胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
171 / 751
三章

しおりを挟む
「次年度の生徒会役員と監督生、それに各寮の寮長が出揃ったよ」
 チャールズは自室に戻るなり、ソファーに寝そべってうたた寝している吉野の額を、持っていた紙の束でポンと叩いて言った。
「遅い。人を呼び出しておいて遅れるなよ」
 吉野は、うっとおしそうに顔をしかめ、身体を起こす。

「ほら、きみのリクエストだ」
 チャールズは持っていた用紙を渡した。吉野はそのリストにざっと目を通す。
「ほぼ予想通りだな。こいつと、こいつは、俺、知らないな。でも、監督生は当たり障りがない感じだ」
「その分、次年度の生徒会は厄介だぞ。ベンが監督生に移ったからね。カレッジ寮うちの子は、四学年のアボット一人だ」
「解ってるよ。で、銀ボタンは、誰?」
「きみ」
「はぁ?」
 吉野は、訝し気にリストから顔を上げ、チャールズに視線を向けた。

「冗談だろ。最優秀生徒だぞ、下級生が選ばれる訳がないじゃないか」
「次年度、ケンブリッジに願書を出すんだろ? すでにハワード教授から受諾の返事を貰っているって? Aレベルも合格圏内だし、何十年ぶりかの低年齢合格者になるからね」
「何べらべら喋っているんだよ、あの校長――」

 腹立たしそうに呟くと、吉野は手にしていたリストをテーブルに叩き付ける。

「その銀ボタン、断れないの?」
「無理だね。ほら、そんな顔するなよ」
 チャールズはクスクス笑って、吉野の頭を撫でた。
「俺の早期受験、飛鳥や、ヘンリーは反対しているんだ。だからまだどうなるか判らないよ。それに、監督生を差し置いて睨まれるのは面倒くさい
。生徒会の連中は馬鹿ばっかりだから別にいいけど――」


「ベンが仕切ってくれるさ」
 チャールズは別段気にしているふうでもなく朗らかに笑った。
「あいつ、人望だけはあるもんな。でも監督生って成績上位者だろ? よくあれで選ばれたな……」
「自分以外は、皆、馬鹿に見えるかい? ベンは見かけよりもずっと優秀だよ。きみがいなかったら彼が銀ボタンだったはずだからね」
 チャールズは苦笑して、意外感を隠そうともしない吉野をたしなめる。

「皆、ベンだと思っていたんだ。けれど当の本人はそんなことを気にするような奴じゃない。この決定に文句を言う奴がいたら、彼が率先してきみを庇うさ」
「俺が文句をつけるよ。この学校、何よりも秩序を重んじるくせに、こんなのおかしい」
 吉野は、イライラと爪を噛み始めている。
「ヨシノ、また……。せっかく最近は治まっていたのに。そうカリカリするなよ。別に大した事じゃないさ、銀ボタンくらい」
 チャールズは小さくため息をついて、吉野の手を押さえた。
「俺、反省室の常連だぞ。誰も納得できるかよ。それにそんなもので俺を縛ろうとする、そのやり口が気に入らない」


 オンラインカジノ事件の誤解は解かれたが、反省室から脱走した罰として一週間ほど逆戻りさせられた。その後も寮の部屋から抜け出していたのが寮監にバレて、また反省室だ。生徒会の連中と遊んでいて門限に遅れた時も――。チャールズも、もう俺を庇うのが面倒になったのか、さっさと反省室に叩き込んでくれるようになった。おまけに今では窓から逃げられないように、ご丁寧に窓枠に格子まで嵌められている。


「銀ボタンは、成績優秀者に与えられるからねぇ」
「お前らみたいに、権威を有難がると思ったらお門違いだ」
 吉野は吐き捨てるように言って顔を背けた。
「その権威をどう使うかは、きみ次第だよ」
 チャールズは、もう一度ぽんっと吉野の頭を撫でてやる。

「それより、ベンがきみの入り浸っているパブの女の子に惚れて、足繁く通っているって本当かい?」
 吉野はゆっくりと振り向いて、チャールズをじっと見つめた。
「誰がそんなこと言っているの?」
「最上級生の間じゃ有名だよ」
 吉野の瞳を真っ直ぐに見つめ返していたチャールズは、困ったように唇を歪めて嗤い、「ミイラ取りがミイラになってどうするんだよ……」と重たげな吐息を漏らす。

「さて、どうするかな――。全く、卒業間近だってのに、こんなことじゃ安心してベンに後を任せていけないじゃないか……」
「あいつには遠回しにいろいろ言ってはみたんだけれどな。俺が口出ししていいことでもないし……。俺からアンに言うよ。こういう時って、傷つくのは女の子の方だもんな」

 珍しく真面目な顔をして淡々とした口調で喋る吉野に、「おや、意外にフェミニストなんだね、きみは」とチャールズは揶揄うように笑みをのせる。
「アンは親が階級差からくるギャップで離婚しているんだよ。ベンは貴族の嫡男だろ? 今時、身分だの、階級だの、冗談みたいな国だよな、ここは」
 やるせない表情で嗤う吉野に、チャールズは真剣に尋ねた。
「きみは? きみはどうなの、その彼女のことどう思っているんだ」
「俺? アンはいい子だよ、働き者だし、気も利くし頭も悪くない」
 真面目に答える吉野に、チャールズは思わず吹き出しながら頷いた。
「それで?」
上流階級アッパーが、遊びで手を出していいような相手じゃないよ」

 堪えきれず笑い出しながら、チャールズは、吉野の頭をわしわしと撫でた。

「やめろよ、犬じゃないんだぞ」
「ああ、そうだね、きみってそんな感じだ」
 嫌そうに頭を揺する吉野の肩をぽんぽんと叩く。
「ほんと、きみって子は、可愛いねぇ」

 訳が判らず、不愉快そうにぎろっと睨みつける吉野を面白そうに見返すと、チャールズは、身体を小刻みに震わせて本格的に笑い出した。






しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

夏の嵐

萩尾雅縁
キャラ文芸
 垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。  全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...