胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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四章

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『そしてアスカ、まずきみに謝らなくては。今日は、僕たちの夢の結晶であるTSトランス・スパークスの発売日だ。予約していただいた方々に商品をお渡しし、楽しんで頂き、あなた方の生の声を聞かせて頂ける貴重な一日になるはずだった。あなた方との質疑応答を含む記者会見をすっぽかし、今、ここにいる僕を許して欲しい。そして、僕に、言い訳をすることを許して欲しい。

 それにはまず、コズモスの成り立ちから話さなければならない。

 十数年前、僕の父、リチャード・ソールスベリーは、ひとりのインド人技術者に新型のスーパーコンピュータの設計を依頼した。高価で繊細なスーパーコンピュータを、一般人でも購入可能にし維持管理できるレベルに落とし込むそのプロジェクトは困難を極め、膨大な時間を費やしていた。

 インドの研究所での開発中に、父は、技術者の娘と恋に落ち、愛したその娘の命と引き換えにひとりの女の子を授かった。その子が成長し、六歳になった頃、やっとコズモスは完成の日の目を見る、というところまで漕ぎ着けた。そんな時だった。彼女が、父の娘、僕の義妹が、誘拐されたのは。コズモスの設計図と引き換えだった。彼女の祖父は、孫娘と設計図を守り抜いて彼女の目の前で殺された。それから七年経った今でも、義妹はその時の心理的外傷からパニック障害を患い、普通の社会生活を送ることができない。

 今日、そんな彼女の行方が一時的であれ判らなくなったと知って、僕は居ても経ってもいられなかった。一生のうちに、そう何度もある訳ではないであろう、今日という輝かしい門出の日を祝うことよりも、何よりも、彼女の無事を確認することが、僕にとっての最優先事項だった。
 どうか、許して欲しい。義妹を、父のただ一人愛した人の娘を守ることを、何よりも優先させてしまった僕を、許して欲しい』



「お前はまた、あいつを叩きのめすのか!」

 吉野は立ち上がり画面に向かって怒鳴りつけると、ソファーを乗り越え、バンッ、とドアを叩きつけて出て行った。

「吉野!」
 追いかけようとした飛鳥の腕を、デヴィッドが押さえて止めた。
「彼に任せればいいんだよ。あの子にだって、傍にいてくれるひとは必要だよ」
「え?」
 怪訝な顔をする飛鳥に、デヴィッドは苦笑する。
「判らない? ヨシノは、アレンのところに行ったんだよ~」
「ヘンリー、最後に言っていただろ? 『父のただ一人愛した人の娘』って。爵位は限嗣相続げんしそうぞくだからね。跡取りは男子一人がいればいい」

 理解できない様子で眉をしかめる飛鳥に、アーネストも憐れみを含んだ声でデヴィッドに続いた。

「サラも、アレンも、四月生まれなんだよ。二人が生まれた月から逆算すれば判るだろ? ヘンリーはマーシュコートにいて、父親はインドに赴任中。母親は米国の実家に行ったっきり。夫婦仲は冷めきっていた。無理があるんだよ、どちらもっていうのは。でも、サラの瞳は、明るい黄緑色なんだろう? その出自を、何よりも雄弁に父親譲りの瞳が証明している」
「でもアレンにとっては不幸だよぉ。ここまで明かしてしまった以上、すぐにゴシップ誌に嗅ぎつけられるよ~」
「――吉野は、知っていたの?」
「あの様子なら、そうじゃないかな」
「今日だって、アレンとサラが鉢合わせするのを避けようとして、こんな事になったんだもの」



「コメントが変わってきたね」
 画面に流れるメッセージを順に目で追いながら、アーネストはほっとしたように微笑んだ。
「そりゃ、あれだけ下手に出ればねぇ。初めてだよ、あのヘンリーが『許して欲しい』なんて口にするのを聞いたのは」

 デヴィッドは、頭を仰け反らせケラケラと笑いながら、沈み込んだままの飛鳥の肩に腕を回した。

「やるね、アスカちゃん」

 また、わけが判らないと、見つめ返す飛鳥に、「だから、あれはぁ、アスカちゃんに宛てたメッセージだよぉ」デヴィッドは、なんともいえない穏やかな顔をして微笑んだ。

「ヘンリーが謝りたいのも、言い訳なんて無様な真似をしてでも、理解して欲しいと思っているのも、本当はアスカちゃんだけなんだよ~。でも、アスカちゃんと一緒に開発したTSが、今回のことでイメージダウンしたりしないように、公共の電波に乗せて謝罪したんだよ」

「ヘンリーは変わったね」
 アーネストも目を細めて微笑んでいる。
「こんなことがあった日には、一週間や二週間引き籠ったっておかしくないし、あの子と一緒にいたヨシノだって、以前ならぶちのめしているよ。義妹と同じくらい、きみとTSを大切に思っているんだ」
 飛鳥は浮かぬ表情のまま、二人の話を、ただ黙ったまま聞いていた。

「ほら、また……。『あんなふうに守られたい』、あの時と同じだ」

 メッセージを眺めていたアーネストは、猫の様な虹彩の瞳に真剣な色をのせた。

「カレッジ・ホールの時と。デイヴ、お前の出番だよ。一気に大衆を引き込め。同情を引いて味方につけるんだ!」


 デヴィッドは頷くと、タブレットを手に取って、猛烈な速さで画面を叩き始めた。







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