胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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四章

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 投資サークルが結成されて一カ月あまりが過ぎた。
 スーパーコンピューター・コズモスを駆使し、高度な数学的モデルを用いてアルゴリズム化されたシステム・トレーディングの売買ソフトは、バーチャルとはいえ、驚異的なリターンを叩きだしている。
 サークル会員に公開されている売買記録をもとに、真似をして株式や先物売買を始める者や、吉野に投資助言を求めてくる者が後を絶たず、エリオット校内では、一種異様な投資ブームが起こりつつあった。


「俺、別に未来予測をしている訳じゃないよ。プログラムのバグの修正をしているだけだから」
 たいていはそう言い訳するだけでノーコメントを貫く吉野が校内を歩く時、いつの間にか追従する集団ができ、吉野をガードするように取り巻く顔ぶれも決まっていった。



 寮の自室では、くたびれた顔でベッドに腰かける吉野とサウードが、イスハ―クのサーブする紅茶を飲みながら渋い顔を突き合わせていた。

「やっぱり、上級数学と物理学取っている連中だね」
中流階級ミドル出身の投資銀行就職希望者だな。上流アッパー坊ちゃん連中は食いつきが悪いな」

「お金を追い駆けることは下品なことだと思っているからね」

 もぐもぐとビスケットを紅茶に浸して食べているクリスが、自明の理とばかりに口を挟む。

英国人ブリティッシュ、賭け事は紅茶並みに好きなくせに」
 と、吉野のぼやき声。
「賭け事と投資は違うよ。賭け事はあくまで遊びだけれど、投資は、やっぱりお金儲けだもの」
 クリスの返事に、吉野は、へぇーと驚愕の面持ちだ。
「お前らにしたら、そうなの? 俺にはどっちも変わらないけどな。ポーカーも、株式売買も、どちらも確率解析だろ?」
「そんなことを言うのは、きみぐらいだよ」
 サウードとクリスは顔を見あわせ、クスクスと笑いあう。

「でも本当はみんな興味津々だよ。他の子がいる時は、ふーん、あ、そう。なんて関心のないフリをしておいて、僕が一人になったとたん、すかさずきみのことを訊いてくるもの」

「ヨシノ、僕は今一つこの投資サークルを発足した意味が判らないんだ。きみは、彼らに株を買わせている訳でもないのだろう? それこそ無償で、いわゆる投資銀行のアナリストのような役割をしてあげているだけじゃないか。これがどうきみの利益に繋がっていくの?」

 サウードの真面目な問いかけに、「うん。いろいろ実験中なんだよ。サークル会員五十名に、週一回、その週の展望を書いたレポートメールを送っているだろ、それが三日間で一万くらいに拡散されているんだ。今、その中から何割くらいがその情報をもとに実際に売買しているか精査中なんだよ」
「そんな面倒なことしなくても、きみが推奨したらみんな喜んで買いに走るのに――」
「だって、俺、学生だもの。露骨な推奨はできないよ。法に引っかかるんだぞ。正直に助けてくれって頼めるの、お前らくらいだよ」

 クリスのビスケットをザクザクと頬張りながら真顔で言う吉野に、クリスは嬉しそうににっこりと笑った。サウードは対照的に少し眉をひそめて、「その学生のきみに、ずいぶんな問題を突きつけてきたんだね、ヘンリー・ソールスベリーは」と怒りを含んだ口調で呟く。

「ああ、それはあれだ――。俺がヘタ打ったんだよ」
 吉野は肩をすくめると、鼻の頭に皺を寄せにやっと苦笑いする。

「あとどれくらい増やせばいいの?」
 心配してくれているサウードを安心させようと、吉野はのんびりと笑って応えた。

「大した事ないよ。今二十だから、あと百もない」
「今は、どこに投資しているの?」
「日本。これから、四月二十日までは日本だよ」
「じゃ、僕もそうするよ」

 静かに頷いたサウードに、「先物だよ、日経平均先物を買うんだ」と吉野は即答し、テーブルに置かれたポットから紅茶を継ぎ足して、そのまま傍にあった椅子に腰かけた。

「ねぇヨシノ、きみ、いったいいつ世界経済の動向を分析したり、経済指標を調べたりしているの? あのレポートだって、きみが書いているところ見たことがない」

 ふと思いだしたようにクリスは吉野を見あげ、不思議そうな眼差しで首を傾げた。クリスの知る限り、吉野は放課後目一杯課外授業のスポーツに参加しているし、部屋にいるときもそれらしい調べものをしたり、新聞すら読んでいるところなんて見たこともない。

「していないよ」
 吉野はのんびりと答えると、内緒だぞ、と身を屈めて小声でつけ加えた。

「レポートはコズモスの人工知能が勝手にまとめてくれるし、トレードは有力投資銀行やヘッジファンドのアルゴリズム売買を読み解いて、追従させているだけだよ。俺、正直言って興味ないからさ、さっさと約束を果たして終わらせたいんだ、こんな七面倒なこと。だから俺に経済のこと訊くなよ。答えられないからさ」






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