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六章
想い
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透明水彩で塗りたくったような空気の中を流れる水のように踊っている吉野に、飛鳥は唖然と目を瞠っていた。
「とても、吉野に見えないよ……」
サラも、ライムグリ―ンの大きな眼を見開いて画面に見入っている。小さく感嘆の吐息を漏らした彼女に、ヘンリーは優しい微笑を向けた。
「あんな風に踊ってみたいんだね? ワルツくらい教えてあげるよ」
サラは瞳をキラキラさせて、ヘンリーを見つめ返した。
三人は、コンサバトリーの床に直に座り、TSガラス窓一面に映しだされた録画映像を見ている。メイン会場の迷宮以外の、TSを使ったイベント会場のチェックをしているのだ。
「ワルツ、エリオットで習うの?」
感心しきりの瞳で振り向いた飛鳥に、ヘンリーは軽く頷いてみせる。
「必須科目なんだよ。確かウイスタンでもそのはずだよ。三学年までの間に習うんだ。きみは五学年生からの留学だから知らなかったんだね。他校との交流パーティーに出席することもしなかったし」
「三年間も習えばあんな風に踊れるようになるのかぁ……。アレンも、綺麗だものねぇ」
「ヨシノは特別だと思うよ。彼のワルツは競技ダンスみたいだもの。特殊な先生についたんじゃないかな」
「ああ――」
納得がいったようすで飛鳥は頷いた。弟の独特な学習方法を思いだしたのだ。吉野は大抵のことをインターネットや動画サイトで覚えてくる。完璧な記憶力とずば抜けた運動神経で見本にした人の動きをコピーして、自分のものにするまで繰り返すのだった。
飛鳥は苦笑して、今度は画面の中で、次々とパートナーを変えながら踊っているマリーネに目をやった。
「この彼女、ロニーの親戚なんだって? 綺麗なひとだね」
ぽーと見とれながら頷くサラと、眉をしかめて画面に見いっているヘンリーとの反応の差が、あまりにちぐはぐだ。飛鳥はクスクス笑いながら訊ねた。
「吉野の十歳も年上だなんて、とても見えないよ」
「女性は化けるからね」
身も蓋もないヘンリーの言い草に飛鳥は吹きだしながら、「どんな女性ならきみのお眼鏡に叶うんだろうね! 噂だけはいろいろと聞くのに、きみ、全然紹介してくれないし――。本当のところはどうなの?」
と大学での学友から仕入れた噂話を持ちだしたてみる。
「さぁ、どうだろうね。でもそんな噂なんて信じないで欲しいな。僕はカレッジ内で道を訊かれただけで、翌日にはその女の子と付き合っているのかって、尋ねられたりしていたからね。それも一人、二人じゃなくて何人もに!」
ヘンリーは謎めいた表情でクスリと笑い、肩をすくめて答えた。
「特定のガールフレンドができれば、そんな噂もなくなるよ。好きな子はいないの?」
「いるよ」
え――。
まさかの答えに、飛鳥はポカーンと大口を開けて、ヘンリーをまじまじと眺めてしまっていた。
「片想いなんだ」
「嘘だろ?」
「冗談でこんなことが言えるかい?」
「きみが片想いとか、あり得ないだろ!」
大声をあげた飛鳥に、サラが驚いてびくりと痙攣する。ヘンリーはすぐにサラの頭を抱いてこつんと自分の肩に引き寄せた。ごめん、と慌てて口を覆う飛鳥に微笑んで首を振り、穏やかな声音で会話を継いだ。
「僕の好きになった人をね、困らせたくないから告白できないんだ」
「えっ! えっと、まさか、ややこしい相手? 既婚者とか?」
「まさか、そうじゃないよ」
信じられない、と眉根を寄せる飛鳥に、ヘンリーはとろけるような優しげな笑顔を見せている。
「恋だの愛だの言っていられるような人じゃないんだ」
「きみに告白されて困るような人がいるのかな――。よっぽどの変人じゃない限り、一発OKだろ」
「よっぽどの変人かな」
ヘンリーはくっくっと含み嗤い、よほど納得がいかないのか、なにか言いたげで、それでいて言葉の見つからない飛鳥に、楽しそうにわざとため息をついてみせる。
「仕方がないんだよ、僕だって。こんな事になるなんて、思ってもいなかった」
「こんな事って?」
「夢中で何かに熱中していたんだ。まったく関係ない別の事に。それに気を取られていて、気がついたら突然事故に遭ったみたいに恋に落ちていた」
飛鳥と同じように、驚いた瞳でじっと自分を見つめるサラの頭を、ヘンリーは微笑んでくしゃっと撫でる。
「頭をガンって殴られて意識を失って、次に目が覚めた時には世界が変わっていたんだ。今、初めて生まれてきたみたいに。僕は生きているんだ、て実感できたよ」
幸せそうに微笑むヘンリーを、飛鳥はますます驚きを持って見つめていた。
「恋って、そんな感じなの?」
思わずそんな言葉が口について出ていた。
「さぁ? 僕はそうだった、てだけだよ」
「そのひとに想いを告げないの?」
「告白したら、その瞬間にこの恋は終わる。それだけは確かなんだよ」
ヘンリーは残念そうに、ちょっと淋しそうに笑った。その笑顔が、なぜか、本当にそうなんだろうな、と妙に飛鳥を納得させてしまって、もう下手な慰めも激励の言葉さえ、浮かばなくなってしまった。
「それできみは、いいの?」
飛鳥はなんだか哀しかったのだ。けれど、それだけは訊ねていた。
「うん。こんなに好きになれる人に出逢えて幸せだよ」
ヘンリーは、飛鳥が今まで見た中でも、一番穏やかな、優しげな表情で微笑んで応えていた。
「とても、吉野に見えないよ……」
サラも、ライムグリ―ンの大きな眼を見開いて画面に見入っている。小さく感嘆の吐息を漏らした彼女に、ヘンリーは優しい微笑を向けた。
「あんな風に踊ってみたいんだね? ワルツくらい教えてあげるよ」
サラは瞳をキラキラさせて、ヘンリーを見つめ返した。
三人は、コンサバトリーの床に直に座り、TSガラス窓一面に映しだされた録画映像を見ている。メイン会場の迷宮以外の、TSを使ったイベント会場のチェックをしているのだ。
「ワルツ、エリオットで習うの?」
感心しきりの瞳で振り向いた飛鳥に、ヘンリーは軽く頷いてみせる。
「必須科目なんだよ。確かウイスタンでもそのはずだよ。三学年までの間に習うんだ。きみは五学年生からの留学だから知らなかったんだね。他校との交流パーティーに出席することもしなかったし」
「三年間も習えばあんな風に踊れるようになるのかぁ……。アレンも、綺麗だものねぇ」
「ヨシノは特別だと思うよ。彼のワルツは競技ダンスみたいだもの。特殊な先生についたんじゃないかな」
「ああ――」
納得がいったようすで飛鳥は頷いた。弟の独特な学習方法を思いだしたのだ。吉野は大抵のことをインターネットや動画サイトで覚えてくる。完璧な記憶力とずば抜けた運動神経で見本にした人の動きをコピーして、自分のものにするまで繰り返すのだった。
飛鳥は苦笑して、今度は画面の中で、次々とパートナーを変えながら踊っているマリーネに目をやった。
「この彼女、ロニーの親戚なんだって? 綺麗なひとだね」
ぽーと見とれながら頷くサラと、眉をしかめて画面に見いっているヘンリーとの反応の差が、あまりにちぐはぐだ。飛鳥はクスクス笑いながら訊ねた。
「吉野の十歳も年上だなんて、とても見えないよ」
「女性は化けるからね」
身も蓋もないヘンリーの言い草に飛鳥は吹きだしながら、「どんな女性ならきみのお眼鏡に叶うんだろうね! 噂だけはいろいろと聞くのに、きみ、全然紹介してくれないし――。本当のところはどうなの?」
と大学での学友から仕入れた噂話を持ちだしたてみる。
「さぁ、どうだろうね。でもそんな噂なんて信じないで欲しいな。僕はカレッジ内で道を訊かれただけで、翌日にはその女の子と付き合っているのかって、尋ねられたりしていたからね。それも一人、二人じゃなくて何人もに!」
ヘンリーは謎めいた表情でクスリと笑い、肩をすくめて答えた。
「特定のガールフレンドができれば、そんな噂もなくなるよ。好きな子はいないの?」
「いるよ」
え――。
まさかの答えに、飛鳥はポカーンと大口を開けて、ヘンリーをまじまじと眺めてしまっていた。
「片想いなんだ」
「嘘だろ?」
「冗談でこんなことが言えるかい?」
「きみが片想いとか、あり得ないだろ!」
大声をあげた飛鳥に、サラが驚いてびくりと痙攣する。ヘンリーはすぐにサラの頭を抱いてこつんと自分の肩に引き寄せた。ごめん、と慌てて口を覆う飛鳥に微笑んで首を振り、穏やかな声音で会話を継いだ。
「僕の好きになった人をね、困らせたくないから告白できないんだ」
「えっ! えっと、まさか、ややこしい相手? 既婚者とか?」
「まさか、そうじゃないよ」
信じられない、と眉根を寄せる飛鳥に、ヘンリーはとろけるような優しげな笑顔を見せている。
「恋だの愛だの言っていられるような人じゃないんだ」
「きみに告白されて困るような人がいるのかな――。よっぽどの変人じゃない限り、一発OKだろ」
「よっぽどの変人かな」
ヘンリーはくっくっと含み嗤い、よほど納得がいかないのか、なにか言いたげで、それでいて言葉の見つからない飛鳥に、楽しそうにわざとため息をついてみせる。
「仕方がないんだよ、僕だって。こんな事になるなんて、思ってもいなかった」
「こんな事って?」
「夢中で何かに熱中していたんだ。まったく関係ない別の事に。それに気を取られていて、気がついたら突然事故に遭ったみたいに恋に落ちていた」
飛鳥と同じように、驚いた瞳でじっと自分を見つめるサラの頭を、ヘンリーは微笑んでくしゃっと撫でる。
「頭をガンって殴られて意識を失って、次に目が覚めた時には世界が変わっていたんだ。今、初めて生まれてきたみたいに。僕は生きているんだ、て実感できたよ」
幸せそうに微笑むヘンリーを、飛鳥はますます驚きを持って見つめていた。
「恋って、そんな感じなの?」
思わずそんな言葉が口について出ていた。
「さぁ? 僕はそうだった、てだけだよ」
「そのひとに想いを告げないの?」
「告白したら、その瞬間にこの恋は終わる。それだけは確かなんだよ」
ヘンリーは残念そうに、ちょっと淋しそうに笑った。その笑顔が、なぜか、本当にそうなんだろうな、と妙に飛鳥を納得させてしまって、もう下手な慰めも激励の言葉さえ、浮かばなくなってしまった。
「それできみは、いいの?」
飛鳥はなんだか哀しかったのだ。けれど、それだけは訊ねていた。
「うん。こんなに好きになれる人に出逢えて幸せだよ」
ヘンリーは、飛鳥が今まで見た中でも、一番穏やかな、優しげな表情で微笑んで応えていた。
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