胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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四章

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「よく眠っているよ」
「薬なしで?」
 自分の代わりに見張り番をしてくれていたデヴィッドが頷くと、吉野はほっとしたように目を細め、そっと、ベッドで丸くなって眠っている飛鳥を確かめてから、顎をしゃくって部屋を出るようにと促した。

「足元、気をつけて」
 所狭しと置かれた機材の配線を踏まないようによけながら、部屋を出て静かにドアを閉めた。

「なぁ、聞きたいことがあるんだ」

 真っ直ぐに見つめる吉野にデヴィッドは目を丸くして、「あれ! ちょっと、ヨシノ、また背が伸びてる? 僕と目線が変わらないじゃない!」と、その頭を手で押さえつける。

「おい、押さえたって縮まないよ」
 吉野は、うっとおしそうに頭を振ってその手を振り払い、「俺の部屋で話す?」と、さっさと自分の部屋に向かう。

「下じゃ駄目なの~? 紅茶が飲みたいよ~」
「コーヒーなら淹れてやるよ」
 吉野は、ドアを開け放って振り返る。
「OK」
 デヴィッドは苦笑気味に頷いた。



「なぁ、どうしてヘンリーとフェイラー家は仲が悪いの?」

 ある程度覚悟はしていたとはいえ、あまりにも直球なその問いに、デヴィッドは普段のひょうひょうとした、つかみどころのない表情を引きしめ、眉をしかめた。

「へぇ……。ヨシノもそんなゴシップに興味があるんだ?」
「噂じゃなくて、本当のこと教えて」

 電気ケトルで湯を沸かし、コーヒーの用意をしながら吉野はデヴィッドに背を向けたまま、淡々とした口調で言った。

「無理、僕の口からは言えない」
「ヘンリーに忠実なんだ?」
「大切な友人のプライバシーをペラペラ喋るなんて、紳士ジェントルマンのすることじゃないって、学校で習わなかったの~?」

 またいつものふざけた顔に戻ってにやにや笑うデヴィッドに、吉野は丁寧にコーヒーのドリップを続けながら、静かな声で応える。

「そう。それならそれでもいいよ」
 マグカップを手にティーテーブルに歩み寄ると、一方を置き、もう一方を口に運んだ。

「考慮しなきゃならないような、特殊な要素がないか気になっただけだから。それを知ることができないなら、それでもいいんだ。でも、後から文句つけるなよ。俺は、訊ねたし、お前は、答えなかったんだからな」

 椅子には腰かけず、壁にもたれかかったままの吉野を見上げる。彼の意味するところを掴めないまま、デヴィッドは声音を改めて訊き返す。

「きみ、何をするつもりなの?」
「アレンを買い戻す」
 絶句し、次いで腹を抱えて笑いだしたデヴィッドに、「おい、何が可笑しいんだよ」吉野は唇を尖らせてふくれっ面を向けた。


「俺、環境学取っているんだぞ」
「うん、うん、それでぇ?」

 デヴィッドはクスクス笑い、コーヒーに砂糖を何倍も入れながら先を促す。

「シェールガスバブルはもう終わったんだよ。フェイラー社は、次の四半期決算には、シェールガス開発で二百億ドル以上の損失を出すよ」

 コーヒーをかき廻すデヴィッドの手が止まった。

「それに合わせて、サウードに原油先物に空売りを仕掛けてもらう」
「産油国の王子さまが、原油価格下落に手を貸してくれるわけないじゃん――」

 自分で言いながらも自信がないのか、デヴィッドはクルクルとコーヒーを混ぜ続けながら、眉を寄せて吉野を凝視している。

「シェールガスの採算ラインは、八十ドル/バーレルなんだ。それを切ればコスト割れでシェール市場は崩壊する。産油国だって、シェア争いに必死だよ。見てろよ、じきに産油国が足並み揃えてシェール潰しに回るから」
「それで?」
「フェイラー社は原油価格に株価が連動するから、下落したら買い占めて、堂々と大株主としてアレンに逢いにいって、交渉するんだ」
「きみが大株主になるの? フェイラー社の時価総額幾らか判って言っている? どこにそんなお金があるんだよ? お友達の王子さまに出してもらうの~?」

 デヴィッドは、また、気が抜けたようにクスクスと笑いだした。

「金ならあるよ。ヘンリーがアーカシャ―HDの資金を投資ファンドの運営で回しているじゃないか」
 吉野は飲み終わったマグカップを、カツン、とティーテーブルに置いてデヴィッドの正面に腰かけた。

「俺、サラのパソコンをハッキングしたんだ」

 デヴィッドは、笑みを引っ込め吉野を睨めつけた。

「きみさぁ、僕を脅しているの?」
「お前じゃないよ、ヘンリーを、だよ」

 吉野は、デヴィッドを見おろすように睨み返すと皮肉気に唇を歪める。

「あいつに言っておけ。いつまでも甘えてないで、さっさとお前の弟を迎えに行けって。フェイラー社が損失を発表するまで、しばらく猶予をやる。それまでに動け。その間、お前らの資金は凍結させるからな」
「資金凍結って――。そんなことをしたら、アスカちゃんや、『杜月』だって迷惑をこうむるんだよ! 解ってんの!」
「お前らがあいつを守ってやらないからだろ! 飛鳥は解ってくれる。だって飛鳥が言ったんだからな。守ってやれって! 守るっていうのは、何かを犠牲にすることだって! お前らは、ずっとあいつを利用して、あいつだけを犠牲にしてきたじゃないか!」

 声を荒立てたデヴィッドに、吉野もまた同じように食いさがった。

「アスカちゃんに、言うよ」
「いいよ」

 デヴィッドは、はぁーと深く溜息をついた。

「こんなの、やめようよ、ヨシノ――。そんな馬鹿馬鹿しいやり方をしなくても、アレンは戻ってくるよ……。ちゃんとヘンリーには話すからさ。きっと喜ぶよ」

 緊張を保ったまま眉をよせる吉野に、デヴィッドはなんともいいようのない優しい笑みを向けて続けた。

「前にヘンリーに聞いたんだよ。『僕の弟という理由ではなく、お前自身を認めて愛してくれる友人ができたなら、お前を弟として認めてやる』て、あの子と約束したって。ヘンリーは、必ず、兄としての義務を果たすよ、賭けてもいい」

 デヴィッドは、やっとマグカップを手に取り、気持ちを落ち着けようと口に運ぶ。

「あ~あ、冷めちゃったよ~、ヨシノ、淹れなおして」
「淹れてやるから、それ全部飲めよ」
「え~! 冷めたコーヒーて美味しくないよ~」
「カップがもうない」
「じゃ、これ捨ててくる」

 立ちあがり、ドアに向かうデヴィッドの背中を追い駆けるように、吉野は声をかけた。

「待つのは、さっき言った期日までだぞ」
「OK、ヨシノ、それでかまわないよ」

 デヴィッドは振り返り、いつも通りの優美な笑みを湛えて応えた。






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