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四章
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夜中をかなりまわってから部屋に戻ってきた飛鳥は、大きめの空色のクッションを枕がわりにして、ソファーにごろりと横になって眠っている吉野を起こさないよう、そっと足音を忍ばせてその向かいに腰かけた。そして、月明かりにぼんやりと浮かぶいまだ幼さの残る寝顔を、静かに笑みを浮かべて眺めていた。
「せめてベッドで寝ればいいのに……」
「そしたら、飛鳥が戻ってすぐに寝られなくなるだろ?」
何気なく呟いた言葉に、返事があった。
「なんだ、起きていたんだ」
吉野は寝転がったまま、「おかえり」と言い、飛鳥はそんな吉野を穏やかな様子で見守ったまま、「ただいま」と応えた。
「どうだった、憧れのコズモスは?」
「市販品とはまるで違っていた。あれは彼女の頭脳そのものだ」
飛鳥は声を弾ませて嬉しそうに語る。
「ずいぶんと遅くまでかかったんだな」
ヘンリーと二人で夕食なんて御免被りたかったので、吉野はキッチンを借り飛鳥のためのカレーを仕込んで、ついでにそこで夕食を済ませた。そして、そのままメアリーと話しこんで時間を潰していたのだが、いくら待っても飛鳥は戻ってきそうになかったので、諦めて部屋に戻りさっさと寝ることにしたのだ。
案の定、こんな時間だ。
「うん。サラはやっぱりすごいよ」
「あんなにちっこいのになぁ」
「お前、同い年だよ」
「え?」
「言っていなかったっけ?」
アレンとも同じってことか――。
サラが四月生まれだからどうだって言うんだ、と胸糞悪い気分だったが、やっと謎が解けた。
「俺、父さんと母さんの子どもで良かった」
「なんだよ、急に」
「こんなでかい屋敷に生まれたら、いろいろ大変なんだな、て思ってさ」
「それは、まぁ、確かにね」
飛鳥は言葉を濁して曖昧に笑う。
「直系の証のオウム色の瞳、あいつが義妹を可愛いがるのも、あの瞳のせい?」
「何、それ?」
「伝説だよ、この家の。ここくらいの古い家系だと、冗談だろってくらい荒唐無稽な伝説がいろいろあるんだよ」
「へぇ――」
飛鳥は気のない返事をして、「伝説なら、うちにだってあるものね」と話を逸らした。
「は?」
「お前の龍笛、『紫雲』は、元は野辺送りの笛だろ」
薄暗がりの中、黙ったままの吉野に、「知らなかったの?」と飛鳥の方が逆に驚いて訊ね返す。
「俺、そう言えば母さんの家のこと、ほとんど知らない。そんないわくがあるから、人前でこの龍笛をあまり吹くなって言われるのか?」
「ヘンリーのフルートと同じ。みる人がみたら、出所が判るからだよ」
「出所って?」
「母さんの前の持ち主」
「誰?」
「母さんの曾祖父さん」
眠たげな声で、ソファーに頭をもたせかけている飛鳥に気づいて、「ベッドで寝ろよ」と吉野は、飛鳥の腕を掴んで引っ張り立たせ、ほとんど眠りかけている彼をそのままベッドに連れていった。
「あーあ、ジャケットくらい脱げよ」
出かける前の服装のまま横たわる飛鳥を見て、「よくこれで、あの几帳面な男に愛想をつかされずに一年もの間、同じ部屋で暮らせたな」と吉野は苦笑混じりに呟く。
「吉野、ウィルの瞳のことも、サラのことも、人に喋るんじゃないよ。結局は、誰かが傷つくことになるのだから……」
寝言のように呟いて飛鳥は完全に瞼を閉じた。
寝ぼけている時にしか、大事なことを教えてくれないくせに――。
小さくため息をついて、吉野はもう一度ソファーに横になった。
昼間焚いた伽羅の香が、いまだ空気に染みつくように残っていてふわりと包んでくれる。吉野もまた、じきに眠りに落ちていった。
久しぶりに、すっきりと目が覚めた。
飛鳥は、濃緑の天蓋をしばらくの間ぼんやりと見つめ、吉野の寝ているソファーに顔を向けた。吉野はすでにいない。
起き上がって、自分の服に目を遣りため息をつく。
「あーあ、皺だらけだ……」
早起きできたと思ったのに、窓の外の太陽はもうすでに高く昇っている。また、ため息をついた。
今日は忙しいのに――。
枕もとのチェストにある時計で時間を確認し、慌てて鞄を漁ると、着替えを持ってバスルームに急ぎ入った。
日が暮れかかる頃、送り火を焚き、吉野と二人、一番近い川まで車で送ってもらって精霊馬と精霊牛、お供え物を流した。
白い石造りの橋の欄干から、夕闇が迫る水の流れを覗きこむようにして、漂ってゆく精霊牛を目で追った。川岸にぽつりぽつりと佇む石造りの民家と、なだらかに広がる緑の牧草地の続く、のどかで、穏やかな異国の地から、遠く故郷に想いを馳せる。
「お祖父ちゃん、こんな遠い国まで来てくれたかなぁ――」
飛鳥はぽつりと呟いた。
「来てくれたよ。だって、飛鳥、お盆前よりずっと元気になっている。祖父ちゃんのおかげだよ」
吉野がにかっと笑って請け負う。
「お祖父ちゃん、今年は大忙しだったね、きっと。本所の家と、それにハワード教授の所にも。気兼ねせずに行けたかなぁ――」
飛鳥が自信なさげに語尾を伸ばしたので、「教授、いつもウイスキーをお供えしている、って言っていたから、祖父ちゃんはつき合いで仕方なく飲んでいただけで、本当は酒が嫌いだった、って言っておいた。だから今年は安心して行ってるよ、きっと」と、吉野は、くっくと笑って言った。
「お祖父ちゃん、ああ見えて甘党だったものね」
「ここの激甘な菓子でも喜んで食うよ、きっと」
顔を見合わせて笑い合った後、ふっと飛鳥は表情を曇らせる。
「生きている間に、教授に会いに行ってくれれば、良かったのにね」
微かに唇を震わせて、一瞬、眉をしかめたが、ぱっと瞳をあげて吉野を見ると、「吉野、ありがとう」と無理に笑顔を作ってお礼を言った。
「生きているときと同じ、死んじまっても、祖父ちゃんはいつだって飛鳥を見守ってくれているよ。なんたって、あの祖父ちゃんだからな。絶対に中途で放り出したりしないもんな」
「僕がダメダメだから、お祖父ちゃんも成仏できないっていうこと?」
飛鳥は噴き出しながら尋ねる。
「そうとも言える」
「お祖父ちゃんの幽霊が傍にいてくれるなら、ずっとダメなままでもいいなぁ」
笑いながら言われた願いが、あながち冗談を言っているようにも思えなくて、「だから、駄目なんだよ。安心させて成仏させてやらないと怒られるぞ」と、吉野は苦笑いする。
「確かに」
「怒ると恐いぞ、祖父ちゃんは」
クスクスと笑いながら肩をすくめる飛鳥の背中を、吉野はバンッと叩いた。
「そろそろ行こう。あんまりマーカスさんを待たせちゃ悪い」
名残惜しそうに川の流れにもう一度目を遣った後、頷くと、飛鳥は吉野と並んで橋を渡り、道の端で待つ車に向かって歩きだした。
「せめてベッドで寝ればいいのに……」
「そしたら、飛鳥が戻ってすぐに寝られなくなるだろ?」
何気なく呟いた言葉に、返事があった。
「なんだ、起きていたんだ」
吉野は寝転がったまま、「おかえり」と言い、飛鳥はそんな吉野を穏やかな様子で見守ったまま、「ただいま」と応えた。
「どうだった、憧れのコズモスは?」
「市販品とはまるで違っていた。あれは彼女の頭脳そのものだ」
飛鳥は声を弾ませて嬉しそうに語る。
「ずいぶんと遅くまでかかったんだな」
ヘンリーと二人で夕食なんて御免被りたかったので、吉野はキッチンを借り飛鳥のためのカレーを仕込んで、ついでにそこで夕食を済ませた。そして、そのままメアリーと話しこんで時間を潰していたのだが、いくら待っても飛鳥は戻ってきそうになかったので、諦めて部屋に戻りさっさと寝ることにしたのだ。
案の定、こんな時間だ。
「うん。サラはやっぱりすごいよ」
「あんなにちっこいのになぁ」
「お前、同い年だよ」
「え?」
「言っていなかったっけ?」
アレンとも同じってことか――。
サラが四月生まれだからどうだって言うんだ、と胸糞悪い気分だったが、やっと謎が解けた。
「俺、父さんと母さんの子どもで良かった」
「なんだよ、急に」
「こんなでかい屋敷に生まれたら、いろいろ大変なんだな、て思ってさ」
「それは、まぁ、確かにね」
飛鳥は言葉を濁して曖昧に笑う。
「直系の証のオウム色の瞳、あいつが義妹を可愛いがるのも、あの瞳のせい?」
「何、それ?」
「伝説だよ、この家の。ここくらいの古い家系だと、冗談だろってくらい荒唐無稽な伝説がいろいろあるんだよ」
「へぇ――」
飛鳥は気のない返事をして、「伝説なら、うちにだってあるものね」と話を逸らした。
「は?」
「お前の龍笛、『紫雲』は、元は野辺送りの笛だろ」
薄暗がりの中、黙ったままの吉野に、「知らなかったの?」と飛鳥の方が逆に驚いて訊ね返す。
「俺、そう言えば母さんの家のこと、ほとんど知らない。そんないわくがあるから、人前でこの龍笛をあまり吹くなって言われるのか?」
「ヘンリーのフルートと同じ。みる人がみたら、出所が判るからだよ」
「出所って?」
「母さんの前の持ち主」
「誰?」
「母さんの曾祖父さん」
眠たげな声で、ソファーに頭をもたせかけている飛鳥に気づいて、「ベッドで寝ろよ」と吉野は、飛鳥の腕を掴んで引っ張り立たせ、ほとんど眠りかけている彼をそのままベッドに連れていった。
「あーあ、ジャケットくらい脱げよ」
出かける前の服装のまま横たわる飛鳥を見て、「よくこれで、あの几帳面な男に愛想をつかされずに一年もの間、同じ部屋で暮らせたな」と吉野は苦笑混じりに呟く。
「吉野、ウィルの瞳のことも、サラのことも、人に喋るんじゃないよ。結局は、誰かが傷つくことになるのだから……」
寝言のように呟いて飛鳥は完全に瞼を閉じた。
寝ぼけている時にしか、大事なことを教えてくれないくせに――。
小さくため息をついて、吉野はもう一度ソファーに横になった。
昼間焚いた伽羅の香が、いまだ空気に染みつくように残っていてふわりと包んでくれる。吉野もまた、じきに眠りに落ちていった。
久しぶりに、すっきりと目が覚めた。
飛鳥は、濃緑の天蓋をしばらくの間ぼんやりと見つめ、吉野の寝ているソファーに顔を向けた。吉野はすでにいない。
起き上がって、自分の服に目を遣りため息をつく。
「あーあ、皺だらけだ……」
早起きできたと思ったのに、窓の外の太陽はもうすでに高く昇っている。また、ため息をついた。
今日は忙しいのに――。
枕もとのチェストにある時計で時間を確認し、慌てて鞄を漁ると、着替えを持ってバスルームに急ぎ入った。
日が暮れかかる頃、送り火を焚き、吉野と二人、一番近い川まで車で送ってもらって精霊馬と精霊牛、お供え物を流した。
白い石造りの橋の欄干から、夕闇が迫る水の流れを覗きこむようにして、漂ってゆく精霊牛を目で追った。川岸にぽつりぽつりと佇む石造りの民家と、なだらかに広がる緑の牧草地の続く、のどかで、穏やかな異国の地から、遠く故郷に想いを馳せる。
「お祖父ちゃん、こんな遠い国まで来てくれたかなぁ――」
飛鳥はぽつりと呟いた。
「来てくれたよ。だって、飛鳥、お盆前よりずっと元気になっている。祖父ちゃんのおかげだよ」
吉野がにかっと笑って請け負う。
「お祖父ちゃん、今年は大忙しだったね、きっと。本所の家と、それにハワード教授の所にも。気兼ねせずに行けたかなぁ――」
飛鳥が自信なさげに語尾を伸ばしたので、「教授、いつもウイスキーをお供えしている、って言っていたから、祖父ちゃんはつき合いで仕方なく飲んでいただけで、本当は酒が嫌いだった、って言っておいた。だから今年は安心して行ってるよ、きっと」と、吉野は、くっくと笑って言った。
「お祖父ちゃん、ああ見えて甘党だったものね」
「ここの激甘な菓子でも喜んで食うよ、きっと」
顔を見合わせて笑い合った後、ふっと飛鳥は表情を曇らせる。
「生きている間に、教授に会いに行ってくれれば、良かったのにね」
微かに唇を震わせて、一瞬、眉をしかめたが、ぱっと瞳をあげて吉野を見ると、「吉野、ありがとう」と無理に笑顔を作ってお礼を言った。
「生きているときと同じ、死んじまっても、祖父ちゃんはいつだって飛鳥を見守ってくれているよ。なんたって、あの祖父ちゃんだからな。絶対に中途で放り出したりしないもんな」
「僕がダメダメだから、お祖父ちゃんも成仏できないっていうこと?」
飛鳥は噴き出しながら尋ねる。
「そうとも言える」
「お祖父ちゃんの幽霊が傍にいてくれるなら、ずっとダメなままでもいいなぁ」
笑いながら言われた願いが、あながち冗談を言っているようにも思えなくて、「だから、駄目なんだよ。安心させて成仏させてやらないと怒られるぞ」と、吉野は苦笑いする。
「確かに」
「怒ると恐いぞ、祖父ちゃんは」
クスクスと笑いながら肩をすくめる飛鳥の背中を、吉野はバンッと叩いた。
「そろそろ行こう。あんまりマーカスさんを待たせちゃ悪い」
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