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五章
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「『晴れは荒れ、荒れは晴れ。霧で濁った空を飛んでいこう』」
アレンが、さんさんと陽の降り注ぐ中庭の、鮮やかさを増す芝の緑をぼんやりと見遣りながら呟いている。
「ここしばらくは、落ち着いていたと思っていたのに……。それで、ヨシノはどこにいるの?」
同じベンチに並んで日光浴をしているサウードを、アレンは、恨みがましく振り返る。
「僕の国」
「なんで?」
「彼に頼んだプログラムのメンテナンスだよ」
サウードは申し訳なさそうに微笑んだ。
「この時期に?」
「不備があってね」
「創立祭に、学年末試験も、もうすぐだっていうのに……。それに、きみの試験も!」
アレンを真ん中に挟んでもう一方にいたクリスは、憤慨して唇を尖らせ、同意を求めるようにアレンを小突く。やるせない風情で息を漏らしたアレンは、勢い顔をあげ晴れ渡った空に向ける。
「申し訳ない」
サウードは、再度、ひょいっと肩をすくめてみせる。
「僕は彼に依存しすぎているのかな。彼が近くにいないってだけで、まるで視界の効かない霧の中に放りだされた気分なんだ」
どっぷりと落ち込んでいる様子を隠そうともせずに、アレンは暗い声でその正直な心情を漏らした。
「彼は見えすぎるひとだからね」
サウードは慰めるように頬笑み、「ヨシノが手をひいてくれるのなら、僕自身は目を瞑って歩くのだって怖くないよ!」とクリスは当然のことのように頷く。
これでは、きっと駄目なんだ――。
駄目だから、彼は、こうして時々姿を消すんだ。
アレンはどこまでも広がる空に不安定な視線を漂わせながら、兄の言葉を思いだしていた。
――僕に依存するな。
以前は兄に依存し、今は吉野に依存している……。
何も変わっていない。遠い存在だった兄は、やはり今でも遠いままで、いつも傍にいてくれる吉野も、やはり兄と同じくらい遠い。兄以上に遠い。
考えれば考えるほど、そんなやるせない想いばかりに、アレンは胸を塞がれるのだ。
「きみは、ヨシノのことをどれくらい分かっている? 僕よりはずっと知っているよね?」
アレンは唐突に、眠っているかのように静かに目を瞑っているサウードに訊ねた。サウードはゆっくりと目を開け、クスリと笑った。
「きみは、僕にあの空を捉まえろと、言っているの?」
一瞬意味が判らなかった。だが、すぐにアレンは口許をほころばせた。振り返って、今度はクリスに顔を向ける。
「クリスはどう?」
「僕は、ヨシノのこと、まるで判らないけれど好きだよ」
クリスは、堂々と胸を張って応えた。
アレンはクリスに応えて、にっこりする。胸の痞えが取れ、すっきりした気分だった。
「――彼が帰ってくるまでに試験勉強を進めておかないとね。ヨシノにはいつも驚かされてばかりだもの。たまには僕の方が驚かさないと! もうこんな顔をされて怒られるのは嫌だもの!」
アレンは思いっきり眉間に皺を寄せ、唇を尖らせて言い添える。
「そこ、間違っているぞ!」
みんなして、笑い合った。
「『こんなに荒れて晴れた日を見たことがない』」
サウードはほっとしたようにアレンを見、呟いていた。
雨続きだった四月がすぎ、五月に入ると今度は晴天ばかりが続いた。籠りっきりだった部屋からでて、ヘンリーは久しぶりにテラス広場にお茶を用意させた。キャンバス生地を張ったガーデンパラソルの陰から日向を眺めると、明るく照らされる緑が目に痛いほど眩しい。
「やはりこの季節には薔薇が欲しいね」
視線の先の、初夏の日差しの下で低木を剪定しているゴードンに声をかける。
「この辺りに移植いたしましょうか? 来春までお待ちいただけるなら。それとも、急がれますか?」
ゴードンは姿勢を正し、被っていたハンチング帽を脱いで皺がれた声で応える。
「今の時期の移植は難しいのだろう? 来年でいいよ。待たされるのはかまわない。楽しみが大きくなる」
テーブルでティーカップ片手に優雅に微笑むヘンリーに、ゴードンは「承知しました」と一礼して、遠慮がちにそそくさと道具を片づけ立ち去った。
その慌て方を訝しんでヘンリーが後ろをふり返ると、ロレンツォがこちらに向かって来ている。
「なんだ、せっかくゴードンと話していたのに」
文句を言うヘンリーにはおかまいなしで、ロレンツォは手前にある椅子をひいて座り、長い脚を組み合わせる。
「試験は?」
返事の代わりにヘンリーは掌をひらひらとさせた。
「アスカはいるか?」
「大学へ行っている。僕のカレッジのメイボールイベントを手伝うらしい。忙しくしているよ」
「僕のって、俺たちの、だろう? 同じカレッジなのだから!」
大きく手を振り回して訂正を入れるロレンツォに、ヘンリーはにこやかに応える。
「僕の、だよ。彼は僕の卒業祝いに、カレッジのイベントに協力しているんだ。TSの技術を総動員させてね。僕のためであって、きみのためじゃない」
優越感に溢れたその視線に、ロレンツォは皮肉な笑みを返した。
「お前のためというより、会社のためだな。アスカは責任感が強いから」
「きみ、彼のことも、僕のことも、ちっとも判っていないようだね」
ヘンリーの口許からクスクスと可笑しそうな笑い声が零れる。
「僕はね、これでも自分のことを寛大な人間だと思っているんだ。きみには、彼の気まぐれな気晴らしにも付き合ってもらったしね。感謝しているよ」
瞬きひとつせずにロレンツォを凝視する、ヘンリーのセレストブルーの瞳がすっと細められる。
「でも、もう十分だよ。アスカは居るべきところに居る。きみが心配すべきことは、他にあるだろう?」
眉を寄せ、視線で問いただす目前の男に、ヘンリ―は呆れたように手を振った。
「ドイツはヨシノに何を吹きこんだんだい? 彼、この時期に学校をさぼって国外だよ。弟のことでアスカに心配をかけるような真似は控えさせてもらえるかな?」
柔らかな声音で発せられた、この一見依頼に聞こえるきっぱりとした命令に、ロレンツォはその漆黒の瞳を際立たせてヘンリーを睨み返し、唇を噛んだまま、小さく頷いた。
アレンが、さんさんと陽の降り注ぐ中庭の、鮮やかさを増す芝の緑をぼんやりと見遣りながら呟いている。
「ここしばらくは、落ち着いていたと思っていたのに……。それで、ヨシノはどこにいるの?」
同じベンチに並んで日光浴をしているサウードを、アレンは、恨みがましく振り返る。
「僕の国」
「なんで?」
「彼に頼んだプログラムのメンテナンスだよ」
サウードは申し訳なさそうに微笑んだ。
「この時期に?」
「不備があってね」
「創立祭に、学年末試験も、もうすぐだっていうのに……。それに、きみの試験も!」
アレンを真ん中に挟んでもう一方にいたクリスは、憤慨して唇を尖らせ、同意を求めるようにアレンを小突く。やるせない風情で息を漏らしたアレンは、勢い顔をあげ晴れ渡った空に向ける。
「申し訳ない」
サウードは、再度、ひょいっと肩をすくめてみせる。
「僕は彼に依存しすぎているのかな。彼が近くにいないってだけで、まるで視界の効かない霧の中に放りだされた気分なんだ」
どっぷりと落ち込んでいる様子を隠そうともせずに、アレンは暗い声でその正直な心情を漏らした。
「彼は見えすぎるひとだからね」
サウードは慰めるように頬笑み、「ヨシノが手をひいてくれるのなら、僕自身は目を瞑って歩くのだって怖くないよ!」とクリスは当然のことのように頷く。
これでは、きっと駄目なんだ――。
駄目だから、彼は、こうして時々姿を消すんだ。
アレンはどこまでも広がる空に不安定な視線を漂わせながら、兄の言葉を思いだしていた。
――僕に依存するな。
以前は兄に依存し、今は吉野に依存している……。
何も変わっていない。遠い存在だった兄は、やはり今でも遠いままで、いつも傍にいてくれる吉野も、やはり兄と同じくらい遠い。兄以上に遠い。
考えれば考えるほど、そんなやるせない想いばかりに、アレンは胸を塞がれるのだ。
「きみは、ヨシノのことをどれくらい分かっている? 僕よりはずっと知っているよね?」
アレンは唐突に、眠っているかのように静かに目を瞑っているサウードに訊ねた。サウードはゆっくりと目を開け、クスリと笑った。
「きみは、僕にあの空を捉まえろと、言っているの?」
一瞬意味が判らなかった。だが、すぐにアレンは口許をほころばせた。振り返って、今度はクリスに顔を向ける。
「クリスはどう?」
「僕は、ヨシノのこと、まるで判らないけれど好きだよ」
クリスは、堂々と胸を張って応えた。
アレンはクリスに応えて、にっこりする。胸の痞えが取れ、すっきりした気分だった。
「――彼が帰ってくるまでに試験勉強を進めておかないとね。ヨシノにはいつも驚かされてばかりだもの。たまには僕の方が驚かさないと! もうこんな顔をされて怒られるのは嫌だもの!」
アレンは思いっきり眉間に皺を寄せ、唇を尖らせて言い添える。
「そこ、間違っているぞ!」
みんなして、笑い合った。
「『こんなに荒れて晴れた日を見たことがない』」
サウードはほっとしたようにアレンを見、呟いていた。
雨続きだった四月がすぎ、五月に入ると今度は晴天ばかりが続いた。籠りっきりだった部屋からでて、ヘンリーは久しぶりにテラス広場にお茶を用意させた。キャンバス生地を張ったガーデンパラソルの陰から日向を眺めると、明るく照らされる緑が目に痛いほど眩しい。
「やはりこの季節には薔薇が欲しいね」
視線の先の、初夏の日差しの下で低木を剪定しているゴードンに声をかける。
「この辺りに移植いたしましょうか? 来春までお待ちいただけるなら。それとも、急がれますか?」
ゴードンは姿勢を正し、被っていたハンチング帽を脱いで皺がれた声で応える。
「今の時期の移植は難しいのだろう? 来年でいいよ。待たされるのはかまわない。楽しみが大きくなる」
テーブルでティーカップ片手に優雅に微笑むヘンリーに、ゴードンは「承知しました」と一礼して、遠慮がちにそそくさと道具を片づけ立ち去った。
その慌て方を訝しんでヘンリーが後ろをふり返ると、ロレンツォがこちらに向かって来ている。
「なんだ、せっかくゴードンと話していたのに」
文句を言うヘンリーにはおかまいなしで、ロレンツォは手前にある椅子をひいて座り、長い脚を組み合わせる。
「試験は?」
返事の代わりにヘンリーは掌をひらひらとさせた。
「アスカはいるか?」
「大学へ行っている。僕のカレッジのメイボールイベントを手伝うらしい。忙しくしているよ」
「僕のって、俺たちの、だろう? 同じカレッジなのだから!」
大きく手を振り回して訂正を入れるロレンツォに、ヘンリーはにこやかに応える。
「僕の、だよ。彼は僕の卒業祝いに、カレッジのイベントに協力しているんだ。TSの技術を総動員させてね。僕のためであって、きみのためじゃない」
優越感に溢れたその視線に、ロレンツォは皮肉な笑みを返した。
「お前のためというより、会社のためだな。アスカは責任感が強いから」
「きみ、彼のことも、僕のことも、ちっとも判っていないようだね」
ヘンリーの口許からクスクスと可笑しそうな笑い声が零れる。
「僕はね、これでも自分のことを寛大な人間だと思っているんだ。きみには、彼の気まぐれな気晴らしにも付き合ってもらったしね。感謝しているよ」
瞬きひとつせずにロレンツォを凝視する、ヘンリーのセレストブルーの瞳がすっと細められる。
「でも、もう十分だよ。アスカは居るべきところに居る。きみが心配すべきことは、他にあるだろう?」
眉を寄せ、視線で問いただす目前の男に、ヘンリ―は呆れたように手を振った。
「ドイツはヨシノに何を吹きこんだんだい? 彼、この時期に学校をさぼって国外だよ。弟のことでアスカに心配をかけるような真似は控えさせてもらえるかな?」
柔らかな声音で発せられた、この一見依頼に聞こえるきっぱりとした命令に、ロレンツォはその漆黒の瞳を際立たせてヘンリーを睨み返し、唇を噛んだまま、小さく頷いた。
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