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五章
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今日のメイン会場である迷宮が、広大な中庭の中央に設置されている。ぐるりと白一色の続く外壁からは、中の模様は想像もつかない。その内装を一手に引き受けるコントロールルームは、壁の陰に停車しているトラックの車内だ。
外から見るよりはよほど広く感じられる車内の壁一面に、モニターがずらりと並んでいる。その手前に腰かけている飛鳥が、椅子をくるりと回転させて振り返る。
「ありがとう、吉野。もうここはいいから、みんなと遊んできなよ。今日は天気もいいし風もない。想定外のアクシデントもなさそうだし、大丈夫だよ」
「じきに日の入りで、開場だろ? お客さんが入った様子を見届けてから行くよ」
「なら、ここじゃなくて、中で見てきてよ。マズい箇所があったら教えて」
陽の出ている時間帯には、不備不足がないか何度もチェックした。だが日没後スタートとなるこのイベントの実際の色彩が、計算通りの色を出せるかは、ぶっつけ本番だ。
飛鳥は緊張した面持ちで息を漏らし、ダンスホールやフードコートなどの自分一人では回り切れなかった数か所のイベントホールの仕上げをチェックし、修正を加えて廻ってくれた頼もしい弟の顔を見あげる。
やはり、吉野と何かを作りあげていくのが一番楽しい……。
多才で器用で、汎用力の高い吉野は、自分なんかよりもよほど視野が広く、細かいところにまで目端が利く。そして誰よりも的確で明快。吉野の言う事には説得力がある。
――誰もが吉野を欲しがって当然なんだ。と、つい数カ月前のヘンリーとの言い合いを思いだし、ふっと飛鳥はその表情を曇らせる。
「飛鳥? そんなに心配なら見てくるよ」
吉野は敏感に飛鳥のわずかな表情の変化を捉えて、同じように心配そうな眼で見つめ返した。飛鳥は内心の後悔と自己嫌悪はおくびにも出さずに、にっこりと笑みを返す。
「うん、頼むよ。友達も一緒にね。感想を聞いてきて」
「うん」
第二モニター画面の前から立ちあがり出口に向かう吉野を、飛鳥は思わず呼び止める。
「吉野! ……いってらっしゃい」
「うん。ついでになんか食い物もらってくるよ。夕飯、まだなんだろ? じゃあ、飛鳥、いってきます」
吉野はにかっと笑って、ドアを開けた。
「お前らまだダンスホール? 俺、時間空いたよ。飛鳥が迷宮を見てこいって。――うん。俺、スタッフカードを持ってるからさ、行列、待たずに入れるんだ。すぐにこいよ」
独り言のようにブツブツと話しながら歩く吉野を、すれ違った何人かが怪訝そうに振り返る。野外のここかしこに貼られたテントの下では、飲み物や、カップケーキ、軽いスナック類がところ狭しと置かれている。それらを手によそ見しながら歩いている、すでに出来あがった酔っ払い連中をぶつからないように除けながら、吉野は器用に人混みの中進んでいる。
「――終わり。電話を切る」
TSの音声認識に指示をだした吉野の後ろで、クスクスと聞き覚えのある声がした。
「ご苦労様」
「あんたも」
「アスカの方はいいのかい?」
「中を見て報告しろって。なぁ、スタッフカード、よぶんに持ってない? 飛鳥にも貰ってはいるんだけどさ、足りないんだ。飛鳥が、あいつらも連れてって感想を聞いてこいって。まともに並んでいたら、二時間待ちくらいになるからさ」
「これを見せるといい」
ヘンリーは自分の胸からスタッフプレートを外して吉野に手渡す。
「こんなのでいいの?」
余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべ、ヘンリーは顎で迷宮の入り口を示している。
しばらくしてアレンたちと合流した。
「あれ、女の子は一緒じゃないの?」
「面倒くさいからダンスホールで別れた」
素っ気ないアレンの返事に、フレデリックやサウードは肩をすくめて苦笑している。どこか気まずげな空気を感じて、吉野も詳しく聞くのはやめにしておいた。
長蛇の列を尻目に、受付でヘンリーのプレートを見せて「動作チェック」というと、すんなりと通してくれた。
クリスを先頭に、そろって緊張した面持ちで、一人、二人並んで通るのがやっとくらいの狭いトンネルのような入り口を進んでいく。しんがりは吉野だ。
霧のかかったトンネルを抜けると視界が開け、大海原が現れた。大波が頭上高くから叩きつけてくる。降りかかる波しぶきに歓声をあげ、思わず顔を背けて避けていた。
だがすぐに、これは映像なのだと気がついてあんぐりと大口を開けて見惚れる友人たちに、「こういう顔を写真に撮って、飛鳥に見せればいいのかな?」と吉野は笑って言った。
皆、すかさずポーズを取る。
「何? 記念写真でも撮れって?」
吉野はクスクス笑いながらポケットからTSを取りだし、カシャッ、とシャッターを切った。
一部屋進むごとに、景色が変わる。
クノッソス宮殿遺跡を模した赤地に金で描かれた王座の間では、壁画のグリフィンが平面な姿のまま壁の中をのっそりと歩き回り、咆哮している。
別の間では、フレスコ画のイルカが飛び跳ねている。
空色の壁の中に閉じ込められた三人のミノアの少女がクスクスと笑いながら走り回っているさまは、悪夢のように美しく、不気味だ。
足下の白いタイルに黒で描かれた幾何学模様が、だんだんと浮かびあがり、足首に絡みついてくるようで、部屋を巡ってすすむごとに足取りは重くなっている。
そしてついには、皆、困惑して立ち止まってしまっていた。
「3Dは最初だけで、後は2Dなんだね」
クリスがふるふると首を振りながら呟いた。
「なんだか、本当に自分は三次元の人間なのか、判らなくなりそうだよ」
フレデリックも頷く。
「うっかりしていると、あの壁の中に閉じ込められそうで――」
「すごく綺麗なのに怖いよね」
アレンも目を細めて不安そうに首を傾げている。
「なんだか、ふらふらして……」
「酔っぱらっているみたいだよ」
サウードの一言に、「お酒、飲んだことないのに?」とすかさずクリスが突っ込んだ。
「船酔い」
サウードも難なく切り返す。
「それ、あっているかも……」
アレンは気分が悪いのか、青白い顔でしゃがみ込んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「頭の中、グラグラする。――みんな、先に行って。僕は少し休んでから行く」
「映像酔いかな」
傍らに膝をつき、心配そうにのぞき込む吉野にアレンは小さく頭を振った。
迷宮。多分、この各部屋部屋が、心の深いところを揺すぶっている。あのNYの宇宙と同じ。僕はきっと、アリアドネの絡まった糸を解きほぐして、この迷宮を抜けなきゃいけない――。
自分に言い聞かすように声にならない声で呟き、アレンは深く息を継ぐ。その背中を擦ってやりながら、吉野は順繰りに皆の様子に気を配る。
「お前らは平気? 大丈夫そうなら先に行って。出口の向かいがオープンカフェになってる。そこで待ってて」
「一緒に、」と、言いかけてフレデリックは口を噤んだ。
「分かった。じゃあ、ヨシノ、頼んだよ」
言い換えて、クリスとサウードの腕を取る。
「心配だよ!」
次の部屋へ移る通路でふくれっ面をするクリスをなだめながら、フレデリックは複雑な微笑を浮かべていた。
「彼、あんなふうに弱っている自分を人に見られるの、すごく嫌うんだ。あんな時のアレンの傍にいてもいいのはね、ヨシノだけなんだよ。彼が甘えられるのは、ヨシノだけなんだ」
クリスは、憮然としながらも頷いた。
「それ、分かる――。僕もだもの」
「きみもヨシノになら甘えられる?」
「ヨシノは泣いたって馬鹿にしたりしないもの。それに、慰めても、いたわってもくれないもの。ただ、そこにいてくれるだけなんだ。楽なんだよ、すごく。でもヨシノがいてくれたらそれだけで、汚い空気から綺麗な空気に変わったみたいに、楽に息ができるようになるんだ」
先に進んだクリスたちは、喋りながら通路を抜け最後の部屋へと向かった。
だがその部屋に一歩踏みいれるなり、誰もがそろって息を呑み、身動き一つできないまま目を瞠って、眼下に広がる風景を食いいるように見つめていた。
外から見るよりはよほど広く感じられる車内の壁一面に、モニターがずらりと並んでいる。その手前に腰かけている飛鳥が、椅子をくるりと回転させて振り返る。
「ありがとう、吉野。もうここはいいから、みんなと遊んできなよ。今日は天気もいいし風もない。想定外のアクシデントもなさそうだし、大丈夫だよ」
「じきに日の入りで、開場だろ? お客さんが入った様子を見届けてから行くよ」
「なら、ここじゃなくて、中で見てきてよ。マズい箇所があったら教えて」
陽の出ている時間帯には、不備不足がないか何度もチェックした。だが日没後スタートとなるこのイベントの実際の色彩が、計算通りの色を出せるかは、ぶっつけ本番だ。
飛鳥は緊張した面持ちで息を漏らし、ダンスホールやフードコートなどの自分一人では回り切れなかった数か所のイベントホールの仕上げをチェックし、修正を加えて廻ってくれた頼もしい弟の顔を見あげる。
やはり、吉野と何かを作りあげていくのが一番楽しい……。
多才で器用で、汎用力の高い吉野は、自分なんかよりもよほど視野が広く、細かいところにまで目端が利く。そして誰よりも的確で明快。吉野の言う事には説得力がある。
――誰もが吉野を欲しがって当然なんだ。と、つい数カ月前のヘンリーとの言い合いを思いだし、ふっと飛鳥はその表情を曇らせる。
「飛鳥? そんなに心配なら見てくるよ」
吉野は敏感に飛鳥のわずかな表情の変化を捉えて、同じように心配そうな眼で見つめ返した。飛鳥は内心の後悔と自己嫌悪はおくびにも出さずに、にっこりと笑みを返す。
「うん、頼むよ。友達も一緒にね。感想を聞いてきて」
「うん」
第二モニター画面の前から立ちあがり出口に向かう吉野を、飛鳥は思わず呼び止める。
「吉野! ……いってらっしゃい」
「うん。ついでになんか食い物もらってくるよ。夕飯、まだなんだろ? じゃあ、飛鳥、いってきます」
吉野はにかっと笑って、ドアを開けた。
「お前らまだダンスホール? 俺、時間空いたよ。飛鳥が迷宮を見てこいって。――うん。俺、スタッフカードを持ってるからさ、行列、待たずに入れるんだ。すぐにこいよ」
独り言のようにブツブツと話しながら歩く吉野を、すれ違った何人かが怪訝そうに振り返る。野外のここかしこに貼られたテントの下では、飲み物や、カップケーキ、軽いスナック類がところ狭しと置かれている。それらを手によそ見しながら歩いている、すでに出来あがった酔っ払い連中をぶつからないように除けながら、吉野は器用に人混みの中進んでいる。
「――終わり。電話を切る」
TSの音声認識に指示をだした吉野の後ろで、クスクスと聞き覚えのある声がした。
「ご苦労様」
「あんたも」
「アスカの方はいいのかい?」
「中を見て報告しろって。なぁ、スタッフカード、よぶんに持ってない? 飛鳥にも貰ってはいるんだけどさ、足りないんだ。飛鳥が、あいつらも連れてって感想を聞いてこいって。まともに並んでいたら、二時間待ちくらいになるからさ」
「これを見せるといい」
ヘンリーは自分の胸からスタッフプレートを外して吉野に手渡す。
「こんなのでいいの?」
余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべ、ヘンリーは顎で迷宮の入り口を示している。
しばらくしてアレンたちと合流した。
「あれ、女の子は一緒じゃないの?」
「面倒くさいからダンスホールで別れた」
素っ気ないアレンの返事に、フレデリックやサウードは肩をすくめて苦笑している。どこか気まずげな空気を感じて、吉野も詳しく聞くのはやめにしておいた。
長蛇の列を尻目に、受付でヘンリーのプレートを見せて「動作チェック」というと、すんなりと通してくれた。
クリスを先頭に、そろって緊張した面持ちで、一人、二人並んで通るのがやっとくらいの狭いトンネルのような入り口を進んでいく。しんがりは吉野だ。
霧のかかったトンネルを抜けると視界が開け、大海原が現れた。大波が頭上高くから叩きつけてくる。降りかかる波しぶきに歓声をあげ、思わず顔を背けて避けていた。
だがすぐに、これは映像なのだと気がついてあんぐりと大口を開けて見惚れる友人たちに、「こういう顔を写真に撮って、飛鳥に見せればいいのかな?」と吉野は笑って言った。
皆、すかさずポーズを取る。
「何? 記念写真でも撮れって?」
吉野はクスクス笑いながらポケットからTSを取りだし、カシャッ、とシャッターを切った。
一部屋進むごとに、景色が変わる。
クノッソス宮殿遺跡を模した赤地に金で描かれた王座の間では、壁画のグリフィンが平面な姿のまま壁の中をのっそりと歩き回り、咆哮している。
別の間では、フレスコ画のイルカが飛び跳ねている。
空色の壁の中に閉じ込められた三人のミノアの少女がクスクスと笑いながら走り回っているさまは、悪夢のように美しく、不気味だ。
足下の白いタイルに黒で描かれた幾何学模様が、だんだんと浮かびあがり、足首に絡みついてくるようで、部屋を巡ってすすむごとに足取りは重くなっている。
そしてついには、皆、困惑して立ち止まってしまっていた。
「3Dは最初だけで、後は2Dなんだね」
クリスがふるふると首を振りながら呟いた。
「なんだか、本当に自分は三次元の人間なのか、判らなくなりそうだよ」
フレデリックも頷く。
「うっかりしていると、あの壁の中に閉じ込められそうで――」
「すごく綺麗なのに怖いよね」
アレンも目を細めて不安そうに首を傾げている。
「なんだか、ふらふらして……」
「酔っぱらっているみたいだよ」
サウードの一言に、「お酒、飲んだことないのに?」とすかさずクリスが突っ込んだ。
「船酔い」
サウードも難なく切り返す。
「それ、あっているかも……」
アレンは気分が悪いのか、青白い顔でしゃがみ込んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「頭の中、グラグラする。――みんな、先に行って。僕は少し休んでから行く」
「映像酔いかな」
傍らに膝をつき、心配そうにのぞき込む吉野にアレンは小さく頭を振った。
迷宮。多分、この各部屋部屋が、心の深いところを揺すぶっている。あのNYの宇宙と同じ。僕はきっと、アリアドネの絡まった糸を解きほぐして、この迷宮を抜けなきゃいけない――。
自分に言い聞かすように声にならない声で呟き、アレンは深く息を継ぐ。その背中を擦ってやりながら、吉野は順繰りに皆の様子に気を配る。
「お前らは平気? 大丈夫そうなら先に行って。出口の向かいがオープンカフェになってる。そこで待ってて」
「一緒に、」と、言いかけてフレデリックは口を噤んだ。
「分かった。じゃあ、ヨシノ、頼んだよ」
言い換えて、クリスとサウードの腕を取る。
「心配だよ!」
次の部屋へ移る通路でふくれっ面をするクリスをなだめながら、フレデリックは複雑な微笑を浮かべていた。
「彼、あんなふうに弱っている自分を人に見られるの、すごく嫌うんだ。あんな時のアレンの傍にいてもいいのはね、ヨシノだけなんだよ。彼が甘えられるのは、ヨシノだけなんだ」
クリスは、憮然としながらも頷いた。
「それ、分かる――。僕もだもの」
「きみもヨシノになら甘えられる?」
「ヨシノは泣いたって馬鹿にしたりしないもの。それに、慰めても、いたわってもくれないもの。ただ、そこにいてくれるだけなんだ。楽なんだよ、すごく。でもヨシノがいてくれたらそれだけで、汚い空気から綺麗な空気に変わったみたいに、楽に息ができるようになるんだ」
先に進んだクリスたちは、喋りながら通路を抜け最後の部屋へと向かった。
だがその部屋に一歩踏みいれるなり、誰もがそろって息を呑み、身動き一つできないまま目を瞠って、眼下に広がる風景を食いいるように見つめていた。
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