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五章
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夜空から、鷹が舞い降りたようだった。
どよめきの中、星空へと続く螺旋状に円を描いた摺りガラスの階段ステップの手摺を飛び越えた少年が、ぽっかりと人混みの切れた空間に降り立ったのだ。誰もが、行いの無作法さに怒りを覚えるよりも先に、その動作のあまりの優美さに目を奪われた。
吉野は堂々と前を見据え、店舗入り口付近ですでに幾人もの顔見知りに囲まれたリック・カールトンに歩み寄り、はっきりとした声でその名を呼んだ。
「あんたにはずいぶん世話になったからね、一度、礼を言いたかったんだ」
「エリーの友達か? 子どもの世話をした覚えはないんだがな」
カールトンは下の娘の名前をだし、関心なさそうに素っ気ない声で答えて皮肉気に口の端を歪める。
「俺が杜月倖造の後継者だと言えば判る?」
吉野は、にっと笑って右手を差しだした。カールトンはこの不躾な少年にかすかに目をすがめる。遠い記憶の中の鋭い鳶色の瞳が、目の前の澄んだ瞳と重なり合うようだった。
「ま、もうあんたのところと仕事をすることはないけどね。長い間、世話になった」
先ほどまでの人を小馬鹿にした表情を消し、カールトンは厳しい眼つきで吉野を見据え、その手をさらりと握り返した。
「握手は目上からだ。それとも、無作法がここの流儀なのかな?」
「相手に合わせてるんだよ。恩を仇で返す奴は、作法なんてはなから知らないだろ?」
吉野はにっこりと笑顔を向ける。
「『杜月』の理念は俺が継いだんだ。祖父ちゃんが死んで終わりだ、と思うなよ。あんたと違って俺は誠実だからさ、貰ったものはきっちりと返してやるよ」
「うちの子が何か失礼でも?」
睨み合う二人を分けるように、ヘンリーがおもむろに吉野の肩を抱いた。招待客と同じように、黒のタキシードに着替えている。
「挨拶していただけだよ」
心の中でちっと舌打ちして、吉野は憮然と唇を尖らせる。
「わざわざ階段から飛び降りて?」
肩を抱く指先に力を籠め半ば無理矢理吉野を方向転換させると、ヘンリーは肩越しに、「どうぞごゆっくり」という一言とともに、カールトンに一瞥をくれた。
カールトンは露骨に不愉快そうな視線を去ってゆく彼らの背中に向けていたが、またすぐに集まってきたおべっか使いの連中をかき分けて、正面扉から悠然と出ていった。
「きみは、相変わらずやることが派手だね」
地下に降りるエレベーターの前で、ヘンリーは息をついて吉野の顔を覗きこむ。
「もともと、あんたが、あいつで俺を釣ったんだろ!」
「招待状は送ったけれどね、まさか本当に来るとは思わなかったよ」
膨れっ面の吉野に苦笑いを向ける。継いで口を開きかけた刹那、ヘンリーは人混みをかき分けて向かってくる異様な風体の男に気づき、息を殺した。その面から笑みを消し、ぎゅっと拳を握りしめる。
「チェリー!」
聞き覚えのある懐かしい声に、吉野の肌が総毛立つ。身体を強張らせてぎゅっと目を閉じ、覚悟を決めてから、振り返る。
「ジム――」
「やっときみに会えた! 私の可愛い息子よ!」
「誰が息子だ! 俺、ちゃんと親父いるから!」
「だから私の養子になりなさいって!」
吉野は自分の首に抱きついたまま大声を上げる、白髪に、白い顎鬚をたくわえた細身の男を煩わしそうに押し退けている。その間にすかさずヘンリーが吉野の肩を引きはがすように割りこんだ。
「失礼。招待状はお持ちですか、テイラーさん」
「もちろん」
素足に履いた革靴でトントンとリズミカルに床を叩きながら、ジェームズ・テーラーはくしゃくしゃのジャケットから、これまた一度握り潰されたような皺だらけの招待状を取りだした。
「すまなかったね、来るのが遅くなって、可愛いチェリー。ちょうど、ポーカーをしていてね。本当に偶然だったんだよ。友人がね、これから行くのだと自慢げに見せてくれたスマートフォンの画面から、懐かしいきみの声が聞こえたときには、思わず我を忘れて叫んでしまったよ! それなのに、あの男がこれをなかなか譲ってくれなくてね、ボロボロに負かしてやっと借金のカタに手に入れてきたんだよ」
テイラーは、ヘンリーには目もくれず、吉野を愛しげに見つめている。
「それにしても、大きくなったねぇ――。記憶の中のきみは、こんなに小さかったのに」
吉野の頭をよしよしと撫で、テイラーは青灰色の目を細めて感慨深げに吐息を漏らしている。
「米国に来たってことは、私のところに来てくれるんだろ?」
柔らかく微笑むテイラーの目を真っ直ぐに見つめて、吉野は首を振る。
「悪いな、俺、学校にいってるんだ。それに、もう十年契約で雇用契約結んじまった」
「そんなもの大した問題じゃない。違約金なら私が――」
「失礼ですが、テイラーさん、」
「ヨシノ、」
傍らのヘンリーと、その背後から名前を呼ばれたのが同時だった。場を譲ったヘンリーに目礼し、サウードが、おもむろにテイラーに手を差しだした。
「サウード・M・アル=マルズークです」
白いサウブに黒いベシュト、白い布のクーフィーヤを頭から垂らし黒のイカールで留めた正装のサウードに、テイラーは慇懃な態度で挨拶を返した。
「ヨシノ、行くよ」
サウードは軽く吉野の背に手を当て、開かれたエレベーターに乗りこんだ。
「失礼、どうぞ楽しんでいって下さい」
ヘンリーは一言、言い添えてその後に続く。テイラーは、閉まる扉に向かって両手を大きく振った。
「チェリー、待ってるよ!」
完全に閉じられたエレベーターの扉をじっと見つめて、テイラーはにやにやと笑いながら、いかにも楽しげに呟いた。
「なるほど、政府系ファンドが私のライバルか――。やることが可愛いね、私のチェリーは――」
どよめきの中、星空へと続く螺旋状に円を描いた摺りガラスの階段ステップの手摺を飛び越えた少年が、ぽっかりと人混みの切れた空間に降り立ったのだ。誰もが、行いの無作法さに怒りを覚えるよりも先に、その動作のあまりの優美さに目を奪われた。
吉野は堂々と前を見据え、店舗入り口付近ですでに幾人もの顔見知りに囲まれたリック・カールトンに歩み寄り、はっきりとした声でその名を呼んだ。
「あんたにはずいぶん世話になったからね、一度、礼を言いたかったんだ」
「エリーの友達か? 子どもの世話をした覚えはないんだがな」
カールトンは下の娘の名前をだし、関心なさそうに素っ気ない声で答えて皮肉気に口の端を歪める。
「俺が杜月倖造の後継者だと言えば判る?」
吉野は、にっと笑って右手を差しだした。カールトンはこの不躾な少年にかすかに目をすがめる。遠い記憶の中の鋭い鳶色の瞳が、目の前の澄んだ瞳と重なり合うようだった。
「ま、もうあんたのところと仕事をすることはないけどね。長い間、世話になった」
先ほどまでの人を小馬鹿にした表情を消し、カールトンは厳しい眼つきで吉野を見据え、その手をさらりと握り返した。
「握手は目上からだ。それとも、無作法がここの流儀なのかな?」
「相手に合わせてるんだよ。恩を仇で返す奴は、作法なんてはなから知らないだろ?」
吉野はにっこりと笑顔を向ける。
「『杜月』の理念は俺が継いだんだ。祖父ちゃんが死んで終わりだ、と思うなよ。あんたと違って俺は誠実だからさ、貰ったものはきっちりと返してやるよ」
「うちの子が何か失礼でも?」
睨み合う二人を分けるように、ヘンリーがおもむろに吉野の肩を抱いた。招待客と同じように、黒のタキシードに着替えている。
「挨拶していただけだよ」
心の中でちっと舌打ちして、吉野は憮然と唇を尖らせる。
「わざわざ階段から飛び降りて?」
肩を抱く指先に力を籠め半ば無理矢理吉野を方向転換させると、ヘンリーは肩越しに、「どうぞごゆっくり」という一言とともに、カールトンに一瞥をくれた。
カールトンは露骨に不愉快そうな視線を去ってゆく彼らの背中に向けていたが、またすぐに集まってきたおべっか使いの連中をかき分けて、正面扉から悠然と出ていった。
「きみは、相変わらずやることが派手だね」
地下に降りるエレベーターの前で、ヘンリーは息をついて吉野の顔を覗きこむ。
「もともと、あんたが、あいつで俺を釣ったんだろ!」
「招待状は送ったけれどね、まさか本当に来るとは思わなかったよ」
膨れっ面の吉野に苦笑いを向ける。継いで口を開きかけた刹那、ヘンリーは人混みをかき分けて向かってくる異様な風体の男に気づき、息を殺した。その面から笑みを消し、ぎゅっと拳を握りしめる。
「チェリー!」
聞き覚えのある懐かしい声に、吉野の肌が総毛立つ。身体を強張らせてぎゅっと目を閉じ、覚悟を決めてから、振り返る。
「ジム――」
「やっときみに会えた! 私の可愛い息子よ!」
「誰が息子だ! 俺、ちゃんと親父いるから!」
「だから私の養子になりなさいって!」
吉野は自分の首に抱きついたまま大声を上げる、白髪に、白い顎鬚をたくわえた細身の男を煩わしそうに押し退けている。その間にすかさずヘンリーが吉野の肩を引きはがすように割りこんだ。
「失礼。招待状はお持ちですか、テイラーさん」
「もちろん」
素足に履いた革靴でトントンとリズミカルに床を叩きながら、ジェームズ・テーラーはくしゃくしゃのジャケットから、これまた一度握り潰されたような皺だらけの招待状を取りだした。
「すまなかったね、来るのが遅くなって、可愛いチェリー。ちょうど、ポーカーをしていてね。本当に偶然だったんだよ。友人がね、これから行くのだと自慢げに見せてくれたスマートフォンの画面から、懐かしいきみの声が聞こえたときには、思わず我を忘れて叫んでしまったよ! それなのに、あの男がこれをなかなか譲ってくれなくてね、ボロボロに負かしてやっと借金のカタに手に入れてきたんだよ」
テイラーは、ヘンリーには目もくれず、吉野を愛しげに見つめている。
「それにしても、大きくなったねぇ――。記憶の中のきみは、こんなに小さかったのに」
吉野の頭をよしよしと撫で、テイラーは青灰色の目を細めて感慨深げに吐息を漏らしている。
「米国に来たってことは、私のところに来てくれるんだろ?」
柔らかく微笑むテイラーの目を真っ直ぐに見つめて、吉野は首を振る。
「悪いな、俺、学校にいってるんだ。それに、もう十年契約で雇用契約結んじまった」
「そんなもの大した問題じゃない。違約金なら私が――」
「失礼ですが、テイラーさん、」
「ヨシノ、」
傍らのヘンリーと、その背後から名前を呼ばれたのが同時だった。場を譲ったヘンリーに目礼し、サウードが、おもむろにテイラーに手を差しだした。
「サウード・M・アル=マルズークです」
白いサウブに黒いベシュト、白い布のクーフィーヤを頭から垂らし黒のイカールで留めた正装のサウードに、テイラーは慇懃な態度で挨拶を返した。
「ヨシノ、行くよ」
サウードは軽く吉野の背に手を当て、開かれたエレベーターに乗りこんだ。
「失礼、どうぞ楽しんでいって下さい」
ヘンリーは一言、言い添えてその後に続く。テイラーは、閉まる扉に向かって両手を大きく振った。
「チェリー、待ってるよ!」
完全に閉じられたエレベーターの扉をじっと見つめて、テイラーはにやにやと笑いながら、いかにも楽しげに呟いた。
「なるほど、政府系ファンドが私のライバルか――。やることが可愛いね、私のチェリーは――」
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