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四章
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「ヨシノは?」
談笑と、食器の触れ合う音の混じり合うカレッジ・ホールでの昼食時間に、サウードは隣に座るアレンの耳許に顔を寄せて訊ねた。
「もう何日も食べにきていないじゃないか」
他とは違う自分の皿を面倒くさそうにつつきながら、サウードは重ねて呟く。
「きっと畑だよ。水やりは昼前にしなきゃいけない、って言っていたから」
アレンも小声で囁くように答える。
「今度は、彼、何を始めたの?」
「英国の野菜が口に合わないから、自分で作るって」
サウードは思わず吹き出しそうになりながら、肩をすくめて堪えている。
「野菜って、何の?」
「さぁ? そこまでは――」
「ジャックの店の新メニューに使うって言っていたよ」
アレンの横に座っていたクリスが、身を乗り出してきて口を挟んだ。
「それで、クリスマス・マーケットのストールで売るって」
「新メニュー――」
キラキラと瞳を輝かせて、サウードもアレンを乗り越えるかのように身をせり出してクリスを覗き込む。
「ジャックの店で、カレーも新作を出したんだよ。季節ごとに具材を変えてね、今の時期は『かぼちゃと林檎の秋カレー』だって。美味しかったよ! 甘さと辛さのバランスが、もう絶妙っていうか……」
とうとうと自慢げに語るクリスの周りがいつの間にか静まり返り、同じテーブルに座る二学年は、居心地悪そうに下を向いている。
「で、ヨシノはどこにいるって?」
両肩に大きな手を置かれ、身体を強張らせておずおずと真上を見上げるクリスの瞳に、今年度カレッジ寮寮長になったベンジャミン・ハロルドの明るい空色の瞳が自分を覗き込んでいる姿が映る。
「昼食にも出てこないで、パブにいるって?」
「いいえ! 違います。畑です」
学年代表のフレデリック・キングスリーが立ちあがって告げた。
「畑? 食べ終わったら案内してくれるかな、キングスリー」
それだけ言い渡し、ベンジャミンはすっと自分の席に戻っていった。
とたんに緊張が解けて、皆揃って、ほうーとため息をついていた。
「びっくりした……」
テーブルを囲む面々は、そっと目を見合わせて苦笑し合う。
フレデリックに案内された畑では、白い網状の防虫ネットが被せられ、その中に一面に若い芽が顔を出していた。その傍にはホースが引っ張りだされたまま置かれ、フェローガーデンとの境に植えられた西洋ニンジンボクの紫の重なりあう波のような花の下に、スカラーのローブとテールコートが放りっぱなしになっていた。
だが、肝心の吉野がいない。名を呼びながら辺りを探していると、薔薇の中に埋もれるように置かれたベンチに寝そべって眠っていた。
「ヨシノ」
フレデリックは、肩を揺すって吉野を起こした。吉野は額を押さえて顔をしかめ、だるそうに起き上がる。
「どうしたの? 具合が悪いの?」
心配そうに肩に手を置いたフレデリックに、吉野は首を横に振る。
「秋薔薇の香りに酔っ払った」
深く息をつくと、額を押さえて俯いたまま訊いた。
「もう、授業? ホース、片付けなきゃ――」
「無理しなくていい。まだ十五分ある」と、頭上から別の声がかけられた。眉をしかめたまま吉野は顔を上げた。
「ベン、どうしたんだ? こんなところにいるなんて」
「きみが昼食に出てこないから探しにきたんだよ」
「生物のスタンリー先生に許可は取ってあるよ。寮監にも言ってある」
吉野はニヤっと笑って揶揄うようにベンジャミンを見あげる。
「寮長職が忙しすぎて、今まで俺にまで気が回らなかったんだろ?」
「そんなわけないだろ? きみはブラックリストのトップなのに」
ベンジャミンはため息交じりに笑って、吉野に手を差し出すと握り返した彼を立ちあがらせた。
「で、あの畑はいったい何なの?」
「レポートを書くんだよ。『英国の土壌と寒冷地に於ける野菜の生育について』」
信じられない、と片目を眇めるベンジャミンに、「旨いもの、食わせてやるよ」吉野は小気味良く笑って言った。
「夏季休暇中に何かあったの?」
急ぎ足で寮に戻りながら、フレデリックは前方を歩く寮長に聞こえないように小声で吉野に囁いた。
「皆、心配している。きみの様子が変だって」
「変かな、俺?」
「いつも心ここに在らずって感じだよ」
吉野は情けなさそうに嗤って肩をすくめる。
「もう、判らなくなったんだ」
俯いたまま呟いた吉野を、フレデリックは訝しげに見あげる。
「俺がここにいる理由」
フレデリックはそっと、吉野の腕に手を添えた。
「何でもいいから、何かに愛情を注ぎたい。思いっきり手がかかるやつがいい。そのための畑だよ」
今までに見たことのない吉野の寂しそうな表情に、見ている自分までが胸を締めつけられそうになる。
「――何があったの?」と、フレデリックはやっとの思いでそれだけ訊ねたけれど、「何も。全て順調だよ」と吉野は、小さく笑って答えただけだった。
談笑と、食器の触れ合う音の混じり合うカレッジ・ホールでの昼食時間に、サウードは隣に座るアレンの耳許に顔を寄せて訊ねた。
「もう何日も食べにきていないじゃないか」
他とは違う自分の皿を面倒くさそうにつつきながら、サウードは重ねて呟く。
「きっと畑だよ。水やりは昼前にしなきゃいけない、って言っていたから」
アレンも小声で囁くように答える。
「今度は、彼、何を始めたの?」
「英国の野菜が口に合わないから、自分で作るって」
サウードは思わず吹き出しそうになりながら、肩をすくめて堪えている。
「野菜って、何の?」
「さぁ? そこまでは――」
「ジャックの店の新メニューに使うって言っていたよ」
アレンの横に座っていたクリスが、身を乗り出してきて口を挟んだ。
「それで、クリスマス・マーケットのストールで売るって」
「新メニュー――」
キラキラと瞳を輝かせて、サウードもアレンを乗り越えるかのように身をせり出してクリスを覗き込む。
「ジャックの店で、カレーも新作を出したんだよ。季節ごとに具材を変えてね、今の時期は『かぼちゃと林檎の秋カレー』だって。美味しかったよ! 甘さと辛さのバランスが、もう絶妙っていうか……」
とうとうと自慢げに語るクリスの周りがいつの間にか静まり返り、同じテーブルに座る二学年は、居心地悪そうに下を向いている。
「で、ヨシノはどこにいるって?」
両肩に大きな手を置かれ、身体を強張らせておずおずと真上を見上げるクリスの瞳に、今年度カレッジ寮寮長になったベンジャミン・ハロルドの明るい空色の瞳が自分を覗き込んでいる姿が映る。
「昼食にも出てこないで、パブにいるって?」
「いいえ! 違います。畑です」
学年代表のフレデリック・キングスリーが立ちあがって告げた。
「畑? 食べ終わったら案内してくれるかな、キングスリー」
それだけ言い渡し、ベンジャミンはすっと自分の席に戻っていった。
とたんに緊張が解けて、皆揃って、ほうーとため息をついていた。
「びっくりした……」
テーブルを囲む面々は、そっと目を見合わせて苦笑し合う。
フレデリックに案内された畑では、白い網状の防虫ネットが被せられ、その中に一面に若い芽が顔を出していた。その傍にはホースが引っ張りだされたまま置かれ、フェローガーデンとの境に植えられた西洋ニンジンボクの紫の重なりあう波のような花の下に、スカラーのローブとテールコートが放りっぱなしになっていた。
だが、肝心の吉野がいない。名を呼びながら辺りを探していると、薔薇の中に埋もれるように置かれたベンチに寝そべって眠っていた。
「ヨシノ」
フレデリックは、肩を揺すって吉野を起こした。吉野は額を押さえて顔をしかめ、だるそうに起き上がる。
「どうしたの? 具合が悪いの?」
心配そうに肩に手を置いたフレデリックに、吉野は首を横に振る。
「秋薔薇の香りに酔っ払った」
深く息をつくと、額を押さえて俯いたまま訊いた。
「もう、授業? ホース、片付けなきゃ――」
「無理しなくていい。まだ十五分ある」と、頭上から別の声がかけられた。眉をしかめたまま吉野は顔を上げた。
「ベン、どうしたんだ? こんなところにいるなんて」
「きみが昼食に出てこないから探しにきたんだよ」
「生物のスタンリー先生に許可は取ってあるよ。寮監にも言ってある」
吉野はニヤっと笑って揶揄うようにベンジャミンを見あげる。
「寮長職が忙しすぎて、今まで俺にまで気が回らなかったんだろ?」
「そんなわけないだろ? きみはブラックリストのトップなのに」
ベンジャミンはため息交じりに笑って、吉野に手を差し出すと握り返した彼を立ちあがらせた。
「で、あの畑はいったい何なの?」
「レポートを書くんだよ。『英国の土壌と寒冷地に於ける野菜の生育について』」
信じられない、と片目を眇めるベンジャミンに、「旨いもの、食わせてやるよ」吉野は小気味良く笑って言った。
「夏季休暇中に何かあったの?」
急ぎ足で寮に戻りながら、フレデリックは前方を歩く寮長に聞こえないように小声で吉野に囁いた。
「皆、心配している。きみの様子が変だって」
「変かな、俺?」
「いつも心ここに在らずって感じだよ」
吉野は情けなさそうに嗤って肩をすくめる。
「もう、判らなくなったんだ」
俯いたまま呟いた吉野を、フレデリックは訝しげに見あげる。
「俺がここにいる理由」
フレデリックはそっと、吉野の腕に手を添えた。
「何でもいいから、何かに愛情を注ぎたい。思いっきり手がかかるやつがいい。そのための畑だよ」
今までに見たことのない吉野の寂しそうな表情に、見ている自分までが胸を締めつけられそうになる。
「――何があったの?」と、フレデリックはやっとの思いでそれだけ訊ねたけれど、「何も。全て順調だよ」と吉野は、小さく笑って答えただけだった。
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