席にいる愚直なまでに職務に忠実なアリーの渋面をちらりと眺める。
――そして、もうひとつ。殿下の近衛に、吉野の邪魔をさせるんじゃないよ。
ウィリアムはTS画面を睨み、歯噛みしながら、自分に課せられた使命を反芻していた。
「その角で停めて下さい。降ります」
「この後特に用事もないんだったら、ロンドン観光にでも行くか?」
食後のエスプレッソをひと息に飲み切り、ロレンツォはにこやかに微笑んだ。
「観光?」
飛鳥は意外そうに鳶色の瞳をくりっとあげて訊き返した。
「あ、僕がさっき観光したことがないって言ったから? 残念だな。これからヘンリーと待ち合わせなんだ。本店の方に行かなきゃいけないんだ」
飛鳥は残念そうに口を尖らせ肩をすくめる。
「でも嬉しいよ。誘ってもらえて」
にっこりと微笑み返すと、ふと思いだしたように飛鳥はロレンツォに顔を寄せた。
「ねぇ、ロニー、きみはヘンリーの好きな人が誰だか知ってる?」
「好きな奴?」
寝耳に水といった様子のロレンツォに、飛鳥はもう一段近づき内緒話でもするように声を落とした。
「片想いの相手。彼、告白する気はないって言うんだよ。どんな人なのか気になってさ。あのヘンリーを断るような女の子がいるなんて思えないじゃないか!」
ロレンツォは狐につままれたような顔をして、飛鳥をじっと見つめ返す。だが真剣な飛鳥の表情に吹きだして、声を立てて笑いだした。
「あー、そりゃあなぁ、言えないと思うぜ」
「なんで? 彼が振られるわけないのに、言う前から諦めるなんて彼らしくないと思わない?」
憮然として唇を尖らせ、ふくれっ面をする飛鳥の額を、ロレンツォは笑いながらつんと押し戻す。
「お前に手がかかるからさ」
「僕のせい!?」
それは納得がいかないぞ、と飛鳥はますます頬を膨らませる。
「お前との事業の方が大事ってことだろ」
言われて飛鳥はしゅんとして身体をひき、トンッと椅子の背もたれに深くもたれた。
「そんな言い方じゃなかったけれど、やっぱりそれもあるのかなぁ。忙しすぎるんだよねぇ」
「お前は?」
「え?」
「好きな女」
みるみるうちに赤く染まっていく飛鳥を、ロレンツォは、こっちの方がよほど予期してなかったぞ、とばかりに呆気に取られて凝視していた。
吉野はまとめられた札束を無造作に掴んで腰をあげると、その手を頭上高くに掲げてみせた。
「うまいビストロに連れてってくれ! 俺のおごりだ! この金、全部使いきるまで食いまくるぞ!」
すっからかんに金を巻きあげられ、呆然とした涙目で地べたに傍りこんでいた連中の土気色の顔色に血の気が戻る。
「おう! 行こう、行こう!」「うまい店ならまかせとけ!」と次々と立ちあがり、同じく拳を空に突きあげる。
「また何を始めるんだか」
「あんな糞オヤジ連中を引き連れて、どうしようってんだ……」
呆れ顔から怪訝そうな表情に変わったアリーが、ウィリアムと顔を見合わせる。だがそれ以上は何も言わずに、苦虫を噛み潰したような顔で、吉野を真ん中にしてドヤドヤと歩きだした集団につかず離れず後を追う。
「今さらなんだけどな、」
しばらくしてアリーは無表情のまま切りだした。大通りにでて人通りも増えてきている。騒がしい吉野たちの一団に、すれ違う通行人は顔をしかめている。
「あのガキ、何ヶ国語喋れるんだ? 自分は通訳も兼ねてこの役目を命じられたと思っていたんだが」
「その気になればいくらでも。その場で覚えてしまいますからね」
「その場でって……」
訳が判らないふうなアリーに、ウィリアムは曖昧な微笑を返すだけだ。その眼は、声高に喋り散らし騒がしく前を行く一団を追っている。
「記憶力がいいんですよ。耳もね」
同時にちっと舌打ちしていた。視界を遮る高い建物の角を曲がったとたん、前を歩いていたはずの連中が一斉に走りだしたのだ。
「まずい! 逃げる気だ!」
数人に分かれ、固まって走る連中が邪魔で吉野を見失った。
「やられた!」
ウィリアムは間髪入れず、音声認識で吉野の位置情報を映すTS画面を眼前に呼びだしている。一瞥すると、追いかけようと走りだしたアリーを追い、その腕を掴んで止めた。
「もう車の中です」
二人して、ため息をついて立ち止まった。
「GPSで居場所は知られていると判っているのに、なんでこう逃げたがるんだ、あいつは?」
「とにかく追いかけましょう。拉致の可能性もないわけじゃない」
ウィリアムはタクシーを捉まえるために、すでに車道に向かい片手を挙げていた。
――とにかく自由にさせろ。行動に規制をかけるな。だけど安全の確保は第一に。決して危険な目に晒すんじゃないよ。
ウィリアムは、そうヘンリーに仰せつかっているのだ。
――まさか、あの子がたかだか観光気分で欧州に行くはずがないだろ? 誰に会いに行くのか知りたい。そして、誰が接触してくるのかも知りたいんだ。
あまりにも派手に動きまわられるせいで、目的の特定ができない。
日本で初めて会ったときには悔しそうに自分を睨めつけていた、どこかあどけなさの残る少年は、わずか数年の間にこうも人を食った、手にあまるほどしたたかな男に育ってきているのだ。
主人の楽しそうな顔を思い浮かべ苦笑しながら、ウィリアムは、タクシーの隣座席にいる愚直なまでに職務に忠実なアリーの渋面をちらりと眺める。
――そして、もうひとつ。殿下の近衛に、吉野の邪魔をさせるんじゃないよ。
ウィリアムはTS画面を睨み、歯噛みしながら、自分に課せられた使命を反芻していた。
「その角で停めて下さい。降ります」
「この後特に用事もないんだったら、ロンドン観光にでも行くか?」
食後のエスプレッソをひと息に飲み切り、ロレンツォはにこやかに微笑んだ。
「観光?」
飛鳥は意外そうに鳶色の瞳をくりっとあげて訊き返した。
「あ、僕がさっき観光したことがないって言ったから? 残念だな。これからヘンリーと待ち合わせなんだ。本店の方に行かなきゃいけないんだ」
飛鳥は残念そうに口を尖らせ肩をすくめる。
「でも嬉しいよ。誘ってもらえて」
にっこりと微笑み返すと、ふと思いだしたように飛鳥はロレンツォに顔を寄せた。
「ねぇ、ロニー、きみはヘンリーの好きな人が誰だか知ってる?」
「好きな奴?」
寝耳に水といった様子のロレンツォに、飛鳥はもう一段近づき内緒話でもするように声を落とした。
「片想いの相手。彼、告白する気はないって言うんだよ。どんな人なのか気になってさ。あのヘンリーを断るような女の子がいるなんて思えないじゃないか!」
ロレンツォは狐につままれたような顔をして、飛鳥をじっと見つめ返す。だが真剣な飛鳥の表情に吹きだして、声を立てて笑いだした。
「あー、そりゃあなぁ、言えないと思うぜ」
「なんで? 彼が振られるわけないのに、言う前から諦めるなんて彼らしくないと思わない?」
憮然として唇を尖らせ、ふくれっ面をする飛鳥の額を、ロレンツォは笑いながらつんと押し戻す。
「お前に手がかかるからさ」
「僕のせい!?」
それは納得がいかないぞ、と飛鳥はますます頬を膨らませる。
「お前との事業の方が大事ってことだろ」
言われて飛鳥はしゅんとして身体をひき、トンッと椅子の背もたれに深くもたれた。
「そんな言い方じゃなかったけれど、やっぱりそれもあるのかなぁ。忙しすぎるんだよねぇ」
「お前は?」
「え?」
「好きな女」
みるみるうちに赤く染まっていく飛鳥を、ロレンツォは、こっちの方がよほど予期してなかったぞ、とばかりに呆気に取られて凝視していた。
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